フォト・ロマンス(ラビア・ムルエ、リナ・サーネー) 公演情報 フォト・ロマンス(ラビア・ムルエ、リナ・サーネー)」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★

    素直に楽しめました
    少しとっつきにくい内容かな?と思っていたので、コミカルな展開は意外ながらも、楽しく観ることができました。

  • まだまだ混乱している・・・
    イタリア映画「特別な一日」をパロディにした映画を制作しているアーティストが検閲官にプレゼンをする。ただそれだけなのに事態はあまりにも複雑で・・・。それに自分の知識が乏し過ぎたため、すべての内容を理解できたとは到底思えないけれど、フォト・ロマンスから何かしら手がかりを見つけ出したいと思っている。

    ネタバレBOX

    舞台はべルイート。
    レバノンの2大勢力である親シリア派(3月8日勢力)と反シリア派(3月14日勢力)の同時デモが開催される日。
    その様子は、テレビ中継されている。
    軍隊が出動し、有刺鉄線が張り巡らされ、街はものものしい雰囲気だ。

    リナは離婚した主婦で、今は両親の家で暮らしている。
    そこには兄弟、兄弟の嫁、その子供たちなど大勢のひとたちがいて、彼らは皆、学校やデモに出払っていていない。
    リナは家事をしなければならないため、一人で家に居る。
    頭を抱えうんざりする彼女は、ひとまず飼い猫を柵から出し、エサをあげる。
    すると猫がジャンプし宙を舞い、部屋から逃げ出してしまう・・・。

    猫が逃げた先は、かつて左翼系新聞記者であったひとりの男の部屋。
    彼はラビアと言い、イスラエル軍によって8年間拘束されていたらしい。
    猫をきっかけに彼らは心を通わせ、その一日が終るまでを描く。

    という、イタリアの名画「特別な一日」をパロディにした新作映画を制作した
    リナ・サーネーが検閲官であるラビア・ムルエに、プレゼンしていくという内容で、このドラマは、オフレコにすれば、リナとムルエが互いにアイデアを出し合って、ディスカッションしているような印象すらもたらすようにも思われるのだが、そこに検閲官とアーティストという役柄を与えられることによって。また、その役柄を本名で演じることによってリアルとフィクションの境界線がより曖昧なことにされている。

    劇中で流れる映画は、モノクロ写真を連続し映す手法「フォトロマン」を用いていて、ビデオカメラで撮影した動画を静止させたものを繋ぎ合わせたものと、リナのナレーションのみで構成される。画面はグレーと白の淡いコントラストで、リナの真っ赤に染められたソバージュの髪と、冒頭の、レバノンの国旗と背景の青空、デモのニュース映像だけがオールカラーであり、このふたつの画は非常に重要な意味合いがあると受け取れる。
    冒頭の風にはためくレバノンの国旗は、今だレバノン国内に蔓延する精神的ナチズムをアイロニカルにうつし出し、デモの映像は、レバノンの社会情勢を剥き出しに提示する。そして、リナの真っ赤な髪の毛は彼女なりの自己表現であり、女性の社会的地位に対するささやかな抵抗のようにも見える。

    そのアリバイは、リナの兄弟、嫁や姪など様々なリナの家族が朝支度をするワンシーンで証明される。リナの家族はひとつの集団と捉えられ、その意見は皆同じではあるが、個の意見が反映されているものではない。
    と考えられることから、彼女の家族は誰ひとりとして生身の姿を現わさない。
    個人が一個人としての意見を持った時にはじめて登場人物としての焦点が合うのだ。

    やがて、偶然出会ったふたりが他愛ない会話を交わすが、「特別な一日」で描かれるようなロマンス的な要素はあまりなく、至ってプラトニックなのである。それは、レバノンの社会情勢があまりにも深刻過ぎて、恋愛どころの話ではない。とも受け取れるし、男性が同性愛者なのかもしれないし、レバノンという国が、ロマンス的な表現を規制しているからなのかもしれない。

