実演鑑賞
満足度★★★★
東京から下関(乗り継いで長崎)までの芥川龍之介(若松泰弘)と菊池寛(瀬戸口郁)の二人旅。当時の2等はロングシートだったそうで、舞台セットは長ーいベンチシート。どんな道中が始まるかと思っていると…。
大きく4つの場面がおきる。起承転結と言おうか。最初は友人でありライバルである二人の掛け合い。スペイン風邪の流行中で、菊池寛がマスクを外そうとしないなど、当時と今と重なる状況もある。田山花袋、志賀直哉などが芥川龍之介の「奇抜さ」や「拵えもの」を批判した、同時代評に、いちいちやり返したり。菊池が芥川を嫌な男に書いた「無名作家の日記」がきいている。
「気をつけないと噂に尾鰭がついて、足まで生えてきて勝手に歩いていく」と、気の利いたセリフもある。
続いて、突然女たちが車中に現れる。まずは「俸教人の死」で焼け死ぬロレンゾ。さらに「地獄変」で焼き殺される絵師の娘。そして「藪の中」の国司の妻だが、これはまだ芥川が書く前で本人もわからない。登場人物たちが「どうしてこんな酷い死に方をさせるんですか」「私が死んだのは誰のせいですか」と作者をなじる。急に活気付いてきて、本作で一番弾けた場面だった。
そして転になるのが、この女たちが頭巾を抜いだりして、芥川と関係のあったリアルな女性たちに変わるところ。そうして、芥川の憂鬱な「晩年」へと話はうつっていく。
「河童」「或る阿呆の一生」など晩年の自嘲的作品が、次第に行き詰まっていく芥川を示す。「死にたがっていらっしゃるんだそうですね」「いえ、生きることに飽きただけです」など、若い時に読んだはずだが忘れている。今聞くとドキリとした。
作家の評伝劇で、現実と虚構が入り混じる趣向など、井上ひさしを思わせる。最後に、芥川の人生から現代へのメッセージが立ち上がれば、いうことなかったのだが、そこが残念。芥川龍之介を熱心に読んだのは大学生の頃と、国語教師として勤めていた頃だった。いろいろ思い出すことも多いし、知らなかったことも多かった。
実演鑑賞
満足度★★★★
文学座のサザン公演(アトリエでない大劇場公演)はいまいち、という前例が既に二度あるので今回も多くを期待せず、だが畑澤戯曲だけに「作品」への期待は高めて劇場へ赴いた。
大劇場では大仰、喜劇調に作られるのが文学座の伝統なのかも(「寒花」という震撼とさせる鐘下戯曲で新派のような見栄芝居が突然入ってきた時は唖然とした)。
本作はスペイン風邪の流行った100年前を舞台に、菊池寛と芥川龍之介の長崎行きの車中で終始展開する舞台である。両名による時に冗談を交えた、時に辛辣なやり取りは車中だけに基本「深刻にならない」軽快さで進む。途中予期しない登場人物とのやり取りや大立ち回りが始まったり、芥川作品世界の検証のような時間になるのも面白い。
ドラマタークに工藤千夏とある。夏の渡辺源四郎商店二本立て公演の内、工藤作品がやはり戦前を舞台にした着想に優れた芝居だったが、今作も間違いなく工藤女史の知恵がまぶされていると推察。芥川作品への「批評」を一つ一つ菊池が紹介したり、芥川氏の女性遍歴(人物像が作品にも投影されている)がその作中人物によって明かされたり。
その時点では芥川が知らない事実や作品にも遠慮なしに言及され、喜劇性は否応なく高まる。
汽車の旅をベースに、時空を超えた目線で芥川龍之介の人生を眺める趣向、と言ってしまえばそれで収まりそうだが、芥川という人間が歴史上の芥川龍之介を離れて、一人間と見えてくることがある。この文学者への洞察は人間性のレベルに踏み込み、彼が様々な影響の中にあって生まれた歴史上の一存在であり、その人生の意味とは何であったのか、という問いを程よい距離感で投げている。史実上のビッグネームに依存した作品からは離脱している。