実演鑑賞
満足度★★★★★
千秋楽を観たようだ。おやそんな雰囲気でもなかったが?・・と思い出せば、確かにカーテンコール四つ目で座長らしい記者役が手招きし、袖から三浦大輔氏が呼ばれた。思わず演出から何か一言な空気がよぎった後、やっぱ何も言う事ないわと礼をして周りもバタバタと頭を下げる様が微笑ましく笑いを起こす風景。
三浦氏の舞台は緻密で明確で、何も補う事はないし観客も満腹で何か言って欲しいとは思わない。
下卑た日常を描いて本質を抉るような三浦大輔の世界へ、一気に誘うのはギター音が作る音楽。本作は三浦氏にしては露骨な性欲の摘出がなかったが、欲望とその追求が恒常的にもたらす爛れ、疲れ、金を払って味わう一時的な全能感、黄昏どきに催す時間を超える感覚・・都市生活と不可分の要素を、音楽が既に彩っている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
国民的アイドルの橋本香(恒松祐里)は、ヒットメーカーの音楽プロデューサー加藤勇(九条ジョー)とひそかに熱愛中。その熱愛場面のスクープ写真を狙う週刊誌記者の菅原祐一(丸山隆平)…それぞれが芸能界にからむ嫉妬とメディアがつくるスキャンダルに巻き込まれていく。
香が「ヒット曲ってどうやってつくるの?」ときくと、勇は「令和っぽくかな。抜け感が大事。自分の考えを押し付けず云々」とそれっぽいことを答える。これが最初の布石。「令和っぽさ」「こういう時代だから」ということで、多様性やLGBTQ、人権尊重、ハラスメント根絶、SNSのいざこざに縛られて、あるいはメディアやSNSに煽られて、人々の暮らしは窮屈になり、「時代だから」と本音を抑えて、表面的なその場しのぎの言葉を交わしていないか。そう考えさせられる
タイトルの意味が、見ながらやっとわかった。「昭和」の古い価値観とこれからの新しい価値観が交代しつつあって、まだ中途半端な「端境期」のことだ。
今年1月の芥川賞受賞作「東京都同情塔」は、「弱者への配慮」と「多様性尊重」という表面的正義(偽善)の行き着くディストピアを描いた。「ハザカイキ」は同じ問題意識に立つ。そして、危機管理として心のこもらない謝罪が安売りされる、空虚な現在を「これでいいのか」と批判している。いつもはシニカルに見えて、今回の舞台は結構熱い。本物の水を大量に降らせる土砂降りの演出も、熱量のある本気度が見えた。
映画のように短いシーンをたくさん重ねていくが、回転セットを左右に二つ、奥には陸橋という舞台装置でよどみなくシーンをつなぐ。音楽も大変効果的だったし、香は失意に打ちのめされた謹慎の部屋で中島みゆきの「時代」を口ずさむ。スーッと伸びる高音が心地よい。エキストラが20数人。街頭の通行人や、謝罪会見に集まった記者に扮する。舞台上を多数の通行人が列をなして次々横切っていく様は、無機的な街の景色を舞台で再現して、秀逸だった。大変贅沢なつくりで驚いた。
1幕50分+休憩20分+2幕1時間40分=2時間50分