日韓演劇フェスティバル in Fukuoka 公演情報 日韓演劇フェスティバル in Fukuoka」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 1.0
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  • 満足度

    劇団ヌリエ『恋愛』
     昨年度の釜山演劇祭で最優秀賞を受賞した劇団だそうである。
     しかも無言劇だというのだから、どんなに斬新で面白い舞台になるかと期待もしようというものだ。
     ところが実際の舞台は学芸会を一歩も出ていない幼稚極まりない代物。これが最優秀なら釜山の演劇レベルは著しく低いと言わざるを得ないくらいに酷い出来だったのだ。
     福岡の場合もそうだが、一つの劇団が“腐って”いくのには様々な要因があるが、その最大の理由として、「よい舞台をろくに観ていない」 という点が挙げられる。恐らく劇団ヌリエの人々は、無言劇(パントマイムとは違う)をろくに観たことがないのだ。
     だからなぜ無言でなければならないのか、その理論が全く分かっていないのだ。
     これはもう、演技や演出がどうこうという以前の問題で、観客にしてみればとんだ詐欺に逢ったも同然である。今後も日韓演劇フェスティバルは続いていくのだろうが、運営側には事前のリサーチは充分にしてもらいたいと切に思う。

    ネタバレBOX

     パントマイムが身体表現のみで演劇を成立させることを目的としているのに対して、無言劇は現実世界における無言の時間を切り取って、対話がなくとも成立する時空間を提示することにある。
     つまり、パントマイムにおける無言は演劇の「手段」だが、無言劇のそれは作品世界の中の「必然
    」なのだ。マイムの場合は、観客はなぜ舞台上の人間が喋らないのか疑問に感じることはないが、無言劇においては「彼らはなぜ無言でいるのか」について想像を巡らせることになる。それが無言劇の「演劇的効果」だ。

     好意的に解釈すれば、劇団ヌリエは、パントマイムと無言劇の中を狙ったのかもしれないと考えられなくもない。しかしそう考えてみても、どうにも首を傾げざるを得なくなるのは、部分的に台詞を喋らせてしまっていることだ。しかかもたどたどしい日本語で。

     アフタートークで、日本語の台詞を喋らせた理由について、演出家は「無言では持たなかった」と正直過ぎることを答えていたが、ならば最初から普通に韓国語で通常の芝居をすればよかったではないかと腹立ちすら覚えてしまった。
     「優秀な学生はみんなソウルで学んで、釜山は演劇の指導者も少なかったが、最近は改善されつつある」ということであったが恐らくはまだまだ発展途上だというのが実情なのだろう。
     学生の発表会を見せられたようなものだが、演劇の事前情報や前評判はほとんど当てにならないというのが普通だから、これはもう、悪いものに当たって、食中毒でも起こしたのだと思って諦めるしかない。





  • 満足度

    劇団ヌリエ 『恋愛』
    若い男女と年を取った男女の(ほぼ)無言劇。

    しかし、工夫もなく、若い二人と老齢の二人の恋愛模様がただただ交互に演じられるだけ。
    後半少しセリフも使われるが、日本語が分からないのに日本語でセリフを言うので、何と言っているのか分からない。
    老齢二人の結末はいい加減としか映らなかった。

    アフタートークがあったので聞いてみたら、無言劇をやってみたかったからやっただけ、無言では持たないのでセリフを入れてみただけ、老人の恋愛は入れみたものの、(演出家が)まだ老人ではないので分からなかった。と呆れる言葉ばかりだった。

    上演時間は70分だが、それですら辛かった。

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