桜姫東文章 公演情報 桜姫東文章」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-7件 / 7件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2023/02/02 (木) 18:00

    タイル張りで段差のあるセット、客席に対して斜め向き、くすんだ色のカーテン(定式幕的な使い方だったけど浅葱幕っぽかった)、開演5分前アナウンス後、演者たち自ら細々としたセッティングをしに出てくる。
    近くの人が「昔のお風呂みたい」と言っていたけど、このセットはたぶんプールじゃないかな。大きな窓、青を基調にしたタイル、大きな浴槽のような部分から突き出た鉄の手摺...これはプールに入る時に使うあの梯子に違いない。室内プールだと思う。朽ちてボロボロになった。
    衣装はクラブにいそうな、渋谷系やお兄系。高貴な身分の桜姫と僧侶たちはファーを身に纏う。お付の局はしっかりしたロングコート。庶民になるにつれスカジャンやダメージジーンズ、柄シャツなどになっていく。侍は革ジャン。

    木ノ下歌舞伎は初めてなもので、毎回こういう感じなのか今回だけなのかわからないけど、あえてテンポ感を外した間をたっぷり使う演出。今何待ちですか?みたいな時間がちょいちょいあるけど、それが次第に気にならなくなっていくしその間が心地よくすらなっていく。台詞もあまり感情的にはならず一本調子、棒読みともとれるような「演じている感」がない。全員がほぼ出ずっぱり、袖に入っても裏を通ってすぐ出てくる、そして各自次の出番を待ちながら端っこや舞台ツラに寝転がって屋号を呼んだり時には笑ったりしながら演じる仲間を見ている。稽古場のようにも感じた。開演もシームレスなら演じている時とそうでない時の境もシームレス。

