タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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サイレント・ブレス

サイレント・ブレス

千夜一夜座

ブディストホール(東京都)

2022/11/19 (土) ~ 2022/11/22 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

在宅医療、終末期医療を取り扱ったヒューマンドラマーー現代医学では治療見込みのない患者と向き合っている。原作は医師・南杏子女史の「サイレント・ブレス 看取りのカルテ」で、彼女の実体験であるから現場リアリティがあり、説得(納得)力もある。脚本・田中千寿江さん、演出・奥嶋広太さん。

主人公は大学病院での勤務継続を望んでいたが、恩師であろう大学教授から これからは在宅医療の重要性を説かれ、都下のクリニックで働くことになった。そこで出会う患者、そして実父の看取りを経験することで、理屈ではなく実感として在宅医療の大切なことを知る という成長譚でもある。

表層的には等身大の女医そして娘の姿は描かれていると思うが、心の奥底にある人間そして医師としてのリアルな不安や迷い、悲しみや情熱といった様々な思いが弱いように感じられた。どちらかと言えば、客観的に描き きれいにまとめたような印象を持った。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台美術 後景は暗幕、中央に大きな衝立、その左右にも少し小さい衝立が並ぶ。大きな衝立の前に横長テーブル、そして いくつかの椅子が置かれている。冒頭、上手の箱馬にはダイヤル式の黒電話、下手にはプッシュホン電話があり その固定電話が距離の遠さを表している。この衝立やテーブル等は場景に応じて舞台転換させ、舞台となる「むさし訪問クリニック」や「ケイズキッチン(食堂)」そして患者の自宅となる。

物語は大きく3話から成る。冒頭は主人公・水戸倫子が大学病院から在宅医療専門のむさし訪問クリニックへ派遣されるところから始まる。大学病院では、認知症患者の場面を描いており、在宅医療もそのあたりを描くのかと思っていたが…。
重い内容だが、ケイズキッチンの人々との交流やクリニックの事務員や看護師の明るい会話が救いとなっている。登場人物は情景に合わせて衣装替え(季節や時間の流れ)を行うなど細かい演出に好感が持てる。そして時々現れるネコ(人形)が、寂しさや哀愁を感じさせる、という心象効果もみせる〈登場させなければ、上演時間が短縮できるので、時間対効果を考えてほしい〉。

1話目は、末期の乳がん患者・知守綾子。病院で助かる見込みのない治療を続けるよりは、自宅で自由気ままに生き、そして死にたいと望む女性の話。タバコを吸い見知らぬ男を自室に招き入れという、一見 自由奔放に振る舞う綾子に、倫子は戸惑う。一方 綾子は倫子の真摯な対応にだんだんと心を開いていく。綾子の会話で、死にゆく人の心理の変化「死の受容」が印象的に語られる。そのプロセス=第一段階(認否と孤立)、第二段階(怒り)、第三段階(取引)、第四段階(抑うつ)、第五段階(受容)が綾子の心境の変化であり、順々とした展開に倫子と関係性を見事に表す。

2話目は、筋ジストロフィー症患者・天野保。若くて意思表示もしっかり出来る。行政やボランティアの支援を受けながら在宅医療を続けている。身体は不自由であるが、言葉は快活をよそおい気を遣う様子、その優しい性格が…。クリスマスの晩、大切な人と過ごすボランティアのため自発呼吸器が外れたことを知らせない。後日 保のブログで、その理由が明らかになる。暗幕が開きlineやブログ画面の映像を映す演出も効果的だ。そして自分の大切な人、その母が保を残して失踪するという切なさは涙を誘う。

3話目は、倫子の父・水戸真一。母サキが面倒を見ていたが、倫子もクリニックを休み在宅医療のため帰郷していた。寝たきりの父とは意思疎通が出来ず、父の終末期医療の望みを聞くことが出来ない。実は、母は父が書いた「尊厳死宣言公正証書」を隠していた。そのことを知った倫子は母を責める。真一とは会話が出来ないが、そのため冒頭 父が歌う「北の宿から」をラストに流す。さて、倫子は父の遺志を無視した母を詰るが、妻のサキにしてみれば意識はなくとも体が温かいうちは…それが情(自分の経験から)というものかもしれない。

看取りの患者のそれぞれに寄り添い、自分の父の尊厳死を受け入れるという”心の強さ”のようなものを感じる。それは職業柄というものかも知れないが、実父の場面では、もう少し娘としての観点で心のざわめきや葛藤を〈演劇では〉描いてほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
どつぼ

どつぼ

ナイスコンプレックス

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/04/26 (金) ~ 2024/05/06 (月)上演中

予約受付中

実演鑑賞

満足度★★★★

市街発イマーシブ演劇…阿佐ヶ谷編。劇場<阿佐ヶ谷アルシェ>を結婚式場に見立て、観客は これから始まる結婚式の参列者という 没入と言うか体験型の観劇。観客(参列者)によって好みが分かれる公演。自分は楽しんだ派。
ちなみに イマーシブ演劇は、新郎が寺山修司を慕う劇団員という設定が妙。

