実演鑑賞
満足度★★★★★
2回観劇。今回も十分に堪能した。現代の食の問題についても考えさせられる。三人の娘を持つ親としては、親を選べずに生まれてくる子に、自分は何を伝え、何を守り、その対局として何を押しつけてしまっていただろうかという不安に囚われた。
そして何より、家族の或る中年男が浮ついて見える姿。他者によってバッサリと斬られてしまう言い訳を聞きながら、自分を省みれば心から血が噴き出しているように思えて恥ずかしかった。如何にして生きるべきか、また考えなくては。
実演鑑賞
満足度★★★★★
文句無しの素晴らしい作品。
絶妙なテンポの会話劇、役者の皆さん上手すぎる。それに加えて、家族の在り方だったり植え付けられた価値観に対する苦悩を見事に表現していた。そしてラストの展開に涙が滲んだ。
実演鑑賞
満足度★★★★
横山拓也らしい安心して楽しめる、アットホームで深みのある芝居だった。真澄(枝元萌)と夫(永滝元太郎)と娘(祷キララ)の、別居はしているが仲の良い家族かと思っていると、意外な裏が次々出てくる。夫がスナックを任せている沙良(橋爪未萠里)と実は…と。でもまた、そうおもわせておいて、沙良はその気がなくて、夫の片思いとか。
話の手が込んでいて、少し落ち着くと、また新しい情報でざわつかせ、最後まであきさせない。真澄が足が悪いのは、実は過去に事故があったせいで、それに隣人の俊介(八頭司悠友)が絡んでいるとか。
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2023/11/25 (土)
iakuだから、観たい!と観劇。
HPなどのイントロダクション通りでそれ以上でも以下でもなかった。
舞台を観て桟敷童子みたい!と感じたのは最前列だったからかもしれない。
実演鑑賞
満足度★★★★
トラムという事もあり、力の入ったiaku公演が観られるかなと足を運んだ。
作劇というのは難しいものだな、と思う。さすがに横山拓也、うまい、けれど自給自足の生活スタイルを目指している正にその山間の棲み処を舞台としながら、この生活スタイルが対話の中でのアイテム、記号以上に機能させ切れない感じがあって、ネタに終わってるのが勿体ない。(作者はその枠を超えようと罠にかかった鹿を冒頭に、猪をラストに登場させたり、試みてはいるのだがこれが笑いに収まってしまう。)
小屋に住む女性役に枝元萌。近所の兄貴役に緒方晋、この二人が出るので観に行ったような所もあってその期待は十分報いられたが、ドラマとしてはどうであったか。
女性は夫と別居しており(山奥での生活などとうてい出来ないので、出資・援助だけされている)、娘はある近年までここで育ったが高校に上ると同時に父の元に移り、都会生活をしている。それが、二人この山奥にやって来る。それを追うように夫の出した店を任された若い女性(橋爪未萌里)が現われる。たまたま実地体験のためにやって来て鹿の解体を体験した青年と、その手引きをした緒方晋が、この修羅場の見届け人となり深刻話を程よく軟化させる。
人物関係図は過去のエピソードにより立体化して行くのだが、枝元萌が目指した自給自足生活に関しては、抜き差しならぬ生活、「食うため」に日々の時間全てを使わねばならぬ位であるはずであり、そもそも父娘が「歩いて登って」来れる場所にあるというのもどうか、という所である。まあそれは於くとして・・枝元女性の現境遇については劇中で「夫の援助があってやれて来た、あなたも(夫の援助を受けて店を任された)私と同じ」であるとか、「誤って撃った銃で足を怪我させた男「緒方)の援助に甘えてやって行けている」だのといった台詞でディスられる。
これに対して枝元はこの生活が自分には「最もやりたい事」「自分に合った生活だった」と自認し、議論としては「多様性の中で一つの選択肢として許されるべき」というかなり引いた立ち位置に立たされる。それと言うのも、この山で育った娘が都会に出た今、全く自分が「普通でなかった」事を思い知らされており、その事への恨み節をある所から延々と聴かされる時間がある。この時間は娘が(宗教二世に重なる)特殊な境遇にあった事で「何にぶち当たっているか」を観客も想像して行く時間ではあるのだが、とにかく長い。そして話は「そりゃそうだろう」という落ち着きどころに落ち着く。