    ネタバレBOX

    舞台奥に「発端」「序幕」といった文字が浮かぶ。それだけじゃなく、その幕のあらすじ、なんなら結末まで説明しちゃう。簡潔な言葉で事実だけが書かれた文は内容知ってても不思議と驚きをもたらしてくれて時々クスリと笑えてしまう...特に清玄ね。無実の罪はきせられるは川に落ちるわ落ちぶれるわ殺されて生き返ったのに恋敵の掘った自分用の墓穴に落ちて死んで、死んでもなお桜姫にとりついて惨めな醜態を晒す、白菊を独り死なせた報いでとにかくボコボコにされてて可哀想なんだけど出てくる度に「桜姫に迫り川に落ちる」とか「桜姫に迫り穴に落ちて死ぬ」とか展開が突き抜けてて面白くなっちゃう。「穴に落ちて死ぬ」はかなり客席から笑い起きてた。そして死んだらあんなスクリーム顔の風船になるなんて思わないじゃん(笑)風の音がうるせえ(笑)2回目出てきた時は本当に清玄として命が(死んでるけど)宿ってるみたいに見えたの不思議。桜姫の言葉に反応してるように見えた。それ見てめちゃくちゃ楽しそうに肩震わせて笑ってる成河さん可愛い。
    屋号も個性的でさぁ、桜姫の紅<べに>屋はまぁ綺麗で良いと思う、成河さんもなんかそれっぽい感じで、問題なのはダルメシアン、シルバニア、ポメラニアンだよ(笑)なんだそれ可愛いな!あと「御両人」じゃなく「ニコイチ」てかけるのもズルい(笑)なるほど!って思ったけど面白すぎるだろ!
    中村橋吾さんが所作指導ではいってるから立ち回りはしっかり歌舞伎的な動きがついてた。キッパリしてた。
    ただ、それ以外は無表情無感動、視線が明後日の方や舞台に立っていないまわりの演者に向いてる、変な動きで、これはたぶん、歌舞伎ならではのあれこれを誇張してるのかな?って思った。あまり大きく表情を動かさない、台詞に独特の調子がある、客席からそう見えればいいから役者同士は目が合ってない、驚きや怒りやキャラ付けまで大きく誇張した観せる動きをする。役によって特定の動きをしていたから、キャラ付け的な部分が大きいのかも。背伸びするとか中腰で腕をぶらんとするとかゆらゆらするとか。
    歌舞伎版の言葉も使いつつ現代語訳も交えつつ、前半そこまで桜姫の言葉遣い古典こてんしてなかったと思ったけど後半権助と再開した時にはめちゃくちゃ姫言葉だったの、あれは後々言葉遣いがはすっぱになる部分をわかりやすくするためなのかな?前半「自らは」とか言ってなかったよね?
    壁にたてかけられた姿見が舞台装置にもなり、早替え用の化粧前にもなり、端に置かれたベンチも控え場と見せかけて突然本舞台になる。セットの転換も小道具の準備も衣装替えも決して急いでる様子は無い(清玄権助の早替えだけ急いでる感じあった)出番の直前まで座ってて役名を呼ばれてから立って刀さして出ていくみたいな余裕があった。なんというか、とても不思議な空間だったな。あれを成立させられてるのがすごいよ、普通成立しないよ、なにこれってなっちゃうよ、でも成立してる。成河さんがメルマガで言ってたのはこういうことだったのかもな。
    非人に寺の使いが百両持ってきた時の箱がAmazonだった。
    発端の清玄と白菊を探すそれぞれの捜索隊が少し離れた場所からぽつりぽつりと声をかけあうシーン、なんだかすごく異様だった。普通に芝居したら1分かからないようなやり取りなのに一言ごとに奇妙な間があって、それが彼らの戸惑いを表してるようでもあったしなんだかぐにゃりと捻れた回想のようにも思えた。清玄と白菊の会話も一本調子で、それなのに不思議と惹き付けられる。ゆっくり、ゆっくりと崖へ向かっていく2人のじりじりとした足取りやしっかりと互いを掴んだ手から緊迫感が伝わる。そこから白菊だけ落ちた時の「あ、」という清玄の間の抜けた声や「南無阿弥陀仏」の白々しさにギャップがあっておもしろい。
    権助と桜姫の出会いの場面で、桜姫の「捨てて」「来て」というお嬢様らしい上に立って人に命じることに慣れている言葉遣いが最高に痺れる。腕の刺青もっとよく見たい、歌舞伎のわかりやすい釣鐘と桜じゃないのよ、でも台詞では「釣鐘に桜の入れ黒子」って言ってるからなにか関係している図柄なのだろう思ってるんだけど...半月っぽい形の下にミミズののたくったような線が描かれてて、一体あれはなんなのか。歌舞伎の女性は積極的、というのを権助に大人しく組み敷かれるだけじゃなく自分から着物を脱いで乗っかっていくという演出で表現していた。かっこええ。
    歌舞伎版桜姫を前半しか観ていないもので後半の物語は完全初見だったのだけど、あんな可哀想な男女が出てくるなんて聞いてない!小雛ちゃん可哀想すぎるよ!お父さんも途中で気付いたんだな、身代わりだって、だから娘の首を斬った。台詞にもあったけど歌舞伎ヤバいよね(笑)ヤバいとは言ってなかったけど、こういう身代わりで首斬るとかえげつないことよくやるよな歌舞伎って、みたいな台詞だった。三人吉三もだけど、ほんと身代わりの2人はいい迷惑だよね。なんなら三人吉三の2人は畜生道に堕ちたのを兄が救ったという見方もできるけど、桜姫の2人はなにもしてないのに難癖つけられて殺されて本当に可哀想。しかもこの身代わりは失敗するし。奴ここで死んでたのか...残念だ。
    青トカゲの毒を飲ませる、ていうのはどっかで見たことある気がする。別の芝居にも出てくるのかな?
    可哀想な人ではあるんだけど、清玄煩悩まみれであんまり同情できないんだよなぁ(笑)やらせてくれ、じゃなきゃ死んでくれってほんとどうかしてるのよ。
    桜姫の子供が巡り巡って結局桜姫のところに帰ってきちゃうのも歌舞伎だなー!って感じした。お十さん、我が子を失った悲しみから引き取ったはいいけど、生活苦なのかなぁ、捨てるとか酷い。
    寄り合いに行きたがらない権助「今日はなだ万の弁当が出るぞ」と言われてすっ飛んで行った🍱
    最後の最後、きっとあのラストシーンは歌舞伎版とは違うんだと思う。歌舞伎っぽくなかったから。権助と我が子を家族の御家の敵として殺すところまでは原作通りなのかなって思ったけど...殺したあとに家宝の都鳥をぽいっと投げ捨てる(きれいにプールの中へ落ちてった)のは現代的だなと感じたから。歌舞伎なら間違いなく家宝は家に持ち帰るはずだし、身を隠してる弟と再会も有り得る。投げ捨てた瞬間の桜姫の吹っ切れた表情と舞台奥から投げられた「ハレルヤ!」で不思議とスッキリした気持ちになった。開放感。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2023/02/11 (土) 18:00