ホームページにあるが、本公演の始まりは、阿佐ヶ谷駅前で北口(新婦側列席者)・南口(新郎側列席者)に集合し、阿佐ヶ谷の街を散歩しながら「結婚式の会場となる阿佐ヶ谷アルシェ」に向かう。散歩は新郎コースと新婦コースの2つ。先導する案内人(濱仲太サン)が、Zoomを使って 店や景色などに思い出や2人の出会いや抱えている悩みなどを説明しながら歩く。そこに結婚式会場で起こる事の伏線が散りばめられている。

結婚式を挙げる迄の苦労話。それは世界的な感染症「ゾンビ禍」で順延を余儀なくされたカップルの苦悩を、ナイスコンプレックスのコンセプトである「実際にあった事件をモチーフに描いている。現実にあったであろう事を観客に体験させることで知ってもらう」を意図している。まさしく劇場のみで完結するのではなく、観客の脳髄に作品の一瞬を焼き付け残したもの。

説明にある「結婚式を控えていた普通の人間。全ての準備が整ったその時、世界は『ゾンビ禍』となる」は、どのような状況下か 容易に想像がつく。公演の結婚式は3回目という設定---延期・中止・決行中断、そして有り得ない事態への「慣れ」は怖いが、それでも人間は逞しい。そんなことを改めて感じさせる公演。
(上演時間2時間15分 散策含む)【新郎側参列者】

ネタバレBOX

寺山修司は、1975年4月に<ノック>と称し 阿佐ヶ谷近郊を劇場に見立てた実験演劇を行っている。閉ざされたドア、閉ざされた心をノックしてみる という謳い文句であったよう。
阿佐ヶ谷アルシェには何回も行っており 道順は知っていたが、改めて街中を散策してみると面白い。案内する場所---例えば、スナック ラスベガス等は公演に関わりがあることから、もう少し詳しく説明してもよかったかも(同じ場所に長く止まることは出来ないが)。

舞台美術、当初は新郎・新婦側の参列者という前提であるから 左右に分かれ椅子に座り、中央はバージンロード。物語(挙式)が進むにつれて椅子の位置やテーブルが運び込まれ 変形していく。

以降追記する
トライアル 2024

トライアル 2024

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2024/04/24 (水) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
当日パンフによれば、初演は14年前で裁判員制度が施行された頃 だという。本作は時代に合わせ加筆修正したとある。表層的には裁判員制度を揶揄するような印象だが、物事(事件等)を疑って多面的・多角的にみることの大切さを描いているよう。演劇的には、裁判員制度といった堅苦しい内容(制度)を 面白可笑しく描くことで、その在り様を楽しく観せ そして考えさせる。

有名な「十二人の怒れる男」を連想させる内容で、勿論 被害者と被告人は登場しない。謎の そして曖昧な人物像を想像させ、事件が起きた状況を素人なりに推理していく。その過程と登場人物1人ひとりの性格や立場を立ち上げながら軽快に展開していく。観客の気を逸らせない楽しい会話、そして いつの間にか事件の核心に迫っていく巧みな構成、見事。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【Aチーム】 追記予定

殺意(ストリップショウ)

殺意(ストリップショウ)

セツコの豪遊

APOCシアター(東京都)

2024/03/08 (金) ~ 2024/03/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

三好十郎の濃厚な一人芝居。
この演目は以前に観たことがあるが、それとは全く趣を異にする公演だった。その理由は、舞台が「高級なナイト・クラブ」ではなく、ジャージのイタコが、 主人公のダンサーの口寄せに挑むというもの。公演の謳い文句であろうか、「私小説をひとり芝居化してきた、劇団 セツコの豪遊主宰・宮村によるひとり芝居新シリーズ。外見の役づくりをせず、あくまでも代弁者に徹すべく、ジャージが衣装」としている。それを承知で観劇したが…。
上演前に、宮村女史が台本はカット(テキレジ)せず、それ故に早口の台詞といった旨の説明をしていた。確かに台詞は早口であったが、以前観たこともあり 内容は概ね分かった。しかし、初めて観る人にとってはどうか?

戦中・戦後といった時代背景、知的な大学教授が左翼 右翼といった思想を時代に合わせて巧みに論じる。地方出身者の無垢な少女は その理論に心酔するが、人間一皮むけば欲望の塊。時代(環境・状況等)の変化と変わらぬ人間の本性を炙り出すような物語。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

素舞台。
ジャージといっても、部分的に切り取ったりし、劇中 袖部分を放り投げるシーンがある。舞台技術…音響音楽は宮村さんの指示等で適宜流れ、照明はスポットライトで彼女を照らし出す。
本公演の見所の1つは、宮村さんの演技であろう。早口で膨大な台詞、時々噛み言い直しをするが 卑小なこと。 また主人公以外の人物を声色を変え、表情というよりは顔面(語弊あるが)といった誇張した演技 表現を行う。そこにジャージによる一人芝居の意気込みをみる。

しかし、最後のストリップショウを終えた女の内なる激情、その淡々と語る姿が想像できない。表層的で女の情念のようなものが伝わらない。
時代は戦中 前後、その激動期に敬愛した男に殺意を抱くことになった経緯を心情面とすれば、彼をじっと観察することで見えてくる男、いや人間の本質とも言える<生>を突き付けたのが真情面。この深奥を鋭く妖しく抉ってくるといった物語の肝が感じられないのが憾み。

