ヘッダ・ガブラー 公演情報 ヘッダ・ガブラー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/09/15 (日) 13:00

    思いがけないアレンジに驚かされたが、その結果作品は大きく転がり
    ”イマドキの話”として私のすぐ横に座っていた。
    「度胸が無いだけで、同じこと考えてるくせに」とヘッダが笑っているようだ・・・。

    ネタバレBOX

    劇場に入ると、薄暗い舞台上にひとりの女性が、こちらに背を向けて座っている。
    時折奥の方から赤ん坊の泣き声が聞こえる。
    やがて彼女の手にピストルが握られているのが見えた。
    暗転のち開演・・・。

    まあ次から次へと人を傷つけるような言動を繰り出すヘッダ・ガブラーよ。
    半年に及ぶ新婚旅行から帰ったばかりのヘッダと学者テスマンの家。
    冒頭、新婚の夫が敬愛する叔母の帽子を、それと知りながら口汚くこき下ろす。
    亡きガブラー将軍のひとり娘、プライドと退屈がドレス着て不満ではち切れそうな女。
    叔母も夫も使用人も、ヘッダの顔色を見ながら行動している。

    歳の離れた夫の元から学者エイレルトを追ってこの町へ来たテアは
    ヘッダとテスマンの昔なじみ。
    エイレルトはテスマンのライバルであり、ヘッダの昔の恋人だ。
    酒で学者としての未来も人生も失い、同時にヘッダも失った。
    テアはそのエイレルトを助けて本を完成させ、今やその本が高い評価を受けている。
    エイレルトは酒を断って立ち直っている。

    ヘッダはテアに、まるで尋問のように問いかけ、テアにありのままの心情を吐露させる。
    エイレルトとの共同作業を通して自信と自我を取り戻し、自分の意思で家を出たと言わせる。
    この”普通の女”テアの、長い時間をかけた自我の変遷を丁寧に見ていくと
    ヘッダの突飛な行動も、根は同じなのだと気づかされる。
    テアが長い時間をかけて取り戻した自由を、ヘッダは瞬時に奪われまいと行動に移す。
    結論を急ぐあまり激烈な手段に出て、結果相手に致命傷を負わせる(心理的に)。
    例えばエイレルトに別れを告げる際、ピストルを向けて迫る、といったような。

    酒で失敗した恋人に見切りをつけ、手近な所にいた生真面目な学者と結婚したものの
    今やかつての恋人はテアの協力を得て社会的に復帰、夫テスマンが得るはずだった
    教授職さえ奪おうとしている。
    逃した魚も大きいが、その魚を立ち直らせた平凡な女も憎らしい、この程度の事で
    仕事のチャンスを逃す夫も不甲斐ない、おまけにこんな時に限って自分の妊娠が発覚、
    ったく何一つ思うようにいかない。
    こう見ると結構よくある話で100年前も今も苛立ちの種はよく似ていると思う。

    ヘッダの「自分の人生を変えられないなら他人の人生を変えたいの」(確かこんな意味)
    という強引な理屈は、特権階級によくある”退屈で傲慢な人間の、他者への執着”だと感じる。

    エイレルトに執拗に酒を勧めて再び人々の信用を失墜させたり、
    原稿を失くして憔悴しているエイレルトに、原稿はここにあるとはおくびにも出さず
    ピストルを渡して「最期まで美しくね」なんて言い放つヘッダ。
    この根性悪は確かに度を越しているが
    相手の大切にしているものを奪って、私の存在価値を再確認するがいいという構図。
    ただ物騒なものをちらつかせる辺りが、こじらせヘッダの”他者への執着”の異常さだろう。
    それはそのままヘッダ自身の行き詰りを意味している。
    自分の人生を変えればいいのに、その勇気も手段も持たないヘッダは、
    ”もはや他人の不幸を見ることしか楽しみが無い”という苛立ちと閉塞感の真っただ中。

    意に反してエイレルトが”美しく”死ねなかったこと、
    ブラック判事がこの先ヘッダの自由を奪うのだと悟ったこと、
    この2つでヘッダの結論は一気に加速、実行に移される。

    今回エイレルトを女性に変えたことで、100年前の作品をぐぐっと現代に引き寄せた。
    スキャンダルの大きさと傷の深さをまざまざと見せつけるには実に巧い設定だと思った。
    エイレルトの声が聴こえた時は「ん?!」と思ったが、舞台に姿を現した途端
    その秘密の度合いも緊張感もダダ上がりせずにいられなかった。

