奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話 公演情報 奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    おもしろかった。かつての「散歩する侵略者」のようなSF的異世界とは違う、日本の怪談的不思議世界をたっぷり味わえた。現世の話と思っていると、いつのまにか怪談の向こうの世界に入り込んでいく話の運びは絶品である。

    イキウメおなじみの浜田信也(小説家)の異世界的存在感と、安井順平(警官)の現世的存在感の対比を軸に、短期で荒っぽい盛隆二(景観の同僚)と、会談の中のヒロイン役(「破られた約束」の新妻、「お貞の話」の恋人・生まれ変わり、「宿世の恋」のお露)を一手に引き受けた平井珠生がよかった。できればモダンスイマーズの生越千晴にもヒロイン役を割り当ててほしかったが。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    この所(コロナ期に入って以後)のイキウメに深く首肯していた自分だが、往年のイキウメ作品の世界を久々に堪能。だが単に不可思議世界の存在を「面白がる」だけで終われないものがある、という意味ではグレードは上っている。とある旅館を訪れた背広姿の二人、そこには旅館の女将と奉公人風情の勤め人、小説家の客が居る。この作家を八雲に見立てて・・? 逗留の間百物語風に話を聞かせるのだが、現実の時空でのストーリーも進行しており、語られる物語と最後にはシンクロし、カタストロフのラストとなる。
    文学座松岡依都美、モダンの生越女史ともう一人、客演女優も充実して(怪談には女が居なければ・・)豊饒な美味なる舞台であった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    小泉八雲の著作から選んだ奇っ怪な数編をイキウメ風にアレンジした怪談ファンタジーである。選ばれた原作は「骨董」から「茶碗の中」「常識」、「怪談」からは「お貞の話」、他に後に「怪談・牡丹灯籠」の前半の大筋になる浅井了意の「お伽啤子」からとった話などを構成している。大枠は、原作が書かれたとおぼしき頃、警察官(安井順平)と検視官(盛隆二)が捜査の途中で山中の廃寺に宿を借り、その女主人(松岡依都美)や長逗留の小説家(浜田信也)、ややどの仲居などから奇っ怪な話を聞くというメタシアターのオムニバスになっている。有名な原作で既に映画にも名作とされている作品もあるが今回は「怪談」と言えば必ず採用される「耳なし芳一の話」や「雪女」は使用されていない。話者も演じ、聞き手も物語に参加するイキウメらしい構成の夏芝居である。
    舞台は古い木造建築を思わせる十本近い柱が立ち、天から常時砂が流れ落ちている中央の庭には、下手に石を積んだ墓(第一話の普賢仏を騙ったった狐の墓である)、上手に紅梅の木)、庭の廻り廊下に、出演者たちが能舞台よろしく摺り足の運びで登場して幕が開く。捜査中の警察官たちが現われるあたりは、泉鏡花の雰囲気である。
    小泉八雲原作については、さまざまなアプローチがなされているが、「奇っ怪」が舞台で伝えかったのは、原作にある江戸時代の民衆綺譚でも、ジャポニスク趣味でもなく、この国に受け継がれている奇っ怪な独特の人情の交流のようでもある。西欧に生きた人には、そんな・・と思われるような、例えば、最後に取り上げられた怪談牡丹燈籠のお露と新三郎のどうにも奇っ怪な人情の機微の世界である。庭の墓にある死体の正体とか、茶碗のなかの男も、お貞も、西洋人には、そして現代人には奇っ怪なファンタジーなのである。そこを作者は上手く拾って夏向きのオムニバスにした。
    小泉八雲のいぶかしさは結局作品を英語で書いたことでも感じられるが、いまは、そこが現代日本人のいぶかしさと通じるところがあって、面白い。つまりは小泉八雲はいまはイキウメ風に読み解くのが我が国に伝わる「怪談」ファンタジーの読み方としては時流に乗っているのだろう。
    イキウメの俳優たちもすっかり上手くなって、この現代化した日本の怪談を現代の観客に上手くつないでいる。新進の若い女優たちも劇団のベテランの中にに新しい風を運んでいて、いい夏芝居になった。満席。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    隣のシアターウエストでは篠井英介氏の『天守物語』が公演中、これも妙に観たくなった。未だに衝撃的な『人魂を届けに』の山鳥さん役。

    開演前から舞台上の和風庭園に一筋の砂が天井から降り続けている。下手に石が積まれた小さな祠、上手に小振りな梅の木。ふと砂が止み、遠くから銅鑼や鉦の音が聴こえてくると開幕。能のすり足(ハコビ)で出演者が現われる。小林正樹の『怪談』っぽい格式。これはかなり凝った作りだな、と身構えるとスッとスカしてくる。安井順平氏が出て来ると何故かホッとする。松岡依都美さんが出演しているとは知らなくてあれ、まさか?と驚いた。凄え豪華な配役。生越(おごし)千晴さんは若き荻野アンナ顔の上品な美人。平井珠生さんは田畑智子と中井りかを足したような現代的キュート。

    舞台は山奥の廃寺を改築した旅館。長期滞在している小説家(浜田信也氏)、偶然迷い込んだ二人の飛び込み客(安井順平氏と盛隆二氏)。そこの女将(松岡依都美さん)と従業員達(森下創氏、大窪人衛氏、生越千晴さん、平井珠生さん)。何となくの流れで、百物語宜しくこの地に伝わる怪異譚を順番に語り聞かせることとなる面々。その内に別の物語が頭をもたげてくる。

