カレイドメモリー 公演情報 カレイドメモリー」の観てきた!クチコミ一覧

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    『カレイドメモリー』 VR chat(VR演劇)

    2024.04.20 22時

    ソーシャルメタバース空間「VR chat」で公演が行われたストレートプレイ。VR空間での演劇を行う劇団『maropi工房』の第二回公演となる本作。

    第一回公演『チョイス』では30分のコメディであったが、今回は60分。そして関わるスタッフの人数も大幅に増え、規模が広がった。これがどのようになるのか、想像と期待が膨らむ。

    内容としては地方の町を舞台とした、出ていく若者のぶつかり合い、町に生活をする年を経た者達を主軸とした一幕二場の物語である。だが、雰囲気はその町に生きる者たちの日常・生活であり、大きくドラマ性や葛藤、メッセージを主張するものではない。その場に生きる者たちの日常を観る、そんな感覚だ。
    特に都会とは異なる人間関係の距離感での苦悩や喜びに対してフォーカスしているのだが、その描写は「日常」に向けた緩さに包まれている。「若さのぶつかりと・孤独」、「老年の枯れた具合と寛容さ・受け入れ」、これらを二場にて対比させるような舞台で第一場にて伏線を張りながら、第二場に緩やかにリンクしていく。ユーモアも含め私達の日常に近い舞台をゆっくりと観ていた。

    演出が中々にユニークであり、現実で行われる舞台に近い感触を残しながらも、VR空間上で行われる特性を強く生かした演出であった。驚き、そして今後に行われるVR空間上での演劇の未来に対して、強く期待感を持たざるを得ない。

    強い感触の内容の劇ではないのだが、それに反して「maropi工房」の今後の舞台製作に対してのコンセプトや実験的なモノを含む「挑戦」の印象が強烈に残る。本作は静かながらにも、その意欲性は観ているもの、そして舞台製作を行う他のVR団体にも波及するものであるはずだ。

    規模感は増したものの、前回のような強いスラップスティックのようなコメディ性は若干弱い。だが、逆に弱めることによって近さや柔らかさが出ている。特にシナリオ展開でのユーモアは前回同様に多分に感じることができ。大笑いするようなものではないが、フフッと小さな笑いが所々にある。日常の中にある小さな笑い、それが一服の清涼剤のようでいて。改めて自分等の日常を見つめ直すきっかけともなりそうであった。

    今後とも、どのような道を切り開いていくのか。第二回公演を通して、更に劇団の深さを観ることができた。まだまだVRの奥深さに対しての挑戦は続く。期待感を持って追っていこう。

    ネタバレBOX

    ホワイエでの待機時間にて、劇での注意事項や観劇者自身の「PC・ソフトの設定」の説明をされる。VR空間上では当然ながら、現実の観劇とのルールや文化が異なる。言うなれば、ゲーム空間での快適に過ごすための準備と言えば良いだろうか。待機時間後にプロセニアムのある小規模劇場に通される。ここでも改めて設定を説明されるのだが、この説明から舞台は始まる。劇中に出てくる企業の製品説明を兼ねた演出で、この企業の存在がこの「町」になくてはならないモノであることが示唆される。

    説明を行う者(きゅぞりる)が出てきて企業の商品紹介として舞台世界に引き込んでいく。また後述する第一場として異なる役として出演をするのだが、町で淡々と仕事をする者としての表現が説明的で感情をあえて出さないことによって、狂言回し的に町を表していく芝居。言うなれば、公的なPRをする者と言えばいいか。導入として、いきなり感情をぶつけられず、わかりやすくゆっくりとした語りは町に対しての興味を抱かせるモノであった。


    開演のブザーがなり、劇が始まる。

    第一場

    三人の若者、町の老人二人、外から来たサラリーマンが主要なキャラクターである若者が町から出て行く事を「駅前」での第一場。この駅前というシチュエーションはVR的な演出により、当初はプロセニアム型の小劇場が開幕と共に崩れ、駅前をステージにした野外劇の様相が現れる。ただし、昼間であるのに太陽光のみではなく、スポットライティングの描写などがあり、劇場から完全に離れたという形になっていない。そういう意味では半野外的とも言えるのだが、このような形での表現は観たことがなく言葉として形容するのが難しい。

