ラビットホール 公演情報 ラビットホール」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    良かったです…!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2022/11/09 (水) 14:00

    座席1階

    「ラビットホールに落ちる」という英語表現は「別世界に行く」「本筋から外れる」「抜け出せない道にはまる」という意味なのだそうだ。この戯曲を見て、タイトルの意味を知る。

    劇団昴はこの小劇場でこれまで、チャレンジングな舞台を設計している。今回の舞台は半円形で、客席もそれを囲むような形に並べられた。舞台と客席は2メートルほどと近く、舞台の片側にダイニングテーブル、もう片側にソファという形にして食事をしながら、あるいはリビングルームでくつろぎながらのシーンをうまく展開した。
    4歳の息子を交通事故で亡くした夫婦。妻は息子のおもちゃや服などを捨て続け、夫は時折、息子の写ったビデオを見るなど思い出に浸ろうとしている。だが、どうみても心の傷は妻の方が深い。同じような体験をした自助グループから妻は抜けてしまい、自由奔放に生きる妹が妊娠したことなどに攻撃的になるなど、心の揺れを制御することができない。夫はそんな妻に前を向かせようと「子どもをつくろうか」と向けてみたりするが、妻の態度は変わらず、夫婦の亀裂は広がっていく。まさに、ラビットホールに落ち込んでいくのだ。
    もう一つ、劇中にパラレルワールドについて語られる場面が出てくる。ラビットホールは息子がいる世界といない世界を結ぶトンネルでもあった。
    客席の心を揺さぶる物語が展開していくのだが、こう言っては何だが結末が今ひとつぐっとくるものがなかった。映画とは少し違う物語展開のようだが、このあたりはどうなんだろうか。

    妻を演じたあんどうさくらが見事だった。愛する息子を失った母親としての激しい感情の起伏、抑えられない激情。見ている方が恐ろしく感じるような、まさに「感情」に支配された演技を見せてくれた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    小竹向原のサイスタジオコモネは二度訪れたが大山駅傍のサイスタジオ大山(Pit昴)は初めて。遠い土地(しかも大山駅下車は鬼門)の初訪問は臆するが、行ってみれば駅近でアクセス良しであった。
    同作は今年2月のKAAT公演(小山ゆうな演出)を既に観て「満足」だったので迷う所であるが、戯曲の良さに鑑み観る事にした。昴では以前見逃した「八月のオーセージ」(これもケラ演出版を観て気になっていた)が好評だった事も頭の隅にあった。パンフを見るといずれも田中壮太郎氏演出であった。
    実はこの人の演出作品を一度観たい、というのも念願ではあった(2020年3月日本工学院演劇科卒業公演は氏の演出舞台、初の工学院、しかも見逃してい川村毅作「エフェメラル・エレメント」という事でワクワクの三乗だったがコロナで流れたのは今もって悔しい..!)。
    舞台は期待に違わぬ逸品であった。緻密で鋭さがあるがどこか大らかな要素もある。舞台はこの劇場を横に広く使い、長い楕円の盆に乗せた格好、客席はその楕円に沿って囲む形で一列に並び、隅の方だけ二、三列という組み方。中々の臨場感である。
    大きな劇場での小山ゆうな演出版との違いは、もちろん第一には起用俳優だが、例えば、難しい「感情の動線」を要求される妻役の感情表出の仕方は、演じた役者の数だけ正解があるのかも(昴はあんどうさくら、KAATは小島聖)。
    KAAT公演が優れていたと感じた部分もある。この戯曲が優れているのはこれを書き込んだ事によるとも言える繊細な場面で、その人物の造形あるいは見せ方(相手役にどう響いているのか)の点でKAAT版は
    飲み込みやすかった。ただ、儚く痛々しい人間模様をより赤裸々に彫り出したのは昴版であったと思われ、全体のバランス上の問題であったかも知れぬ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    誰にでも状況の差異はあっても受け入れ切れない死があると思う。夫婦のそれぞれの受け止め方がよう描かれていた。母、妹が背負うものも深い。この二人のセリフが結構気に入っています。