    開演前、当パンを見ると人物相関図が載っていてありがたいけど、込み入ってる上にキャストが皆さん複数の役で登場するらしい。ちゃんとついていけるか、やや不安になる。

    ステージ上に廃墟となった劇場があり、そこで演じられる桜姫の物語。棒読み調の台詞や寝転がる出演者に最初は戸惑ったけど、なんていうかその外から見ている感じと激動の展開との温度差が面白く感じられて。結局は怒涛の物語性と俳優陣の魅力が印象に残る舞台となった。

    上演中、キャストはずっと出ずっぱりであった。(舞台上の)廃劇場のステージを降りるとその周囲に座ったり寝転んだりしつつ他の人の芝居を観て、水を飲んだり風船ガムを膨らませたりしながら大向こうをかけたりする。その大向こうがタイミングよく、ときに面白くて笑いを誘ったりもした。

    禁断の恋から始まった桜姫の物語は、巡る因果と濃厚な人間関係を平坦な現代語訳で綴りながらさまざまな仕掛けによって古典のあり方を揺るがしたりなぞったりしつつ進んでいく。平坦さの中に浮かび上がる様式美と運命に翻弄された人々の悲哀が観終わってからも胸に残った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    本年屈指の話題作の登場である。
    木ノ下歌舞伎が岡田利基で桜姫をやる。どうなることか、と芝居ファンは固唾をのむ。
    これまでの芝居狂の方々の「見てきた」のように、意外にオーソドックス。いつものようにほぼ満席の劇場だが、いつもはあまり見ない若い男女が多い、これは成河、石橋静河のファンだろうが、こう言う芝居の出来る役者のファンと言うだけあって、場内皆固唾をのんでいるジワが、開幕から続く。こう言う小屋の緊張感は、なかなか味わえない。若い人たちにとっては単に「モノメズラシサ」かもしれないが、モノメズラシサは芝居の出発点だ。
    総評から言えば、一番は、この役者二人の大出来が一番だろう。最初の出会いで、成河が桜姫に惹かれてふっと立ち上がるところ、様式化されていない現代演劇の美しさ。最後の桜姫、清玄二人だけになって、ここだけはチェルフィッチュ風の見せ場になるが、振り付けも良いが、二人の役者としての切れも良く素晴らしい幕切れになっている。
    演出がメタシアター仕掛けになっていて、それぞれに数役を兼ねる他の役者も全員舞台に出ずっぱり、下座は電子楽器一本で始終音が出ていてこの演者(荒木優光?)も出ずっぱりで、生身と役を往復して大健闘ある。軍助の谷山智宏,変ななまめかしさを見せるお十の安部萌。普通の芝居と全然違う間の作りがうまく、俳優の現実の肉体と役を、距離を持ちながらも往復する意味が、よくわかるように演じられている。たいしたものだ。
    本は木ノ下が補綴したものを、岡田が上演台本にしたようだが、とにかく南北の原作に従ってちゃんと七幕まである。大歌舞伎でも見たことのない場があるが、物語はどんどん進む。桜姫は、今は南北の代表作のように言われているが、初演以後はほぼ百年お蔵に入っていたという難物。昭和になってからの復活も、孝夫・玉三郎の京都南座の大当たりまではさして受けていたわけではない。要するに話に「実は」が多すぎて、時代劇というハンディもあって、見物はついて行けないのだ。ここ四十年の名作である。
    岡田利基は、その難しさを、チェルフィッチュガ開発した「今から何々をやりまーす」と宣言してから演じるという「三月の五日間」の手法で解決した。舞台中央に縦型のスライド映写のスクリーンがあって、シーンが始まる前に次のシーンの登場人物とあらすじが投影される。そこから周囲に控えた俳優が舞台でその場を演じるのだが、この流れが非常にうまくいった。木ノ下歌舞伎で、よく、始まる前に芝居の予告編と称して、全編の登場人物と見せ場を見せてしまう、という手を使っているが、これがこの複雑怪奇な演目によく似合って
