なにわバタフライN.V 公演情報 なにわバタフライN.V」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    花から花へ
     一人芝居とは何か? そこから出発した舞台だ。
     劇団の人数が少ないから一人芝居、という「引き算」の判断で仕方なく一人だけの舞台を作る“劇団ひとり”な俳優は少なくない。しかしその場合、「なぜ一人で演じなければならないのか」「一人だからこそ表現できるものは何か」という問題は忘れ去られがちだ。
     前日の一人芝居フェスティバルでは、九州勢の殆どが、劇作の時点からその問題に真剣に取り組んでいるとは言えず、「演劇もどき」に成り果てていた。それらとは対照的に、三谷幸喜は戸田恵子という逸材を使って、様々な一人芝居のありようを提示してみせた。近年、佳作もあれど全体としては粗製濫造がとみに目立つみたにではあるが、腐っても三谷、というべきか。
     三谷も戸田も一人芝居は初めてであるから、原点から出発せざるを得なかった。それがかえって功を奏したのだろう、舞台はシンプルで小道具も少なく、戸田一人しかいないにも関わらず、実にバラエティに富んだ、ある「喜劇役者」の一代記が展開されることになる。

     ミヤコ蝶々をモデルにした、ということになっていて、「なにわ“バタフライ”」というタイトルにもそれは確かに明示されている事実ではある。しかし、「モデルである」ということは、決してミヤコ蝶々と戸田の演じるキャラクターがイコールであるという意味にはならない。舞台上の「役者」はあくまでも戸田が演じている「名前の明かされない一人の女優」なのだ。
     戸田が蝶々に似ていないから、そういう作りにしなければならなかったという、これも「引き算」の判断で設定した面はあるだろう。だがこの舞台の場合、蝶々のエピソードはあくまで「素材」であって、そこに戸田の持つ芸の力をいかに発揮させるか、という「肉付け」を行うことによって、確実に「ある女優一代記」を構築することに成功している。引き算をしたままでは終わらない工夫が、しっかり施されているのだ。
     ミヤコ蝶々に似ている、似ていないという表面的な視点だけでこの舞台を見てしまっては、その本質を見誤ることになってしまうだろう。

    ネタバレBOX

     嘉穂劇場の花道を、「戸田恵子」が客席にお辞儀をしながら、小走りで舞台に駆け上がる。息を整えながら、「戸田恵子です」と挨拶。「一人芝居ですから、前説から小道具の準備まで、全部一人なんですよ」と笑いを誘う。
     中央には背丈ほどもある風呂敷包みがあるが、その結び目を“取る”(ほどくのではない。結び目ごとスポッと抜ける仕掛け)と、中から鏡台や卓袱台などの小道具が取り出せる。
     最初は、これまでの公演の流れなどを、戸田恵子は「戸田恵子」として語っていく。「嘉穂劇場はいいですね。この雰囲気。このお芝居のモデルになったミヤコ蝶々さんも何度か立たれたところで」「三谷さんが、古本屋でミヤコ蝶々さんの自伝を見つけまして、こんなに面白い話はない、芝居にしようと……」など、これらは今までにも何度も語られている成立の経緯。蝶々さんの名前が語られるのは、この前説の時だけだ。
     一人芝居とは、と、様々な一人芝居のパターンも実際に演じてみせる。ある人物を演じた後、立ち位置を変えて別の人物を演じる。一人で喋りながら、相手の台詞も自分の台詞に組み込んで喋る(これを古畑任三郎=田村正和の声マネで演じたが、あまり受けていなかった。世間的には古畑も既に忘れ去られているようである)。
     「今回のお芝居は、そのどれでもありません」
     戸田恵子はそう言って、ふと虚空を見つめたかと思うと、すっと“別人”になる。その“別人”と、戸田恵子が会話する。
     「あんたが、私をやりはるんか。似てまへんな」
     「似てなくていいんですよ」
     しかしもう「蝶々」の名前は語られない。そこにいる「幽霊さん」は、ミヤコ蝶々かも知れないし、そうでないかも知れない。しかしこの時の「幽霊さん」の口調は、晩年の蝶々さんの、あの落ち着いてはいるがどこか突き放したような、それでいて優しさを失わない関西弁の口調、そのままだ。巧い。既に虚実冥合の境に戸田恵子はいる。
     立ち位置を変えての演技は、台詞と台詞の間にどうしてもタイムラグを産むが、ここは相手の台詞を受けて喋る間と長さを一致させることで不自然さを無くしている。これも巧い演出だ。
     勝手にやりなはれ、と幽霊さんは言うが、怒ってはいないのが客席に伝わる。そして、戸田恵子は羽織を脱いで、子供の格好になっていく。

