倶楽部 公演情報 倶楽部」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.0
1-10件 / 10件中
  • 0912011900
    観劇

  • 満足度

    20091205
    ン、)ノ舞台美術はよかった。

  • 満足度★★

    理解できるようでできないような‥
    全編通して観て、ひとつふたつ軸になってるメッセージを感じるのですが
    そんなチープな啓蒙じゃないよねーと意見を引っ込めてるぼく。

    アフタートークで、役者自身も、なにも意図を理解させられないまま
    演じていたということに驚愕。役者が自分の気持ちから発していない
    台詞を観客が理解できるものなのか?実験的な演出方法なのかも
    しれないけど、これは演者さんがかわいそうと思ってしまいました。

    あと、まんなかの柱は邪魔でしたね。両端の人は半分見切れを
    起こしてたのではないかなあ?

  • 満足度★★

    申し訳ない。。
    気持ちいいくらいさっぱりわからなかった。
    役者のレベルは決して低くない。と思う。

    一体感もあった気がする。
    本人たちの中ではテーマが定められていたという事ではないかと思う。

    しかしさっぱりわからなかった。

    だからといって無意味ではなかった。
    真剣味のようなものはあった気がする。

  • 満足度★★

    わからないは
    わからないのだが、何かを期待させる前半ではあった。繰り返しが過ぎて後半は飽きた。

  • 満足度

    無理!
    理解不能。どう善意に解釈してもメッセージが伝わらず,何を言いたいのかわからない。最初はね,ちょっと期待できる部分もあったんだよね。それがAVがどうのって話になり,各人の主張の部分には興味を失い,童貞俳優のTバックのケツ,しかも落書きあり,を見せられたときには,本気で蹴りいれたろかくらいには怒り心頭。駄目。今年観劇中の1,2を争うダメ芝居でした。

  • 満足度★★★★

    ノイジーな意識、身体性のハードコア。
    これは、あまりにもショッキングである。舞台にあるものすべてがメタ化されているのである。人が人であって、人でないのである。身体で描くイメージの連続なのである。それに加えて、起承転結のメリハリや、物語の着地点も見当たらないのだから、どうしたって混乱するわけだ。しかしながら、舞台から発せられるエネルギー量は尋常ではなかったし、よく理解出来てもいないのに、心動かされる何かがあった。

    素粒子となって中空を漂いながら、街を俯瞰するジャンキーな戯れに呑み込まれているような。渋谷駅前のスクランブル交差点のど真ん中につっ立ってざわざわと通り過ぎていく匿名の人々や否応なく耳から入ってくる匿名の声や、足音、大型テレビモニターに映し出される情報なんかを、ただじっと眺めているような。上手く言えないがそんな感じだ。

    何でもあるのに何にもない街、シブヤを美化せずに具象化した、アッパーでニヒルなリアリズムに満ちた舞台であった。

    ネタバレBOX

    まず会場に一歩足を踏み入れて唖然とする。
    壁には、無数の新聞紙が無造作に貼られており舞台には、これまたおびただしい数の洋服が雑然と敷き詰められている。なかには”渋いたにまに”なんてよくわからない暗号のような紙も混じっていて、客席の下にまで散らばっている。(このラディカルな舞台美術を目に焼き付けるだけでも、価値のある公演だと言えよう。)
    そこに死んでるように動かないものがみっつ、いる。表情はうかがい知れないがそれはまるで、情報の渦の中に個が埋もれてしまっているのっぺらぼうで。惑星が衝突するかのような音が鳴り響き、実体が立ち上がる。


    冒頭で交わされる短い会話。
    3人は、昨晩、渋谷のクラブ(倶楽部)で遊んだ。
    宇田川町の小学校で教師をしている地球人は、冥王星まで旅行に行ってきた。
    漁業が盛んな星で暮らす水星人は地球に来る時、肺呼吸に変換する装置を耳につける。
    林業が盛んな星で暮らす木星人はジェット噴射で地球にやってきた・・・。

