イエ・ドロ立体落語 公演情報 イエ・ドロ立体落語」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★

    怪談尽くしにすれば
    立体落語という分野の開拓はいいが、4つの演目の関連性があまりない。心中ものではなく幽霊ものにしてもよpかったのでは?

  • 満足度★★★★

    新・RAKUGO入門
    正直に言ってしまうと落語ってちょっと古臭いな。っていうネガティヴイメージがあったのですが、イエ・ドロの立体落語は今の時代にフィットするようにリメイクがほどこされていたので野暮ったさがなく、ヴィジュアル的なおもしろさと軽快なテンポで話がサクサク展開していくのでとても楽しめました。
    原典をご存じの方はアナザーラインとして。
    私のようにテレビや動画でしか落語を見たことがなかったりする方には落語の入門編として観るのにピッタリです!

    ネタバレBOX

    ●番町皿屋敷(作:岡本綺堂)
    亡き母の取りきめた許婚がいると知りつつも、殿様である青山播磨と交際している播磨の腰元お菊はある日、播磨の本心を確かめるために青山家の家宝である10枚の皿のうち一枚を故意に割ってしまう。そのことがバレタお菊が井戸の中に身投げをし、以来、井戸の前を通ると「いちまーい、にーまい、さんまーい・・・」と皿を数える声が聞こえてくる・・・

    という奇妙な現象が起きている、お菊の死後からはじまる。舞台はお菊の死んだ井戸。ここには、井戸を勝手に仕切る男がおり、そこへ井戸から聞こえてくる奇妙な声を聞こうと井戸にやってくる若者らがやってくる。

    男はお菊の声が聞きたければ金を払え、死にたくなければ耳栓を買えと言う。金を払うことにはしぶしぶ了解した若者だったが、耳栓まで買いたくなかった若者らはお菊が皿を10枚数えた時にポックリ死んでしまう。
    耳栓を買う金をケチったからだ、と呆れる男と、自分にも分け前をクレとねだるお菊。

    幽霊と金にセコイ男がグルだったという視点が面白い。
    強いと言えば、この男に播磨を呼び出しさせて、懲らしめてやるところも見てみたかったかな。

    ●品川心中
    住み替える金がなく自殺を決めた花魁のお染は、貸本屋の金蔵を道連れにして心中を決める。お互いの首を剃刀で切りあって自殺しようとするのだが、金蔵が嫌がるので品川湾から飛び込み自殺することに。
    モタモタする金蔵を突き落とし自分も死のうという時に、金が出来たとの知らせが入り、お染は死ぬのが馬鹿らしくなって金蔵を置いてサッサと引き返す。
    オフィシャルな品川心中はこの後、金蔵の親分と弟が出て来てお染を復讐することになるが、イエ・ドロの品川心中では、浅瀬の品川湾で死ななかった金蔵がこの次の演目『幽霊の辻』で自ら幽霊になりすまし、お染を騙す。

    ●幽霊の辻
    堀越村への道程を茶店の婆(この物語のなかでは爺)に聞くお染は、通過する場所に纏わる怪談話を聞かされる。
    この演目はYoutubeにUpされている桂枝雀のヴァージョンと語り口調がほぼ同じだったとおもう。
    池の前を通りかかると「遊びましょ」と間引きされた子や死んで生まれた子どもらから声をかけられ池にひきづりこまれる、『水子池』の怪談話に変化はないものの、二番目の追いはぎの犯人扱いされて村人らに首を斬られた侍の怨念か、地蔵の前を通りかかると地蔵の首が頭に吹っ飛んでくるという『獄門地蔵』は大幅なリメイクがほどこされていた。

    それは、この原っぱで昔戦があって、50人もの戦士が死んで、村の人たちが供養するために地蔵をピラミッド式に並べた。
    夜になると首のない将軍らが鎧が擦り合わさる音をガシガシたてて、通りがかる人の背後からついてくるらしい。彼らは首から上がないので何もしない。しかし、通行する際、そこにいる人を全力で踏みつぶす・・・というもの。
    この話はシュールでかなりおもしろかった。しかも、「ということを、ちょっとお知らせしておきます。」のキメゼリフも入り、爺のしたり顔も相まって、とてもよかった。

    この後の展開もオフィシャルとは異なるものだった。
    あの世の入口としてセッティングされた『番町皿屋敷』の『井戸』に幽霊のフリをした金蔵が現れて、死んだはずの金蔵の姿をみたお染が腰を抜かして物語は終わる。

    ●粗忽長屋
    浅草寺に詣に来た八が、通りでみかけた身もと不明の死体を、友人の熊八だと確信し、熊八を連れて現場にやってきて・・・。

    原典では、八と熊八は同じ長屋に住んでいるという設定になっているが、イエ・ドロでは子どもの頃から兄弟同然に親しくしている仲だという風に改変されているため、説得力があった。

    ふたりのすぐ横に転がっている身もと不明の死体を熊八だと信じて疑わない八と、八の言うことに疑問を持ちながらも信じてしまう熊八。両極端な自意識を持つふたりのかけあいが面白い。
    これまでの疾走感とは打って変わって、じんわりと見せた人間ドラマだった。

    「死体を抱きしめているのは確かにオレだが、抱いているオレは一体だれなのだろう?」というオフィシャルの〆ゼリフを「自分は一体誰なのだろう?」という言葉に書き変えていたのも興味深い。

    最終的に番町皿屋敷、品川心中、幽霊の辻の3演目をくまなくリミックスする構成は斬新だった。普段からこういうスタイルで作演しているのだろうか。
    温故知新というか、古典を踏襲しつつ、座布団に正座のスタイルから立ち上がり、3Dで創作するのはとてもいい試みだとおもう。

    白塗りで着物でお江戸でコミカルというと私などはどうしても志村けんのバカ殿様なんかを連想してしまう。
    そういえば白塗り男性が時折口をンっとすぼめる仕草は、志村けんのそれと非常によく似ていたようにおもう。

    挿入音楽も、三味線ではなく、映画『黒猫と白猫』のサントラや洋楽を使用していて和洋折衷な感があって個人的にはとても好み。

    たとえば少し日本舞踊的な動きや早乙女太一ばりの流し目を入れたり、お決まりの曲で踊る、などの定番が入るともっと面白くなりそうな予感。
  • 満足度★★★

    毎度お馴染みの…
    時節柄、怪談系の噺も交え、お馴染みの白塗りスタイルでの4編。
    新ネタの「そこつ長屋」で熊公の名が出る度に「がおー」と合いの手が入るのも愉快。
    ラストにアイデンティティについての一言を附加して考え落ちにしたのは賛否両論あろうがこれもアリと思う。

このページのQRコードです。

拡大