わたしのこえがきこえますか 公演情報 わたしのこえがきこえますか」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-2件 / 2件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    〈Bチーム〉

    大林宣彦の『風の歌が聴きたい』、古くは松山善三の『名もなく貧しく美しく』とこの題材には傑作が多い。武田鉄矢の『刑事物語』も聾唖のトルコ嬢を保護して一緒に暮らす話だった。山本おさむの漫画、『遥かなる甲子園』にも脳裏に刻まれたシーンがある。最近ではあやめ十八番、『六英花 朽葉』の中野亜美さんも。

    2020年3月、コロナ禍真っ最中の90代老夫婦の家。耳が遠い宮川知久氏と片山美穂さん。亡くなった娘、和美の13回忌が今年行われる。片山美穂さんがふと思い出したのは1966年のあの日のこと。あの一日でどれだけ家族の絆が深まったことか。

    役者のレヴェルが高い。誰もが甲乙つけ難い好演。宮川知久氏の心情がキーか。和美の兄、副島風(そえじまふう)氏も泣かせる。和美を客席側にいるテイにして登場させず、両親と手話通訳の清原(新里乃愛さん)は客席に向かって話をしていくアイディア。
    壁が薄い為、騒音の苦情を度々ぶつけに来る隣家の春田ゆりさん。
    舞台手話通訳は荻谷恵さん。聴覚障碍者の方にどう伝わっているのか非常に気になる。

    OMS戯曲賞大賞作品なだけはある。今後ずっと上演され続けるであろう傑作。凄い脚本だ。初の上演、誰もが啜り泣いていた。
    必ず観る機会は訪れるであろう作品、必見。

    ネタバレBOX

    シャワーを浴びに上手に捌けた宮川知久氏、聴こえてくるのはギッタンバッタン機織の音。そこから時間が1966年に飛んでいることを観客に巧く伝える。

    新里乃愛(しんざとのあ)さんは22歳。今舞台の為5ヶ月間、手話を学んだそうだ。
    片山美穂さんの右目だけ酷く充血していて心配になった。素晴らしい存在感。
    Aチームで清原役を演った小野瑞季さんがワン・シーンだけ和美として登場する。AチームVersionも観たかった。

    作家は『刑事物語』のファンじゃないだろうか?『刑事物語5 やまびこの詩』のラスト・シーン、転勤で独り寂しく夜行列車に揺られる武田鉄矢。夜になりふと気付くと車内の窓の結露に指で書かれた「ありがとう」の文字が浮かび上がる。命懸けで助けた女性からの感謝の気持ち。列車中の窓に書かれていた。

    今作の脚本の素晴らしさは次々に情景が浮かぶことである。飛騨への初めての一人旅、温泉へと鉄道に揺られる和美。飛騨高山の伝統のぬいぐるみ、さるぼぼ(猿の赤ちゃん)を納品しに行くお婆さんに話し掛けられる。「私、耳が聴こえません」と身振りで示す和美。するとお婆さんは列車の結露した窓ガラスに指で文字を書く。窓ガラスを使っての筆談で二人はずっと話し続ける。創意工夫すれば幾らでも意思の疎通は可能だ。いろんな手段がある。他人の心と触れ合えるのはとても楽しい。

    父親の心を動かしたのは和美が「お父さんが笑わなくなったのは私のせいだ。私がお父さんに笑いかけなくなったからだ」と告解。その複雑な心情を手話によって伝えられ、それが自分にはっきりと伝わっていることに衝撃を覚える。
    片山美穂さんの娘を守る泣きながらの口添えと劇的なる宮川知久氏の「パウロの回心」。人の心がはっきりと伝わること、雷に打たれたような天啓。

    日本のろう教育は長年、口話法(読唇と発話)が強制されてきた。手話は手真似と侮蔑されて禁止。その理由は健常者の生活に障碍者の方が合わせなくてはならないとされた為。1963年、日本初の手話サークル、京都市手話学習会「みみずく」が誕生。看護婦で夜学生だった女性が聴覚障害の患者との更なる意思の疎通を求めて学習会を発足。
    1960年、言語学者ウィリアム・ストーキーが「手話は自然言語である」ことを発見、証明。これによって手話の復権がなされ、徐々に普及されていくことに。
    1970年、手話奉仕員養成事業が始まり、国が正式に認めることに。

    『私の声が聞こえますか』は中島みゆきのデビュー・アルバム。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/09/07 (日) 12:30

    座席1階

    かつて、ろう学校では手話は禁止されていた。口の形を見て相手の言葉を理解する「口話」が推奨されていて、口話習得の妨げになるとされていたからだ。それでも生徒たちの一部には、学校の外で手話を習得しようと努力した。今年6月に手話施策推進法が施行されたが、この舞台はそれから数十年前、優生思想が幅を利かせていた時代の物語だ。

    人に優しい物語を紡いできたチームクレセントの自信作だと思う。主人公はろう者の娘なのだが、直接は登場しない。当時は激しい差別やいじめを避けようと、多くの家庭が障害者がいることを隠していた。この舞台でも語られるが、身内の結婚式という晴れ舞台でも「お留守番」で、家族写真に写ることもできないことがあった。この娘の父親は、ろう者同士の夫婦からはろう者が生まれて不幸が連鎖すると信じていて、娘が男性と交際したりましてや結婚など論外だと怒っている。その父親に娘が結婚を認めてもらおうと必死で訴える場面は圧巻だ。客席のあちこちからすすり泣きの声が聞こえた。

    今秋にはデフリンピックもあり、聴覚障害への理解・関心が高まる中でのタイムリーな舞台だった。自分が見た日曜午後の回は舞台袖での手話通訳付きで、お客さんの中には耳の不自由な人がたくさんいた。開演前はとても静かで、手話で話す姿があちこちに。カーテンコールでの舞台への賛美も手話で伝える人がたくさんいた。こうした状況が演劇鑑賞では一般的になることを願いたい。
    目や耳の不自由な人が一般の人と一緒に楽しめるバリアフリー演劇は少しずつ広まっている。舞台の袖で手話通訳をするのではなく、役者と同じように舞台に上がって行う「舞台手話通訳」もある。実は今作でもそれを期待したのだが、次回はぜひ、舞台手話通訳で見てみたい。

このページのQRコードです。

拡大