    世田谷パブリックシアター主催の「奇ッ怪」シリーズは3作品あるが、今作は1作目のセルフ・カバーらしい。
    自分が偉そうに言える立場にないが、この作家は金が取れる。プロの脚本。成程、納得。ここまでサーヴィスしてこその商業演劇。テーマは「グレイトフル・デッド」。
    文句なしに面白い。

    ネタバレBOX

    安井順平氏の靴下がストッキング並みの薄手で気になった。
    松岡依都美さんが凄惨な女幽霊を演った後、そのまま雑談に参加。「女将、ちょっと髪が乱れております。」の言葉で中座。観客大受け。
    グレイトフル・デッドの意味が「感謝する死者」であることを知って驚く。ディラン&ザ・デッドの『天国への扉』は死ぬ程聴いた。

    ①常識
    白い巨象に乗った普賢菩薩が毎晩寺にやって来る。その日たまたま居合わせた猟師が取った行動とは。
    ②破られた約束
    妻が亡くなる時、絶対に再婚はしないと誓った夫。だが暫くして後妻を娶ってしまう。
    ③茶碗の中
    茶碗の中に一人の男の姿が見える。無理矢理飲み込んでみたがその晩訪ねて来る。
    ④お貞の話
    死の間際の恋人が必ず生まれ変わって会いに来ると約束する。
    ⑤宿世の恋(『霊の日本』の「惡因緣」)
    原作は当時大ヒットしていた落語の『牡丹燈籠』をアメリカに紹介した話。

    浜田信也氏の覚悟が胸を打つ。
    「地獄に堕ちるのだぞ!」
    「それが悪いとも限るまい。」
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    前回観た「無駄な抵抗」が合わなかったので心配だったが、
    イキウメらしい演出でよかった。

    オチが綺麗にまとまっていたと言えるが、
    もう少し予想外な終わり方を期待してた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    幻想的で美しい演出で怪談の世界に引き込まれていく。ゆめとうつつの境界が怪しくなるというか。いつものように少し笑いを取りに行く場面も劇全体の雰囲気をいささかも壊さない。イキウメらしい優れた舞台作品。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    小泉八雲の再話した4つの怪談を2時間の「演劇」に仕立てる趣向。
    短編のていを残しつつ、長編に仕上げる手腕が際立ってうまく、心地よかった。
    また、一つひとつの物語は、「語り」から始まり、登場人物たちが自ら演じる「芝居」へ引き継がれるのだが、その繋がり方にも、観ながらノっていくような快感があった。

    俳優たちが行う道具の転換が、能を思わせるような摺足で行われるのも、生死の狭間にあるものをそこに立ち上げるうえで、効果を発揮していただろう。

    ネタバレBOX

    そういう演出はともすれば、しゃらくさくなってしまうし、俳優の身体にもあまり馴染んでいないことも多いのだが、イキウメも大人の劇団になっただけに、粛々とこなされていて、先述した「語り」と「演技」のトランジットの面白さとも併せ、「演劇」のうまみを感じさせてもらった。

    「これは報告書が面倒だ」(←おそらく正確ではない)という終幕の台詞。なんでもない言葉だが、あぁこういう、あやかしの物語、論理では説明しきれない物語を「報告」し続けるためにこそ、この集団、演劇はあるのかもしれないと、妙に腑に落ちた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ネタバレ

    ネタバレBOX

    イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』を観劇。

     このシリーズは日本の怪談話しを伝説ではなく、実話のように語る面白さがあり、決して見逃してはいけない作品である。

    あらすじ
     人里離れた山奥に、地図にも載っていない廃寺を改装した旅館にふたりの男が都会から訪れてくる。長期滞在の作家・黒澤が怪談話しを始めると、伝播するように各々の怖い話しで盛り上がっていくと、男たちは殺人事件の調査でこの地に訪れたと語り始めるのだった…。

    感想
     劇場に入った瞬間、雰囲気が伝わってくる舞台セットに緊張がよぎる。すり足で静かに俳優が登場し、作家の黒澤、旅館の女将、刑事たちが語り始める怪談話に「嘘か実か?」という疑念の下、没入感はたまらない。
     怪談話しを俳優が演じながら語るのは白石加代子『百物語』と遜色はないが、殺人事件と落語・牡丹灯籠の怪談話しを絡めながら「これは真実の話では?」と少しでも感じてしまったら最後、登場人物と一体化してしまい、逃れられなくなってしまうのである。
    『嘘の話し』『過程の話し』を実のように語るのが語り口の上手さで「今回の話は実話なのでは?」と思い始め、観劇後直ぐにインターネットで検索してヒットしないと分かると「あ〜嘘だったんだぁ!」と現実に戻され、イキウメの世界観からやっと逃れられるのである。
    ただ怪談話しの怖さもだが、恋愛感情から起きる激しい男女の感情のもつれが恐ろしさの発端なので、観客も同じように息苦しくなり、いつも以上に感情を揺さぶられてしまった『奇ッ怪シリーズ』だった。
     傑作である。

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