少女仮面 公演情報 少女仮面」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 0.0
1-1件 / 1件中
  • 素人と、玄人の、裂け目…
    猿楽町校舎で明治大学さんの舞台を拝見したのは2回目…前回と同じくフリーカンパチケット制(観客の言い値)ということ、そして、今回は唐十郎さんの本ということでうかがいました。前回の『ジゴクヘン』は4500円と査定し、納めさせていただきました。今回は席料を決めるのがとても難しかったです。結果、4600円を納めさせていただきました。私自身にとって、観劇正規料金は1席5000円と考えています。それは、玄人(プロ)として舞台のみで生活する場合、素人の私なりに平均的な社会人の生涯賃金から年収を逆算し、その水準を確保するために必要な席料はいくらか、試算した結果です。今回の舞台ではあらためて、素人と、玄人の、裂け目…を考えさせられました。以下、長文になりますので、ネタバレBOXにて…

    ネタバレBOX

    お金をもらいさえすれば、すべて玄人だとは、私自身は、思っていません。もちろん、ほかの方々がそうお考えになることは御自由だと思います。
    私にとっての「玄人」とは、そのなりわいだけで飯を食っている人です。
    したがって、社会人として自ら生計をたてられている方々は、皆さん必ずなんらかのプロでいらっしゃいます。
    私にとっての「素人」とは、そのなりわいだけでは飯を食っていない(あるいは食えていない)方です。
    したがって、お金を払って観劇する宿命にある純観劇人には、どなたも玄人はいないということになります。くれないも、素人の純観劇人です。
    もちろん、観劇によって得た情報を加工し、記事化して、それを売ることをなりわいにしている職業演劇ライターの方はおられますし、観劇サイトの運営者や、個人で観劇ブログを運営して広告収入だけで食べている方もいるかもしれません。
    しかし、それはあくまでライターや広告業としてプロなのであって、観劇するだけで劇場にいくたびにお金をもらって生活しているわけではないので、やはりプロの観劇人ではない、ということになります。
    一方、もし博打のあがりだけで飯を食い続けている方がおられるなら、その方はまちがいなく、プロの博打打ちです。
    厚生労働省「賃金構造基本統計調査」のデータを用いた労働政策研究・研修機構の推計によると、大学卒の社会人の生涯賃金はおよそ、女性が2億4千万円、男性が2億8千万円だそうです。高卒で女性1億8千万円、男性2億4千万円、中卒でも女性1億4千万円、男性2億1千万円とのことでした。
    俳優の皆さんはチケットバックで手取り何割くらいもらってるでしょうか。5割、もらってますでしょうか。おそらく、それだけもらってる方は少ないのではないでしょうか。
    あるビジネスモデルを考えたとき、総売上高に占める経費率を50%とした場合、粗利率は残り50%になります。
    40年間働いた生涯賃金を仮に2億円とした場合、必要な年収は500万円。
    その水準を確保するためには、粗利率50%でも1人で年1000万円のチケットを売り上げねばなりません。粗利率が低ければもっと高額になります。
    裏返すと、席料が1席5千円&チケットバック5割の場合でも、そのひとひとりで年間最低のべ2千人を集客するちからがなければならないことになります。
    これは、年8回舞台に立つとして、毎回必ずきてくれる純観劇人の方が250人はいなければならないことを意味します。そして、そのなかには同業者は含まれてはなりません。
    同業者が顧客たりえないのは、対等な同業関係であるならば、有償で観に来てもらえば必ず、その方の舞台もおかえしに有償で観にいかなければならなくなるからです。それではただ席料をキャッチボールしてるだけです。
    これが、同業者をエンドユーザーに含めることができない理由です。
    したがって、以前コリッチの『観てきた』でもふれた、席料を1席2千円で設定されている某劇団の方は、ひとり年間最低のべ5千人の顧客をあつめるちからが必要になります。
    それくらい、舞台だけで飯を食うというのは大変なことなのだと思います。卒業して10年、20年は、バイトと掛け持ちでできるかもしれません。
    でも、30年、40年と舞台だけで生きつづけている方々は、極めて少数のようにおみうけします。人生は1回しかありません…やりなおしはききません。
    私は、自分が玄人だと感じた方々の舞台は、1席5千円払ってもよいと思っています。理由は、『ジゴクヘン』の〔観てきた〕に記した通りですし、そうした方々を、ささやかながらおささえしたいと思っています。
    一方、1席5千円超の舞台を観に行くときは、厳しくみています。はたして、それだけのお金と時間を投資する値打ちがあるのか…ほかの舞台を選ぶべきではないか…と。
    これは、劇団の公示席料が1席5千円の舞台を観に行くということではなく、「1席5千円の質に達しない」と私が感じた方々の舞台を観にいかないようにしているということです。くれないは消去法で選んで観にうかがっています。仕事の合間に観にいくので、一つの舞台を選択すれば必ず、お誘いをいただいた他のどなたかの舞台を公演期間中観れなくなります。絞った舞台はいずれも甲乙つけがたいので、制作、作家、演出家、俳優、劇団の印象など、ちょっとでもケチがつけば即、選択対象外になります。沈黙を守られているほかの多くの純観劇人の方々ももしかしたらお感じになっているかもしれませんが、実は客席側だけうかがっているひとは、舞台人の方のちょっとしたそぶりや視線で、その方が客席をどうみているか、敏感に感じとっています。けして舞台にたっている姿だけみているわけではありません。むしろそれ以外のときをじっとみています。
