もう既に何人かのメンバーがあちこちでおっしゃっていることだが、小劇場を観続けていて気になることがいくつかある。同じようなことを思っている人は多いのだということを劇団はもっと真剣に考えてほしいので、私もここに苦言を呈しておきたい(いずれもこれまで「観てきた!」の中で触れてきたことである)。
まず第一に開演時間を遅らせることに無頓着な劇団が多すぎる。
小劇団として予約客に少しでも便宜を図りたい気持ちはわからないでもないが、大多数の客は時間を守って来場し、小劇場の窮屈な席で開演を待っているのだ。そうした大多数の客と時間にルーズな2~3人のどちらを重視するのかという問題だ。彼らとてそこが帝国劇場や宝塚劇場のような大劇場だったならば開演時間までに行っているはずだ。小劇場は多少遅れても待っていてくれるという気持ちがルーズにさせている側面があるし、大体において遅れて来た客が申し訳なさそうに客席に入ってくることはほとんどない。自分がどれほど多くの客に迷惑をかけているか全く理解していない。
こういう悪循環を断ち切るために、劇団としてきちんと開演時間を守る姿勢を示してほしい。演出上の都合があるなら、入口近くの席をいくつか空けておいて、遅れた客はきりのいいところでそこに案内すればいい。遅れた以上は冒頭部分が観られなくなってもそれは遅れた本人の自己責任だ。
開演時間になってから前説を始めて、「トイレは今の内に」などと言うのはもっての外だ。
無論交通機関が乱れているなどの公の事情がある場合は多少遅らせても仕方がない。但しその場合でも予定の開演時間前に客席に対して説明をすべきだ。
開演を遅らせる場合はきちんと開演時間前に説明すること、そして終演後の挨拶でまずはそれを詫びること、それが金を取って公演している以上は最低限の礼儀だ。
次に、舞台というものを軽々しく考えている劇団が多いことだ。
小劇場では舞台が低かったり、最前列の客席と同じ平面上にあるところも少なくない。そうした時に最前列の前を通って奥の方の座席に行こうとしたり、最前列をまわりこんで後列の席に行こうとする客が平然と舞台に上がることが目につく。中には最前列の客がちょっと足を引けば通れるスペースがあるのに、わざわざスタッフが「舞台の上を通ってください」などと案内している場合もある。
舞台というのは本来役者が命を賭ける神聖な場所である。そこに一般の客が、しかも土足で上がっていいはずがない。きちんとした劇団では前説のスタッフが舞台に上がらざるをえない場合には履物をぬいで上がるように仕付けられている。
舞台というものにもっと重みを感じてほしい。
それから、若い人の劇団に多いが、最近の舞台ではストーリーに必然性のない歌やダンスを入れる傾向が強い。しかもそんなに上手い訳でもない。
技量的に優れているか、ストーリーと不可分な関係があるなら別だが、そうでもない場面でさして上手くもないダンスや歌を見せられる方はいい迷惑だ。そういった演出が目新しさを感じさせる時代はもう終わっている。かえってストーリーや展開の甘さをそれで誤魔化しているようにしか見えない。
因みに私がこのことをTwitterに投稿したら、その日の内に30人近い人の手によって1万人以上のユーザーにリツイートされたことがある。同じように考えている人は多いのだということを認識してほしい。
最後に、きちんとした所作を学ぼうとせず、考証もいい加減で時代劇をやりたがる劇団が多すぎる。
亡くなった勘三郎も言っていたが、型をきちんと知っている人があえてそれを外すのが“型くずし”であって、最初から型をしらない人間がやるのは“型なし”なのだ。そこをはき違えている。
時代劇には時代劇としての所作がある。例えば武士や女性の歩き方ひとつとっても現代のそれとは異なる。刀はまず鯉口をきらない限り容易には抜けないものだし、江戸時代は食うに困った浪人以外は二本差しでなければならない。殺陣はダンスではない。見栄え良くカッコよくやろうとするのは大違いだ。真剣は重いものだし、第一日本刀は剃刀と違って軽く触れて引くだけでは斬れない。押し付けて引かないと斬れないのだ。時代劇に現代的なセンスを持ち込んで何かをやろうとする時でも、まずはそうした基本を学ばねばならない。それを知らずに時代劇をやると、若い年代の観客に誤解を与えてしまう。
下手すると自分たちが時代劇というジャンルを捻じ曲げてしまうかもしれないのだという認識を常に念頭においてほしいものだ。