緑川美紗が語る半生、そこには人間の愚かさや卑小さ、その相反する優しさや大らかさを膨大な言葉で紡ぐ。彼女は地方の町に生まれ 兄の勧めで上京し、進歩的思想家で左翼の社会学者である山田教授の家に女中代わりとして住む。そこで教授の弟・徹男に淡い恋心を抱き、二人は心密かに気持ちを通わせる。やがて日本は戦争に突入すると、教授は、軍国主義に迎合した論調に変わる。ほどなくして徹男は出征し戦死する。そして敗戦。戦後、美紗は教授が再び左翼になったことを知る。高級娼婦となった美紗は、あることから教授の殺害を決意。そして教授の後をつけ日常を観察し、俗的な一面を垣間見る。知的であり恥的でもある本性と本能、それが人間であると…。

「転向」という言葉はもう死語であろうか。戦中戦後で思想や信念を180度変えても恥じない厚顔、そうした人に対する憎悪という<怒り>を露わにする。物語は1940~50年代であるが、現代にも通じそうな内容である。一時のコロナ対策でブレる施策、臆面もなく前言撤回するという、人間の本性は時代<状況>に関わらず醜悪なのかも…。それでも緑川美紗は強かに生きていく。
次回公演も楽しみにしております。
花影

花影

臼井智希プロデュース

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

新撰組内の確執・抗争を描いた群像劇。特に近藤勇や土方歳三率いる佐幕派と伊東甲子太郎率いる御陵衛士との対立・抗争、山南敬助の隊規(局中法度)違反に伴う切腹など、史実を盛り込みながら<池田屋事件以降の新撰組史>を綴る。

新撰組を歴史---幕末という一時期に狂い咲きした徒花のように捉える。決して肯定しているわけではないが、それでも隊旗の「誠」に込められた意は、それを貫き通すこと。組織という枠は、時として 人の友情 繋がりを壊す無情なもの。物語は、藤堂平助と仲の良かった 晩年の永倉新八が記者に語るという回想形式で紡いでいく。

公演の見どころは、スピードと迫力ある殺陣・アクションシーン。型に嵌った殺陣ではないが、連続した力業とスピードで魅せる。特に土方歳三と山南敬助の対決は圧巻。当日「上演に関するお知らせとお詫び」が配付されたが、それには沖田総司役の志嶺雛さんが稽古中に怪我をしたため殺陣シーンをカットしたと。それでも違和感なく楽しむことができた。出来れば 新撰組一番隊 隊長の殺陣はどんなものだったのか観たかったな。一方 気になったのは、女優陣の声が小さく音楽が被さると聞き取り難くいこと。もう少し声量というか 力を込めた台詞(言葉)回しがほしい。

当日パンフに作 演出の臼井智希氏が、「新選組の史実には不明も多く、舞台はあくまで虚構ですが」と記しているが、だからこそ 逆に不明なところを想像し 描くといった面白さを観せてほしかった。例えば、山南敬助の隊規違反する迄の背景と心情の掘り下げ、伊東甲子太郎との考え方・方向性の違いを鮮明にする。史実の不明・曖昧なことを独創的に描くことによって、物語に幅と深みが出ると思うのだが…。
⭐4と思ったが、伸び代を考え 敢えて辛口評価
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 追記予定

朝日に願え 春公演

朝日に願え 春公演

朝劇三軒茶屋1年ロングラン公演

三軒茶屋orbit(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めての朝劇 体験は新鮮だった。珠玉作。
説明にもあるが、この店のママで 私 馬淵愛理(守谷菜々江サン)の母が倒れ脳死状態。この脳死状態を巡り私と店の従業員 島崎貴明(佐瀬弘幸サン)、常連客2人--佐山香織(新野七瀬サン)・佐山浩司(世良佑樹サン)による濃密な会話劇。そもそも私以外の他人は、医学的または法的な建前という理屈、一方 私は唯一の肉親(娘)で色々な思い その感情が溢れる。相容れない理屈と感情の不毛な激論、その狭間で揺れ動く心、答えが出せない もどかしさ そんな整理出来ない心持を巧みに表す。

簡単に結論付けられない<生と死>の問題、その尊厳に係る会話は、あちこちに漂流し どこに落ち(辿り)着くのか関心を惹く。脚本 テーマは難しいが、演出はシンプルなもの。この会場(三軒茶屋orbit)をママの店に準え、激情した気持を落ち着かせるためにカラオケで歌う。観客は、ほぼ中央にある演技スペース(舞台+カウンター内)の周りに座っているが、その至近距離ゆえ臨場感は凄い。

上演前から 愛理は舞台上のクッションで寛いでいる。そして 唐突に店入り口から従業員、常連客2人の計3人が入ってきて 愛理と脳死に係る激論を交わす。当初、この人たちとの関係が不明であったが、だんだんと分かってくる。同時に親戚でもない 他人がここまで親身になって議論するのか、といった疑問が生じた。脳死を受け入れること、それは親族と他人とでは感情の度合いが違うのではないか。勿論、感情(精神面)だけではなく、病院(見舞い)へ行くといった肉体的な面、病院費用といった経済面等、諸々の負担があることは承知しているはず。ママが倒れてからの状況・経過が判然としないため、脳死の選択という<肝>の部分だけをクローズアップさせたドラマ。
(上演時間55分)【オールシーズン】追記予定

