サウンド・オブ・ミュージック 公演情報 サウンド・オブ・ミュージック」の観たい!クチコミ一覧

期待度の平均 3.5
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  • 期待度♪♪♪♪♪

    初演以来・・・
    幸運にも友人からチケットをいただき、サウンドオブミュージック東京千秋楽を観に行くことになりました。
    初演の時に鈴木さん、井上さんの大佐&マリアで観たのですが中盤から涙が止まらないくらい感動しました。今回は新しいキャストにあたりそうなのでそれもまた楽しみです。子役も変わったと思うのでそれも楽しみですね。
    千秋楽で盛り上がること間違いなし!の舞台をGW最後の〆に楽しんできます。

  • 期待度♪♪

    ミュージカルの傑作を観たい。
    ジョン・ゲイ(1665-1732)は,1728年「乞食のオペラ」を初演した。彼は,そのときオペラを意識しつつも,オペラから独立宣言をする。「語られる台詞」と,「歌」とを意識的に共存させた。これはどのような意味があったのだろうか。これが,ミュージカルの萌芽であって,彼の役割がないとミュージカルは出現しなかったかもしれないという。しかし,一体何がどうすごかったのだろうか。
    たしかに,この時点でも,シェークスピアの作品はたいへんな人気であった。その中にも多くの歌は出て来る。しかしながら,それは,単なる「歌入り芝居」の域を出ていない。一方,本格的「オペラ」というものもあって,最初から最後まで,歌ばかりである。これはこれで,すっきり芸術として理解された。しかし,このような状況で,ジョン・ゲイはあえて演劇史上空前の実験を,自作の「乞食のオペラ」の中で行う。ジョン・ゲイが気にしていたのは,本格的「オペラ」の中で,「レシタティーヴ」というものの存在だ。もちろん,これはこれで,本格的「オペラ」の核心部でもある。たしかに,物語を進行させるためには重要だ。しかし,その対話やら語りが全体を明るくしていない。ならば,はずしてしまえ!かえって自然なものができよう!と力説する。ところが,本格的「オペラ」が自然になるためにやるのだと詭弁を使い,心の底では,もっと現代的な斬新なものをめざしていたことがあとでわかって来る。
    それは,どのようなもので結局あったのだろう。本格的オペラなら,「レシタティーヴ」を使う場面で,いきなりマクヒースが歌い出すようにした。そのようなことをすると,「語られる台詞」と,「歌」との間に,明瞭な飛躍と断絶が発生する。これが,ジョン・ゲイの採用した手法であった。普通にしゃべっていた人間が,急に歌い出す現在のミュージカル特有のスタイルのはしりといえる。劇のことばは,人物でなく,作者に付随する。語り手がその場で思いついたように見える言葉は実は,冷静な作者の創作活動に支配されている。だから現象的には,奇異にも見えても,いっこうにかまわない。こういった新型の演劇もあっていいじゃないかとの信念だった。たしかに,時間がたてば,最初違和感があったものも,やがてなれる。芸術としてみれば,さっきまでしゃべっていた人間が急にたちあがって歌い出しても現在では誰も不思議に思わなくなった。それが芝居で,芸術で,そういうものだからさ!とみんな思う時代が来たのだ。というわけで,ミュージカルは最初ちょっと変だけど,すぐなれます。とびきりの音楽で,とびきりのスターが,世界中でミュージカルを演じ,大人から子どもまでがそれを楽しんでいる時代です。生で,映画で,たくさんお楽しみください。
    ミュージカルの先行形式であるオペラを調べていくと,この「乞食のオペラ」にゆきつく。「マイ・フェア・レイディ」のようなものも,形式・本質は「乞食のオペラ」にすでにある。「乞食のオペラ」そのものは,二重構造で劇中劇になっている。劇の最初に,「乞食」は自らを作者であると告げている。バラッド歌手の結婚祝いに歌を作ったと言っている。「レシタティーヴ」を落として,「語られる台詞」と,「歌」をいったり来たりさせた。これを,世界的にも初めて意識して作品化した。たしかに,この「乞食のオペラ」は,やがて,「三文オペラ」となる。「三文オペラ」(Die Dreigroschenoper)はベルトルト・ブレヒトの戯曲。クルト・ワイルが作曲を手掛けた音楽劇であり,1928年8月31日にシッフバウアーダム劇場の開場に合わせて初演され,大成功を収めることになる。「乞食」は世界中に,ミュージカルの種を,しあわせの種を,ばらまいたのかもしれない。

    参考文献:ミュージカルが最高であった頃(喜志哲雄)

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