サウナが身体に良いわけねぇだろうが(仮) 公演情報 サウナが身体に良いわけねぇだろうが(仮)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    劇団ドラマティックゆうや『サウナが身体にいいわけねえだろうが』(仮)改め『嘘の教育』。

    「言ってくれた嘘」と「言わない本当」果たしてどちらが価値がある?
    そんな世界の、人間のバカデカ命題に今日も今日とて男が二人きりで食らいつき、同時に食らわされ、皮肉のジャブと愛のハグを繰り返すサウナより熱い100分。今回の主題歌も最高だった。劇団の持ち味である、そんな愛と皮肉の絶妙配合によって、"教育における嘘"が暴かれる?なんて思っていたら、いい意味で裏切られた。

    以下ネタバレBOXヘ

    ネタバレBOX

    社会との接点を失った息子の再起を願って、母が"処世術"として嘘を教育する。その嘘こそが演劇である、という入れ子構造含めて鮮やかな構成だった。演劇における「嘘」を舞台上で多分に活用しながら、しかしそれらと私たちの日常におけるあらゆる演技=嘘は一体何が違うのか、という提題をさらっと突き付けてくる。

    "この世は舞台、人はみな役者"なんてシェイクスピアの名言をナラティブに挟み込みながらコミカルかつ真摯に。ドラマティックに。短編でありながらシームレスに接続する主題、多数の役に忍ばされる世界の解像度の高さも今作でまた一つ確かな強度を築いていた。

    毎度ながら感嘆してしまうのは、喫緊の社会問題を盛り込みつつも、皮肉や批判に振り切りそうになったギリギリのところで愛や誠実がわずかに多い分量でまぶされる点。
    例えば陰謀論を語る老人を描く時に「悪いのは社会だ」という一言が即座に発されるとか、「9000万の示談金」という言葉だけには首を縦には振らないだとか、誰かを闇雲に悪者や笑い者にしたり、誰かの傷口を軽く扱うことがない点においてドラマティックゆうやの演劇は鋭利であっても安心して観れる。広告というマスの世界で日々大衆に向けながら個人の心に刺さる表現と対峙しているドラマたけし(泉田岳)ならではのまなざし。その示したいスタイルをキャリアに裏打ちされた演技力で鮮やかに立ち上がらせてみせるドラマゆうや(田中佑弥)の胆力。
    そんな二人が高校の同級生で、今もなお一年に一度、互いの仕事や生活の傍らともに演劇をやってるなんて、そんなのもうドラマティッカー以外何者でもないだろう。

    「金木犀は日本では自生しない。つまりそこには必ず金木犀が好きだった人がいるってこと。世界にたった一人だけ自分を愛してくれる人がいたら、人は歴史に名を残せる」こんなグッとくるセリフが笑いと笑いの狭間から煌々と輝くのだから、やはりこの演劇はドラマティック以外何物でもないと思う。

    「言ってくれた嘘」と「言わない本当」、この世界では果たしてどちらが価値がある?
    どちらの経験も同じだけ重ねてきた気がして、その選択はやはり難しい。
    だけど、「言ってくれた嘘」の中に少しでも本当があるかも、と信じてるから、信じたいから、私は演劇を観る今日を、人と出会う人生を選んでるのかもしれない。そしてその実感を綴る時には「言った本当」を無添加の言葉に託したいと思う。だから書く。
    劇団ドラマティックゆうや『嘘の教育』は本当の演劇だった。

    ちはみに後説によると「劇団ドラマティックゆうやのお客さんは大半が広告関係者」(それはそれで珍しい!)らしく、(その因果関係は定かでないが)「感想が全然あがらない」らしい。ちなみに現在の私の仕事はざっと広告1割、演劇9割...つまり1割だけ広告関係者とも言えるけどいつもの如くバリバリ感想書きました!

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