不変の価値 公演情報 不変の価値」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★★★

    実験面の可能性においては圧倒的
    2012年の冬に行われたフェスティバル・トーキョーで、私はそれなりの数の作品を見たが、実験面の可能性においては、他の有名な劇団の公演を差し置いて、この作品が圧倒的に高いと思った。

    ただ、正直に言わせてもらえば、完成度や演技・その他の面では、圧倒的に低かった。
    だから、多くの人の反応が低評価なのは仕方のないことだと思う。

    ただし、私はこの作品の中の可能性を高く評価したい。

    ネタバレBOX

    まず、観客は、チケット代から公演にかかった諸経費(山口県からの交通費など)を差し引いた金額500円をその場で返金される。
    そして、その500円を払って、役者に演出を付ける。

    この演出の権利がチケット代であり、同時にその演出通りに役者が演技することこそがその見返りなのである。つまり、役者の演技が商品だということだ。

    役者にとっては、観客の要求に答えることが労働であり、500円がその対価となる。

    この時点から、既に「不変の価値」の問題提起は始まっている。

    そして、次々と複数の観客が演出を付けていく。
    そこでは、無理な要求などもあり、それなりに面白おかしいのだが、本質的な意味で偶然性や複数性などが芝居に取り込まているとは言い難く、少しもったいない気がした。

    だが、重要なのはこの観客の要求によって変容する舞台の側ではなく、観客がそこで、演出を付けているという行為の側にある。
    観客が劇構造に参加して興奮するという部分もあるが、もっと重要なことは、
    ここで行使した演出の意味、500円の価値が、後に理解されるようになるということだ。

    その手掛かりは、開場時にスクリーンに写されていた言葉であり、
    劇の後半にまた投影されることになる言葉だ。

    「商品は、自分自身で市場に行くことができず、また自分自身で交換されることもできない。したがって、われわれはその番人を、すなわち、商品所有者をさがさなければならない。商品は物であって、したがって人間に対して無抵抗である。もし、商品が従順でないようなばあいには、人間は暴力を用いることができる。」(『資本論(一)』マルクス・エンゲルス編/向坂逸郎訳 岩波文庫 1969,p.152) 

    (上記の引用は、当日販売していた公演台本からの孫引きなので、原本にはあたっていません、悪しからず)

    観客は、500円を使って役者に演出を付けたこと、そのこと自体がある種の暴力であったと気付かされる。そしてそれは、様々なサービス業など、今日私たちが社会で金銭の代償に人間に対してさえも求めている暴力そのものだということに気付く。

    あの行為はただの観客参加では無かったのだ。まさに自分が手をくだしたその行為が、金銭を介在させた暴力の本質に触れているということ。私たちは、そのようなことに無自覚に、日々生活し、金銭のやり取りをしているということ。それが資本主義の本質だ。このようなシステムで社会は成り立っている。そのことに気付き、観客はゾッとする。
    まさにその渦中に自分がいて、日々その暴力を行使して私たちは生活しているのだから。

    だが、逃れようがない。
    かつてのように共産主義の理想を信じるほど、現在の私たちはナイーブではない。それでも、この社会の中で生きていかなければならない。

    凄い作品だと思った。


    観念的に説明してしまったが、一番重要なのは、観客の行為そのもの、その手触りの感覚が作品のコアにあるということだ。ただの観念でそれを舞台にしている訳ではない。実験性をうたった作品の中には、観念先行で何の手触りもないものも多い。だが、この作品にはこの手触りがある。
    素晴らしいと思った。

    ただ、演出家の谷竜一氏はどこまでこの演劇の可能性を自身で把握しているのかという点はよくわからなかった。

    というのは、作品の後半は、まさに観念先行の哲学的な言葉が舞台を覆いつくしたからだ。ただし、そのような空虚な言葉、身体性を伴わない言葉が交換され、叛乱しているのが今日の社会であり、「不変の価値」の問題提起として、金銭同様に「言葉」の価値も問われているのだとも言える。もはや、単なる情報でしかない言葉の洪水の中を私たちは生きているのだから。

    ただし、そういう「言葉」や「情報」への批評として後半の舞台があるとするならば、空虚ではない言葉・身体を持ってきて対峙させるか、又はより徹底的に空虚でしかないことを、観客が絶望するまでに見せつける必要があったのではないかと思う。そうでなければ、この作品も観念先行の作品だと位置づけられてしまっても仕方がないと思う。

    と、偉そうなことを言ってすみません。
    本当に期待しているので、書きました。

    実験、ポストドラマなどと言っても、本当に面白い作品に出逢うことは稀で、その多くは観念先行で、それならば舞台にする必要はない、文章で批評すればよいのではないかと思うことがよくある(もちろん、そうでない作品も知っているが)。

    この作品には観念だけで終わらないものがきちんとある。

    今後の作品・活動にも期待しています。

  • 満足度★★★

    色々な
    表現方法があるものですね。

  • 満足度★★

    う~ん、なんというか、
    演出疲れしました。劇を見に行った、というよりはチャレンジングな演出を見せられた、という感じ。しかしあの演技力で観客からの演出の注文を即興でつけていくって、いい度胸だなぁ・・・・。

  • 満足度

    私には・・・
    私には無理な公演でした。新たな試みだとは思いますが,全く理解できなかった。物議を醸すはずだよなぁ,これは。

  • 満足度★★★★

    面白かったけど
    中盤以降の情報量の多さに、ぜんぜん頭が追い付かなかった・・・^^;

    前半油断させておいて後半あそこまでグッと引っ張ってく鮮やかさはお見事。

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