娘は最後に、実はここに来るのを楽しみにしていた事とその理由を白状する。それは都会で口にするものは「食えたものじゃない」。だから取れ立ての獲物を焼いた肉、採れ立ての山菜で煮込んだ鍋を食べたかった、と言う。
「鹿はもう食っちまった」(だってこういうのが嫌いなんだろうから跡形も残さないようにした)と悪びれるが、「じゃ猪を取りに行こう」と緒方。青年にも付いて来いと命令し、「何で俺が」と困った顔で大団円の空気。
母の元で育った娘が、その「舌」を持ったという事の中に何らかの(自給自足生活を送った事の)意味を仄めかそうとした作者であるが、日本の自給率を今なお返上し続ける外資導入政策を傍目に見ながら、枝元が目指したこの生活は単に「自分に合ってた」「趣味」の領域と矮小化して終わるのか。
特段「意義がある」と吹聴してほしい訳ではないが、ある視点を持てば「こんな生活は荒唐無稽」と思ってしまう私たちの感覚の中に現代の、日本の脆さが実は反映しているのではないか、と思わずにいない。枝元的生き方を卑下させ過ぎである点に、横山氏ほどの書き手が、と不満を持ってしまった。
会話の妙、面白さを味わう時間を「料金分」もらったのは確かであるが。。 と言うと何だか酷評であるが、穿った会話は多々あり、とりわけ橋爪女史絡みの会話は秀逸(関西弁演技もバッチシ)。
実演鑑賞
満足度★★★
中途半端な新喜劇ののりが合わなかった。
全年齢を対象にしたお笑いなのでわかりやすい反面、
新しさをあまり感じなかった。
後半のシリアスとお笑いを混ぜた展開は、私には
合わず途中から台詞が全く入ってこない状態になった。
別に毎回、泣けるような演劇を求めているわけではないが、なんか消化不良のまま終わった。
実演鑑賞
満足度★★★★
久し振りのiaku公演である。自分も、周囲も納得し、生きたいように生きる、というのは現代に生きる人々の究極の幸福の理想だろう。だがそれを実際にやってみると、・・・というのが今回のテーマである。この作者らしい巧みなテーマ設定で、広い年代にアピールできる。ある意味では平凡なテーマなので、設定は飛んでいる。山中に独居して狩猟を生業とする夫婦(枝元萌・永滝元太郎)と娘(祷キララ)一家の物語、一夜半の一幕物である。(二場で1時間45分)
1年前から山中の生活に耐えられなくなった娘が、山の下で生業を持っている夫のもとから戻ってくる。山の下にも生活の拠点を持つ夫は新しくバーを開こうとして女性(橋爪未萌里)を雇おうとしている。山の上ではかつて妻を狩猟事故に巻き込んでしまった仲間の猟師(緒方晋)が、なにかと妻の面倒を見ている。今日は、動物園勤務で体験学習にきている猟師仲間の息子(八頭司悠友)もいる。普通の生活人には全くなじみのない生活設定なのに、今生きる人の、生きる悩みに正面から答えていてiakuらしい舞台になった。
ここでは、動物愛護、自然愛護、人生や職業選択の自由は、すべての登場人物が守ろうとしている原則なのだが、それが上手くいかない。こういうドラマではよく、そういう社会を囲む外の事情(國の条例とか、地域の習慣とか)や、セックスによる人間関係がドラマを動かすことになるのだが、この作品は見事にそこを切っている。
横山拓也の芝居作りの旨さはこの作品でも遺憾なく現われている。一つだけ例を挙げれば、娘(祷)が帰ってくる理由を明かすところ。笑いも交えながら、現代社会で本来の人間性に基づいて生きる難しさを見ることになる。小劇場にジワがたつ。
コロナの下で、スケールが小さくても大小のテーマをこなす横山拓也には注文殺到していると思う。今年も何本も見たし、中にはどうかと思う作品もなくはなかった。しかしこういう乱作の時期は劇作家が大きくなる過程で必ず超えなければならない尹壁でもある。今年はこの作品一本でも良い。あえて言えば、少し会劇劇になりすぎたところか。