絶望という名のカナリア

絶望という名のカナリア

甲斐ファクトリー

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

第10回記念公演。面白い、お薦め。
人の生きる価値とは…。答え(解)があるような無いような漠然とした問い掛け、それを舞台という虚構性を通して浮き彫りにしていく。その独特の世界観が観客の関心と興味を刺激する。人間はモノではない、そこには喜怒哀楽といった感情がある。しかし物語ではモノ扱いのようで、世間の無関心であり哀れみといった光景が見えてくるようだ。

少しネタバレするが、物語は3つの場面で構成され 必ずしも夫々が直接的に交わることはないが、それでも交錯した展開といった感じがする。タイトルから想像はつくが、人生に「絶望」した1人の男を巡る狂気にして驚喜(語弊があるかも)、そして喪失と再生のドラマ。

現実にありそうなシチュエーション、そこに男の孤独・悲哀といった心情を描く。全体的に澱のような不快さ、そして滑稽でありながら どこか不気味な雰囲気を漂わす。公演の面白さは、脚本・演出は勿論、表現し難い情況をしっかり伝える役者の演技力であろう。見応え十分。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみ

MUSIC BAR道(東京都)

2024/04/20 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

<朗読ユニットさざなみ>は未見であったが、情感に溢れ 安定感ある朗読劇といった印象だ。今回は、宮沢賢治名著として3作品<①どんぐりと山猫 ②注文の多い料理店 ③よだかの星>の朗読であった。3作品のうち<どんぐりと山猫>は知らなかったが、なかなか皮肉と言うか辛辣なラスト。他の2作品は読んで知っていたが、朗読劇として聴くと、また違った味わいのある物語に思えた。小説は、自分の頭の中で平面的な空想を広げるが、朗読は役者の肉体(感情)を通して 物語が立体的に立ち上がるような感覚。さらにギターやフルートによる生演奏が情景を豊かにし、登場する者・物・モノが動き出すような躍動感が生まれる。

朗読するのは、小林千恵さんと中瀬古健さんの2人、演奏は 夜ヒル子さん。朗読は聞き取りやすく安定感がある。時に声色や表情を変え、物語に登場する者たちを息衝かせる。演奏は、朗読の妨げにならない程度の音(量)で賑やかさを出す。この絶妙なバランスが心地よい。

さて、ユニット紹介には「主に日本の近現代文学作品を表現する」とあり、「改めて日本文学を読もうと思ったのは宮沢賢治の『よだかの星』がきっかけ」とある。今回も「よだかの星」を朗読しているが、本公演では不思議と よだか が力強く生きていることが感じられる。勿論 よく言われる弱い者いじめや外見の美醜による差別といった 先行イメージを持っていたギャップによるものであるが、その状況に甘んじないといった何かが…。因みに、さざなみは2022年のコロナ過に結成とあり、云わば逆境の中での活動開始---その意気込みのようなものが朗読に影響しているのだろうか。

卑小、主催側の責任ではないが・・・。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

中央にテーブル、そして3人が横並び。どんぐりと山猫 の時にはガベル 、注文の多い料理店 の時には卓上ベルがテーブルに置かれる。それぞれの小道具は物語に関係したものであり、話を展開する上で効果的な役割を果たしていた。

さて、自分が聴いた回は、観客の中に長く咳き込んだ方がいて 気になった。さらにドリンクを床にこぼし、中央で録画(撮影)していたスタッフが急遽 床拭きをすることになった。全体的に静かで落ち着いた朗読劇、その中で集中力を欠くような状況になったことは少し残念。
オプティーマへようこそ!

オプティーマへようこそ!

A.R.P

シアター・アルファ東京(東京都)

2024/01/24 (水) ~ 2024/01/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

物語は 勿論面白いが,、やはり見どころはダンスシーンであろう。説明にあるオプティーマというホールで踊ることを夢見る少女たち、一方 そのホールで長年トップダンサーとして活躍してきた男の引退という新旧の心情を描いた王道ストーリー。

女子高生ならではの ありそうなシチュエーション---女子高内の対立というか苛め、それをダンス大会での競いに絡め(決着させ)る。同時に父親のダンスへの無理解、それを学業・進学と絡める といった分かり易い展開ゆえ 安定感のようなものがある。
ダンス大会での優勝を目指す、そのためダンスの練習をする。勿論 上手い者も居れば、そうでない者(初心者)も登場させ、日々の練習によって上達するといった姿を観せ共感を誘う。その意味では 女子高生の人間的な成長譚でもある。

多くのダンスシーン、それをダイナミックに観せるため広いスペースを確保する。そのためセットはなし---素舞台だが、後景に情景等を映し出し物語を支える。キャスト陣、特に女子高生役は演技とダンスの違った表現・体現で観客を魅了していた。公演は、幅広い年代層、演劇初心者は勿論 見巧者でも楽しめるような工夫をしており 好感がもてる。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

天の秤

天の秤

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2024/03/29 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
前回公演は 千穐楽に観劇予定であったが、止む無く中止になってガッカリしていた。今回再演を観ることが出来て本当に良かった。前評判 そして期待通り、いや それ以上の満足感を得ることが出来た。全回完売、開場前から劇場である楽園の前は 長蛇の列で驚いた。

