三谷文楽『人形ぎらい』 公演情報 三谷文楽『人形ぎらい』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    文楽でパルコがほぼ2週間、満席になった。渋谷で会いましょう、の若い男女にとっても、見て面白い公演だった、からである。新幹線は出てくるわ、通天閣は出てくるわ、いや文楽の人形劇であることまでネタにして笑っている内にお開きになるⅠ時間40分である。
    それは良い、日本の伝統演劇である文楽が危機に瀕している今、苦労ばかり多い文楽脚本を書いてみた三谷幸喜の労を謝するには人後に落ちないが、同時にさまざまな文楽を巡る課題広く言えば日本の舞台芸術のあり方の問題もここに現われている。いずれ本格的な論議もあるだろうし、作者も、現代の当たり狂言作家の立場から誠を持って応えられるだろうから、ここは一人の観客としての感想である。
    今回の上演戯曲はもう、現代劇の爆笑喜劇と思った方が良い。今、文楽は大衆芸能としては、大衆の支持を失っている。今回上演の戯曲は、『槍の権三』に依っている。近松門左衛門の姦通ものの代表作の一つで、昭和の時代には映画(篠田正浩・監督)にもなった名作で、ある。私は運悪く原典の、文楽も歌舞伎も見ていないが、内容は知っている。はじめの権三とおさいが密通して、互いの帯を取り違えるところなどはなかなか面白い仕掛けで、どう芝居で持っていくか、一度みて見たいと思っているうちに人生も終わりそうだ。この姦通は、もちろん両人の不義の意思(やりたい)があってこそのものだが、(しなかったという説もあるところも面白い)そこから話が転がっていく。
    今回の『人形ぎらい』はここからは原作の大筋だけは辛うじて形骸を残しているといった程度(現代劇にしているからそれで当然で、それは全く問題ない)だが、この程度の不義は日常茶飯事になってしまった現在になると、見終わると、オビを取り違えた情事のあと始末が、お家の大事や主人公たちの生死に関わっていく武家社会の義理人情が懐かしく体内回帰して、これを人情劇として親身に見ていられたら面白かったのに、と言うあまのじゃくな感想になってしまう。そこが文楽衰退の原因という議論はよく聞くが、やはりそれだけではない。
    物語の男女の構造も今の女性上位の世界になってみるとみるべき所はあるし、知らない世界の面白さもある。
    現にパルコの観客を見ると、まず、文楽でこの作品を見た人はものの十人もいないだろう。浄瑠璃でもの語りを持っていくのは文楽の要素で、今を流行りの朗読劇にも繋がらないでもないのだが、新曲を作ってまで変えるなら、この浄瑠璃による聞き取りにくいナレーションに一工夫あってもいいではないだろうか。それでは文楽ではなくなってしまうという識者の意見を、考えてみるのも役に立つと思う。作品そのものは、是非残して欲しい。なにしろ近松の『三姦もの』一つである。欧米の今に残る姦通ものに匹敵できる名作として、時代は変わっても楽しみたいものである。

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