走れメロス 公演情報 走れメロス」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    緊張と緩和の妙 実験性あふれる演出
    物語という虚構空間と現実の空間との行き来、そして観客の巻き込み方の妙。
    (独り芝居であり、独り芝居ではない。観客と共に作る舞台)

    独り芝居という構造を、これほど上手く活かしている芝居を他に見たことがない。
    本当に素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    私は開演直前に席に着いたので、客入れ時にどのようなことが行われていたのかわからないのだが、ミドル英二さんの評によると「開演前、舞台そでに、お茶やコーヒーが用意されていて、出演の栗山辰徳が雑談を交えながら希望者にふるまう。」ということらしい。

    そして、開演時間。
    客入れ時の和んだ空気感のまま、独り芝居を演じる栗山辰徳から携帯の電源を切ってもらう説明などがなされる。
    また、劇の途中で、「サイダー缶を空け、グラスにサイダーを注いでもらう」というアシスト役を観客から募る。私が観た回は希望者がいなかったため、その行為を行う場所から一番近くにいた私がその役をおおせつかることとなった。

    これらは、落語か講談の導入ででもあるかのように、
    虚構が演じられる舞台上と客席という現実空間との対話がなされていく。

    そして、唐突に仰々しいまでの「演技」が始まる。

    その落差にびっくりしていると、「ちょっと大げさでしたね(笑)」というような感じで、また現実空間に戻ってくる。
    それで「やり直しますね」と、割と抑えた自然な形で再度演技が始まる。

    これらの虚構の緊張感と、現実に戻される緩和が、見事に行き来する。

    この後は、所謂「劇(物語)」が展開されていくのだが、
    そこでも、メロスが走り出すシーンで役者自身が走って劇場の外に出ていってしまうなど、この緊張と緩和の演出は、形を変えて随所で見ることができる。
    人は緊張からフッと解き放たれて、緩和させられると、自然と笑ってしまうものだ。だから、所謂コメディではなく、とても真面目な芝居なのにもかかわらず、随所で爆笑させられてしまう。新型コメディとでも言おうか。(新しい形のバスター・キートン?)

    ちなみに、役者が走って劇場の外に出ていっている間、劇場内では、観客は歌を歌うように要請される。
    唐突にこんな演出がなされたら、普通の芝居なら観客は戸惑ってしまうが、客入れ時から温和な空気が演出されているために、観客は一体感を持って舞台の構築に協力することになる。

    そして、舞台作りに協力し役を演じた者は、上演後、舞台の役者とともに拍手されることとなる。
    サイダーを注ぐ役、妹役/妹の結婚相手役〈これもお客さんを役者が勝手に役に見たてて演技する)/羊役(妹とその結婚相手以外の観客は羊の設定)/歌を歌った人。つまり、全員の観客がこの舞台の出演者でもあるということだ。

    虚構と現実の行き来は、役者の内部でも演出されている。
    メロスが走り疲労困憊している部分では、実際に走るという以外にも、腕立て伏せや、腹筋、スクワットなど、実際の役者の肉体を疲労させることによって、その身体性を得ている。嘘の「演技」ではなくて、本当に疲労した身体がそこに現れることになる。つまり、役者のドキュメントでもあるということだ。

    また、小道具や音を使って、本当にそれがあるかのように見たてる部分も秀逸。(これは一般的に演劇全般で行われる手法であり、独り芝居では特に多様される方法であるが、他の芝居とは何かが違う、うまく言葉にできないが。)
    例えば、筋トレ用具:エキスパンダーを川に見立てたり。
    その、川を渡る描写の部分で、劇場内の排水管に水が流れていったのも、演出だろう。偶然かも?
    観客がサイダーを注ぐ音を、湧水が注いでいる音に見たて、その注がれたサイダーを、湧き水として飲み干すシーンなども秀逸。


    本当に上手く、演出された芝居だった。
    演出家の志賀亮史さんの妙であると共に、
    出演なさった栗山辰徳さんの妙でもある。

    本当に素晴らしい舞台でした。
    ありがとうございました。

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