スリーウインターズ 公演情報 スリーウインターズ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
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  • 満足度★★★★★

    いつものことながらアトリエ公演は外れがない。。ほとばしるエネルギー、動き続ける時代と歴史。翻弄される人々。流石な舞台運びで3時間があっという間でした。

  • 満足度★★★★★

    クロアチアのオーストリア−ハンガリー帝国時代の人間も含め、100年の歴史の移り変わりを、1945年戦後と1990年のユーゴスラビア分裂の始まりと、2011年のEU加盟の三つの日付の出来事で描く。日時は行ったり来たりする中で、大きな家族の運命が大団円を描く。その影に、皺よせを受けて弾かれた者の悔しさがあることも忘れさせない。出色の舞台であった。

    なんといっても、登場人物の存在感が確固としてある。文学座の俳優の層の厚さと安定感が改めてみにしみた。次女役の増岡裕子が、最初は壁家族から浮いた脇役かと思っていると、最後に、彼女がこの家の大黒柱になっていたことが明らかになる。この大化けが良かった。
    寺田路恵の没落貴婦人、倉野章子の老け役二人のベテラン女優が良かった。

    上川路啓志が語る、敗軍の兵士の悲哀、愛馬との別れの場面も非常に印象深い。深くしみるいい声、いいセリフ術であった。石田圭祐も、いつものことながら、時代に取り残された不器用な男を怪演していた。

  • 満足度★★★★★

    一家族を通して綴られるクロアチア現代史・・否、歴史と共に歩んだ家族の物語。アトリエ公演ハズレ無し記録は無理なく更新(観たのは4~5回だが)。蹄型に客席に囲まれた舞台の配置、動線、人物の形象いずれも理に適って、細部から芳香が立ち上る。遠い国の歴史と文化、エートスを俳優を通して感覚した。

    ネタバレBOX

    個人的に琴線に触る主題というのが、高邁な理想(夢、とも言うか)とその挫折。痛苦の体験から立ち上った理想や夢であれば尚のこと、それが無慈悲な現実に敗北していく物語は涙を堪えられない。換言すれば「理想」の存在が「現実」を照らし直し、そこに物語が生まれる(単なる苦痛、理想との対比のない痛いだけの現実は無味乾燥であり我々はこれに冒されている)。理想の敗北のモデルとして前世紀最大のそれはコミュニズムの理想とその瓦解だろうが、ユーゴの場合、これに(既に実現された)多民族の共存という理想があった。1990年、ニュースは連邦議会からスロヴェニアが退場し、それを受けてクロアチアも議会を去ったと淡々と伝える。「終わったわ」・・家族はユーゴ崩壊を認識する。
    遠い欧州で起きたその後の悲劇を伝えるレポートは、ルワンダと並んで自分の胸を疼かせた事件の一つだったが、「理想」はあたかも上からの強制ででもあったかもように分断からジェノサイドへと雪崩れ込んだユーゴ。この歴史の当事者(舞台上の人々)は、2011年のある夜、翌日に結婚式を控えた妹を祝うため駆け付けた長女の発言をきっかけに、家族と民族の歴史、現実と理想を総括せんとするかの勢いで厳しく対立する。姉と妹の潜在的(思想的)対立が顕在化するのは「家」(家屋のこと)に対する考えの違いからだった。
    1945年建国の年に、何も持たなかった「私たち家族」は「家」を得た。その背景には共同と互助の理想がある。この家には戦前までの家屋の所有者、貴族の末裔の娘が(父がナチ協力で連行されたため一人で)寄る辺なく潜んでいたが、「仕立て」の技術を見込まれ同居する事になった顛末も「戦後の我が家の出発」を彩る。だが今、「家」の1階と3階の住人は長年の住処を追われ、時々大きな音が響いて来る3階は今荷造りの最中であるらしい。実は次女の結婚相手は新時代の申し子的成功者で、住人は金を渡して追い出したという事が後で判る。
    3階には長女のかつての恋人が、老母と住まっていた。家族皆が眠れぬ挙式前夜、まだ物音のする3階を長女は訪ねる。その時男は、兵役から帰還した後の自分の振る舞いを詫び、未だ好意を寄せてくれている事に一方ならず思う、と前置きした後、自分らは不本意ながらに出て行くのだ、残念ながらあなたは自分にとっては敵になってしまったと、憤りを堪えながら吐露する。皆が眠れない夜は緊迫の夜と化す。
    舞台に登場しない婚約者は幾つかのいけない商売と無関係でない会社の主である事を、長女がネットで突き止める。そして「他の住人たちは、脅されて出て行く事になったの?」と妹に問い質す。またその男を妹の婚約者として認知した父母に対しても疑問を向ける。父母は、その男と自分らとの「考え方」の違いに初め愕然としたが、どうにかそれを乗り越え、折り合いをつけようとしているのだと複雑な思いを吐露する。ところが妹は「あの人は私のお願いをきいてくれただけ」と言い、今この国で「いけない」事に関わっていない商売なんてあるのか、と反問する。そして「彼」は節度を弁えていると擁護し、さらに言う。クロアチア人がどんな目で見られるか知っているだろう、ろくな仕事もない、女は売春婦、違う? ・・それでも長女は、「それ(家を独占すること)は間違っている」と苦悶の顔で言う。これしきで負けるかとばかり、次女は最後に言い放つ。「皆どうしたの。明日は絶対に暗い顔をしないで、笑って。クソみたいな私の人生の中で、たった一回きりの幸せなんだから」(以上台詞は逐語的でなく記憶から)
    家族という閉じた物語の中で、人物が歴史的存在としても見えて来る、俳優の仕事は見事であった。
  • 満足度★★★★★

