※CoRich運営事務局はテーマの真偽について調査を行っておりません。募集情報に応募する前に、投稿者のプロフィールや公式ウェブサイト等をよくご確認ください。

脳みそが弾け飛びそうな執筆現場から〜グロトフスキーが照らす「演劇の本質」への道

  • 劇団天文座 劇団天文座(0)

    カテゴリ:フリートーク 返信(0) 閲覧(107) 2025/08/08 23:38

はじめに:創作の極限に挑む日々

皆さん、こんにちは。劇団天文座の森本です。

現在、私は文字通り創作の極限状態にいます。7時間、時には10時間もの間、パソコンとワードと向き合い続け、「脳みそが弾け飛びそう」になりながらも、手は止まりません。現在の脚本は1万7000字に到達し、この1週間足らずで約5万字相当の執筆を続けています。

頭痛や吐き気に見舞われながらも、「ずっとパソコンとワードと向き合っているとね、きついもんですよ」というのが正直な気持ちです。でも、止められない。なぜなら、この舞台は単なるエンターテイメントを超えた、私たち人間の根源に迫る挑戦だからです。

今回の公演では、ポーランドの演劇人イエジー・グロトフスキーの深遠な思想に根ざした「演劇の本質」を問います。私たちが抱える**「心理的ブロック」の解放**、そして**「完全なる人間」への変容**という普遍的なテーマに挑戦しようとしているのです。

グロトフスキーが教えてくれた「演劇の真実」

「貧しい演劇」という革命

イエジー・グロトフスキー(1933-1999)は、20世紀の演劇史において、単なる演出家の枠を超えた**「演劇の存在論的探求を極限まで押し進めた探求者」**でした。

彼が提唱した**「貧しい演劇」**は、経済的な貧しさを意味するのではありません。これは、演劇がその本質に立ち返るための「美学」であり「倫理的選択」なのです。

グロトフスキーは問いかけました。「演劇から何をそれから取り除くことができるか?」

メイク、照明効果、美術、音響効果、音楽…これらの装飾的要素を全て削ぎ落とした時、舞台上に残るのは何か?それは「むき出しの俳優の身体と声」、そして**「それを見つめる観客の存在」**のみです。この「台本、俳優、観客」の三位一体こそが、演劇の最も純粋で本質的な形なのです。

「聖なる俳優」への道のり

「貧しい演劇」の核心にあるのが**「聖なる俳優」**という概念です。これは、自らの内面を深く掘り下げ、「社会的マスクを剥ぎ取り、パーソナルな衝動や経験を観客の前で完全に捧げる存在」を指します。

私が劇団員によく話すのは、「俳優として成長する一番の近道は、いかに承認欲求を超えるか」ということです。「うまく見られたい」「褒められたい」「目立ちたい」といった承認欲求は、最終的には「自分のための演劇」にしかなりません。

真の成長とは、「相手を喜ばせる」「相手を幸せにする」「相手のために何かをする」という**「自己実現」の欲求に到達すること**なのです。

演劇は、俳優が自身の良いところも悪いところも全て開示する**「自己暴露の芸術」**です。舞台上で、俳優は自らの「有機体を生きたまま解剖する」かのように、その内面を観客に公開しなければなりません。

私たちが向き合う「心理的ブロック」の正体

社会的マスクという名の牢獄

グロトフスキーにとって、俳優が抱える**「心理的ブロック」**は、単なる技術的な未熟さではありません。それは、「人が生まれ育つ過程で身につけてしまう社会的マスク、内面化された規範、自己防衛機制といった、人間の存在そのものに深く根差した抵抗の総体」なのです。

私はよく劇団員に言います。舞台は**「世界で一番安全な場所」**だと。日常生活で外してはトラブルになる「社会的仮面」を、舞台の上では唯一外すことができ、しかも外せば「褒められる」場所なのです。

映画『マスク』の主人公が、不思議なマスクを被ることで本来の自分になり、生き生きと行動的になる様子は、まさに心理的ブロックが外れた状態の比喩だと思います。

「心の中の裁判官」を追い出せ

私たちは無意識のうちに**「自己検閲」**を行っています。「自分自身の内側から湧き上がる衝動や感情を『恥ずかしい』とか『不適切だ』とか『危険だ』と判断し、抑え込んでしまうメカニズム」です。

これを私は「心の中に裁判官がいる」と表現しています。この裁判官が、俳優の有機的な表現を妨げるのです。

ブロックを外すためには、何か新しいスキルを**「付け加える」のではなく、不要なものを「取り除いていく」**という逆説的なアプローチが必要です。これがグロトフスキーの「Via Negativa(取り除く芸術)」の考え方です。

劇団天文座が創る「共犯者の舞台」

観客は「安全な第三者」ではいられない

今回の私たちの公演では、観客を単なる受け身の存在とは捉えません。グロトフスキーの「聖なる契約」の概念を現代に再創造する試みとして、観客はもはや「安全な場所から芝居を消費する消費者」ではなく、**「俳優の自己犠牲の瞬間に立ち会う目撃者」**となります。

そして天文座ではさらに一歩進んで、観客を**「共犯者」**と位置づけます。

現代社会では、デジタルコンテンツの普及や日常の疲弊により、観客が「社会的仮面」を外しにくくなっています。だからこそ、舞台上でまず俳優が率先して仮面を外すことで、「外していいぜ」というメッセージを送るのです。