風雷紡は社会的事件の概要を描きながら、その中に人間ドラマを息衝かせる。今回も「よど号ハイジャック事件(昭和45年3月31日~)」を取り上げ、その事件の過程における人物の心情を丁寧に掬い上げ紡ぐ。当時は、いや今でも大事件である 日本初のハイジャック事件。劇場地下に降りる階段の壁に、当時の新聞や週刊誌の記事コピーが掲示されていた。

シンプルな舞台美術であるが、この劇場の特徴(ほぼ中央にある柱)を巧く生かし、旅客機内(コックピットと客室)と地上を描き分ける。同時に肉声とマイクを通した音声の違い、さらに映像で時刻を表示し、刻々と迫る状況を表す。怒声に対し平静に対処する、その緩急とも言える表現が得も言われぬ緊張感を漂わす。

事件は報道等で(後日でも)概要を知ることが出来るが、その場にいた人々の心情は解らない。風雷紡公演の面白さは、舞台という虚構性の中に 人の心情を想像させ、さもそうであったかのような臨場感を味わわせてくれるところ。今回は、人それぞれの<正義>とは を問い、さらに人間的な成長譚をも描いている。見応え十分。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術はシンプルで、柱を境に 前は操縦席、後ろを客室に見立てた飛行機(よど号)内。機長・副操縦士の透明椅子、そしてスチュワーデスが別椅子で並んで座る。事件発生と同時に、刻々と刻まれる時間表示が緊張感を漂わせる。時間稼ぎをして対策を練りたい政府と航空関係者、一方 早く国外に出たいハイジャック犯との攻防が見どころの一つ。

「よど号ハイジャック事件」の概要をなぞりながら、観客には その場(機内)にいたであろう臨場感を味わわせる。どの事件もその場にいなければ第三者的な立場で俯瞰しているに過ぎない。この舞台では、観客をよど号の乗客であったかのようなリアル錯覚へ誘うよう。国内初のハイジャックという社会的な事件を扱いながら、一方でそこに居合わせた人々、そして政府関係者の立場や思惑を描く。もっとも乗客は1人も登場させず、状況の緊迫さは 女性・子供の様子や特別な事情がある客の話など、スチュワーデスの機長への報告・説明をもって表すところが巧い。

登場人物は、航空(機内と地上)関係者、政府関係者そしてハイジャック犯。その人物たちの性格や立場そして思惑を絡めた人間模様がもう一つの見どころ。機内では機長と副操縦士の言動と行動の違いで緩急を表し、スチュワーデスによって 登場しない乗客の様子を逐一報告させることで緊迫感を漂わす。また政府関係者である運輸大臣と運輸政務次官が自ら人質になって という政治家としての揺らぎを皮肉る。逆に韓国政府との関係に苦慮し、金浦国際空港で人質解放時に韓国人に犠牲が出たら国交問題になると…。
この登場人物たちを役者陣が特徴を捉え、実に上手く表現している。また石田機長とチーフスチュワーデスとの会話、山村運輸政務次官が母に娘(孫)についての電話は、この事件後の私的(艶聞や殺人事件)なことまで垣間見せているようだが…。

公演では「『剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力』そして、これは『正義』の物語」と謳っているが、国 政府の面目か人質の命かといった秤を描いていることは明らか。同時にスチュワーデスになった動機、さらには先輩後輩もしくは上司部下といった関係性に絡め人の本音と建て前を描く。高額な収入の必要性、先を歩く者は、絶えず後ろから見定められているといったプレッシャーがある。そこをどう乗り越えていくかといった成長譚をも描く。その意味では衝撃的な事件の中に普遍的な人間性を垣間見せる上手さがある。
次回公演も楽しみにしております。
「溢れる」

「溢れる」

プロデュースユニット・カムパネルラ

劇場HOPE(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明にある涙が溢れる女と涙を流さない男、どうして そうなったかという原因というか理由を解き明かしながら、二人の繋がりを抒情的に描いた青春群像劇。二人は旧知の仲というか、親戚関係にある。物語は、男の或る事故が原因で二人の感情の揺れ、感受性の度合いが違ってきた。全体的に丁寧な作りで好感がもてる。

物語は<涙のソムリエ>が経験した事例解説といった展開で紡いでいくが、それはプロローグとエピローグでその旨の台詞があるだけ。構成としては、あまり重きを置いていないよう。むしろ、事例解説として紡いだ内容が、<涙を流す 流さない>といった ありふれたことに意味を見出しているところに面白さがある。それが「感受性が豊かだね」「優しい人だね」VS「心が死んでいる」「冷たい人だ」という対照的な人物を立ち上げ、観客に問い 考えさせる。それぞれの立場のシーンを描き、そのどちらにも肯いてしまう説得力ある言葉だ。