    成功している。これを見ていると、ホントは、場の設定だけ出来れば、スジはどうでもいいのではないかとさえ思えてくる。しかも、この上演に関してだけ言えば、このメタシアターの作りともに合っているのだ。期せずして、古典から現代への見事な通路になっている。
    岡田利基はパンフでも今作は、古典を現代に翻訳しただけ、といっている。あまり解釈批判を避けて、と言ってもいるが、本人も言うとおり、それは避けられないから、いろいろな意見が出てくるだろう。コクーン歌舞伎の時だってその批評では大げんかがあった。今回は、周到な出来だから、あまり大きな論争は起きそうにはないが、やはり、これは現代の若い世代のトップスター的な演劇人が、難物の古典に取り組んだ成果の一つとして財産にしていきたいものだ。
    と書いたところで夕刊が来たので、開いてみたら朝日新聞の夕刊にこの劇評が出ている。全くとんちんかんな劇評で、見てもいない初演時の俳優の心境を元にこの芝居の原点にし、俳優を共演者すべてをなぎ倒す者をよしとし、相対主義が役者の演技をも解体すると断じ、全体を虚無的な芝居ごっこであると結んでいる。他にも短文の中にワケのわからんことを権威に寄りかかって得意そうに言いつのっている!木ノ下も岡田もこの筆者よりは年下だろうが遠慮することはない、反論するなり、からかうなり、言ってやらないとこの貴重なトライアルが無駄なものになってしまう。馬鹿につける薬はないと笑って許すんじゃないよ!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2023/02/05 (日) 13:00

    途中休憩15分を含め上演時間3時間15分。
    中央通路のすぐ後ろのほぼセンターという絶好の席での鑑賞。

    鶴屋南北作で1817年に初演後は長らく再演されなかったものの、昭和2年(1927年)初代中村吉右衛門が川尻清譚の脚色により復活上演し、戦後も六代目中村歌右衛門、四代目中村雀右衛門、五代目坂東玉三郎らによってたびたび演じられる人気演目となっているが、殊に玉三郎と十五代目片岡仁左衛門(当時・片岡孝夫)による上演は「孝玉(たかたま)コンビ」と呼ばれて大人気になったことが記憶に残っている。

    そもそも話の発端が修行僧・清玄と稚児・白菊丸との心中未遂であり、清玄が高僧となってからは出家しようとやってきた吉田家の息女・桜姫を白菊丸の生まれ変わりと信じて関係を迫り、一方桜姫は1年前に強姦された時の快感が忘れられず強姦した男と同じく二の腕に釣鐘の刺青を彫っている、などとかなりのドロドロの愛欲人間模様が繰り広げられる。

    こうした物語を展開する手法として演出に招かれた岡田利規が採ったのはこれまた驚きの方法だった。
    基本的に額縁舞台であるが、舞台中央寄りのやや奥に調整卓(に思えたが、どうやら電子ピアノだったようだ)があり、全体として劇団の稽古場かセットが組みあがった劇場といった様相で、場当たりもしくは通し稽古が行なわれている風情。演技する役者の台詞廻しはほぼ棒読みで抑揚にも乏しい。演技していない時には舞台前方や横手に寝転がったり、座ったりしており、時折見せ場と思われる個所で「●●屋」などと掛声を発するも、どこか投げやりで形だけ、タイミングもいまひとつだ。歌舞伎の様式美を徹底して拡大し、現代演劇との違いを批判的に表現しようとしているかのようだ。