    俳優さんは個人のひととなりですが、劇団は制作の姿勢をみればすぐわかります。なかには、明らかに客席をみくだされた姿勢をとっている方々がいます。それは幕開き間際にうかがったときによくあらわれます。たしかに観客は客席という砂浜の砂ひとつぶにすぎません。代わりは何千何万といるでしょう。そもそも赤の他人ですから。劇場という限られた席数空間では、満席の場合は制作の方は入れるのに苦労します。逆に客入りが悪いと、サイドに空席があるにもかかわらず、ぎゅうぎゅう詰めにすることがよくあります。知人いわく、「舞台に立つ方のモチベーションを下げないため」だとか…しかし、観客は舞台側を満足させるためにうかがっているわけではありません。残り数席なら次のお客様のことは当然私たちも考えますが、明らかにガラガラなのに寿司詰めにすることがよくあります。誰しも見知らぬ誰かと隣り合わせになるのは緊張しますし、そうした状態で長時間いるのは苦痛です。ネットとデジタル映像技術がこれだけ進み、在宅化・モバイル化が加速するなかで、劇場にお金を払いにいくというのはかなり高いハードルです。当然、「なぜあいてる隣の列にいけないのか…」と感じます。だからくれないは、必ず幕開き間際にうかがって、制作の方がどう応対され、さばかれるかをみています…幕開きに遅れた場合はむしろシンプルに、『せっかくですが席を用意できません』とおっしゃっていただいたほうがありがたいです。そもそも遅れていくほうに非があるので丁重に見送っていただくとかえって恐縮します。が、あからさまに代わりのきく砂つぶのごとく、「いまさら何しにきやがった」という態度にも何度もでくわしました。あげくのはては『席はもうありません!』と怒鳴られて帰ったことがあります。■▲◆▲という劇団の女性制作でしたが、未だになんで怒鳴られたのか意味不明です(笑)。そうした出来事は必ずまとめて、客席側のご縁の方々におつたえすることにしています。
    客商売はなにも演劇に限ったことではありません。私の業界でそんなことをしたら、一発で干されてしまいます。そもそも、総観劇人口に対して、劇団が多すぎます。コリッチだけで、この一年で、一日ほぼ3劇団ずつ新着しています。1公演1000人以上集客しないと採算がとれないとすると、1劇団年2~3公演するとして、毎日6千人から9千人の観客(観劇数)が増えなければならない計算になります。演劇の観客がそんなペースで増えてるでしょうか…。このままでは早晩、演劇界全体がともだおれ状態になり、『演劇では飯は食えない…』が本当に定説になってしまいます。落語や歌舞伎は門人となる入口で淘汰されますが、演劇ではそうしたことがありません。だからこそ、客席側の選択によって自然淘汰がすすむことが、残念なことですが、私自身は、必然なのだと思っています。
    前回の「ジゴクヘン」は1割引きの4,500円、今回の「少女仮面」は4,600円を納めさせていだきました。誤解のないよう申し上げておくと、唐組さんは席料3600円でしたが、今回の質が上回っていたわけではありません。
    本の世界は申し分なかったと思います。ただ、千秋楽の風組を拝見して、私自身は三人の方々をのぞいて、お金を払うたちすがたの水準にないと感じました。
    本のなかのひとに同化されていた、と感じたのは、ホール主任の方、腹話術師の方、水飲みの勤め人の方です。
    春日野さんと、貝さんはとても残念でした。貝さんに至っては風呂桶の水をなめるとき、桶にいれていない渇いた指をなめていたようにおみうけします。水なめないで味なんかわかるんでしょうか。客席にそう思えというのは酷です。ほかのアンサンブルの方々も、出番が短時間だったのでなんともいえないところがありますが、たちすがたはむしろ台詞がないときのほうがむずかしいと思います。客席はなにも台詞をしゃべっている方だけみているわけではありません。舞台全体を俯瞰してみています。センターがしゃべっているとき、アンサンブルがどうその時をすごしているか…そこがじつはとても奥が深く、むずかしいのではないでしょうか。
    私は板の上に、ふだんの自分自身をもちこんでいる方がたつ舞台は魅力を感じません。結婚式のカラオケのように、自分の世界にはいってたり、観客の視線に酔ってたりしても同様です。私には、玄人の方々はつねに、板の上では限りなく自分自身を零にされ、本のなかのひとやものと同化しているようにみえます。
    そこが、玄人の入り口に立てるかどうかの最初の分かれ目ではないかとも感じています。
    唐組さんの紅テントの舞台ではさらにそれを超えて、たとえば藤井由紀さんのたちすがたには、みずからのからだに大地から地霊をよびこむような妖気を感じます。
    「ジゴクヘン」に記したように、私も、ある結論をださなければなりません。
    2回目は拝見しましたが、3回目はもうないとおもいます。
    しばらく、猿楽町校舎から離れて、玄人の舞台の観劇に徹しようと思います。
    正直、今回は席料を決めるのがつらかったです。「学生なんだから当然だ…」といってしまえばそれまでですが、皆さんは授業料を払ってこの数か月、舞台指導を受けてきたはずです。そして『客の言い値』という席料を設定した以上、それはたんなる学芸会のだしものではなく、少なからず玄人の舞台にたつことを念頭においたものであるとみられてしかるべきです。
    もし1円も求めない舞台なら、私は迷わずほかの舞台に同じ時間を使っていたでしょう。
    そうではなかった以上、玄人の方々の舞台と同様に向き合うのが誠意だと思いますし、ここにも玄人の方々の舞台感想と同様に書かせていただくことにしました。
    100円の差は、前回拝見した舞台よりも、たちすがたが化けていた方がおられたからです。将来への可能性を感じました。
    またいつか、ちがったきっかけでうかがわせていただくこともあるかもしれません。そのときをたのしみにしています。ありがとうございました。
    (追伸)ホール主任の方、腹話術師の方、水飲みの勤め人の方、いつかキャンパスの外の、劇場という名の戦場でお会いしましょう…

このページのQRコードです。

拡大