銘々のテーブル 公演情報 銘々のテーブル」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    以前耳にして刻まれていた脚本家の名(作品は不知)に惹かれ、前世紀前半に書かれた作品を吟味しに出掛けた。矢内文章が演出というのも後押し。
    真夏座の事は知らねど、縁ある俳優何名かが立ち上げたプロデュースユニットか。新劇や小劇場の人脈から組まれた座組も中々で、作品の普遍的な魅力を発見する喜びに浸れた。
    本編は二部構成。タイトルも窓際のテーブル、四番目のテーブルとあり、場面変わらずそれぞれ別個のエピソードとなっている。長期滞在用ホテルの食堂に、各自決まったテーブルにやって来て食事やお茶をする。各エピソードの主要人物以外は両方に登場する常連たち。支配人とメイド二人も共通。一幕の時点では結婚前のカップルだった二人が、二幕では赤ん坊を抱えた夫婦になっていたりする。一幕は紆余曲折を経た男女の愛の再生の物語、二幕は虚飾が剥がれた自称「元少佐」の人生の再生の物語。それぞれに味わいがあり、かつこの二つで一つの作品となっている事で「二度美味しい」だけでなく人間観察が深められて行く所があって、不思議な作品であった。

    ネタバレBOX

    二幕のその「元少佐」(ポロック)は、数日前街の映画館で起こしたスキャンダルで逮捕され一晩勾留されたのだったが、それが部数の少ない地方紙に載っていないかを気にしている様子。彼は映画館で隣の席の女性に肘を押し付け、訴えられたが、その映画の上映中彼は5回も席を変わり、いずれもご婦人の隣りだった、との証言もあった。何と(少佐でなく)中尉で除隊、との軍歴も。
    このホテルはその性質上、一定の資産を有する高齢の者が終の住処としている風であるが、必ずしも客皆が富裕層とも見えず、英国の宿泊施設事情を調べたら何か判るかも知れぬ。一幕と二幕双方に登場する人物は引退組が三名、例外として若夫婦がいる。そして二幕には主のような風格の女性レイトンベルに娘シビル(三十超え、この時代ではオールドミスの範疇?)が同居人として加わり、病気で仕事を続けられず引っ込み思案な彼女は「元少佐」ポロックを慕い、毎食後に散歩に誘っている。
    住人らは互いに深く干渉しないながらも良好な関係を成し、互いの特徴を知っているが、ポロックに関してはまだ正体を定めかね、「元少佐にしてはあんな事もこんな事も知らず」、何かと虚勢を張っているようだと男らも面白おかしく噂するが、当人はスキャンダルの露呈以上に、将校の呼称に値する「少佐」の階級が虚偽であった事の露見を恐れているらしい。
    だが彼が隠そうとした記事は結局このマイナーな地方紙まで目を通しているレイトンベル夫人に読まれてしまい、彼が散歩から戻って来た時には既に皆が記事のことを知っていると、シビルから知らされる。
    その前段では、レイトンベル夫人の「世間の代表」のような剣幕により、ポロックをホテルから締め出す事に皆が同意させられる。ただしそこに至る前、理性と論理によりそれは正しくないと説く若夫婦の夫ストラットン(妻ジーンは逆の立場)、教師時代に一人の学生を退学処分にした唯一回の経験を語りつつ、その後悔でなく処分の正しさをつい口にしてしまう男ファウラー、レイトンベルと付き合いの長い女性マシスンにも渋々ながらの同意の様子が見える。
    貴婦人レイトンベルが一人悪役を担い、これがよく効いていた。彼女は自分の「力」もさりながら世間の評判や倫理観、法意識を味方に付け、彼を追い込もうと(正当な処分を下そうと?)する。これにより、小市民の彼らが小さいながらの抵抗を為す小気味良さが際立つ。
    そしてこの作品の珠玉たる所以は、慕っていた相手の真実を見て絶望を抱いたシビルと、ポロックの会話の中でポロックに自分自身の弱さと向き合せ、同じ人間としての共感をシビルが手にするまでの変化を描いた事。彼は昔から心が弱く、人が怖かった、特に女性が怖かった、と告白する。パニック症状の発作を起こすシビルは、彼が「私は、暗闇でしか、女性に・・」と言い掛けるや「やめて!」とパニック寸前の状態を見せ、言葉を遮るが、観客にはポロックのそれが人間的な「弱さ」である事が伝わっている。
    この逸話が想起させるのは恐らく、聖書の有名な箇所、姦淫の罪を犯した女性が「律法」に則って石打ちの刑に処せられようとした所へ、イエスが「これまで一度も罪を犯した事が無い者だけが石を投げる資格がある」と迫り、一人残らず去って行ったという逸話。
    時を戻して問題の日の夕刻、戻って来たポロックが絶望に暮れ、ホテルからの退去を決めようとした所へ、支配人が来て彼に言う。「滞在するかしないかはあなたがお決め下さい。滞在を続けるならホテルにはその用意がある。その事を伝えに来ました」。ロンドンへ向かうなら7時45分の汽車がある。ポロックはシビルの今後への懸念を漏らし、クーパーは彼がここに居続ける選択肢を口にするが、ポロックはあり得ないとして退ける。が、ふと、9時の汽車もありましたね、と聞く。「9時32分です」とクーパー。「やはり7:45に乗ろう。間に合う」と部屋へ去る。
    この次のシーンである。ここは演出の創意だろう、雨音が響く中、時代物の傘を差す客とメイドらが背後に一列に並んで立ち、青く浮かび上がる。その手前の食堂の一角のテーブルに、支配人クーパー(女性である)がこめかみに手を当て肘をついて物思う姿がそこだけ暖色のスポットに浮かび上がる。劇的でぞくぞくする絵である。この芝居、一幕、二幕共ドラマの陰の立役者としてクーパーの存在があり、ドラマの観察者として最も観客に近く、このシーンが挟まれる事でしっかりと自分をこの誠実な観察者に投影する事ができるのである。一晩という時間が、何がしかの変化を起こすに足る時間である事の示唆も(特に、雨の夜は)。
    さて、朝食前の準備作業に当たる二人のメイドがポロック用のテーブルを撤去し、他の面々が食事を始め、口少なながらいつもの会話に勤しんでいると、ポロックが現れる。場がしんとなる。メイドが平謝り、注文を聞き直し、罪の無いあっけらかんとした空気がメイドによって作られる。ポロックが席に着き、沈黙の中、堪えきれずに若夫婦の夫ストラットンがおはようございます!と声を掛け、二言三言会話を交わす。「そうですね」「ありがとう」とポロック。次いで我が道を行く(歴史上の人物と天に向かって会話をする日々のルーティンがある)自由人の女性ミーチャムが競馬予想の話を、続いてファウラーがクリケットの話を。。
    そこへクーパーが現れ、ポロックにテーブルの不始末を詫びた後、皆に等しく挨拶の儀。ポロックは、虚勢の言語を封印し、ただ礼を失さない返答をする。様々な感情を過らせているに違いないがそれは名状しがたく、観客は彼に言葉を掛けようとする者の心情となっている。マシスンも声を掛けずにおれず、思わずデザートのチョイスのアドバイスをする。その都度レイトンベル夫人が咳払いと睨み付けを繰り返すが、ついに立ち上がって食堂を退去しようと娘に声を掛けた時、初めてシビルがそれを拒む。ここで食事を続けます。説得を諦めて去る夫人の背中で、シビルがポロックに声を掛ける。「今日は天気が良いようですから、良ければ食後にでも、ご一緒に」

