噺劇と落語の会 公演情報 噺劇と落語の会」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 満足度★★★★

    試みとして非常に面白い
    桂九雀が企画して大阪では4年前から演っているという「噺劇」、東京での初上演とのこと。落語作品を舞台化したものはAGAPE Storeの『地獄八景亡者戯』(02年)やG2プロデュースの『地獄八景‥浮世八景』(07年)があるが、それらは装置を使って「演劇」にしていたのに対してこちらは装置はなく小道具も扇子と手拭いだけ、BGMも三味線と太鼓の生演奏とかなり落語寄り。
    が、それだけにラストが落語本来のサゲの一言でスパンと決まる潔さに欠ける難点もあるものの、試みとして非常に面白い。
    噺劇2本目の「芝浜」なぞ、3年の経過を語る地の部分をどうするのかと気をもんでいたら女房の1人語りにするというテを使っておりそのあたりの工夫も見事。

  • 満足度★★★

    結局、落語は面白い
    「噺劇」とは、落語の演目を数人の役者が普通の着物で、特別な小道具や舞台装置なしで演じるというものだという。今回は噺劇2本と落語2題の内容だった。

    今回の内容の説明文に、「落語は究極の一人芝居」と書いてあるのだが、それをあえて芝居のように数人で演じてみせるというのは、面白そうなアイデアなのだが、面白さではやはり落語にはかなわない。
    それは、上記の説明文にもわざわざ書いてあるように「落語は観客の想像力で成立する」ということで、一人が演じる落語に比べ、数人で役を分け演じることで、観客側のせっかくの想像力が弱まってしまうからだ。

    今回の演目で言えば、「こんな変な顔(鼻の穴が前を向いている等)をしている奴だ」と顔の造作を説明する台詞があり、落語ならば、それはあくまで想像で面白がるところなのだが、実際に役者がいて、そんな顔をしていないからその台詞が生きてこない。
    役者が目の前で演じているのだから、見えるところをさらに想像して補うのは少し無理がある。そのような想像力を必要とするのならば、わざわざ役者に演じさせる意味がないのだ。目を閉じて観るしかなくなる。

    また、芝居であることで、例えば、場所を移動したり、動作があったりという間ができ、それが落語のように要点のみを詰めたスピーディな間にならず、落語に比べ間延びを感じてしまうところもあった。
    確かにそういう間延びは、鳴りものの生演奏でうまく調整されているのだが、それでも間延びを感じてしまう。それは、噺劇の前後に落語が演じられるので、それと比べ、その点が強調されてしまうことによる。

    また、噺劇は、1つの上演時間が短いためか、話の流れを進めていくことが主で、脇になるような、くすぐりの要素があまり入れられなかったようで、笑いがもうひとつ起きなかったのも残念だ。
    落語のほうはといえば、かなりの笑いが起こっていた。
    こうなると「やっぱり落語のままのほうが面白い」となってしまうのだ。

    ちなみに芝居を担当した役者さんたちは、安定感があったので、よけいに残念でもあった。

    落語と交互に上演しなかったならば、また違ったものになったのかもしれない。

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