ある日、僕らは夢の中で出会う 公演情報 ある日、僕らは夢の中で出会う」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/12/08 (月) 15:00

    記憶が確かならば30年近く前にショーマの新人公演として改築前のシアターグリーンで観て以来になる本作、舞台美術はもちろん、物語すら記憶になかったが、いざ観たらまさに「あの頃の高橋いさを作品」であれこれ懐かしい。
    4人の出演者が刑事と犯人を二役で演ずるシカケで、最初はスーツとツナギという衣装の違いで見せているが刑事が犯人と接触するために刑事だと悟られないように(何故か(笑))犯人グループと同じツナギになって以降、刑事役と犯人役を瞬時に切り替えるだけでなく「お前、今。どっちだ?」(←筒井康隆原作・伊藤秀裕監督「男たちのかいた絵(1995年)」の中の台詞)状態にまでなるのは演劇表現ならではのものだろう。
    あと、中央にドア、その左右に2枚ずつのパネルを配した装置、パネルに軸らしきものが見えるので回転することは予期できたが、まさかあんなにもスムーズに回転するとは恐れ入りましたぁ!(笑)
    で、劇中の役名が(初演の)出演者名なので劇団ショーマをよく観ていた身として「あ、なるほど、あの人があの役だったのね」と納得。

  • 実演鑑賞

    不条理コメディ?

    ネタバレBOX

    1983年の作だそうで。
    「最近の刑事ドラマじゃ、戦車が出てくるそうじゃないか、」っていう台詞は時代を感じさせますなあ。
    会場ボカン、私ゃ笑いました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    高円寺K’sスタジオ10周年記念企画、無料公演。
    上演は 高橋いさを氏の脚本、それを梶原航氏が演出したコメディ系メタフィクション。役者は4名、全員が刑事と誘拐犯の1人二役で描く。立場が変われば思考や意識が変わる、まるでオセロゲームのように白が黒へ 黒が白へ反転する。そもそも白と黒で どちらが表で裏なのか決まっていたのだろうか。自分は 何となく白=表、黒=裏という先入観に捉われていたような気がする(初手は決まっている)。

    物語は、刑事部に配属になった新人刑事の 実務研修のようなことから始まる。映画やTVの刑事ドラマに毒されているような新人、先輩曰く 実際の刑事は あんなにドタバタ動き回らない。事件が起きない日は、ただ ボーッとしているだけで 報告書なんか書かない と。そして警察用(隠)語にしても拳銃はチャカではなくビー玉と笑わせる。1人の人間が 既知の理想と未知の現実の間で翻弄され、諸々が曖昧になっていく不条理劇。

    先入観、思い込みに潜む危うさが、刑事と誘拐犯との交渉(1人二役だから自分自身?)を通して浮かび上がる。最初と最後の台詞は同じ、何気なく使っている時候の挨拶(言葉)は無難のような。その無意識こそが最強にして最高の在りようだ。物語は面白いが、なぜか〈観劇〉ではなく〈観察〉している といった醒めた見方(意識)になった。
    満足度は辛口の★3。
    (上演時間1時間15分)

    ネタバレBOX

    中央にドア、その両横に回転する衝立壁が4枚。それはオセロのように裏表が黒と白になっており、場景に応じて変わる。中央にテーブルと黒電話。登場人物は4人で刑事の時は黒スーツ、誘拐犯の時は白っぽい続服(ツヅクフク)。黒と白は 衣裳にも拘りを見せる。

    当日配付された案内によれば「刑事と誘拐犯という立場にいながら、どちらも『自分はホンモノの人間として生きている』と信じたい人たちの物語」とある。今の世の中、ホンモノとニセモノの区別が曖昧になりイメージが先行する風潮にある。そのイメージにどれだけ近いかが ホンモノへのメルクマールになっているのかもしれない。劇中にもあるが、「モナ・リザ」の複製が多く出回り 本物との区別が付かなくなり…といった場面がある。その絵画は唯一無二で、本物と偽物を峻別する必要があるが、例えば その人でなければ といった絶対的な存在は稀(芸術家や技能者など)。物語では”つくられた姿”が先に広まって、そのイメージに合わせて行動することへの可笑しさを描いているよう。

    物語でも刑事の外見は、黒いスーツでそれなりのイメージ。そのイメージこそ世渡りでは大切。周りの視線が気になり、普通に あてはまらないと仲間外れにされてしまうのではないかと怯えて過ごす。それは子供から大人まで どの世代でも同じ。しかし何が「普通」かは曖昧、そこに自分らしさを見出せるか否かも大切。イメージがあっても 必ずしもそれが正解とは限らない。この作品は男優4人の物語らしいが、本公演では男優1人と女優3人、すでにイメージを壊しにかかっており、刑事と誘拐犯の電話口での対応も可笑しい。

    この戯曲は1983年に書かれたそうだが、時代の変化は速く イメージも多様化している。TVなどのメディアはもちろん、SNSなどによって情報はアッという間に拡散され、その真偽が分からないまま拡大していく。物語は、自分がホンモノとして生き(信じ)ているかではなく、第三者にそう思わ(信じさ)せるかといった展開のようで、そこにイメージという虚像に内在している怖さを感じる。今 自分は刑事なのか犯人なのか錯綜、だから最後のシーンが活きてくる。演劇は、虚構の中で役者はホンモノらしく演じ 自分を表現するそうだが、この公演では、共感・没入感ではなく その外観を観察したといった印象だ。
    次回公演も楽しみにしております。

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