焼肉ドラゴン 公演情報 焼肉ドラゴン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-3件 / 3件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    スタンディングオベーションで四度のカーテンコール
    あんなに長く拍手してたのは人生初めてでした
    鄭義信さんが横通って舞台に上がって行くとき拍手が贈れて良かったです

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    10月から2回目。
    小劇場から中劇場に変わったが観ている側からすれば全く同じ感覚。出演者は呉日白(オ・イルベク)役のキム・ムンシク氏が健康上の理由で降板、チョウ・トガン氏に変わったのみ。チョウ・トガン氏はタカアンドトシのトシっぽい。

    演劇として完璧な作品にも思える。観客に芝居を体感させるアトラクション的な開かれ方。特に自分が敬服するのはイ・ヨンソク氏とコ・スヒさん。韓国人の俳優の為、他の情報が一切なく今作の登場人物そのものとして観てしまう。この佇まいは他の人に代え難い。全てを受け入れる片腕ドラゴンと自分の宿命を呪い、すぐ「南無阿弥陀仏(ナムアミタブル)」を唱える高英順(コ・ヨンスン)夫妻役。二人は済州島(チェジュド)出身だが1948年(昭和23年)4月に始まった「済州島四・三事件」によって故郷の村も親族も全て失われる。済州島は日本の沖縄的な島で元々は流刑地。第二次世界大戦後、南北統一した独立国家を求める島民に対し、反共を掲げる米国統治の韓国軍が住民を虐殺。大虐殺と脱出の結果、28万人いた住民は3万人まで減った。何もかもを失くした二人の出来ることは働くこと。働いて働いて働いて働いた。

    村川絵梨さんは安田成美を思わせる正統派美人。このルックスで演技もこのレヴェルなら怖いものなし。
    智順(ちすん)さんは鈴木京香的。「や゛め゛で〜!!」が響き渡る。
    石原由宇氏は森脇健児に見えた。

    これで終わりとは考えられない。
    観客の声から必ず復活上演されると思う。
    素晴らしかった。

    ネタバレBOX

    2年前、息子のいつも居たトタン屋根の上にのぼって一緒に桜吹雪を眺めたことを述懐するラスト。
    「春の風に桜が舞うとる。えぇ心持ちや。こんな日は明日が信じられる。たとえ昨日がどんなでも明日はきっとえぇ日になる。」
    必ず明日は良い日になる。全てはうまくいく。

    ※開演前、隣人役の松永玲子さんが右足ギプス、松葉杖にて登場。前回とキャラ変えてきたなと思ったが智順さんの右脚のキズと被る為不思議に思う。他の役も全て松葉杖で演じた為、ガチの骨折と知る。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    作演出の鄭義信氏は中劇場を「苦手」と称していたけど、見事に空間を支配して強い感情が
    ダイレクトに全身へ投げつけられるような「焼肉ドラゴン」に昇華させたように感じた。

    1幕が終わった時点で複雑な家族関係や時代背景も相まって、ちんぷんかんぷんというお客も散見
    されたので、Wikipedia序盤の家族構成や制作経緯を押さえておくとすんなり作品世界に入って
    こられる気がする。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E8%82%89%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3

    ネタバレBOX

    いつも寡黙で三姉妹ほか「焼肉ドラゴン」のみんなが賑やかにやっている中でもいつも舞台の隅にいて
    ただただ自分のなすべき仕事に精を出している金龍吉。

    肝のすわった感じの妻・高英順や個性が強い三姉妹に押されるようにしてあんまり目立たなかっただけに、
    美花が長谷川と結婚の許可を得に訪れた時、世間話でもするように自分の過去を訥々かつ切実に語るシーンが
    脳裏に焼き付いて離れない。

    済州島虐殺事件で村も故郷も失って命からがら日本へ逃れ、家族を養うために土地を取得して(本人は元の
    所有者から買ったと言っているけど、資金的な面を考えるに不法占拠に近かったと思わざるを得ない)、
    「働いて……働いて」と何度となく繰り返すほど必死で働き抜いて長い年月を過ごしてしまった。

    自分の人生がただただ家族を守るだけ、生き延びるだけの労働だったってひたすらしんどくて、何のための
    数十年間だったんだろう……って今生きているこちらとしてはふと心をよぎりかねないけど、こういう人は多分
    東アジア中心にたくさんいて「焼肉ドラゴン」はそのささやかな一例に過ぎない。

    そう思うと、今までの全てが「自分の運命であり、妻の宿命」だったと繰り返し劇中で出てくる龍吉の言葉が
    何か取り返しつかないポイントに達してしまったようにも、どこか達観しているようにも、何度でも乗り越えて
    きたからこれからも同じことをするだけだってこぼしているようにも受け取れる。たぶんその全部が入り混じった
    感じなんだろな。

    最初と最後の桜がピンク色のフィールドを作っていくシーンで、龍吉が「明日はきっと良くなるはず」「昨日が
    どうであったとしても」には泣かされるね。高英順がリアカーに乗っかって夫にまんまと運ばせるってコメディ
    部分なかったら胸が痛すぎたと思った。

    イジメのストレスで失語症になり自殺したはずの息子が最初と最後で語り部を行う。最終部分で街を出ていく
    両親についていかなかったの、おそらくなんだけど死者は過去の者であり、これからどんなものであれ未来へ
    明日へ向かって歩みを進めていく2人には重荷になってしまうという思いもあったのかな……と。

    この作品、演出次第ではどこまでもシリアスにできたと思うけど(現にあらすじだけ見るとドロドロした話
    だと感じる)、多用されるギャグやコメディパート(個人的には元婚約者の静花に未練ありまくりの大樹へ
    哲夫が「お前、しつこいぞ!」と放言するの、ブーメランにもほどあるやろと笑った)に助けられたところはかなりある。

    あと、帰国事業で北へ渡っていく長女夫妻、朴正煕体制下の韓国へ渡っていく次女夫妻、一応日本には残る三女夫妻、
    土地と店を失う格好でどこかへ流れていく龍吉夫妻と、どう考えても二度と全員が一緒に集まる機会なんて歴史を
    振り返れば振り返るほど無いと分かるので、しきりに写真を撮りまくる哲夫がなんか切なかったなぁ。

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