リーディング劇『ファミリアー』 公演情報 リーディング劇『ファミリアー』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    以前惜しくも見逃した、という記憶があり(確か世田谷パブリック)、久々のリーディング、久々の新宿眼科画廊空間を堪能した。
    瀬戸山女史はテーマから戯曲を書ける人である(と思っている)。世田パブでもそのテーマありきの企画という風だったが内容は知らずこの日も白紙で劇場に入った。ナレーションから始まる。リーディング作品の入りやすさ、そして「ワン!」と犬の声。話が進につれ、犬猫の殺処分がテーマだと判る。判った時には物語に入り込んでいるというよく出来た短編戯曲で、三人の男優(この日のゲスト枠は古山憲太郎)の演技も申し分なしである。
    公演情報の澤口渉氏の名に思わず目が行ったのだったが、実はこのユニット自体澤口氏によるもので、以前のユニットの片割れである音野氏の名もゲスト出演者に見つけたと思ったら、折込にもロデオ☆ザ☆ヘヴン次回公演のチラシが入っていた。(何何。完全復帰じゃあないの俳優止めるって言ってたがやっぱそう簡単に足抜けできないのが芝居、との前例が又一つ増えた?)

    さて芝居だが、俳優の配置がいい。柔らかい低音を響かせる高野絹也氏が基本ナレーションと補助的な役に、日々殺処分の業務に勤しむセンター職員及び「先にセンターに入った先輩犬」役を古山氏が、新人職員と新人犬モナカを澤口がやる。
    無垢そのものの犬が、飼い主の登場を信じ切っている初日から、殺処分のある5日目までに憔悴して行く変化(モナカと先輩の会話がいい)、動物を救いたくて獣医師資格を取った最初の赴任先であるこのセンターで、新人職員が現実を知るに愕然とする様子、初めて応対した犬の持ち込み者に思わず一言、いや二言が五言十言まで投げつける場面等は秀逸である。理想を持つ若い新人澤口は、ベテラン古山が見ている前で見事に(恐らく古山が何度も見て来た新人のようにか、あるいは自分がそうであったようにか)折れて行く。
    ただこの新人は普通ならダメ元で言わない要望を口にする。「あの4日目の犬、洗ってあげませんか」モナカより一日早く入った先輩(年齢も上なので分かりやすい)はパパとママと海に来て迷子になったので、体毛が海水でゴワゴワだった。センターでは犬は一日目、二日目と、処分装置のある側へと檻を移されて行く。だからモナカと先輩は最後まで隣同士で会話をする。はじめ迎えに来る事を待っていた先輩が次第に元気を無くして行く(のをモナカが見てとる)事をナレーションが告げる。その伏線があった翌日、朝早く出勤した新人は四日目の犬を洗ってあげていた。「洗ったのか」と先輩に訊かれ「はい」と答えたが先輩はそれ以上何も聞かなかった。 
    モナカは昨日と打って変わりはしゃぐ先輩の姿を見る。「やっぱ迎えに来るんだ」モナカの祝福に見送られ、檻から廊下に出、奥のガス死用の箱に入れられた先輩犬の吠え声、壁に爪を立てる音、やがて訪れる静けさ。
    新人職員はその犬を譲渡会(飼い犬を探す人と犬とのお見合い会的な会)に出す事を口にするもセンター内のルーティンを変えるに至らず手をこまねいている内にその時を迎えてしまった。そもそも譲渡会に出せる犬は生後三ヶ月までとされ、別室に入れられるが、三歳のモナカも三つ上の先輩も処分コースに乗せられた。「やってみないと分からない」と彼は主張するが、先輩職員は答える。犬を飼うにも費用が掛かる、連れてこられた犬を全て断らず死ぬまで面倒を見るなんて事は出来ない、だから線引きをするしかない、と。焼肉屋で肉をつつきながら話は食用肉のための屠殺にも及ぶ。新人は目的がある死は違う、肉を感謝して頂けば良い、と反論するも、先輩は同じ事だと言う。人間の生きやすさのために彼らは殺されるのだ、と。

    酷薄な現実の中で、小さく灯る光のような瞬間も書き込まれる。
    澤口が犬の側に立った思いの丈を犬持ち込みの女性にぶつけた時、自分の身勝手は分かってる、三十人に相談したがダメだったと切々と語った女性が最後に、あと三十人に当たってみます、と帰って行く。半ば己の不甲斐なさを八ツ当たりのように叩きつけた言葉が、離婚による転居から万策尽きて訪れたその女性の胸に少なからず届いた。
    その様子をベテラン職員は、一度彼の名を呼んで諫めた他は黙って見ていた。台詞を滔々と喋るのを途中で切れない脚本の事情とは言え、黙る先輩の風情に、含蓄がある。我らが古山憲太郎は、新人の言葉に少なからず揺さぶられた、その微妙な心の変化を見せる。封じていた自分の思いを目の前の新人が代弁している、、。彼は最後の日を迎えるモナカの檻掃除の時、ホースの水撒きの水が跳ねて吠えるモナカを抱え、別室に運び、それから掃除を終えた。

    ラストは思いもしなかった結末が訪れる。センターのリアルな現実にどっぷり浸かり、この現実と、自分の方が折り合いを付けるほかない、と観客も思わされていたから、外からの予期しない申し出に本当に驚かされるのである。
    モナカはたまたまもらわれて行ったに過ぎない、それが現実だが、三歳を超えた犬を求めている人もいる、たったそれだけの認識の変化が、如何に大きな変化であるか。
    私たちが生きる現実も出口のない檻のようだが、良き変化が全く無いとは言えない。予期しなかった風景を求めるからこそ芝居を観るのであるが。。

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