野がも 公演情報 野がも」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    ヘンリック・イプセン、19世紀ノルウェーの劇作家。「近代演劇の父」と呼ばれたのはモラルや道徳的予定調和(所謂ビルドゥングスロマン〈教養物語〉)を無視し、現実に即したリアルな作劇を呈示したから。作家の意図が論議される作品の走り。何となく知っているような気がしていたが、多分初めて観た。
    俳優座は2月の『スターリン』がつまらなくて足が遠のいていた。(自分の理解力にも問題があったようなので違う形でもう一度観てみたい気はするが)。

    演出も俳優も最高の水準。
    地元の名士、財を築いた実業家ホーコン・ヴェルレ(加藤佳男氏)の屋敷での晩餐会。小さな写真館を営むヤルマール・エクダル(斉藤淳氏)は一人場違いな場に招待されている。山の工場から16年振りに町に帰って来た息子グレーゲルス・ヴェルレ(志村史人氏)が友人として招待したのだ。グレーゲルスはヤルマールからいろいろと近況を聞いていく内にある疑念が生まれる。父は妊娠させた使用人ギーナ(清水直子さん)をヤルマールに押し付けたのではないか?更にヤルマールの父、エクダル元中尉(塩山誠司氏)はかつてヴェルレの事業の共同経営者だったが、国有林伐採の罪を一人被らされて投獄、出所後は酒浸りの廃人となってしまった。理想家グレーゲルスは唾棄すべき父に訣別を告げ、屋敷を出て行く。彼が向かう先はヤルマールの家。嘘と欺瞞に満ちた暮らしに正義の光を照らし、真実の生へと人々を導いてゆく事こそが己に課せられた使命だと信じていた。

    凄くよく出来た喜劇。
    劇団エース格の斉藤淳(あつし)氏は今作では若々しくオリラジ中田に見えた。終盤頬張るサンドウィッチがやたら美味そう。
    加藤佳男氏は政界の大物風味。突っ立ってるだけで金が取れる。児玉誉士夫なんか演って貰いたい。
    釜木美緒さんは29歳!マジで子役だと思っていた。

    こんな古典を易々とこなす老舗プロ劇団の強み。古今東西、世界中のどんな戯曲でも美味しく調理してやんよ。
    流石に面白かった。

    ネタバレBOX

    ヤルマールの写真館を兼ねた家では妻のギーナと14歳の娘のヘドウィク(釜木美緒さん)、父エクダル元中尉が共に暮らす。階下は二部屋、人に貸している。そして秘密の屋根裏部屋では、まるで“海底(うなぞこ)”のような深く暗い森を作っていた。鳩や兎が放され、水槽の池もある。誰も知らない一家だけの森。一番の自慢は野鴨。野生の真鴨が我等が森に棲んでいるのだ。一流のハンターとして輝かしき過去を持つエクダル元中尉は屋根裏でハンティングに励み己を鼓舞していた。
    アヒル(家鴨)は真鴨を家禽化したもの。今作で屋根裏部屋で飼育しているものはアヒルではなく、野鴨であることを一家は誇りに思っている。

    一家の生活はグレーゲルスが真実を告げて回ることで急変。生温い嘘で現実から目を逸らす偽りの暮らしよりも、残酷なる真実を直視せよ。ヤルマールのそれなりに満ち足りていた暮らしは一夜で引っ剥がされる。権力者に孕まされた嫁を宛てがわれてそいつの娘をいそいそと育てていた日々。嵌められて汚名を着せられた親父は慰謝料として毎月小遣いを貰って安酒を飲んでいる。自分を包んでいた優しい嘘や誤魔化しの幻想が剥げてそこに見えたものは己の醜さ。そしてそれでも尚何も出来ない無力さ。

    グレーゲルスはヘドウィクをやたら煽る。父親への信頼回復の為に自分が最も大事にしているものを捧げよ、と。グレーゲルスは悪魔にしか見えない。敬虔なクリスチャンと共産主義者をカリカチュアライズしたキチガイにしか。全ての真実を受け入れた上で許し合い愛し合うことこそが真の人間の生である、みたいな与太話。
    真実を知ったら人間はとても生きてはいけない。ゴータマ・シッダッタが説いた最初の真実は『一切皆苦』。この世には苦しみ以外は何も存在しないということ。

    作品最大の謎はヘドウィクが何故、野鴨ではなく自分を撃ったのか?だ。大事にしていた野鴨を殺そうとしている自分自身に耐え切れなくなったのか?父親に自身の清冽な魂を証明する為に野鴨よりも自死を選んだのか?自分を殺すことでしか伝えられそうもない何かがあったのか?
    多分正解はない。登場人物にも作者にも解らない。ただそういう出来事が起こったというだけ。