    フォト・ロマンスはこのように、断定できない曖昧な要素が多数出てくるが、解決されないまま置き去りにされる。その兆候は、ラストに近づくにつれ濃厚となり、ついには映画のラストはふたつから選択できるという苦し紛れの運びとなる。何としてでも検閲を突破したいアーティスト、リナの焦りは深刻であるはずなのに非常にコミカルで、不謹慎ながら思わずクスリと笑ってしまった。

    この作品を完全に理解するにはまだまだ知識が足りないと痛感した次第であるのだが、イタリアの名画「特別な一日」をベースに用いることにより逆説的に
    この世にオリジナリティは存在するのか。という恒久的な問いを投げかけ、また同胞の気持ちに寄り添うように、体制に対し静かに意を投げかける。彼らはひょっとすると演劇を、多くの人々が社会を考えるためのヒントを与える機会だと考えているのかもしれない。その真剣な姿勢は、レバノンから遠く離れたわたしたち日本人の心にも言葉や国境の壁を超えて、伝わってきた。レバノンのことについて、まだまだわからないことだらけだけれど、色々と知りたいと思った。
  • 満足度★★★★

    「創作とは何か」と「レバノンの現状」を静かに語る
    レバノンの現状と、さらに創作に対するメッセージが込められていた。

    オリジナルの映画作品を下敷きにし、それを新たな作品に取り込みつつ、オリジナルにあった骨格をうまく利用するということで「創作」についての考察を、さらに再構築によって生まれつつある作品内容そのものには「レバノンの現状」を織り込んでいくという舞台だった。

    ネタバレBOX

    イタリア映画『特別な一日』の設定や台詞を使い、新たな作品を再構築する、という企画を、企画の段階でレバノンの検閲官にプレゼンテーションするという内容。

    しかも、それを制作するのは、今回の舞台を作り上げた3人という設定であり、リナ・サーネーとシャルベル・ハベールは、自分の役をそれぞれ自らが演じ、プレゼンの場所には来ていない設定のラビア・ムルエは、検閲官を演じるという複層的な構成になっている。
    プレゼンは、モニターに作品内容を示す写真を投影し、リナが脚本を読み上げ、作品の意図を説明し、シャルベルが生演奏で音楽を付けていく。
    検察官は問題になりそうな個所を指摘し、リナはそれ対してさらに意図と理由を説明する。
    検察官は、徐々に作品に取り込まれていき、プレゼンに協力する。最後は、自ら演奏に加わってしまうのだ。

    映像を見せ、それを言葉で説明するというものなので、演劇的な要素は低い。
    しかし、映像作品というわけではなく、それを説明して見せるのに、「検閲」という手法を使うところで、内容への指摘、その反証などが無理なく使われ、「創作」や「レバノンの現状」という2つのテーマが浮き彫りになっていく。

    舞台で演じられる、検閲官と制作者のやりとりが「演劇的」な部分なのだが、プレゼンされる作品の内容そのものも、とても重要である。

    プレゼンする新しい作品は、レバノンのベイルートが舞台となっている。もとになった映画ではローマが舞台で、ヒトラーのイタリア訪問パレードに町中の人々が参加するという設定であり、この舞台中の作品では、レバノンにある2つの政党のデモに町中の人が参加するという設定になっていた。

    パレードやデモの熱狂は遠くで行われており、誰もいなくなりひっそりとした街の中に残された女と男が出会うという「ロマンス」的な物語がその中心となる。

    映画のほうはイタリア映画らしいしっとりとした情感があるもので(あまりよく覚えていないが・笑)、舞台での作品は、そのロマンス部分(2人に何かが直接的に起きるような意味のロマンスではなく、出会いによって心が少し動くという意味のロマンスではないかと思うが)を少し残しつつも、レバノンの現状を静かに語る。