    フライヤーの写真が素敵でとても惹かれる。
    ショウウインドウの向うで作業している美しいまとめ髪の女性、
    その後ろ姿に、ヘッダが一度も経験することの無かった普通の人々の時間の流れを感じた。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い お薦め。
    重苦しい雰囲気の中での濃密な会話劇。1890年に書かれたイプセンの戯曲を約130年後の現在に表す。勿論 タイトルにある女性が主人公であり、台詞にある「(他)人の人生を狂わせてみたい」は、極めて自己中心的で冷酷な性質の女性と言えよう。一言でいえば<悪女>である。そんな女性を描いて と思っていたが、女性に限らず人は誰しも持っている厭らしい面を抽出し、人の本性を抉る。

    外国の古典の部類に入るだろうが、現代風にテキレジしており分かり易い。少しネタバレするが、例えばヘッダ・ガブラーの夫で学者のイェルゲン・テスマンのライバルのエイレルトが書いた原稿の件、「コピーを取っていなかった」等、すんなりと会話が入ってくる。退屈を持て余し、その暇つぶし として人を惑わし貶めて愉悦に浸る。まさに他人の不幸は蜜の味、それを見て感じて楽しむ。しかし、観ている我々に そんな気持は微塵もないと言い切れるだろうか(自分が下卑ているだけか)。

    心の奥底に蠢くどす黒い感情…ヘッダ(平子亜未サン)の醒めた表情で淡々と事を運ぶ不気味さ。どこまでもお人好しな夫 イェルゲン(箱田暁史サン)、そしてエイレルト(江間直子サン)の情緒不安定だが、芯の強さも感じさせる、3人の人物造形が絶妙のバランス。この3人は勿論、役者陣の好演が物語を支えている。

    全体的に薄暗く 重苦しい雰囲気を醸し出し、赤ん坊や銃声、時折 雨の音が聞こえてくる。その音響は必ずシーンと緊密な関係にある。場面転換の時には荒々しいピアノの音が響き、不安と緊張を煽る。観応え十分。
    (上演時間2時間 休憩なし) 追記予定

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    本作どこかで観たと思っていたのは思い違いか(戯曲を前半だけ読んだ、等あり得る)、、あるいは毎回驚かされるハツビロコウ流アレンジによるものかも・・。
    どちらにしても細部(特に後半)は記憶になかった。
    以前「触れた」時の人物イメージとはまるで異なる人物が登場し、書かれて百年を経た戯曲の上演とは思えない現代性と、物語構築の精妙さがやはり印象に残る。

    二日後に落ち着いて当日パンフを眺め、主宰の弁を見ると、ヘッダの戯曲をある軸を通すべく松本氏が「書いた」と書いてある。毎回気になっていた優れたテキレジだが、今回はより大胆に書き直したという事か。
    特殊な人物としてのヘッダではなく、ごく普通の女性としてヘッダを捉え直した、との弁であるが、近代の憂鬱を捉えたイプセンの洞察による人物造形は、当時は(周囲の反応等で)センセーショナルに演出するに値しても、現代的視点で捉えれば「普通にいる」のかも。もっともヘッダに象徴された人間の「善悪の彼岸」を求める性質は、今も大きなテーマであり続け、収縮に向かう日本の思想状況では強力なアンチに。(三島由紀夫の価値はこうして時代に逆照射される。。)
    変わる事なく息詰まる緊迫劇を作るハツビロコウである。
    今回は原作を読みたくなった。

    ネタバレBOX

    チェーホフ作品にもあるが、「ピストルを撃つ」場面が衝撃的シーンとして登場する劇では、火薬でパチンとなる銃を使うか、衝撃を伝える銃のSEを使うか、迷う所なのだろう。だが大概はパチンよりズドーン(SE)の方が良いと思える事が多く、今回もちょっと惜しいな、と思えてしまった(展開を伝える上では大きな問題は無いのだが、観客はこれを大きく受け取りたいのだな)。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    登場人物の設定に若干のアレンジが加えられ、思考や言葉も現代風にされ、そのため現代的なストーリーになっていて新鮮に感じられた。イプセンの原作よりこちらの方が良いと思うほどだ。

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