    彼らの指先にはICチップが埋め込まれていて、互いの指先と指先が触れ合うことによって情報を交換し合うことが出来る。また、彼らのいる世界では、スモールライトや、ドコデモドアが市場に流通されているらしい。
    そして四次元装置を2台使って人間が重力を自在に操り、惑星間をワープ出来る、我々現代人が憧れる夢のような世界なのである。
    しかしながら、人が地球以外の惑星に住むことをはじめた時代にあっても、
    人間のコミュニケーション能力が現代から進化していないように見てとれる。
    それぞれが違う星に住んでいることに起因しているのか定かではないが、
    ステディな友だちと言えるほど親密な関係でもないらしく、会話や関係性は、思いのほか発展しない。
    言語が”ノイズ”として作用しているからだろうか。
    はたまたコミュニケーションの手段が言語ではなくなっているのか。
    その辺はよくわからないが会話は途切れ、存在は意のままに変化する。

    時は変わって、白昼の渋谷のスクランブル交差点。人がすれ違っているイメージ。ヘッドフォンチルドレン。足音。雑踏に垂れ流される大量消費されるポップソング。街頭テレビの広告塔。109。などを身体を用いて表現される、視覚化されたノイズの群れ。

    そして夜行性が騒ぎ出す。夜の速度はもの凄い。
    天井でせわしなく動き回るスポットライト、終わりなく回り続けるミラーボールの具象。ダンスフロアで踊り狂う人々の表象。突拍子もなく執り行われる、メタ化された性行為と特殊性癖嗜好者。徒党を組む謎の集団。”自由”と吐き捨てて息絶える時代のアイコン。混濁するイメージの祭典。モザイク化する、エレクトリックシティー。果てしなく続く、ディスコミュニケーション。すべての事象の輪郭が浮き上がり、夜明けと共に消えていく・・・。

    やげて立ち上がる、ひとつの自意識。記号として配置される奇妙な刺青を入れている男のモノローグ。
    「テレビを見る芝居をする練習をしているんです。」
    ひと気のない渋谷のスクランブル交差点のモノクロームの映像が流れるテレビ画面を凝視するその男は、観客に真っ向から背を向けて何度も何度もそう繰り返す。これは、役を演じる俳優が演劇というドラマから遠ざかる実像と、俳優でない自分自身でいるための虚像を演劇的な空間を保持しながらリアルなドキュメントとして同時に重ね合わせているように受け取れた。

    心ここにあらず。とでも言うような、ドライで病んでる魂が、落ち着きなく中空を彷徨っている浮遊感や、何かの終わりが始まるまで続いていくサイケデリックな喧騒や珍妙な人々、相対性理論・・・。
    もしもこの舞台を映像化したら、デヴィット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」のようなカルト映画になるんじゃないかしらん。なんて思ってみたり。彼らがこれからどんな『手荒なまね』をして、演劇的既成概念を突破しようとしているのか予測不可能だけど、それはとても意義のある試みではないだろうか、と思う。

    最後にいくつか気になった点を記しておきます。
    渋谷の街の喧騒をザッピングするのが今回の主題なのかもしれないが、
    もしも倶楽部が、何らかのシグナルを受信する場所だとするならば、少しパンチが弱かったような気がします。
    多分、倶楽部が人が集まって散っていく場所のままだったからかもしれない。それを意図しているなら、成功したと言えると思うのですが・・・。
    あと、時々登場したストリート系の格好をした若者がいたけど、あれは一体何だったのだろう。ストーリーのキーパーソン的な役割になっていたら、また違った見え方になっていたかも。
    でも、倶楽部を取りまくヒトや街の描写は新鮮で目を見張るものがあったし、
    ラブ・サイケデリコのBGMを使ったアクトは若者のリアルな日常のイメージを持たせるのに印象的だった。
    全体的に荒削りだった感じもするけど、空間の使い方も無駄がなくてよかったし、何よりこんなにも濃密な時間を体験したのは久しぶりだったので、満足度は高いです。
  • 満足度★★