    この話の温かいラストを見ながら頭を過るのは、山岸某という心理学者の日本人の集団内行動の検証だ。
    学校のクラス(組織にも置き換えられる)で間違った決定がなされようとしているとしたら、味方が何人いれば声を上げる勇気が持てるか、との設問に対する回答である。他国の例では一人ないし数人といった回答(平均)であったのが、日本人は半数といった数字になった。
    自身の考え方や哲学に従って生きる事が許されない社会では、自立は望みようがなく、空気を読み取ってそれに従おうとするセンサーが発達し、正しいか正しくないかとは関係なく「少数が負ける」原理に従って多数派に付こうとする。(勿論自分の利害が絡めば少数か多数を超えて利益の最大化を図る行動を取るだろうが、自分の利益が絡まない場合は「多数に付いた方が安全」という利害に従うという訳である。)
    和をもって尊しと為す、の真相は多数派に右に倣えをするので「異端が存在しない」「だから対立じたいがない」状態が作り出されるという仕組みにありそうだ。潜在的対立が存在しないのではなく、空気によって、あるいは時には実力行使(裏で手を回しての)で対立を顕在化させない力学が機能していると推察される。それは往々にして権力を持つ側が様々な手段で権力維持のために非権力側を制圧、コントロールする形で行われる。つまり決して自然現象ではなく、ある力が働き意図的に方向付けられるという事であり、バランスが崩れた時に力学が変質する事はあっても、また周到に調整され、復活する。

    弱肉強食の社会になるのには民の賢さは必要ないが、弱者への配慮、共助共生の理念を尊ぶ社会を目指したいなら、民は賢くなり、権力の意図を見抜き、自らの価値観に従って行動する自立を勝ち取る事は要件になる。演劇が砦だと思える理由は、演劇においては真実性のないものは淘汰され、真実が感動のよすがであるから、とは私見だが、演劇をやる人がまともな人間に見えるという直感は外れではないと思っている。(うーまたグダ書きしてしまった)

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