前向き!タイモン 公演情報 前向き!タイモン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★★

    結構しっかり聞き取って理解したほうだと
    自分は思うんですが、ほかの人はどうだったんだろうか・・?

    矢内原氏の役者に対する理想は限りなく高いことが
    毎回痛感させられます(苦笑

    めちゃ面白かった!でも、疲れた・・脳が・・。
    仕事帰りにぶらっと、て感じではないよな・・(苦笑

  • 20110902
    (^・ェ・^)

  • 満足度★★

    脳が活性化!?
    2回見た。1回目は超高速に、ついていけなかった。翌日の2回目は、あら不思議。脳が活性化されたのか、台詞が頭に入ってくる、入ってくる。でもこの芝居、残念ながら面白くはなかった。役者は、さぞかし良い訓練になったでしょう。ご苦労様でした。

  • 満足度★★★★

    ぐるぐる
    意味はわからなかったけど、見れて面白かった。家に帰って、ウィキペディアで「シェイクスピアのアテネのタイモン」で検索。ふーん、なるほど。難解で解釈には今も議論が続いているのか。観劇後の脳内自己対話が止まらない。それは、やっぱり強く訴えかけられたからだと思う。言葉を捨てて訴えるということの体感、この公演との出会いは良かった。

    ネタバレBOX

    脳内自己対話

    「いやー圧倒されたね」
    /「圧倒?」
    「目の前の世界が自分に侵食する感じ」
    /「何それ?」
    「高速で繰り広げられる台詞に飲み込まれて、理解することを放棄してしまう感じ」
    /「それ、わかんないってこと?」
    「高速で喋り・高速で動く事が、自分の本性の原始的な所に訴えてきてる感じ」
    /「それって理解してる振り?」
    「振りというかマヒ。自分をマヒさせる事で見える世界だったよ」
    /「ようするに?」
    「圧倒だよ」
    /「あなたの圧倒と私の圧倒は違う」
    「まぁ、主観だから」

    …ぐるぐる回る。
  • 満足度★★★★★

    怒涛の熱演
    機関銃のようなセリフの嵐に最初は戸惑うも、スーパーテンションの世界に引きずり込まれた。

  • 満足度★★★

    限界に挑戦
    演出の意図は私の感性では理解できなかったが、役者さんってスゴイっていうことを再認識。
    ただ、あまりの超速に聞き取れないセリフも多く、私にとっては物珍しさ以上のものはなかった。

  • 満足度★★★★★

    超高速、そして超解釈
    超超高速
    超超超高速
    超超超超高速
    までは行かないけれど、
    そのけたたましさには笑ってしまう。
    超解釈シェイクスピア。


    (ネタバレBOX内は、できたら一気に一息で読んでくれたらうれしいです)

    ネタバレBOX

    超高速、としいうか超超高速で、普通の速度で上演したら倍の上演時間になりそうなぐらいであり、逆に普通の台詞速度で上演したら面白かったのか? という疑問は、とっても気になるのだけれど、ちょっとだけ胸にしまっておきながらも、汗びっしょりな感じの舞台であり、動きも激しいのだけれども、いつもの「振り」のような感じではなく、実はその「いつものような感じ」が好きだったりするので、そこはちょっとどうかなと思いながらも、これは「いつものように」映像の使い方などがとても面白く、手作り感たっぷり白い箱に映し出される、アフレコ的な使い方とトナカイは特に良かったなという話であり、その話、ストーリー、物語は、どうやらシェイクスピアの『アテネのタイモン』をベースにした物語らしいのだけど、それは、あ、そうそう主人公は大門(タイモン)という金融業をやっている男で、父親が一代で築いた会社の二代目として収まっており、その父親は、金融業で財を築いたわけではなく、実は、ひよこの雌雄を判別する鑑別師だったので、それで財を築いたということのようで、主人公の大門(タイモン)は、その会社の二代目になっており、なぜか「イイ大門(タイモン)」「普通の大門(タイモン)」「悪い大門(タイモン)」の3つのキャラクターを持ってい、い、い、いるのだけれどどど、物語が進行するに従って、そのあたりが段々2つとか1つとかに見えてくるのが、高速のためか、超高速ためか、超超高速のためか否かはわからないんだけれど、そのキャラクターが3つあるというあたりが、ひょっしたら、物語の前半と後半で、生き方が変わってきてしまう『アテネのタイモン』のほうのタイモンのキャラクターをベースにしているのではないかと思ったりして、あ、あと、リンゴ農家の人がリンゴが売れないことを嘆いていると、大門(タイモン)は、親切心からすべてのリンゴを買い取ることになり、おかげでリンゴは高値になって、例えば1箱10万とかの、そんな凄い価格になったりして、リンゴ農家の人は喜ぶのだけれども、他のリンゴ農家の人からは裏切り者呼ばわりをされてしまうことになったりするあたりというか、気前よくお金を与えてしまうあたりも『アテネのタイモン』が見え隠れしつつ、リンゴに対しては「剥いて食べたい」と大門(タイモン)は考えているのだけれども、メイドはまったく剥いてくれず、大門(タイモン)は、それに苛立ちつつ、クリスマスに思いをはせ、サンタの衣装を纏ったりして、それはどういうことかと言えば、大門(タイモン)は、祖父の思い出からクリスマスには特別の想いがあり、実は誕生日がクリスマスだということも微妙に関係したりしていて、それは「幸福」というニュアンスをも含んでいたりして、青いモップに追われる妄想から、それは「自分」なのだというあたりに思い当たる大門(タイモン)の姿は、幸福論とまではいかないけれど、「幸福」に関するひとつの考え方が披瀝され、あ、そうか、ミクニヤナイハラプロジェクトには「幸福」がキーワードなのかもしれないと思ったりして、それは次回公演が『幸福オンthe道路』の再演だということを開演前のチラシの山の中で目にしただけではないかなととととと、そんなことを考えつつも、舞台の上では大門(タイモン)は、「待つ」とにかく「待つ」のであって、自殺しそうになっていた中学生に勘違いされたままであっても、大門(タイモン)は「待つ」のであって、子ども、と言ってもリンゴのことなんだけど、子どもを天に生け贄として雨乞いをするが、雨は降らず、子どもも大人も人が死に絶えてしまうというエピソードはあまりにも悲しく、それは捧げるものがどうあれ、天は何も応えてくれないことにより、絶望のようでもあり、なんかそれには、常に世の中にある、今もある、現実感のようなものが漂う感じであり、まさに『アテネのタイモン』の本質はそこにあるわけで、シェイクスピアは「神」をどう感じ、とらえていたかということの証左であるようにも読み取ろうとすれば読み取れるわけで、と言っても、シェイクスピアが「神も仏もあるものか」と言ったかどうかはしらねども、そう単純なものであろうはずもなく、そんな「エッセンス」に気がつき、それを抉り出し、さらに、ミクニヤナイハラプロジェクトが提示したクリスマスエピソードの「幸福」と対照的にして、「答え」のようなものとか、あるいは「問い掛け」とかをしてみせたわけで、それは取りも直さず『アテネのタイモン』の、超解釈だった! と思い当たり、ここにきて、「ああ凄いな」と感じてくるのだけれども、そのあたりがもっと洗練されて、というか整理されたりすると、大傑作なわけだけれども、大門(タイモン)は「待つ」わけで、メイドはリンゴを一向に剥いてくれないわけであり、それを嘆きつつも大門(タイモン)「待つ」のであり、でも、だけど、『アテネのタイモン』のタイモンのように大門(タイモン)は死んでしまうわけではなく、なぜかと言えば、大門(タイモン)は「前向き」だからだ、ということなのだった。

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