ふるあめりかに袖はぬらさじ 公演情報 ふるあめりかに袖はぬらさじ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-1件 / 1件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    大竹しのぶのちょっと蓮っ葉でかわいげのあるお園が光る。杉村春子の持ち役だったが、いま杉村春子を継ぐ存在と言えば、まず大竹しのぶに指を折るだろう。そういえば「女の一生」も大竹しのぶが継いでいる。

    話は、客の期待や店主の求めのままに、あれよあれよと「攘夷女郎」の美談をお園が作り上げていく。もともとおしゃべりで芸達者のお園の持ち味がそこに発揮されるわけだが、彼女には悪気も迷いもない。すべては成り行き任せで、お園に葛藤がないから、話の深みにかける。

    有吉佐和子は「恍惚の人」「複合汚染」を読んで、僕は大変な才女だと敬服している。しかし文壇的には「物語性は強いが、人間の掘り下げ(特に作家自身の内面)がない」とみられていたらしい。そういう有吉の長所と弱点がよく出た作品である。ただ、女性が引っ張る芝居であることに有吉の女性としての矜持とが見える。亀遊(美村里江)と藤吉(藪宏太)の恋が、物語を動かす源だが、この恋の主導権も、異人の身受けを嫌ってさっさと死んでしまう決断力も亀遊のものである。
    時代の風潮が美談をこしらえてしまうという社会風刺性も、社会批評家・有吉の面目躍如である。

    「露をだにいとう大和のおみなえしふるアメリカに袖はぬらさじ」とは、よくできた歌である。元の話を書いたのは江戸末期から明治時代に活躍した戯作者・染崎延房だ。延房は著書『近世紀聞』で、亀遊(著書内では喜遊と表記)の死を臨場感あふれるお涙頂戴の記事に仕立てた。ただ、この本が出たのは事件があったという年の12年後。典拠も「噂話」とある。史料では亀遊という女郎が実在したかどうかも不明、というのが本当のところだ。1900年の「文芸倶楽部」に橘家円喬の人情話として載っている。

    ネタバレBOX

    四場のお園の語る、講談調の「亀勇(!)自害の巻」は圧巻。最後にウソがばれて、攘夷の志士たちに斬られそうになる時の恐怖と慌てふためきぶりも、迫真の演技だった。

このページのQRコードです。

拡大