銀河鉄道の夜 公演情報 銀河鉄道の夜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    アットホームな劇場で観るのにふさわしい
    わが家から歩いて行けるもっとも近い劇場が東京演劇アンサンブルの本拠地「ブレヒトの芝居小屋」である。木造のレトロな雰囲気の小劇場で、劇場そのものが「イーハートーヴォ」の世界のよう。別の作品で初めてこの劇場に足を踏み入れたときにもそのような印象を受けた。劇団の後援会名も「ケンタウルスの会」だし、イーハートーヴォを意識した内装なのかもしれない。
    東京演劇アンサンブルは、毎年、この時期に「銀河鉄道の夜」を上演しており、街でポスターも見ていたが、ここでこの作品を観るのは今年が初めて。
    ロビーには劇団員の入れるコーヒーの芳香が漂う。赤、白のワインも供される。「毎年、ここのクリスマス・ケーキを食べて、『銀河鉄道の夜』を観ないとクリスマスが来た気がしないのよ」と若い女性が話していた。エスプレッソのシフォンケーキを雪のようにふんわりと生クリームで飾ったクリスマス・ケーキも、もちろん劇団員手作りで有名店のものに劣らず美味しい。客席に膝掛け毛布を配って歩いていたのは、この公演には出演していないが、何と看板俳優の公家義徳。東京演劇アンサンブルはそんなアット・ホームな劇団だ。
    宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、さまざまな脚色により劇化され、今日も多くの劇団で上演されているが、この劇団の創始者、故・広渡常敏が愛着を持っていただけに、オーソドックスに原作の世界を表現しており、世代を超えて愛され続けてきたのだろう。

    ネタバレBOX

    今回、客席はすべて座布団席(ふだん椅子席の公演もある)になっていて、
    銀河を思わせる長いスロープが1本通され、唐十郎のテント芝居を思わせる。
    スロープによって本舞台と客席上段の仮舞台が結ばれ、2つの舞台を
    俳優は行き来して芝居をする。
    本舞台にはいぶし銀に光る傾斜した弧形の回転台座があり、その台座が銀河鉄道の列車という設定。
    語り手、ジョバンニ、カンパネルラ以外の俳優は、仮面をつけ、「影」といくつかの役を受け持つ。
    音楽はピアノの生演奏(吉村安見子)。闇にスライドで満天の星と星座が映し出される。
    観客も銀河鉄道で主人公たちと一緒に旅している気分になる。
    私がこの公演に感じたのは「鉄の時代」。プリオシンの岸辺に埋もれている
    化石を掘り起こす「影」たちの姿に、つるはしを振るう鉄道工夫たちの姿が
    重なる。「影」たちは時代に排除されたものたちの「化石」=「歴史の歴史」
    を掘り起こしているのだ。
    左翼演劇活動を通じ、「労働」にこだわり、工業化社会への警鐘を鳴らし続けた広渡はこの作品に「鉄の時代の終焉」を込めたという。「鉄とともにこの国の軍国主義もすすんだ。(中略)ぼくの網膜のなかに傾斜角をもった第三インター記念塔のイメージが浮かびあがる。始動する鉄の時代の過激な朝-。」と広渡はプログラムに書いている。
    すると、舞台の傾斜台座=銀河鉄道の列車は広渡の中の「第三インターナショナル記念塔」をも表しているのだろうか。
    幻想的で美しい場面がたくさんあった。
    ケンタウルスの祭の夜、「影」たちが丸いライトをカスタネットのように鳴らしながら輪になって流星のように踊る場面は夢のようだ。
    広渡が「ダダの画家、マルセル。デュシャンに啓示を受けて」とらえたという
    「おかあさんのおかあさん」は銀髪のロングヘアの美しい尼僧姿で、「銀河鉄道999」に出てくるメーテルそっくり。
    猟師のような「赤ひげ」が、鷺や鶴を「押し葉」にして、絵画のように楽しめると
    見せたり、仕掛けでたくさんの鳥が飛んできて赤ひげの手に収まる場面はCG顔負けのアナログの迫力だ。
    「火の鳥」を思わせる真紅の「さそり」が沖縄民謡のような林光作曲の「さそりの歌」に乗って華麗なダンスを踊る。さそりを演じる樋口祐歌がこんなに踊れる人だとは知らなかった。
    船が転覆し、家庭教師の青年が教え子の幼い姉弟を救おうとして救えず、ともに水底に沈んだ様子を語る場面は、戦時中、学童疎開の児童を乗せた船が撃沈させられたことを連想した。反戦家の広渡も同じ想いだったかもしれない。
    「お母さんが待っているから行きましょう」と下車を促す姉に幼い弟が「まだ乗っていたいよ」とむずかる姿が、この世への未練のようで胸を締め付けられた。
    この青年のエピソードが、のちのカンパネルラの死への伏線にもなっている。
    「銀河鉄道の夜」は、「自己犠牲」がテーマでもある。
    そして、ひとりぽっちになろうと生き続けなければならない。どこまでも人生の旅は続けていかねばならないと訴えているようだ。
    子供たちも目を輝かせておとなしく劇を観ているが、大人の鑑賞にもじゅうぶん堪え得る作品であることは言うまでもない。昨今は嗜好の多様化により、広い層に受け入れられる劇は少ないが、広渡の「銀河鉄道の夜」は年齢に関係なく、その人なりの楽しみ方ができるゆえに地元の演劇ファンに愛され続けているのだろう。

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