平成二十三年のシェイクスピア 公演情報 平成二十三年のシェイクスピア」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★

    いわき総合高校の生徒が出演
    「平成二十三年」という漢字も忘れられなくなります。

    ネタバレBOX

    ミラーボールが光る中、天ぷらを食べる場面が良かった。
  • 満足度★★★★

    東京デスロック『WALTZ MACBETH』いわき総合高校第7期生卒業公演『平成二十二年のシェイクスピア』
    いわき総合高校の生徒たちの『平成二十二年のシェイクスピア』 がおもしろい。東京デスロック『WALTZ MACBETH』もおどろき。

  • 満足度★★★★★

    『WALTZ MACBETH』やっぱり東京デスロック、面白い!
    最初はどうなることかと思ったけれども、確かにマクベス。

    ネタバレBOX

    まず多田さんがマクベスのあらすじを話すところから舞台はスタートする。
    何もない舞台に、次々に着物の正装姿で役者が現れる。手に椅子を持ったり持っていなかったり。

    冒頭の数十分は台詞がない。
    椅子に座るか座らないかの駆け引きのような様子が描かれる。

    どうやら椅子を媒介することによって、「空気(いわゆる「気」)」とか「気配」のようなものを表現していたようだ。
    誰が座るのか、どう人に譲るのか、あるいはどう人に接して、自分がどう思われたいのか、などである。

    そこから、明治時代に翻訳されたままの台詞のマクベスが始まる。
    椅子を取り合ったり、椅子を何かに見立てたりということに使うのだ。

    つまり、椅子は、やはり、「見えないモノそのもの」や、特にそれを媒介することで「見えないモノ(関係など)」を見せるためのツールとして活用されていく。

    マクベスやマクベス夫人、ダンカンやマクダフが置かれている立場や、その感情を椅子を通し、さらに台詞がそこに加わることで巧みに表現されていく。
    単に椅子を取り合っているだけでなく、そうした企みが徐々に見えてくることによって、マクベスの物語が立ち上がってくるのだ。
    うまい。

    もちろん、マクベスの台詞を喋りながら、椅子を取り合っている人々という見方もアリだろう。
    それができるのも、冒頭にあらすじの説明があるからなのだ。
    なかなかこのあたりは用意周到と言える。

    そして、役者がとてもいい。もの凄くいいのだ。
    偶然のように、椅子を動かし、倒し、取り合い、座ったり、座れなかったりという様が見事なのだ。
    狭い舞台なのに、思い切り良く手足を動かし伸ばす。相手の気配をきちんと察知し、それをやってのける。普通に考えると、周囲のことばかり気になって(ぶつかりそうなので)手足が縮こまったりしそうなものなのに。
    汗だくになって、息も切らしながら走り回り、踊りまくる。

    人と人との距離感と、気配と感覚、さらに安心や不安などを舞台の上で見せることにより、マクベスの物語は現代に生きてくるのだ。

    それにしても、『平成二十二年のシェイクスピア』が見られなかったのが残念。夜の回もあればなあ。

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