蟹 公演情報 」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★★

    一見の価値有り、大満足
    昨日16日の初演を見ました。
    この劇団の公演を見ること自体が初めてで、劇場は昔のベニサンに似ているし、案内してくれる劇団員も(皆さん礼儀正しい感じの方ばかりですが)、怖~いメイクをしている方が多数おり、チラシの雰囲気も相まって、アングラ的な芝居を見せられるのかな?と思っておりました。
    しかし、始まると、戦後の荒廃した街を舞台に、熱のこもった演技が繰り広げられていきます。
    そしてさらに、もう1つ熱のこもっているのが、演出、特に舞台装置です。
    舞台上に水が張ってあるだけでなく、劇が始まると雨も降ります。これが台詞や役者の動きとも呼応して、非常に効果を上げています。
    数年前見た蜷川演出のエレンディラでも雨が降りましたが、こんな小劇場(失礼)で、それ以上のことをやるなんてすごい!
    基本的には悲しいお話ですが、でも笑いの要素もちりばめられていて、人間・人生の悲喜こもごも、を感じさせる内容です。
    あえて1つだけ不満を申せば、結末部分、もう一工夫できなかったかな、ということ。もちろん悪くは無いのですが、そこまでの筋書きの推進力から考えると、(難しいとは思うが)何かあっと言わせるものが作れるような気がしまして・・・。
    でも、一見の価値有りの芝居であることは、間違いありませんし、大満足でした!
    初心者でも演劇マニアでも楽しめる内容と思います。

  • 満足度★★★★

    迫力あって
    良かった!

  • 満足度★★★★

    水族館劇場みたいなセットだった「蟹」
    本水を使用したスペクタクルな作品舞台という言葉通り天井から落ちる水滝。それらを受ける池はどうやら海に繋がっているらしい。会場入りして、滝のように落ちるセットを見たときに、「をを~、水族館劇場だ~。。」などと心でつぶやく。ま、規模は水族館劇場には適わないが・・。


    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    捨て子を拾って育てる集落があった。その子らの面倒をみてきた婆。人は属性によってその生き方が決まるといわれているが、この物語は廃炭鉱を住まいとする住人らと、その廃炭鉱の奥にある陸軍・山田部隊が隠匿したといわれているお宝を奪おうとする「博多築港社」の雇われヤクザとが織り成す情景を描いたもの。

    廃炭鉱の奥の海に続く底には無数の蟹がまるでお宝を守ってるかのように張り付いている。その蟹を食べる廃炭鉱に住む酔っ払い女のボウボウ。そしてこの蟹の好物が人間の死体という。なにげにリサイクルだ。笑)

    そして今回はこのボウボウが顔に馬鹿殿みたいなメイクをしてコミカルに演技する。今回の桟敷童子はコメディかしら?と思ったほど、ボウボウが吐くセリフで笑いをとる。だから、今までの桟敷童子とは毛色が異なるが、これはこれで楽しい。案外、コメディもイケルんじゃないかとも思う。

    セットに1年前に使用したトロッコが登場した時にも、ちょっとした懐かしい感動。ただ全体的に桟敷童子特有のあの世とこの世の狭間で織り成す不思議色ロマンがなかったように思う。だから毎回導入する、これまた独特のあっちの世界のような歌が聞けなかったのもちょっと残念。

    照明が特に素晴らしい。そして今回も「精一杯生きる」という言霊のようなバイブルを突きつけた舞台だった。
  • 満足度★★★

    みた
    以前みた『黄金の猿』と結構なんやかやとかぶってて、だからもっと意表を突いて欲しかった。
    中盤の、芝居が下手云々のくだりがすごく良かった。ああいう人物の使い方の意外がもっとあれば。
    会場も、役者もすごくいいから、欲を持ってしまう。

  • 満足度★★★★

    今回も土着的パワーが炸裂
    時代背景は比較的新しめだが、庶民が秘めた土着的パワーが発揮されるクライマックスはいつもながら圧巻。
    また、冒頭から半端ではない量の本水を使うのはいかにも夏向き?

