【ご来場有難う御座いました。!】少女Aの帰還 公演情報 【ご来場有難う御座いました。!】少女Aの帰還」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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    無題234
    19:00の回、18:40徒歩で会場着、受付。すでに何人かお客さんがいらっしゃいます。座席配置はいつものように左右に。今夜は入って右、いままでずっと左。奥のピアノの前に椅子。「箱」ブロジェクト連続公演第一弾とあります。作演出の江野澤さんは24歳だそうです。

    ネタバレBOX

    明日から3日間出張なので、細かいところはそれからとして、「ハーメルンの笛吹き男」の形式を借りているんですね。最後、男が倒れ込むと足が不自由なことがわかりますが、これも「足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子(ウィキペディア)」かなと。

    テキストを手にしながらの朗読のようであり、普通の演技のようでもあり、聞いていて風景がうかんできます。1つの事象により家族は崩壊、Aの帰還は帰還ではなく回帰なのでしょうか。

    テキストを持っているということで視覚的に「そのような状態」が目に入ると同時に、カラダは「普通に」動いています。途中、テキストから離れて演技をしているようにみえる部分もありました。

    ここは全くの私見ですが、お芝居は必ずしも「視覚面」で写実的でなくてもいいと思っています。日常の会話でもそうですが、「聞こえてくる」部分のほうが大切に思えます。ですので、お芝居ではセリフをどう音(トーン、波長、響き、イントネーション)として伝えるかが面白さのひとつ。カラダ全体が聴覚器官になったようです。

    ということだと効果音や音楽があったほうがいいのかというと、いかにもアフレコっぽいのは興ざめ、また、そこが強調されると映画をみているのとあまり変わらなくなりそうな気もします(ちなみに映画は大好き)。

    COREDOは決して広い場所ではないですし、正面をみればお客さんの姿。使っても使わなくてもピアノはそこにある。でも、なぜかこの広さが私の好みにあっているようです(LE DECOなんかもそうですし、「絵空箱」なんかも好き)。

    (とりあえずのメモ)原発、厄災、離散、風評、喪われた安住の地、大人になるということ、戻るべきところなんて

    なぜ、笛吹という立場を引き継がなければならないのか、それは「声を発する」人がいなければならないからなのか、「A」の意志はどこから生まれたのでしょう。

    水を飲むということ=安全であるという保証のよりどころ=個人の見解ではない。

    「帰還」...凱旋ではないし、敗退でもない。3.11から12.19に至るも変化がないことを示しているのでしょうか。それは遠い遠いところから戻ってきたことを示す言葉のはず。

    寒さ厳しい東北の某県某市、うっすらと雪化粧した風景をみながら考えてみました。

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