    ユーゴ紛争が絡んだ演劇はこれまでいくつか観たことがあるが、クロアチアの歴史と一つの家族の連綿とした物語を重ねたこの作品がもっとも濃密だった。
    こんな作品を構想できる作家のすごさとともに、必ずしも一貫した展開のあるとっつきやすいストーリーではない、少なくとも日本人にとっては縁遠い内容の長大なこの作品を取り上げて観客を魅了するプロダクションに仕上げるこの劇団の実力に感嘆した。今の日本ではこういう作品が観られるんだな、こういう作品を上演してくれる人たちがいるんだな、という感慨を覚えずにはいられない。

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/09/05 (木) 13:30

    座席1列24番

     クロアチアを舞台にした女性6人、4代にわたる(2人姉妹が2組)サーガ。
    1945年―戦後、1900年-ユーゴ内戦、2011年―EU加盟という3つの節目に焦点を当て、彼女たちそれぞれの生き様(価値観)を描いていく。

     開幕、パルチザンの戦士として戦い将軍の恩恵を受けるローズが、軍本部に行き、戦後、親ドイツ(ナチス)派の富裕層から没収し、空き家になった住居の割り当てを受けに来る。舞台奥には、夥しい鍵の山のオブジェ。その中から1つの鍵を選び出すが、それは以前母親が、召使いとして働いていた家だった。そこに、ローズは母モニカと夫アレキサンダー、そして生後間もない娘のマーシャと暮し出す。しかし、そこには元の住人で、精神病院に入れられていた令嬢のカロリーナが、終戦のどさくさに紛れて戻り住んでいた。
     最後、マーシャの次女ルツィアの結婚式、花嫁衣裳のルツィアと父ヴラドが楽しそうに皆の前でダンスを踊って閉幕。
     舞台の進行は、全てローズが選んだ(意図的にだと思われる)家の2階で進行する。(1階と3階には、別の家族が住んでいる)ただ、時系列ではない。最初と最後だけが時系列のかなめになっているが、先の3つの時期が交錯する。
      
