スプラウト~小さな種のお話~ 公演情報 スプラウト~小さな種のお話~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    児童演劇のあり方について
     ロシアのサラトフユースシアターによる児童劇。「スプラウト」とは「種」を意味するロシア語で、一粒の種を人と自然が協力して育てていく過程を象徴的に描いている。
     この劇団が「国立」だという事実にまず羨望を覚えた。あちらの子供たちは定期的にハイレベルな芝居を観て育つんだろうなあ、チェーホフの、スタニスラフスキーの国だけはあるなあという羨ましさである。
     もっとも、「子供のための演劇とは何か」という問題を考えた時に、どうしても「教育的効果」を優先して、「演劇としての面白さ」に欠ける面が生じていたことは否めない。具体的には「笑い」の要素の少なさだ。俳優たちの演技は洗練された上質のものではあったが、観客の子供たちの中から、ついに「笑い」が起きることはなかった。
     子供向けの演劇に笑いを必ず盛り込まなければならないという決まりはないし、この劇団が笑いを全く否定しているわけでもないとも思う。しかし、「この芝居はもっと笑いの要素を付加した方が、テーマもより明確になるし面白くなる」ことは確かだ。
     そもそもロシア文学は、そのユーモアによって世界の文学を牽引してきた事実がある。『イワンのばか』のトルストイ然り、チェーホフもゴーゴリも見ようによっては全作がコメディであるし、あの辛気臭いドストエフスキーの作品にすら『罪と罰』のマルメラードフのような喜劇的な人物が登場する。
     40数年前、わが国の長編アニメ『長靴をはいた猫』(脚本:井上ひさし・山元護久/監督:矢吹公郎/作画・森やすじ/宮崎駿)に、゛その類い稀なるユーモアによって゛、「子供のための最優秀アニメーション賞」を授賞したのはモスクワ映画祭だった。
     生命への賛歌を訴えることはもちろん悪いことではない。しかし、その「教条主義」が、つい子供の大好きなギャグやナンセンスを排除する結果になったとすれば、いささか残念なことである。
     小劇場での公演だったが観客は40人くらいか、後部二列はガランと空いていた。「スプラウト」という原題通りのタイトルも作品の内容をストレートには伝えてはおらず、集客を疎外していたように思う。

    ネタバレBOX

     「児童文学に笑いは必要か」という問い掛けについては、何を今さら、と仰る向きもあるかも知れない。世界的な動向を見れば、文学、映画、演劇を問わず、児童向けの作品はユーモアとギャグに満ちあふれている。ギャグのないディズニーアニメーションなど、想像できるだろうか。
     しかし、かつて一時期、おそらくは意図的なのであろう、わが国は、児童向けの作品から「笑い」の要素を極力排除しようとしていたのである。
     マルクス主義は決して「笑い」を否定するものではなかったが、それに「かぶれた」人々は、実作の中で「反権力闘争」を描いていた。ロシアのギャグが何一つないアニメ『雪の女王』に魅せられた高畑勲、宮崎駿は『太陽の王子ホルスの大冒険』を作ったが、そのアニメーションとしての技術の優秀さを賞賛されながらも、そのあまりの笑いの要素の少なさに、評論家・荻昌宏に苦言を呈されることになった。興行収入は東映動画始まって以来の不入りとなった。
     日本の児童文学者たちが、戦後一斉に共産党に入党したのは周知の事実である。その時期、山中恒は『赤毛のポチ』など、いかにも思想的な小説を書いていたが、やがてそんな小説は「子供の心に届かない」と気付き、『おれがあいつであいつがおれで』や『あばれはっちゃく』のような「児童読物」の世界に移行した。
     児童文学に笑いを入れなければならないという法則はない。しかし笑いを無視すれば子供たちはそっぽを向く。子供に媚を売れと言いたいわけではない。大人の惑を子供に押し付けても、それは独り善がりに過ぎないということなのだ。

     演劇の場合、笑いの要素は特に重要になる。大人の俳優は、子供にとっては「生身の巨人」なのだ。四、五歳くらいまでの子供を相手に芝居をしようと思うなら、自分がそこにいるだけで「恐怖の対象」になることを自覚しなければならない。
     サラトフユースシアターの俳優たちが、子供たちの目線にまで下がって演技をしていることには好感が持てるし、種を育てる四大元素が(地水火風)が擬人化されながらも抽象的でそれと分かりにくいのも、「あれは何?」と子供が自ら考えることを促すための意図的な試みだろうと好意的に解釈することもできる。
     しかしブレイクダンス風の踊りを取り入れたりするのは、「表現が目的に先行している」のではないか。また地水火風が擬人化されているのに、肝心の「花」が擬人化されないのはなぜなのか。
     ひとつひとつの演技は優れているのに物足りなさを覚えないではいられない舞台だった。

     観劇後は、子供たちと俳優たちとの交流会あり。好きなキャラクターの絵を子供たちに描かせていたが、そんなにキャラ立ちしていた人物もいなかったから、子供たちも苦労していたことだろう。
     
  • 満足度★★★

    ことばがないことでの利点
    ロシアの劇団。
    当然言葉は通じない。
    しかし、そのことにより、直接幼児との対話を芝居によって可能にしていた。
    難しいストーリーではないが、観る者に驚きと納得をきちんと与えていた。

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