内容は勿論、感受性の豊かさを表現する場面では、人のノートまたはメモの一部を奪うような 比喩的な描き方をしており巧い。感情移入の度合い、その整理出来ない感情を仕事(メモを捨てられない)に絡め表している。二人の男女をメインストーリーとすれば、人の涙を見るのが好き、いや流れる涙から、その人の物語(人生)を覗きたいという、変わった嗜好?の男のサイドストーリー。その二つの物語を巧みに繋げ、謎解きのように興味を惹かせる。総じて若い俳優陣だが、心情・深層表現の巧さ、時に面白可笑しい場面を挿入し 飽きさせない工夫が好い。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は左右で色彩が異なる、そこにすぐ泣く 泣けないといった違いを表しているよう。舞台技術は不穏というか不安になるような音響と優しく奏でるような音楽、その効果音が印象的だ。全体的にフワッとした感じ、そこが瑞々しいといった感じになっている。

メインストーリーは、すぐ泣いてしまう女性と泣くことが出来ない男、その2人の心の在りようを抒情的に描いている。2人は従兄妹、そして従女は 学生 もしくはもっと幼い時から従兄のことが好きで、今でも慕っている。この男性が、高校の時に事故に遭い サッカーをあきらめざるを得なくなる。この時、男はショックで泣きたかったが、先に彼女が泣き 自分の遣る瀬無い気持を持っていってしまった。男は泣くこと(涙)を奪われ、女は感情移入が激しく泣いてばかり。

サブストーリーは、人の涙に そのひとの人生が見える。人の人生を覗き見るといった嗜好?の男が、涙のカウンセリング講習会に通い続ける。涙の味は、その人の人生の味わいか。涙のソムリエを称しているカウンセラーが、泣いてばかりいる女性の原因・理由を探ろうとするが 手がかりがつかめない。そこで講習会に通う男の力を借りて…。

泣くことは、仕事のモチベーションが下がり非効率、一方 泣いてスッキリして前向きになれるといった議論めいたものがあるが、考え方次第の理屈付けのよう。2人の思いがぶつかり、過去の出来事(もしくは思い違い)が洗い流されるかのようなラストシーン。予定調和であるが 何となく清々しく気持良い好公演。
次回公演も楽しみにしております。
レンタルディレクター

レンタルディレクター

演劇企画アクタージュ

studio ZAP!(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地方都市にあるレンタルビデオショップ<カリチャイナ>が舞台。その街の夏祭りには、商店街の店が 或る出し物…イベントで街興しをしているよう。カリチャイナでも催しの準備をしようとするが、アイデアが浮かばない。物語は、善意に溢れる地元の人々と東京から来た憂い謎めいた一人の青年との交わりを通して、人の<優しさと切実さ>を仄々と描いている。

少しネタバレするが、夏祭りには 映画の上映を目論み、宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフに、ショップ店員が脚本を書き下ろす。物語の基調には、よだかの星…容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われている を意識しているよう。表層的にはコミカル、ユーモア溢れるといった印象だが、そんな中で 東京から来た青年の存在と仕事がカギ。ショップに出入りする個性豊かな人々を描いているが、その背景には地方都市の活性化が透けて見える。同時に人の心にある苦しみ・・人との関わりが苦手といった ありふれた悩みを取り上げている。

物語では、克服すべき困難に立ち向かうといったことではなく、ただ その人を肯定する といった自然体で受け止めている。登場するのは、ショップの店長や店員、八百屋の夫婦、美容院経営者、そして会社員など 普通の人々。その人々が抱える普通の悩みだからそこ、観客のあるある感情を刺激する。

最近見かけなくなった レンタルビデオショップという設定が妙。人の滞在時間は、借りて すぐ帰る人もいれば、店で視聴する人もいる。人の出入りが自在に出来ること、地方都市ということで 昔馴染みといった常連客を取り込んでおり、登場人物が固定していても不思議ではない。そこへ東京の人…仕事と苦悩 そしてショップ店員の悩みがシンクロしてクライマックスへ。癒し系劇 といったところか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に丸テーブルと椅子、上手後ろにDVDが並んだ棚、下手も同様に棚やリビングチェアが置かれている。壁には映画のポスターやチラシが貼られており、レンタルビデオ店といった感じは出ている。ほぼ中央奥が出入り口、下手は別部屋へ通じる。

レンタルビデオ店は、ほとんどが常連客で日々騒がしい。人見知りの従業員(バイト)高畑綾乃を「よだかの星」に準えて、彼女の心を解(開)放しようと働きかける人々の優しさ。また近所の八百屋の夫婦喧嘩、その八百屋の女将と絡む美容室の女性オーナー、仕事が忙し過ぎる会社員など、どこにでもいるような人々が織り成す人情劇。夏祭りといった地域 季節の風物詩(イベント)を絡め 面白可笑しく仕上げている。

個性的で愛嬌ある人々、その言葉と行動に隠された優しさ。そして 社会にある棘のようなコトへの皮肉と人への応援がしっかり伝わる。まず 八百屋の主人は、ビデオ店へ入り浸ってエロDVDを借りている。妻はそれを知っている。夫婦して何気にビデオ店の売り上げに貢献しようと。
また ブラック企業のようなところで働いている会社員、自分がいなければという強い責任感。しかしビデオ店の店長 黒澤明は、例えば この店のバイトが1人居なくなったとしても大丈夫。それが組織というものと諭す。