    あらかじめその場面の展開が簡潔な文章で字幕表示されることもあって、物語の筋はわかりやすいし、前述したようにドロドロの愛欲劇だけに面白い。

    前述のように台詞はほぼ棒読みであるため、演技力があるのかないのかよくわからない。が、終始感情を交えずに棒読みするのも困難ではあろうから、その意味からはよく演じていたのかも。因みに桜姫役の石橋静河はの石橋凌・原田美枝子夫妻の次女である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    感情表現を極力抑え、ホンの骨格を浮かび上がらせる演出。その分、要所要所の感情が際立つ。桜姫と清玄が川辺ですれちがう哀れさや、次々と人を殺し殺されてゆく非情さ。四世鶴屋南北の描いた陰惨さがいっそう印象強くなる。感情移入を排批評的に見ることを観客に求めた演出である。
    その場の結末を事前に観客に示す字幕や、ブレヒト幕の使用など、ブレヒト的演出といえる。舞台セットが客席に対して斜めになっているのも、斜に構えた観劇を促すものだ。口コミを見ても賛否両論あるが、擁護派とアンチの両方いること自体が斬新な舞台の成功を語っている。

    初演以来一度も上演されていない三幕も演じた意図も、陰惨さの協調にあるだろう。この幕ではまだ少年少女の半十郎と小雛が、「不義密通」を働いた濡れ衣で、それぞれ兄と父に斬られる。実は、幼い主君と桜姫が指名手配されているので、その身代りの首を作る狙いだった。不条理と哀れも極まれる。
    逆に最後はかたき討ちを果たして大団円とWikiにあるが、岡田利規演出では、省いた。殺して、そのまま幕で、あっけない終わりである。

    自分を無理やり強姦した男・権助を桜姫が愛している倒錯は見る前からわかっていた。芝居を見て、桜姫のせいで「不義密通」の濡れ衣を着せられた清玄も、恨むべき相手を恋い慕う倒錯に陥っていることが分かった。自分のセリフで「恨むべき相手なんだけど」という。これは南北の原作にはないのではないだろうか? 南北は、恋した稚児の生まれ変わりを追い求める清玄を書いたというから。

    3時間15分(休憩15分込み)。歌舞伎座でやった公演のシネマ歌舞伎は4時間20分ある。通し上演で、しかも歌舞伎座では省いた三幕(20分くらいある)も入れて正味3時間に収めたのはうれしい。おかげで枝葉がなくなり一層骨格がはっきりした。衣装もジーパンやランニングシャツなど、現代の普段着で、装飾を排していた。

    ネタバレBOX

    最後、権助が父と兄の仇とわかるや、桜姫が、権助との間にできた赤子を「仇の子は仇」と、何のためらいもなくグサッと刀で殺すくだりはびっくりした。
  • 実演鑑賞

    上演時間は約3時間15分(15分休憩含)。

     半ば廃墟の和洋折衷の公衆浴場を芝居小屋に見立て、そこに集った
    芝居好きだが演技はずぶの素人?の今風の若者たちが歌舞伎の真似事をしている。
    浴槽と洗い場のある浴室辺りを(「黒御簾」や「床」に当たる所も含め)舞台、
    脱衣所辺りを待機中の役者が後見や観客役を兼ね見物休憩する袖兼客席、
    その間付近を引幕で仕切ってできた大まかな劇場空間で起こっている
    芝居も含めた出来事を悉く隅から隅まで、実際のお客さんが客席から
    観察しているという二重構造meta構造の仕掛けが施されているとみるのが
    素朴な観方か(従って、幽霊が出るのもあり、待機中の大向こう?の
    観客役の役者から舞台上で奮闘中の役者へ、例えば、べにヤ、いなげヤ、
    ダルメシアン、セカチューもといセケチュー、ニコイチ、待ってました、
    久しぶりなどと掛け声がかかるのもあり)。