    ネタバレBOX

    声色を使い分けた板垣桃子のキャラもイイが、あのメイクはまるで*げ*夫じゃん!(笑)
  • 満足度★★★★

    桟敷童子初見。行って良かった!!
    前から気になっていた劇団。あともうひとつの機会がなく、観劇を見送っていたけれど、Corich メンバーの絶賛のコメントを見て、決心しました(笑)。ホント行って良かった。作りこまれた独特の濃い世界観は、劇団という枠組みで芝居創りを続けるならではの味。そして池下重大さん。まだ若いのに立ち姿だけでロマンやら哀愁やらその他人生の苦い味だったりを醸し出せる俳優は稀有な存在だと思います。今回はCorich に感謝!

    ネタバレBOX

    あえて難をあげれば、ベタなストーリー展開(主役である兄弟の育ての親にあたる登場人物が乱闘の最中に死ぬところなど)は、劇団のリピーターになる上では個人的にはマイナス点ですね。「次の公演も似たような話かな」と思ってしまいがちになる。まあ、これは好みの問題が大きい部分ですが。
  • 満足度★★★★

    蟹が赤いわけ
    劇団桟敷童子ってほんと関心しちゃいます。今回は水。ステージの作り込から劇団員が手掛ける。スゴイ。客入れから劇団員さんたちの意気込みも感じられ、看板女優の桃子さんの演技がこれまた迫真に迫りいうことなし!!

  • 満足度★★★★★

    生きる、精一杯生きる
    「待ってました」と大向こうから声がかかりそうなほどの、桟敷童子らしい物語と展開。
    今回も(いい意味での)泥臭いセンチメンタリズムが溢れる。

    そして、何よりも、役者の面構えと気迫がビンビンと伝わる。
    それを観に来たと言ってもいいかもしれない。

    約2時間。倉庫の会場なので、かなり暑くなるかと思っていたら、そうでもなかった(夜の回)。

    ネタバレBOX

    終戦直後、元海底炭鉱のあった寂れた集落に文雄と恒幸の2人の復員兵が帰って来る。そこには彼らが知っている者、彼らを知っている者はいなかった。

    そこへ博多築港社に雇われたヤクザたちが現れ、自分たちのところの娼婦が襲われ、その犯人は、この集落に逃げてきたと言う。
    集落の者は誰も心当たりはないのだが、娼婦たちの首実検の結果、復員兵の1人、文雄が犯人であると断定し、彼はやっていないと主張するも、ヤクザたちに連れて行かれる。

    そんな中、集落に膳所婆が孤児を連れて戻ってきた。膳所婆は孤児を見つけると貧乏な集落に連れて帰って来るのだ。先の復員兵たちも実はこの膳所婆に連れられてきてここで育ったのだ。しかし、膳所婆は記憶がなくなっていて、2人ついても覚えていない。

    ヤクザに連れて行かれた文雄は、リンチを受け、やっていない犯罪を認めてしまう。

    その頃、集落には、被害者だったはずの標、千景、ミヒロの3人の娼婦が逃げて来る。彼女たちは、集落の人々に本当のことを話し始めるのだった・・・。

    そんなストーリー。

    今回も丸太を多様して組み上げられた舞台が、凄い存在感を見せてくれた。
    一見、ごっつい作りなのだが、実は隅々まで気を遣い、よく出来ていると感心する。落とし穴やトロッコなど、大道具の力量もうかがえる。こんなセットを組み、水を大量に使える、いい会場を手に入れたなぁと思う。まさにベニサンピットなき後、桟敷童子にふさわしい会場だと思う。

    その舞台の上では、役者たちが汗を流し、いい面構えと気迫を見せてくれる。
    「そう! これこれ!」という感じだ。

    特に、ボウボウを演じた板垣桃子さんと、標を演じた中井理恵さん、それに文雄を演じた池下重大さんは、本当にうまいなぁと思うのだ。膳所婆を演じたも鈴木めぐみさんは腰が大変だっただろうなぁと思ったり。
    今回は、男2人が中心にあり、文雄と恒幸(松田賢二さん)のやり取りが熱いし、強い。いままでは、ひと目で弱者とわかる登場人物が、物語の中心に据えられていたような気がするのだが、今回は、見た目の弱者ということではなかった。
    もっとも、ここには結局「強者」は出てこないのだか。