    豪商だったがイプセンが7歳の時に破産した父、まさにエクダル元中尉のようになったらしい。ヘドヴィクはイプセンの妹と祖母の名前。イプセン自身、母の不倫の子だったのではないかという話もあるそうだ。16で家を出て二度と帰ることはなかったイプセン。チェーホフは今作に影響を受けて『かもめ』を書いたという、成程。更に想起されるのはテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』。あの屋根裏部屋の“海底”が一家にとって唯一の“世界”だったのか。

    自分的にはこの終わり方は承服出来ない。理想と現実の境目を越えようとしたら死ぬしかないのか?演出、俳優は完璧だがイプセンの原作が中途半端。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ドロドロの昼メロのような話である。イプセンの作品が書かれた1880年代で、その時代にはまだ世間のスキャンダルが演劇の素材にはなっていなかった。離婚、妻の家出、妻の不倫、婚外子、相続問題などなど、(まだ上流階級が主だったとは言え)一般市民のトラブルを素材にして舞台の上の人間の真実を描いて「近代劇の父」と言われている。
    今回の俳優座の上演は「築地小劇場百周年記念上演と角書きれているように、日本でも新劇が始まった頃から数多く上演されている。随分昔に見た記憶では、暗い室内会話劇で人生の真実の発見と言うよりは、暴露ものという感じだった。五幕の舞台は殆ど主人公の家の中、「野鴨」というのは家で飼っていた家鴨である。長いという記憶もあったが、今回は、全体を二幕にまとめて、時間経過を音響効果の音と、並行してシーンを進めるという処理で、複雑な人間関係のドラマがどんどん進む。このテキストレジの旨さが第一だろう。
    俳優たちが上手い。俳優座でいつも感じるのだが、端役まで、なぜそこにいるかが解る。ドラマの世界を支配する財産家(加藤佳男)のお手伝い(清水直子)で、お手つきとなって、かつての共同経営者の息子(斉藤淳)に下げ渡しになって、今は一人娘(釜木美穂・新人)をもうけ、財産家が与えてくれる捨て金で写真の店を妻がやりくって暮らし、本人は発明の夢にすがって生きている。親に反発して山の中の鉱山で労働者の待遇改善に努めている財産家の息子(塩山誠司)が戻ってきて、かつて親しい友人であった息子同士がそのパーテイ出会うところから舞台は開く。
    このパーティのウラの近代社会の生んだ歪んだ人間模様が次々と暴かれていくドラマである。筋はよくわかる。俳優も的確に演じていて、清水直子など、まぁ、むちゃくちゃに上手い、よく客演で呼ばれるのも頷ける。再婚をもくろんでいる財産家の妻となる女(安藤みどり)も、カモを飼っている一人娘も、ベテランから新人まで、揃って上手い。しかし、いまは市井では見つけにくくなった日陰の身で暮らす子供たちを巡る葛藤にリアリティを出す演技はかなり難しく(コミカルな選を狙ったのは冒険だった)苦労しているが上滑りしてしまうのは時節柄やむを得ない。この俳優たちの大健闘が第二。
    イプセン劇をいま、その原作に忠実に生かすとしたら、良い出来だった、と言うことになるだろう。しかし、巧妙に組まれた物語は終わってみれば古めかしいし、俳優たちの旨さも、一昔前に、役者の揃った時代の新派の舞台を見るようである。
    そこをいささか知っているものには現代新派も悪くないと楽しめるが、結局は日活映画を支えた新劇団黄金期の俳優たちとおなじ役割を果たすだけになってしまうのではないか、とも思う。築地百年、劇場消滅の時期である。そうなると、これはまさにリアルな俳優座が支えた新劇そのもののドラマと言うことになってしまう。時代の転換点を感じさせる舞台でも会った。zそれはどうなんだろう。15分の休憩を挟んで1時間25分と1時間の二幕。稽古場劇場は老人客で満席。

    ネタバレBOX

    ここで言う「日蔭の身」というのは、昨今はどこにでも見られる「母子家庭の親子関係」や「契約で暮らす第二夫人」とは、ぜーんぜーん違う。そこが明確になっていないとこの芝居なんだかいまの人には訳がわからないだろう。。真鍋さんのお近くにはそんな方がいないのは残炎だった。、
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    イプセンの名作が名優揃いの劇団の手にかかって現代的で魅力ある演劇になっている。ややコミカルな味付けの演技の演出が良く、イプセンの狙いどおり「みんな病気かよ」と思わせる。わかりやすく文句なしの面白い公演。

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