     全体は三部構成。

     第1部は、幼少期から、最初の結婚の直前まで。
     芝居好きの父親の肝煎りで初舞台、劇団を作り、漫才を始め、筑豊の劇場主の息子「ぼん」と初恋をする。しかしこれは巡業先のこととて、すぐに破局。
     第二の恋は、漫才の相方「兄やん」と。知識の豊富な彼に、彼女は私淑するが、読み書きは不得意なままだった。自由のない暮らしがしんどくなり、彼女は兄やんと駆け落ち。しかし度胸のない兄やんは、すぐに逃げ帰ってしまう。仕方なく彼女も父の元に帰るが、それ以来、子供だ子供だと言われていた彼女は、めっきり女らしくなったと評判になる。

     一人何役もどのような形で行うかと思ったら、基本は相手の声は聞こえず、自分の受け答えだけで会話を想像させる、一人芝居の定番パターン。
     日常会話は殆どその形だが、問題はない。しかし、漫才シーンになるとさすがに無理が生じる。相方がどうぼけているのか分からないから、彼女がただ突っ込むだけで、何がなんだか分からなくなるのだ。ナンセンスを狙ったつもりだろうが、客席からの笑いもなく、これは失敗していた。三谷幸喜も気付いているはずだが、上手いアイデアが思い付かずに放置したようである。
     時折、木枠を相手に見立てて会話をする。「ぼん」や「兄やん」の枠は普通の大きさ、父親の枠は小さい(歳を取ると二段構えで更に小さくなる)。戸田恵子は、たまに枠の中から顔を覗かせて、相手の台詞を喋ることもある。この「枠を使った一人芝居」が、この劇の最も優れたアイデアだ。人形劇のアレンジではあるが、戸田恵子の指の動きが、男達一人一人の“表情”を自在に創り出している。
     「兄やん」から、笑いの極意として「緊張と緩和」を教わる件は、本作唯一の「笑い論」。

     第2部。

     落語家の「師匠」と恋仲になり、師匠を座長にした劇団を旗揚げする彼女。問題は、師匠には妻がいたことだった。「取ったもんは取られる。覚えときぃや」。そう捨て台詞を残して師匠の妻は去る。
     晴れて夫婦となった二人だが、師匠の浮気癖は治らない。薬(ヒロポン)に逃げる彼女だが、そんな彼女を支えて、薬からも何とか脱出させることに成功したのは、彼女の弟子の「ぼくちゃん」の存在があってこそだった。
     師匠と彼女は離婚し、そして彼女はぼくちゃんと結ばれる。

     師匠の下から逃げ出して、ぼくちゃんと泊まった宿屋が、兄やんと駆け落ちした時の宿と同じ、という設定。どちらも、相手ににじり寄られて身を任せてしまうのだが、「それは違うと思うンよ」と同じ台詞を彼女が言うのが可笑しい。
     こういうルーティーン(繰り返し)のギャグは、三谷幸喜は昔から巧い。この巧さがあるから、他に難点があっても、三谷の舞台は一定水準を保ってきた面がある。
     ぼくちゃんの木枠は普通で、師匠の枠はひときわ大きい。これは彼女から観た「人間の器」の象徴でもある。師匠はたとえ浮気をしようと、彼女にとっては「大きな人」だった。父親は本当にこぢんまりとしてしまったが、それは卑小なのではなく、彼女にとっての父親は、本当に「かわいらしい人」だったのだ。

     第3部。

     ぼくちゃんとの漫才コンビも軌道に乗り、テレビ出演も増え、一躍人気者になった彼女。しかし、芸の甘さが目立つぼくちゃんに、彼女は“師として”厳しく当たる。それがぼくちゃんを浮気に走らせるきっかけになった。
     「取ったら取られる」。ぼくちゃんの愛人を睨みながら、師匠の前妻の言葉を思い出す彼女。結局、二人は離婚し、ぼくちゃんは愛人と結婚したが、漫才コンビは人気が落ちない以上は解消するわけにもいかず、その後も続けることになった。ぼくちゃんが死ぬまで。
     糖尿病が悪化したぼくちゃんは、妻とも離婚し、面倒を見られるのは彼女だけになっていた。ぼくちゃんの死の床で、歌を歌う彼女。「タコに手無し、ナマコに眼無し」。それは、子供の頃、父親から教わって、舞台で歌っていた歌だった。
     一人になっても、彼女は、舞台を続けた。舞台に出る前にはいつも、彼女は恋してきた男達と想像の中で会話をして、それから舞台に立った。
     今もそうしている。