    内容としては舞台となる「町」に対してのイントロダクションや紹介的な展開を含めつつも、三人の若者によって町に対しての批評的な見方が提示される。実際にこの町が「限界」であることが強調され、それに対して不満を持つ者と肯定する者、諦める者と、町に対しての三者三様の感情が噴出する。駅舎には町名である「枯井戸町」と掲げてあり、会話の内容と駅名とが観客にリンクされていく。

    老人二人、イケダとタナカ(HONI,黒崎こぎん)が駅前のベンチで鳩に餌やりをしつつやり取りをしているところから劇は始まっていく。この二人の老人は町にずっと住んで生きているようで、出ていく若者を引き止める役を手伝うと、非常に温かい雰囲気を持ちながらも、道化のような役回りでこの第一場を支える。良いコンビ具合で少し重い話の中にあっても、態度が一貫しているため、もっと言えば若者に寄り添うようにみえても強引に押し切る形が「亀の甲より歳の甲」とでも言えるだろうか。その強引さの芝居が観客の笑いを誘っていく。またこの後、HONIが演ずる老人は第二場にも登場するのだが、その伏線もこの第一場に張られる。


    外に出る若者、トミザワ(aaway)のイラつきながら芝居での他者のとの会話と大きく早い動きは見るべき所でゆっくりとした雰囲気の中で少し浮く芝居ではある。しかしながら、自分なりの意見はしっかりとしていて劇中での進行をうまく引っ張る。又、後述する外部から来た営業サラリーマンのスズキ(SuzuQui)に対しての憧れの様な感情の伴いは、ネガティブとポジティブの感情の振れ方が若者という不安定さがよく表れており、劇中で一番印象に残った。

    町から出ようとする者を止める若者、ネモト(地蔵めたび)は町の良さ、劇前説明をした際に出てきた町の企業などを語り、何故出ていこうとするかとポジティブなアピールする。この町が好きなのだなと、よくわかるのだが。出ていく若者や後述する三人目の若者に反論される事によって、徐々にトーンダウンしていく様は理屈ではなく、わかってもらえない寂しさを纏いながら、第一場の終了まで持っていく好演。

    三人目の若者、オカノ(ゆったん)は中立的な立場をとるのだが、何かを言い淀んでいる様子を当初から醸し出している。だが、後半になるにつれ、実は諦めをもってして仕方無しに、この町に住んでいることが明らかになる。声質や身体表現にどことない退屈感を帯びており、難しいことを考えたくないという態度が舞台内で良く現れている。この退屈さは刺激のない町を揶揄するような雰囲気で、態度によってもまた批評性が出ていた。

    中盤から後半にかけては、驚いたのだが「車」が登場する。選挙に向けてのPRなのか、老人に対して優しいということを強調している。こちらのウグイス嬢(きゅぞりる)も説明的なセリフ回しと抑揚で、展開を私的ないざこざと、公の状況と示し合わせることにより、場と町の状況をさらに深めていく。

    後半には第二場で出演をするサラリーマン(SuzuQui)が登場し、仕事として来たことがわかる。前述した外に出て行く若者とビジネスとしての付き合い方をしており、それに対して好感を持たれている様は、実に親しげながら距離感があり、それに対して若者の好意的な態度と、町から出ていく主張と合わさって、この場の批評的な雰囲気が強くなっていく。

    ラストは引き止める事がでぎず、出ていくことになるのだが、締めとしては感傷的であるということより、寂しさが強調される。別れの場を感動的なモノというよりは、虚しさが漂い、セリフ少なげに哀しげな音楽が響く。それはまるで、孤独というものを感じさせる印象で。本来は距離感が近いことを示した町の中での断絶を表しているため、この孤独さというものが浮き上がってきた。繋がりとは、なんであるのか。


    第二場

    暗転後、現れるのはスナック風な「キャバクラ」である。下手側の2/3をバーカウンター、上手側にL字型のソファーが置かれている。キャバクラと登場人物は説明はしているが、内装は華やかさよりもシンプルで、ライティングも明るさがあり、小規模なスナックのように見える。

    ここの場を仕切る「ママ」(凛)はこのシンプルな内装の中で実に華やかな振り袖を着用しており、動き方もゆっくりしたもので、優雅さがある。しかして、どこかトボけた感じはあるのだが、仕事は仕事として扱っているため現実的な考えがあるので芯が通っている。展開と場を取り仕切る様は、優雅で素っ頓狂でもありながらも、力強さを感じる芝居。