今回の舞台では、客席をバンバン使い、観客を俳優の行為に直接的に巻き込む演出を試みます。これは、観客と舞台との間にあった壁を取り払い、共有された体験を通じて、より深い「変容」を促す儀式的な機能を再創造する試みです。

劇団員への指導:ブロックを外す訓練

天文座では、グロトフスキーの哲学に基づき、俳優の心理的ブロックを「取り除く」ための具体的な訓練を実践しています。

声の訓練では、社会的に作られた「作られた声」ではなく、体全体から生まれる「本来の声」を探求します。私は劇団員たちに「その声、本当に自分の声ですか?」と問いかけ、無意識のうちに作られた声からの解放を促します。

そして何より重要なのは、**「指摘されることを恐れない」**姿勢です。「どんどん指摘されてください。言われないとわからないわけじゃないですか」と、劇団員には繰り返し伝えています。無意識の癖やブロックを自覚し、修正していくことが、俳優の成長には不可欠だからです。

物語に込めた想い:人間の葛藤の具現化

今回の脚本について

現在執筆中の脚本は既に1万7000字を超え、全登場人物が作品に登場するように設計されています。演出、動線、照明や音響のタイミング、小道具の配置に至るまで、極めて詳細な指示を書き込んでおり、これにより稽古の効率が通常の4.9倍になることを目指しています。

過去の作品(「残月」や「堕幸福論」など)の要素を含みつつも、より「分かりやすくなった」と手応えを感じています。以前の台本が52点だったことと比較し、「圧倒的にレベルが上がる」と確信しています。

劇中で描かれる人間模様

物語は、脚本家の宮本と真壁ことの衝突から始まります。「もう誰かと一緒に書きたくない」「もっと成長したい」「対等でいたい」という宮本の言葉は、依存からの脱却と自己確立というテーマを示唆します。

劇団内部の生々しい人間関係にも深く切り込みます。青山の「また台本を書いて私の立場を奪うんですか?」という言葉や、西山、竹内、森岡が真壁ことを激しく非難するシーンは、承認欲求が時に人間関係をどのように歪めるかを鮮明に描いています。

そして宮本は、客席に向かって問いかけます。**「あなたの人生で失ったものは何ですか?」**と。この演出は、観客自身の内省を促す、グロトフスキーの思想の具現化なのです。

壮絶な執筆現場から見えてくるもの

自己犠牲と創造の日々

現在の執筆は、まさに自己との闘いそのものです。朝8時に起き、日中は7時間、時には10時間近く執筆に没頭し、夜になっても作業は続きます。その集中力は凄まじく、「時空が歪むのが一瞬」と感じるほど、時間の感覚すら忘れてしまいます。

食事は素麺と鶏むね肉の塊がメインで、1日1000円程度で済ませる質素な生活を送っています。金銭的な不安、すなわち**「生存欲求」**にも直面していますが、この執筆期間を「自分のこと考える時間になっていいな」「自己と向き合う時間だな」と前向きに捉えています。

この根底にあるのは、「お客様にいいものを届けたい」という強い思いです。過去には楽な選択肢もありましたが、あえて「書き直す」という困難な道を選びました。それは、最高の作品を観客に届けるためであり、自己犠牲を厭わない覚悟の表れです。

演劇の未来への眼差し

私は、単に現在の舞台を成功させるだけでなく、演劇の未来そのものにも熱い視線を注いでいます。

VTuberによる演劇、VR空間での劇場、ARによる舞台セット、Pay-per-view配信、主人公視点の観劇体験…これらのアイデアは、デジタル技術の発展を演劇に取り込み、新たな観劇体験を創造しようとする探求心の表れです。

これを自身の「現実逃避」とも語りながらも、その情熱と創造性は、演劇の可能性を未来へと広げるものだと信じています。

おわりに:「完全なる人間」への道標として

グロトフスキーが提唱した「完全なる俳優」とは、単なる演技テクニックを習得した者ではなく、「完全なる人間」の道を歩む者です。これは哲学者ニーチェが説く「超人」の思想と非常に似ています。社会的仮面を被り、ロボットのように生きるのではなく、本当に自分らしく生き、やりたいことを見つけていく道なのです。

デジタル化が進み、複雑な現代社会において、グロトフスキーの教えは、**「本来の自己と向き合うための貴重な道しるべ」**となります。

劇団天文座の舞台は、観客の皆さんにとって、自身の「人生という台本」と向き合い、「あなたの人生で失ったものは何ですか?」という問いと対峙する機会となるでしょう。そして、俳優が先に社会的仮面を外すことで、観客の皆さんもまた、日々の重圧から解放され、真の自己を見つめ直すことができる安全な場となるのです。

私たちの壮絶な執筆と、劇団天文座が挑む革新的な舞台は、演劇が単なる娯楽ではない、人間存在の根源を揺さぶる「儀式」としての機能を現代に再創造する試みです。

この舞台がもたらすであろう観客一人ひとりの「変容」を、私たちは心から願っています。劇団天文座の挑戦は、まだ始まったばかりなのです。

劇団天文座 座長 森本

このページのQRコードです。

拡大