     古典歌舞伎へのリスペクトも込め話の内容がよく分かるように
    創意工夫されている演出。ただ、これまでの木ノ下歌舞伎でよくみられた、
    つかこうへい芝居張りの多少のムリスジも押し通すあの勢い、熱量、
    テンポのよさ、躍動感や高揚感に溢れた作品からはかけ離れるが、
    その分、各場面に応じてreal実観客との適度な距離感の調節が行われていて
    (ただ、終盤になるにつれこの制御が利かなくなりつつあるが、意図的か)
    どちらかというとフラットでコンパクトな作りになっている。
     これまでをdynamic動的とするなら、今回は全体としてはむしろ
    static静的に近い作品という印象あり(もちろん、いわゆる本来の歌舞伎に
    比べればはるかに動的。静かな脱力系の『熱海』や『蒲田』を観ている
    感覚に近い。ただ、深淵に沈み、また浮かばぬままの撃沈組が奏でる
    健やかなBGMが終始耳に入ってきていたことも否定しないが)。

     注意深く観てきた方は、そういえば弟の松若丸はどうなった?
    吉田家は?などと思うかもしれない。しかし、少なくとも公家の姫である
    桜姫がジェンダーの縛りをこえ、これからの自分の運命は
    自分で切り拓くといった自立意識、自我に目覚めたとするならば
    (いかにも近現代的観点だが)、今回の幕切れ結末はそんなことは
    どうでもいいことと物語っている気もする。

     また、細かいことで記憶が不鮮明なため間違っていたら申し訳ないが、
    引幕の色柄が薄鈍色というかくすんだ白色から淡い青色へ開演時と終演時で
    変わっていたような。町内の寄合の出席を渋る権助の出席への決め手が、
    八百善の仕出し→なだ万の弁当
    に変更されていたのには気づいたが。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    ネタバレ

    ネタバレBOX

    木ノ下歌舞伎の『桜姫東文章』を観劇。

    解説:
    私にとっての最高な劇団と苦手な劇団が組んでしまうというのが今作の難問だ。
    木ノ下歌舞伎は、歌舞伎の長い演目でも決して端折らず、4時間超えの長いものは長いままで上演するが、音楽、衣装、演出などは毎回様々に変えていきながら、歌舞伎特有の退屈さを払拭するかのように傑作率90%の出来高だ。そこに参戦してくるのが『チェルフィッチュ』である。
    『マームとジプシー』『ままごと』と同世代で、岸田戯曲賞を取り、海外では人気の劇団で、寺山修司や唐十郎などを簡単に超えてしまっている前衛劇団だ。ただ何度も観ても全く受け付けず、観るのを止めてしまったのだ。
    監修・補綴:木ノ下祐一
    脚本・演出:岡田利規

    あらすじ:
    高僧・清玄は稚児・白菊丸と心中を試みるが失敗。17年後、出家を望む桜姫が現れ、彼女こそ白菊丸の生まれ変わりだと確信するが、彼女は清玄には興味すら覚えず殺してしまう。
    変転の末、女郎になった桜姫に清玄の幽霊が現れてくるのであった…。

    感想:
    歌舞伎は時代の世相を反映させながら、因果応報という決して逃れられない人間の性を描くことで観客を魅了し、息を呑むのだ。
    清玄と桜姫の恋愛感情が巻き起こすドラマが始まる序盤から一気にトーンダウンしていく。えげつない人間模様に観客には感情すら持たせない、起こっている変化をただ見つめるだけになっているが、鶴屋南北の戯曲を過剰に解釈せず、そのまま読み解くとそのような作りになるのかもしれないが、チェルフィッチュの作品作りは何時もこうなのだ。だからか批評をしようなんて無理なのである。
    木ノ下歌舞伎を初見の方には不安、ファンには衝撃的であった。

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