公演情報
「東京ノート」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★
東京ノート実質初見がInternational ver.であり、良い方のインパクトを受けた(おまけに青年団的演技の新局面か?等と)。そのためか、オリジナルバージョンは従来の青年団現代口語演劇に「戻った」感じがあった。やや中心に位置する松田弘子・能島瑞穂のイイ感じも前回と変わらないはずであり見ていて特段変化はないが、多様な異質の中での光り方は違う。インターナショナルバージョンは設定じたいドラマチック。細部がよく出来ているのは今回のオリジナルの方であったりするが、群像として見る訳であるので、そういう感想になった。
欧州での戦争のため、美術品を皆遠い他国に送り出すことになっているらしい、という設定は、広い欧州のかなりローカルな地域までも戦闘(美術品が損壊するような)が及ぶ程シビアなのか、とか、ゆったりとした戦争なので人類の遺産保存等の公益を各国考える余地がどの国にもある、という事なのか(若しくは美術品保存団体が活発な運動を展開している、当事国同士のそれは合意事項となった)、とか。やや特殊な状況が近未来に発生する、そういう想像を客席でめぐらすのは悪くないが、戦争の実態が殆ど語られない中では「戦争」の語がドラマ性を担保する記号としては、いまいち機能しないな、というのが実感。作者がそれを狙ったか否かは判らないが。
そんな事で、戦争、美術品の保存、という世界大の「公」の視野と、美術館の中で展開する「個」的なあれこれの対比が、インターナショナルverでは「数カ国の人間が居る」状況から明白であるのに対し、オリジナルverでは皆日本人であるので遠いヨーロッパとここ日本という対比のみとなる。そこで「個」が強調されるが、個々それぞれの事情の切実度の見え方が前回とはやはり違うなァ(従来の青年団劇だなァ)と。
満足度★★★
鑑賞日2020/02/29 (土) 14:00
1994年に初演されて岸田戯曲賞を取り、その後も青年団以外にも何度も上演されている平田オリザの代表作。と言いつつ、実は初見。吉祥寺シアターという大きめの舞台でも、「静かな演劇」とか「同時多発会話」と彼の平田演劇の特徴は充分に発揮されていて、役者陣も丁寧な演技で応えているとは思う。だが、私のテイストではないなぁ、と思った。
満足度★★★★
■110分弱■
インターナショナルバージョンと違い外国人俳優の出演がなく、その分、世界戦争云々よりも日本的(と断じるのもどうかと思うが)な「家」の問題がせり出して感じられた。
その「家」の問題に悩みながらも、もじもじしてなかなか言い出せない“次男の妻”役に清楚な能島瑞穂さんというのはこれ以上ない好配役。その好配役と巧演に否でも応でも感情移入を促され、切実なその悩みを我が事のように感じながら最後まで身を入れて観た。
満足度★★★★
同時多発する会話が計算されつくした構造を成している。何気ない言葉の中にドキッとする言葉が滑り込まされていたり、ヨーロッパで戦争が起きていることを、すでに日常のように受け止めている登場人物たち。それ自体が恐怖だと思います。「東京ノート」は今でも普遍的であり、新しい息吹を客席に送ってくる緊張感のある傑作である。
しかしながら、「静かな演劇」である以上、照明も変わらず、音楽も無い。。。
どうしても、一部の観客が眠ってしまう。。。眠ってしまうだけなら気にならないが、いびきは困る。観客も演劇の参加者であってほしい。。。仕方ないか。
作品はこんなに素晴らしいのに。
満足度★★★★
非常に緻密でミクロな舞台だった。同時多発会話、隠れた関係性、多数のグループの交錯、にじみ出る社会批評、平田オリザ演劇の真骨頂を堪能できた。
突然、他人の話に割り込んで「戦争ハンターイ」とつぶやいたり、元反戦活動家がさりげなく日常の身の回りにいたり。この元活動家、隠れた社会的行動というのは、平田オリザの好きなモチーフで、自作でたびたびお目にかかる。
実演鑑賞
満足度★★★★★
インターナショナルバージョンじゃない方を観劇。自分は素直にSFジャンルとして観劇しました。
この演劇をデラックス版的な多国語版インターナショナルバージョンで観た人は、真面目な人ほど疲弊したんじゃないのか。頭の体操にもなって良かったんじゃないかと思うけど。
それぞれが母国語で話して、多国語を理解し合う演技って、どんな感じだったんだろう。いちいち??してたのかな。インターナショナルバージョンって、字づらで敬遠しちゃったんだよな~少し気になる。
誰が演じても物足りなく観えない、この後何十年でも通用しそうな、普遍的な脚本だと思いました。その代わり定番の役者が存在できない食い足りなさはあったけど。
普遍的な脚本も、見せ方はどうだったんだろう。ほとんど中央の六畳間ぐらいの中で座っての会話劇。せっかくのアゴラじゃない広い劇場での公演、歩き回ったり、場所をもっと隅同士に偏らせるとかの見せ方もあったんじゃないのか。
中央エリア席の観客にだけ見せてる芝居になってしまってる。百閒は一見にしかず。
いくら良いセリフでも、表情が見えないといまいちニュアンスが伝わらない。聞いてる方の表情で、そのセリフの意味がガラリといっぺんしてしまう時もある。
その表情を見る事が出来ない、左右の観客席はどちらかの背中をずーとみながらの会話劇に終始しちゃう。動きの少ない会話劇の好き嫌いって、こうゆうところも関係してるんじゃないのか。
ああそれと衣装か。やっぱり美術館には作業着とかは合わないのかな。近未来を書いてる普遍的な脚本なら、いい大人でも普通にマッドマックスみたいな格好も受け入れられてると思うんだが。北斗のケンが美術鑑賞とか。んんんそれは無しだな。
アフタートークで言ってた。曲を使わない演出へのこだわりは、皆が一方向のものを持って帰らないため。それだけ曲の力って大きいんだって。オリザさん、自分はこの演劇をSFとして持って帰りました。帰りに買った台本へのサインありがとうございました。
買った台本読んだ感想も。
これは間違いなくSF小説だと思いました。