    うーん。
    とても不可解です。大学時代の後輩が出演者にいたので、数年ぶりに演技をみにいったのですが・・・内容は全くないのかもしれません。DJ、クラブ、音楽、病気、なにかのウィルスに感染したのか、宇宙規模の話の中になぜか国の形成の話。役者さんはそれぞれ本当に実力のある方々が集まっているのですが・・・内容は・・・?画を見ていればいいのか、空気を味わっていればいいのか?空間全体をみていればいいのか?面白いと思える人にはとても面白い作品なのでしょうが。伏線はあり、繰り返しもあるので何かあるはずなんですが・・・私には見つけられませんでした。でも、ここまでこういう芝居であったと説明できてしまうのでから・・・心に残っていないわけではないので、それが演出の意図なのかもしれません。

  • 満足度

    全くわからなかった。
     久しぶりに全くわからない芝居だった。舞台に描かれるそこがどこなのか?そして登場人物のそれぞれは一体誰なのか?舞台上で何が行われているのか?作者は、演出家は何を訴えかけているのか?
     クラブ?宇宙?渋谷?アパートの一室?ま、もし演出家に尋ねたら、そんなこと気にせずに観てくださいと言われそうだ。久々にどう芝居に向き合っていいかが全くわからなかった。逆にそれが非常に興味深く感じられたくらいだ。
     面白いところは随所にあった。そちらは公演中なのでネタバレで。私には合わなかったが、きっとすごく面白いと感じる人もいると思う。そして、この劇団が次の公演をしたら、私は多分観に行くだろう。この演出家の頭の中を読み取るために。

    ネタバレBOX

     まず、長田佳奈の舞台美術が見事。劇場に入った瞬間から独特の世界観を感じた。想像力をかき立てる美術だ。そして役者は王様(?)役の中野架奈を中心に皆達者だった。特に台詞をあたかもそこら辺で友だち同士が話しているような日常会話として話している部分が秀逸だった。一瞬アドリブで話しているのかと思ったが、きちんと成立しているところを見ると台本どおりなのだろう。うまかった。そして、TVに流れるリアルな渋谷の風景、そしてそこに登場する役者。ここら辺、映像の使い方がうまかった。シュールな舞台が展開する横でリアルな渋谷がTVから流れる。この対比は見事だ。やはりこの演出家ただ者ではないのだろう。
     舞台上にときどき、この演出家、役者として登場する。どうやら、他の役者に事前告知なしに登場するらしい。どんなハプニングがあっても平然と演技をすることを求めているのか?それともハプニングで演技が乱れる役者の生の息づかいを観客に見せようとしているのか?何考えてるのかわからないが気になる作家だ。
  • 満足度★★★

    全体として伝わってくる空気
    ばらばらに見えるいくつものイメージが
    その街の
    雑然とした空気を現出させていました。

    ただ、寄りかかる場所がない舞台空間というか、
    観る側が居場所を見つけるのが難しい感じがしました。

    ネタバレBOX

    インスタレーションというのでしょうか、
    劇場全体が雑然としたイメージの中・・・。
    まるで美術作品のなかに取り込まれたような
    感じがします。

    よしんば他の惑星から人が集まったとしても
    (この会話はとてもおもしろかった)
    その中に流れる時間は
    ある意味とてもリアルな渋谷の風景だとは
    思うのです。

    作り手が受け止めた街のイメージが
    シーンに織り込まれ
    会話となったり、イメージとなったりしていく。
    多分、その街は多重人格で
    それゆえ、舞台全体が
    心に病を持つ人が、
    夕方から朝までに眺める景色の連続にもみえて。
    妄想と出口を失ったような閉塞感が
    街が持つ高揚や倦怠、さらには狂気と重なる・・・。

    ただ、舞台からその色が見えても、
    観る側をその空気に取り込んでいく力が
    今ひとつ感じられないのです。
    観る側が客観的に眺めるだけというか・・・。

    繰り返しとその中でのコンテンツの変化で
    街に取り込まれた人々の
    景色は伝わってくるのですが
    それを眺める観客の場所が
    内側に入っていかないのです。

    作り手には感覚を具象化する豊かなセンスがあったし
    役者たちのお芝居も安定していて
    退屈をするということはなかったですけれど・・。

    その感覚を観客の内側に留める
    ピンが抜け落ちているような気がする。
    なにか、すっと流れていってしまう
    舞台でありました。





このページのQRコードです。

拡大