    ネタバレBOX

    あちらの言葉での感情表現が全く馴染めなかった。私だけかも…なんか浮いて聞こえて。会話にリアリティが感じられたら、もっと引き込まれたのかもしれない。セットよく作り込まれていた。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    タイトルのラビットホールって何かな、と思っていたが、作品を観てなるほど、と思った。
    奥が深い作品で、いろいろ考えさせられた。
    役者さん達の熱演に、感動させられた。
    他の人の観てきたコメントがとても良いので期待して行った。
    期待以上で、本当に素晴らしかった。
    観てよかった。
    満足でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    観劇の前に映画版を観ました、これを舞台でどのように表現するのか考えながら観に行ったのですが実に素晴らかったです。役者さんの演技も良かったしセットも立派でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    傑作。
    物語の悲痛さは、説明(あらすじ)から何となく(頭では)理解できるが、それを舞台でどう表現するのか。それも海外戯曲(翻訳)を…そんなことは杞憂であった。

    舞台美術は、本当にその空間で暮らしているかのような精緻な造りであり、照明や音響といった舞台技術も上手い。しかし何といっても役者陣の熱演が凄い!台詞というか言葉に込められた真意、それを激情・激白する姿に感動する。瞬時に反応した台詞の応酬は、本当にそう思っているかのような、ゆずれない芯のある言葉となっている。家族という緊密な関係、そこに亡くなった子への想いを繋ぐ緊張した状況、共感必至の現代劇である。
    (上演時間2時間15分 途中休憩含む)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、円を描くような丸みを帯びたフローリング風の舞台。入口側からダイニング・キッチン、反対側に回り込むようにしてリビングルーム、ソファや本棚がある。舞台中央の客席側に丸テーブル、そして玩具・絵本・ぬいぐるみが置かれている。同一空間に亡くなった子供部屋を作ることによって 子を思う悲しみを漂わせる。精緻な造作だけではなく、そこに込めた想(重)いが切々に伝わる。

    ニューヨークに住むベッカ(あんどうさくらサン)とハウイー(岩田翼サン)。1人息子(4歳)のダニーが事故死して8か月経つ。同じ喪失感を抱いているはずだが、ベッカは子供の遺した服や玩具 絵本を捨て続け、ハウイーは思い出を残そうとする。悲しみを感じる場所が違うかのように衝突する2人の言葉は重苦しい。自由奔放な妹イジ―(坂井亜由美サン)は妊娠し、11年前に息子を亡くした母ナット(要田禎子サン)は今も思い出に浸る。そんな2人の会話も交え、ベッカとハウイーは ますます亡くなった子を思う悲しみと寂しさを増していく。かみ合わない嘆きと悲しみを抱え苦しむ二人。そんな時、ダニーを轢いた少年ジェイソン(町屋圭祐サン)からの手紙が届くが…。

    米国戯曲を翻訳劇としてどう表現するか。日本語の語感が、心理劇としての色濃い内容の真意をどこまで伝えることが出来るのか。頻繁に使われる「OK」は、短い単語であるが、そこには肯定であり、これ以上の会話を拒絶するような意思表示を表す。日本語の中に英語を発する違和感、そこに たんなる感情とは別の意図を感じる。事件ではない、やむを得ない出来事だったとはいえ、誰かをそして何かを責めたくなる感情は抑えられない。その表し難い感情-心の想いを的確に表現した英単語で、上手い翻訳?だと思う。

    登場人物は5人。それぞれが負っている、もしくは負うことになる想いが、一語一句に込められている。同時に言葉に表せない心の内を、表情や仕草で体現する。子供服をたたむ、子のビデオテープを観る、玩具等をゴミ袋へ、何気ない光景のようだが、母であり父である想いが伝わる見事な演技である。勿論、妊娠したイジーの腹部、ナットは孫のジミーと息子を知らず知らず重ねて話す。そんなリアルさスキの無さが巧い。

    ジェイソンとベッカの会話。自分なら息子を轢いた少年と会うだろうか。そんなことを考えた。
    彼が書いた手紙ー小説、その仮(空)想の物語に入り込む。宇宙は無限、そこに存在すると信じているパラレルワールドは、悲しい世界(だけ)ではない。しかし 今いる世界では、子供の物を処分しても、けっして子がいたという事実は消せない。ミラーボールの回転によって星空のような世界が出現する、ベッカは その中をグルッと回って何かを感じる。今後、ベッカとハウイーがどのような生き方をするのか気になってしょうがない。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白かったです。
    劇場に入り、まず舞台セットの見事さに驚き、そして役者さん達の迫力のある演技に、目が釘付けになりました。
    悲しみを抱える夫婦に感情移入しながら観ましたが、私の性格は夫のハウイーの方だなと思いました。
    考えさせられる良い舞台でした。

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