    検閲官に作品内容を説明しつつも、「作品を創作する」ということは、実は「かつてあった作品の再構築と引用にすぎない」というメッセージが繰り返し語られる。
    この舞台でプレゼンされる作品がまさにそれであり、あえてそうすることで新たな作品を生み出すことができるのかどうかということを、実際にわれわれ観客に提示しているのだ。

    それは作品を創る側としては、挑戦的なテーマであり、自らも血を流すことになるかもしれないという諸刃の刃ともなる。

    「創作とは何か」を自ら考えてみようとする作品なのだろう。
    そういう「作品を作り上げる」という行為、「創作」について述べているだけでなく、作品の内容で語られるものについても興味深いものがある。

    それは、例えば、現在のレバノンでの女性の立場やあり方、それは、戦時中のイタリアの女性のそれにダブってみえるし、ファシスト党が台頭していたイタリアと、この舞台の作者が語る、レバノンにあるファシスト的な要素もダブらせてある。
    ということは、自国の政治活動り一部をファシズムと重ね合わせていることであり、レバノンの情勢はよく知らないが、とても怖いことではないかとも思う。

    そういう重ね方が面白く、かつ刺激的でさえある。

    レバノンの現状は、とても複雑怪奇で、一言では言えないような状況のようだ。宗教や宗教の中でも派や政治的な信条、その他いろいろな要素で分断混乱しているように見え、語られる内容はとても重いものがある。
    デモを行う2つの大きな政党のことさえ、この作品を観るまでは知らなかったのだから。

    新たにつくられる作品そのものの内容についても、日常生活に疲弊した女が男と出会うことによって、何かが変わっていく、心の中にさざ波が立つということが、静かに示されるのだが、それはとてもドラマチックなことであった。

    実際にプレゼンされる作品は、観客のわれわれにも検閲官と同時にプレゼンされることになるのだが、男女の心の動きと、内容がはらむテーマの具象化(例えば、永遠に続くループだったり、家族の姿は一切見えないなど)がとても実験的で面白く、これが実際に映画になったとしたら、とても面白いものになるのだろうと予感させる。
    と言っても、シネコンでロードショーされるような作品ではなく、ユーロスペースとかシアターイメージフォーラム的な劇場で単館ロードショーされるように作品であろうが。

    イタリア映画『特別な一日』もまた観たくなった。

    ちなみに生演奏される音楽は、エレキギターが中心で、ループを使う感じがリシャール・ピナスあたりを彷彿とさせ、また、ノイズ的な使い方やピアノや鍵盤ハーモニカとの合奏も心地よく、とてもいい雰囲気を持っていた。
  • 満足度★★

    適度に退屈
    「歴史=物語」が交錯する、ベイルートの「特別な一日」ってなキャッチフレーズで仰々しい内容なのかなーなんて考えてたけれど、なんてことはない。個人的な男女のロマンス。これで4500円は高い。1500円程度の価格が妥当。

    以下はネタばれBOXにて。。



    ネタバレBOX


    映像の画質が悪い。国を二分するデモの風景を映像で紹介し、対立する二大勢力のデモの様子を観たとき、コレを基礎にして何か、とんでもないことが始まるんじゃないか?って期待した。だって4500円のチケットだから・・。

    しかし、物語は二大勢力とはかけ離れ、家族のこじんまりした描写を紹介したかと思うと、今度は家族がデモに参加してるすきに、留守を預かった女性が、向かいに住んでる男性との情事に勤しむ。という極めて個人的な問題を、激しく画像の悪い映像で、創作したシロモノだった。字幕のタイミングも悪く、女性がセリフってる内容と字幕が違うという素人並みの技あり!失笑

    まあ、確かにタイトルは「フォト・ロマンス」ってくらいだから、間違ってはないけれど、4500円はないだろ。桁間違えたんじゃないのかっ?

  • 観ました
    やはり、僕はラビア・ムルエの作品が好きだ。彼らがレバノン出身ということは重要な要素の一つだとは思うけれど、なぜ好きかと言えば、その要素を抜きにしても演劇的に面白いから。

このページのQRコードです。

拡大