公演情報
「『REAL』」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
前作「GIFT」は観なかったが今回は観た。タイトルからして前作~今作は同系統との読みと、第二弾をやるなら勝算はあるに違いない、といった姑息な予測で・・。
舞台。嫌いではなかったが、幾許かでもストーリー性を織り込むなら筋は通したい所、軽視し過ぎな憾みも。
質店を守る次女(サヘル・ローズ)。そこへ売文か探偵か(その両方か)でもやってそうな男(渡邉りょう)が失踪している長女(月船さらら)を題材に書きたく消息を尋ねに訪れる。その際、次女も少し前まで色んな方が訪ねていらした、と証言するからには「追われる」だけの何かを帯びているのだろうと想像している所、割と序盤で長女は現われ、その後もずっと居るのだ。探される身、という事ではまァ学界で注目される神出鬼没の思想家ないし社会学者、と観客側で設定しても良いのかもだが、追われているなら一度現わした姿を最後またくらますか、くらまさないのなら過去の生き方と決別してのラストとなるか、ラスト実は彼女の生き方の延長であったと判るか・・そこだけでも何か整合を取ってくれると、もう一味美味しい(芝居らしい)芝居を観た気になれたのでは、と思う所はある。
宮沢賢治の妹になりきった(憑かれた)三女(犬宮理紗)は「永訣の朝」のために、長女はニーチェ(ツァラトゥストラ)のため、三人は「三人姉妹」のために存在し・・憑依された者の異言の如く言葉が吐かれて行く。晩年のニーチェがイタリアのとある地の路上で鞭打たれる馬に泣き縋り、精神を病んだ彼はついに正常に戻る事はなかった・・というエピソードから馬つながりでヨルダン川西岸のジェニンの「瓦礫の馬」を模した巨大な馬の登場。私の中では次女=サヘル・ローズ本人が、この馬とパレスチナの今を伝えるために存在させたと解釈され、天願氏の脳内を開陳したような本作を自分の中で完結させたものである。
時折鳴る爆撃、終盤の「残っているのはこの家くらい」との台詞で、大正期のような佇まいの静かな質店から、戦場へと観客は駆り出される。ここで三人姉妹の最後の台詞たちが正面芝居で語られるのだが、没落し職と結婚(恋愛よりも)の必要に迫られるもうまく行かない原作の状況(三女の新婚相手が決闘で死んだ朝という緊迫の状況ではあるものの、ある意味日常)で作者が言わせた台詞が、戦場という状況に勝てるのか・・これを凝視していた。辛うじて成立するのを見届けた。
実演鑑賞
満足度★★★
三姉妹が暮らす古い家屋の質屋。次女(サヘル・ローズさん)は帳場で破れた下着を繕っている。時折遠くから爆音が響き、どうやらここは戦地らしい。そこに現れた来客(渡邊りょう氏)は長女(月船さららさん)の行方を追っている。数年前から何処かに出掛け帰って来ないまま。「日本のインディ・ジョーンズ」と称される冒険家兼考古学者らしい。奥では三女(犬宮理紗さん)が臥せっている。幼い頃から憑かれやすい体質の三女、今回は宮沢賢治の妹トシに。客(マメ山田さん)が質札を手に品物を引き取りに来る。重い地蔵を奥から引っ張り出して来る次女だったがそれじゃなかったらしく客は帰る。下手の客席側面、頭上のキャットウォークから月船さららさんが登場。何故か馬の生首を持っている。BGMに乗せ、叫ぶのは『ツァラトゥストラはかく語りき』。名前は日枝(にちえ)=ニーチェ。ツァラトゥストラはゴータマ・シッダッタのように山奥で悟りを開いた。ある朝、太陽に告げる。太陽が幾ら偉大であまねく地上を照らすとしても、それを受け止め感じる者がいなくては何の意味もないのではないか?同じく自分がどれだけ真理を見付けたとしても、それを人々に伝えないことには意味がない。(初転法輪)。ツァラトゥストラは山を降りて町に出る。月船さららさんは滑車に吊り下げたワイヤーロープに片足を乗せて客席通路に降り立つ。
月船さららさんはここ数年で一番美しかった。衣装も綺麗。
ひたすら哲学談義が続くので眠る人もちらほら。三好十郎「廃墟」にも通ずる。
だが妙な面白さがあった。こんなカルトに詰め掛ける観衆。客層は全く読めない。
実演鑑賞
満足度★★★★
いや~なかなかに興味深い。アングラ風な舞台ですが、血湧き肉躍るという訳でなく、淡々と話が進んで行きます。これはこれでいいですね。梨とおでんを食べたくなりました。
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2025/09/12 (金) 14:00
宮沢賢治とニーチェのテキストを使って濃密でアングラテイスト。他に代わるものがないタイプの芝居。113分。
旗揚げからずっと観てるユニットで、天願大介の作・演出が光る。昔ながらの質屋の帳場に、三姉妹の次女・愛枝(まなえ,サヘル・ローズ)がいるところに垣乃花(渡邊りょう)が来て、長女の日枝(にちえ,月船さらら)はいないかと問うのだが、いないと答えたところにドイル君(マメ山田)がやってきて質草を出そうとするけど急いで帰り、やがて日枝は空(キャットウォーク)から現われ、三女の智枝(ともえ,犬宮理紗)は寝ている…、みたいに物語を追うことができなくもないが、そこが本意ではないだろう。宮沢賢治やニーチェのテキストをふんだんに使い、最後は『三人姉妹』的な終わり方。開演から聞こえる轟音がキモ。感性を刺激される芝居だった。