     この舞台の素晴らしいところは、同居するカロリーナを含めた7人を、複眼的な視点・視野から過不足なく描き切っているというところ。舞台劇では難しい価値の多極化に(散漫になりやすい)無理なく成功している。
    クロアチアという歴史の大河に漂う小国の運命を反映させながら、反発と家族愛を深める群像劇は休憩含め3時間を飽きさせない。

     特にローザの苛烈な生き様は、舞台前半を鷲掴むように引っ張っていく。ラスト近くのアリサの家族への糾弾は、まさにローザ譲りという感も強いし、ローザの妹ルツィアのしたたかさも、ローザ譲りと言えよう。(隔世遺伝だね)

     舞台奥に置かれ続ける夥しい鍵の山のオブジェは、幾つもの選択肢を眼前にした彼女たち人生の象徴なのだろう。
      
     ただ、半世紀を超える物語だ。1945年しか出てこないローザとモニカはいいが、1945年と1990年を跨ぐカロリーナは、どうしても容姿的な制約が出てくる、寺田路恵は好演だったが、1945年で「お嬢様」と言われるのはちょと厳しい。でも、彼女は1990年にルツィアの価値観を決める大事な役どころだしなあ。若ければよいというものでもないが。

  •  3つの時代が非時系列的に展開しても混乱させない
    確かな構成力に加えなんらかの思想や押しつけがましい
    メッセージ色の希薄さもあり、素直に各時代の息吹を
    感じ取ることができる、ある女系ファミリーのいわば
    紀伝スタイルの物語。
     また、ローズの出自がらみの場面などによく表れているが、
    1から10まで説明せず、観る側の想像力や洞察力に期待する
    手法が特徴的な作品でもあり(現在シアターコクーンで上演中の、
    蜷川張りの演出が際立つ『アジアの女』もミニマムのセリフで
    展開させるあたりは近いものがある)、この点では、劇中で
    丁寧に説明謎解きをしてくれる、現在世田谷で公演中の
    『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』とは好対照
    (いささかふがいないダメ男たちと食えないしたたかな女たち
    との取り合わせというところは似ているが)。

     もちろん、人物造形の巧さも含め作劇の妙で普通に鑑賞しても
    味わいのある作りの作品になってはいるが、ただ、舞台がなじみの
    薄いクロアチアということで、クロアチアを含め旧ユーゴスラヴィアの
    地理や歴史的背景を(ネットでもあるいは例えば、柴宜弘さんの
    『図説 バルカンの歴史』といった書籍でも目を通して)前もって
    確認しておけば、作品のみえ方が格段に違ってくるはず。
     歴史を知る上でノンフィクションも含め歴史小説や映画などを
    参考にするのは好ましいとはいえないが、入り口としてなら今の場合、
    坂口尚さんの、第二次世界大戦下のユーゴスラヴィアを舞台にした作品
    『石の花』
    もある(1980年にヨシップ・ブロズ・チトーがなくなり、
    1989年の「ベルリンの壁」崩壊、1991年にユーゴスラヴィア内戦が
    はじまる間の、1983年から1986年まで連載されたが、
    この時代にすでに、多民族国家ユーゴスラヴィアに世界の縮図を
    みてとり『石の花』を描いていた作者の慧眼には驚嘆)。
     旧ユーゴ関連の演劇作品では、この4月に上演された、演劇ユニット
    OVa9 第1回公演で、ユーゴスラヴィア崩壊後、1995年頃のボスニアの
    難民キャンプを舞台に傷を負った女性たちを描いた、アメリカの
    女性劇作家イヴ・エンスラーの
    『Necessary Targets ~ボスニアに咲く花~』
    が記憶に新しい。

  • 3時間、休憩15分を含む。すごく面白かった!!一軒の家の中で、クロアチアの激動の100年間を紐解いていく。シンプルな抽象空間で1945年、1990年、2011年を行き来する。家族の軽妙な会話劇に大河ドラマの奥行きあり。適材適所の俳優陣がのびのびと関係を構築。音楽、音響が控えめなのも好み。

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