    役者たちが、常に気を張っていて、立ち位置は当然のことながら、その姿勢までもきちんと制御され、「画」として成立させる細かい演出もいい。

    全編博多弁(たぶん)で繰り広げられる物語は、(いい意味での)泥臭いセンチメンタリズムが溢れ、(いつもの)ウェットな感じが醸し出されていた。

    文雄と恒幸は、故郷とも言える集落に帰ってきたものの、会いたかった膳所婆は、記憶を失っていた。しかし、彼ら2人は、「不味い」と言いながらも膳所婆の作ってくれたすいとんと芋の煮っ転がしを楽しみにしていた。カレーライスを「うまかった」と言う文雄の言葉などの、そんなエピソードが染みるし、だからこそ膳所婆のラストの台詞には泣けるのだ。
    孤児役の外山博美さんの澄んだ歌声が荒んだ集落に響くのもいい(外山さんは、少年役からおばちゃん役まで、どんな役でもぴたっとくるのがいつも不思議だ・笑)。

    今回は、ボウボウにより、笑いの要素がいろいろとあった。ベタすぎる笑いもありつつも、そのボウボウが単なる道化の役割でないあたりが、脚本がうまいと思う。

    印象的なオープニング、そして歌、物語の展開とセンチメンタリズム、さらにスペクタクル的なラストという方程式は、ある意味、ワンパターンなのかもしれない。つまり、ストーリーの展開はわからなくても、行き着く先はなんとなく見えている。また、そういう状況の中で誰が死ぬのかが、「おきまり」的な感じと要素でもあり、その展開にやや強引すぎることもあるのだが、それに違和感はない。

    なんとなくのパターンが見えてくるのだが、それでも「また観たい」と思ってしまうのはなぜなんだろうと思う。
    もちろん、物語としての語り口のうまさは当然あるのだか、その理由の1番には、「人」の要素が挙げられるだろう。ドラマを越えた、「人の存在感」のようなものが、いつも桟敷童子の舞台にはあると思う。
    それは、単純に「役者の姿と佇まい」と言ってもいいかもしれないし、物語の根底に流れる「人が生きること」と言ってもいいかもしれない。

    今回、何度が語られる、「海の底の町に行くには、精一杯生きなくてはならない」という台詞が効いているのだ。

    泥にまみれても、這いずり回っても、「生きていく」という強い意志が舞台から感じられる。それがいつも舞台の根底にある限り、私は「桟敷童子をまた観たい」と思い続けるだろう。

    今回の『蟹』というタイトルから、ラストは大量の蟹が出てくるのかと思っていたら、そうではなく、そこだけはちょっと残念(笑)。
    海底炭鉱の爆発により、人骨とともに海から蟹が現れたら(トロッコに少しだけ付いて出てきたが)、さらに意味が付加されて面白かったと思うのだ。

    大量に降り注ぐ水や、プールになって張ってある水に、ずぶ濡れになって演じている様は、演じるほうも陶酔感があるのではないかと思ったりして。

    細かいことだが、復員兵に米軍の軍服らしいものを着させている配慮もうまいなぁと思ってしまう。

    直接の舞台の内容とは関係ないが、毎回のことだが、ここの客入れと客出しはとてもいい。
    開演のギリギリまで、役者さんたちが総出で、客入れをしている。その声のかけ方も「いらっしゃいませ」だけでなく、気持ちを込めて迎えてくれているという意識が伝わるような言葉をかけてくれたりする。それだけで、本当にうれしくなるし、観劇の気持ちもさらに高まるのだ。
    客出しも同じで、気持ち良く送ってくれる。こちらも「ありがとうございました」と頭を下げてしまうほどだ。
    そんな気持ちにさせてくれる劇団だから、やっぱり、また観たくなるのかもしれない。

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