     鏡台が平行になって、ぼくちゃんが横たわるベッドに「変身」したのには感心した。初演は観ていないが、セットもきちんと作っていたのと違い、現在は最低限の小道具だけで演じる形に変化してきたらしい。その中でのこの「鏡台の変身」である。何もない空間で、衣装を替えるだけの一人芝居もありえるだろう。しかし、このベッドの側に頬杖をして寄りそう戸田恵子を観れば、これがあった方が、観客はそこに横たわるぼくちゃんの姿を連想しやすくなることに気付く。「見立ての変化」の驚きが、我々の想像力を刺激しているのだ。
     
     師匠のモデルが三遊亭柳枝で、ぼくちゃんのモデルが南都雄二であることは知っている人は知っている。南都雄二の芸名の由来が、文盲に近かったミヤコ蝶々が、台本を読みながら「これ、何と言う字?」と相方にしばしば訊いていたから、という俗説がマコトシヤカに囁かれている。ギャグとして使おうと思えば使えるネタだ。
     しかし、三谷幸喜は、そういう「ミヤコ蝶々であることをはっきり示せば笑いを誘えるネタ」を一切使わなかった。前説で戸田恵子が口にしていた「ミヤコ蝶々」の名前も、舞台を観ているうちにすっかり忘れていた。そうさせたのはまさしく戸田恵子の「芸の力」である。
     三谷幸喜の、戸田恵子への信頼が、小手先のギャグを封印しても構わないという判断を三谷にさせたのだろう。戸田の造形した「彼女」は、表面的にはミヤコ蝶々から遠く離れたが、「芸の力」という共通点によって、ぴったりと重なった。これはそういう舞台であったと言える。

     大千秋楽ということで、カーテンコールの後、三谷幸喜のナレーションが突然奈がされた。「戸田さーん、三谷です。探してもいませんよ。録音です。後ろを見て下さーい!」。
     「祝 100回、目指せ1000回(200という数字を消している)」という垂れ幕が下りる。観客が一斉にクラッカーを鳴らし、ダンサーたちが現れて踊り、花束が贈呈される。全てサプライズの演出。
     実は100回公演を果たした後、地方を廻る時の前説で、戸田さんはいつも「100回記念でもクラッカーが鳴るわけでもなく」とネタを振っていたのである。突然のお祝いに喜びながらも、戸田さんはどうやら仕掛けに気付いていたようだった。「何となくみんなの動きが怪しかったので」だそうだ。でも「1000回は難しいけど、200……150回なら何とか」と観客に期待を持たせて幕。「またこの劇場に呼んで下さい!」

     今回、観ることが出来たのは、一人芝居の「進化」の形の一つなのだろう。まだまだ甘いところ、もっとシンプルに出来るところ、更に台本を改訂する余地もあろうと思う。
     『12人の優しい日本人』もそうだったが、三谷幸喜が再演を掛ける時には、台本を大胆に書き換えることも少なくない。今回の「N.V」が最終形態というわけではないだろう。戸田恵子の「底」も、まだ探ればもっと大きな広がりが見えるのではないかとも思う。それが数年先になるか、十年先になるか。
     たとえミヤコ蝶々の没年に近くなっても、観てみたいと思わせる舞台だった。
  • 満足度★★★★★

    すごかった!
    とても面白かったです!ミヤコ蝶々さんのことは正直いって知りませんでした。漫才する人でしょ?とうっすらとしか知りませんでした。でも、今回の戸田さんのミヤコ蝶々さんを見てミヤコ蝶々さんに興味を持ちまして観劇後に色々調べていくと観劇後でしたがあぁーこの人がそうだったのかーとかいろんな発見があってとても面白かったです。嘉穂劇場はやっぱり最高の舞台だと思います!

  • 満足度★★★

    戸田さんだから面白かった。
    評価するのが難しい。個人的にだ。

    三谷作品はそれなりには好きだが、いつも、もう一つ踏み込みがなく不満ばかりが残る。
    舞台作品では未だに『出口なし!』が一番良かったと思っている。

    この作品の題材でもあるミヤコ蝶々さんにはあまり詳しくなく、個人的にはストーリー(彼女の人生)も楽しくなかった。
    しかし、楽しめなかったのかといえば、それはもちろん否だった。
    いつもの三谷作品によくある、つまらないギャグ、間の悪い掛け合いなどが、一人芝居であることによりほとんど目立たないからだ。
    しかしこれは、どちらかといえば戸田さんの語り口、芸の力によるものだろう。

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