この気心知れた人々がいる街へ、東京から写真を生業にしている青年 諏訪信二がやってきて、物語は動き出す。風景写真は撮れるが、いつしか人物は撮れなくなったという。実は女性が乱暴されそうなところへカメラを向け、助けたことがあった。その時ファインダー越しに犯人の目を見て といったトラウマを抱えている。この心に傷を負った青年と ビデオ店の人見知りの女性の淡い恋が…。
全体的に優しく仄々とした雰囲気、それを役者陣が楽しんで演じているよう。

蛇足ながら、カメラマンが人物を撮れなくなった理由…自分は戦場カメラマンとして戦地の不条理、といったことを連想した。
次回公演も楽しみにしております。
白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
表層的には、演劇(虚構)としての面白さ可笑しさの中に、現代日本の課題を点描して物語を紡いでいく。日本のどこかにあるような情景を立ち上げているが、必ずしもリアルではない どこかずれているといった印象だ。過度に感情移入させることなく、物語として楽しんでもらう、そんな娯楽性を感じさせるが…。

シャッター商店街となった一角にあった白鳥鮮魚店が舞台。日本語教師のボランティア、そして外国人を自宅に住まわせ共同生活をしている白鳥亀子、そして久しぶりに実家へ帰ってきた次男 香魚夢の親子を中心に巻き起こる人情劇。そして 驚かされるのが舞台美術。劇場内には日本の原風景が、そして個性豊かで人情味に溢れた人々が生き生きと描かれている。

同居人が外国人という設定であるが、別に外国人である必要はない。家族ではない他人---街(地域)の人々との心温まる内容でも物語は成り立つ。夫婦で魚屋を営んでいたが、夫は8年前に亡くなり妻(亀子)が一人になった。息子たちは家から離れ、今では ほとんど帰ってこない。切実さと可笑しみが切り取られた光景がそこにある。この独居(老人)問題だけではなく、色々な課題を投げかけ 観客それぞれが抱く思いに寄り添う(共感を得る)ような描き方だ。

当日パンフに脚本・演出の谷藤太 氏が「古き懐かしき昭和の香りがそこかしこに漂っています」と書いており、まさしく郷愁を思わせる作品に仕上がっている。観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、シャッター商店街と化した鶴吉商店街、その街並みとその一角にあった白鳥鮮魚店。大漁旗、電柱に電線、スナックの看板など懐かしさと活気、そしてシャッターが閉まった店先が並ぶといった廃れ寂れ、その両方の面影・光景が同居している。この作り込まれた舞台セットを観るだけでも価値はある。

白鳥家には3人の子…長女は幼い頃に交通事故死、長男は行方知れず、そして主人公とも言える次男 香魚夢(中学校の英語教師)である。そして鮮魚店の主(あるじ)であった父は8年前に他界し、店は廃業し 母は地元で日本語教師のボランティアをしている。香魚夢は大晦日に帰ってきて、実家の様子と母の生活環境の様変わりに驚く。実家に住んでいる外国人たち、仲違いしている母と娘、認知症の母と息子、引篭もりボランティアなど個性や背景が区々の人々を面白可笑しく描き、日本のどこかにあるであろう風景を描き出す。また舞台技術としても、背景の壁に 月や雲といった情景を映し出す。

同時に、今の日本が抱えている課題・問題でもあり、どこか共感してしまうであろう話が描かれている。切実なコトを優しく労わるような紡ぎ方をしており、人間関係の妙---人情味溢れる結末は劇団enjiらしい。物語は大晦日から翌年の夏祭り迄の半年間、その間に香魚夢の心境の変化---その最たる出来事が、姉を事故死させた本(犯)人との対決。

同時に、教師としての自信喪失からの再起と自分の娘との関わり方を模索する。公演は、商店街等の人々の群像劇であり 1人の男の成長譚でもある。ちなみに タイトル「白鳥先生と過ごした2日間」は、鮮魚店の跡を継がなかった息子の教師ぶりを 父が亡くなる最後の2日間ずっと授業録音(テープ)を聞いていたこと。親の心情がしっかり伝わる逸話。
次回公演も楽しみにしております。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

とても情感に溢れ、抒情的な朗読劇。
役者(女優)陣の朗読力は勿論のこと、全体の雰囲気作り‐‐‐音響・音楽、照明が物語の情景を巧く表現していた。少しネタバレするが、物語はチラシ説明(裏面)にあるように「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話から成る。この2つの物語は時間軸を隔てて関係している。何故 時間軸を違えて2話なのか、といったところが公演の肝。

「青春カルペディエム forラナンキュラス」は、高校3年の時の話であることから瑞々しい印象、一方 「魔女のお茶会 forスノーフレーク」はしっとりとした雰囲気を漂わす。役者が一部入れ替わることから、話し方や雰囲気が異なるのは 当たり前だが、2つの物語に共通した優しさは変わらない。そして それぞれの花言葉に込められた思いを紡ぐようでもある。

上演前から せせらぎを思わせる水音、そして朗読中にも水音や微風・涼風をイメージさせる効果的な音響。また情景を優しく包むかのように流れるピアノ音楽。照明は時間を表す、例えば 夕方(夕日)は茜色といった色彩。時々の照明の諧調が情景を、役者へのスポットライトは心情を見事に表す。
マイクを使った朗読であるが、聴き取りやすく しっかり物語の世界観に浸れる心地良さ。余韻と印象付けを意識したような演出に思える。
(上演時間1時間15分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