    第一場で登場したサラリーマンが登場する。本来は帰るべきではあるが、気になったのでこのスナックに来たという。先程はビジネスマンとしてのスイッチが入っていたのに、こちらではオフとして登場する。本場での態度は正しく、仕事が終わった中年サラリーマンの遊び、くたびれた感じの遊び方である。しょうもなく、下らないと一蹴されてしまったらそれまでなのだが、ここに若者と老年の中間点というものがあり、冷めたとも、熱いとも言えない、「ただ割り切って生きている」感じがリアルでの日常の現実感が伴い。滑稽ではある役回りなのだが、リアリティから大きく離れない静かな演技は目を見張るものがある。

    スナックということもあり、ママがキャバ嬢・ホステス(りょうらん)を連れてくるのだが、こちらはママよりも抜けているような印象はなく、ハッキリとした感じ。ただ、こちらも年齢層的には中間な位置づけであり、第一場の若者等よりもかなり弱いが不満は持ちつつも、割り切っている。動きも優雅ながらも、スナックの場に対してまだ慣れていない感じの微妙さがポイント。しっかりしたところと、頼りない部分の演じ分けの細かさがあり。個性的な第二場での登場人物の中でも存在感が失われておらず、キラリと光るものがあった。

    スナック内での宴が始まるのだが、新人として登場するは第一場でも登場したHONI演ずる老年女性のイケダである。前場でも、話を聞かない、道化としての役回りを演じていたがこの場でも舞台をかき回していく。細かい演技、特に老年の細やかな演技が実にリアルでいて。腰が曲がっているという姿勢なのだが、そこを崩さずに首を使っての演技、大きく動けないという点も崩さず、そのキャラクターの造形にリアリズムを持ってしての芝居は観ている者の心が惹かれるようで。キャラクターに役者を強く感じさせず、観客を物語世界から逃さない実に見入る芝居であり、なおかつ笑いも巻き起こす興味深いものであった。

    新人という、老年女性に混乱しながらも観客に笑いが生まれていく中で。後半、老年男性のシマタニ(老咲でんじぃ)が包丁を持って登場する。つまるところ、強盗として押し入ってくるのだが、その登場は緊張感よりもフラッと入っていて騒ぎを起こす・・・というよりは混乱させる。演技として良い具合に声に力が入っておらず、力が抜けた感じで舞台が進行していくためコメディという感じは強いものの、大騒ぎするような状況にはならない。ここの独特な静かさは、舞台全体の雰囲気は前場から続いているのだが、ここに来てもそれが崩れない。緊張感が強まりそうな状況でも、この緩やかさが持続していくのは、老年男性を演ずる老咲でんじぃの演技かと。これからどうなるか、期待したいところである。

    強盗に入り場が混乱する中で、新人の老年女性イケダが正体を見抜き、説得というよりは優しく受け入れていく。強盗をした理由を問い詰めるのではなく、受け入れていく様は優しさと温かさがある。ただし、この場では若者とされる者はほぼ出てこない。「枯井戸町」と名のついた町が如く、この場は枯れた印象が強く残る。ただし、枯れたと言ってもそれは決してネガティブなものではなく、その優しさが場に現れる。この優しさは感動するようなものではないのかもしれないのだけども、歳を取るということはどういうことかをゆっくりとしたコメディ調で見せる。

    最後にオチはつくが、比較的に綺麗に落ちていたようにも思う。ただ、後述はするが、ちょっとアラっと思ってしまった。

    総じてジェネレーション、世代間というものを良く表しており世代によって見えるもの、視点によって変わるということが印象として感じられ。また描き方も、日常から離れたというものではなく、人々の生活をただ観ている。そこには私たちの日常の滑稽さや悲哀などを客観的に観ているようにも思え、ほのかな人を見る温かさのようなものがあった。町はこの舞台での場所ではあるのだが、「町」そのものが登場人物であるかのようにも。

    客出し、アフターも実は私達が観ていた駅前は駅前ではなく、町そのものが舞台であったことが明かされる。それを利用しての役者の交流や舞台である町を細かく、その世界を直接に見る体験をできるのは試みとしても新しく。このアフターでも様々なインスピレーションが掻き立てられる。

    だが、もっと若者側の話を観たかった。世代的に上の人たちの話の印象があり、物語としてのバランスだと偏った感じがある。第二場で公演終了となった際は少しえっ?となってしまった。公演時間に演者・観客側でのVRデバイスのバッテリー利用の時間的な成約もあるのだが、是非とも続編やPART2として観たい。それだけ、物語に深さや面白さがあるのだから。

    うん、良かったのですよ。今後とも追っていきたい。

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