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2023/11/27 (月) 14:00
座席1階
iakuの劇作家横山拓也による今作は、罠を山中に仕掛けてシカやイノシシを捕って自家消費分だけ食べるという自給自足の生活をしている一家の物語。「なないろ満月」が上演した横山作品「ハイツブリが飛ぶのを」は大災害による避難所を舞台にした人間ドラマだったが、「モモンバ」は人里離れた生活という異色の日常をベースにした人間ドラマだ。こうした着眼点が、多くのファンを引きつける魅力になっているのだろう。
モモンバと小学生にあだ名を付けられた「野生の母」を演じた枝元萌は、横山作品にはぴったりのキャラクターであるし、卓越した演技がそれを裏打ちしている。滋賀県出身だけにネイティブ関西弁であるのも、微妙なボケとツッコミの間合いが自然と流れていくという長所になっている。特にせりふがギャグであるわけでもないのに笑えるのは、横山台本の魅力を引き出すのに彼女が適役であるということを示している。
今回の「狩猟」という非日常性をベースにした人間関係なのだが、やはり普遍的な要素もたくさんある人間ドラマであると筆者は訴えているようだ。親から子に受け継がせたいもの、子が長じたときにそれをどう自分の中で受け止めているのか。また、結婚して夫婦になり、支え合ってきたものの中年となって自分のこれからの人生に向き合う夫の姿など、舞台が「狩猟」でなくても客席の琴線に触れる展開となっている。
あれもこれも詰め込もうとしないところが、横山作品の優れたところであると思う。いい作品なのにいろんな観点や見方を詰め込んで上演時間が延びる作品が散見されるだけに、切れ味鋭い物語展開は、やはり今回も出色であった。
実演鑑賞
満足度★★★★
ストーリーと結末自体は何ほどでもないが、とにかく登場人物たちがシリアスになるほど客席に笑いが起こる面白さがある。モモンバの小屋の雰囲気も良い。
実演鑑賞
満足度★★★★
笑いのセンスがずば抜けている。主要キャラが皆ほぼ毒舌で言わなくてもいいことを一々説明して回る。唯一人口下手なお父さんだけがうじうじ暗鬱たるタールを抱えて黙り込む。最後まで観るとやっぱり松竹映画、品がある。山田洋次が元気だったら是非観て貰いたい。人をきっちり笑わせてこその人間論でないとその説得力は出ない。この作家はまだまだ先に行ける。
山奥で自給自足の生活を続ける枝元萌さん。くくり罠の名人で鹿や猪を捕らえては捌き、畑では野菜を栽培。麓の町で会社員をしている旦那(永滝元太郎氏)と別れて暮らす。高校を卒業した娘(祷キララさん)は家を出て父のもとへ。そんなある日、狩猟仲間の緒方晋氏が知り合いの息子を連れて来る。22歳の動物園の飼育員、八頭司悠友氏は屠体給餌に興味が湧き、現場を見学に来たのだった。
祷(いのり)キララさんは初めて知ったが良い女優。このルックスなら映像向きだろう。田中麗奈系の中性的な魅力。
枝元萌さんのはっと衝撃を受け愕然とする表情が炸裂。仲代達矢の呆けた表情など、大物役者には十八番が付き物。
緒方晋氏はいつもの通り、そこら辺にいる口うるさいおっさんのまんま。
橋爪未萠里さんは強い。出しときゃどうにかなる。この人の喋りで皆薙ぎ倒されていく。
ある意味主役の八頭司悠友(やとうじゆうすけ)氏もツッコミまくった。誰からも好かれない天然キャラを好演。
個人的MVPはやはり永滝元太郎(げんたろう)氏。中川剛とロッチ中岡と水道橋博士を足したような雰囲気。とにかく味があって面白い。何かをしなくても受け身で勝手に笑いが降ってくる。
テーマは『普通』。何だかよく分からない概念だが、皆と自分を隔てるもの。喉から手が出る程欲しくもあり、吐き気がする程要らなくもある。
かなり笑える会話劇。
是非観に行って頂きたい。