朗読劇として横並びに椅子とマイクが4組。
「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話は、20年という時を経ている。「青春カルペディエム forラナンキュラス」は高校3年生の時に転校してきた南野ベルシアと地元の森宮咲胡の純真 繊細な友情を抒情的に描いている。「魔女のお茶会 forスノーフレーク」は2人が卒業して20年の時を経て邂逅するような展開かと思っていたが、実は違う人物。しかし この設定のほうが心に響く。

ベルシアは 父親の転勤のたびに転校を繰り返し、友達が出来ても すぐ別れてしまう。その淋しく虚しいを思いをしないため、敢えて友達作りをしない。しかし咲胡は、ベルシアのそんな気持を知らず、彼女に関心を示す。そして いつしか2人は親しくなり卒業を迎える。ベルシアは父の元へ、咲胡は刺激を求めて東京へ それぞれ違う所へ行く。

それから20年の時が過ぎ、咲胡は地元へ戻ってきて 魔女と呼ばれるようになる。毎日決まって行く喫茶店、そこへ(修学)旅行でやってきた福原という少女と親しくなる。彼女はベルシアの娘で、母は亡くなったという。携帯電話に親しい人の連絡先を登録しておいたが、壊れてしまい…。その後悔と謝罪の気持を伝えることを娘に託したようだ。咲胡は解離性同一症に悩んでおり、実は高校3年生の時はベルシアだけではなく、彼女自身も救われていた。

咲胡が、ウサギ(ぴょんきち)に話しかけていたのは、喫茶店オーナーで高校の飼育係の後輩としてなのか、またはウサギを擬人化させて独り言を呟いていたのか判然としないが、結末としては上手くまとめていた。それぞれの物語は単独でも味わい深いが、2つを繋げることで 人の情感や関係がより鮮明に描き出され 深みと幅が増していた。
次回公演も楽しみにしております。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
寂れた温泉街、閑古鳥が鳴く旅館・湯鳥を舞台にしたヒューマンドラマ。物語は、温泉街 旅館の活性化と街興しに絡んでの人間再起が交錯して展開していく。人の再起に関しては、それぞれの考え方 生き方を問うようなもの。表層的には面白可笑しく描いているが、地域興しや人への思いやりを通して、古き良き時代?を思わせる。

9-Statesの特長ともいえるモニターを活用した演出…言葉の持つ<力>を台詞と文字で聞かせ そして見せる。少し哲学めいているが けっして世迷言ではなく、心に刺さるような味わいがある。すぐに物語の内容や人物に準えて理解することは難しく、後になって反芻するようなもの。

物語は、生きることに疲れた男 西野海斗が主人公、そして彼をめぐる個性豊かな人々との交わりを通じて人の喜怒哀楽を高らかに謳う。誰彼が善・悪でもなく、人それぞれに立場や事情がある。それは本音でぶつかり合うことで解る、理屈ではそうなのだろうが そう簡単ではない。そんな問いかけ をするような描き方である。そこに この公演の強かさがある。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、旅館 湯鳥(ゆとり)のロビーといったところで、中央に帳場、その横奥は別場所へ通じる階段。上手は玄関に通じる通路---障子、暖簾、雪洞そしてベンチが見える。下手は少し高くし和室---卓袱台や座布団、更にその横に厨房へ通じる通路がある。上手下手の上部にモニターがそれぞれ設置されている。

物語は温泉街の復興と人間の再起…閑古鳥が鳴く旅館だけに出入りする客は一組の家族だけ。それ以外の多くは旅館の従業員。そして温泉街の活性化のために企画したのが小説の舞台になった この温泉地の聖地巡礼。その小説家の創作に係る考え方や生き方が旅館の人々ひいては温泉街の復興に絡んでくる。

小説家として名を馳せているが、実は当人ではなくペンネームを拝借している 全くの別人。自分の書きたい題材では売れない=小説家としての存在が認められない。一方、世間が求める題材と自分が書きたい題材とのギャップに悩み苦しむ。すべて編集者の言いなりで良いのか自問自答するが…。

温泉街の人々VS 小説家と編集者の双方の思惑が錯綜する。旅館の従業員 西野海斗(瀬畠 淳サン)は、元編集者でありペンネームを無断使用されていた小説家の担当であり恋人であった。小説家としての(自分)才能と世間の評価の狭間で悩む姿に人間らしさを見ることが出来る。結局は、世間に流されることなく自分自身を見失わないこと らしい。
次回公演も楽しみにしております。
ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

劇団帰燕

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

チーム全員で、前説を兼ねたトークで上演前の雰囲気を和ませる。上演前なら写真撮影OKとのことでサービス精神に溢れている。やはり旗揚げプレ公演 第一弾ということもあり、気を使っていることは ひしひしと伝わる。

物語は、まだ何者にもなれていない若者が、若さゆえに悩む葛藤もしくは恋愛といった内容。自分の気持に正直に向き合うのが怖い、そんな誰もが持つ感情を仲良し3人娘を通して描く。始めは緩い恋愛モノかと思って微笑ましく観ていたが、終盤は 人それぞれが抱えている心の闇のようなものを露呈する展開だ。

タイトルに<ミュージカル版>とあるから、歌やダンスで観(魅)せようとしているが、少し緩いようだ。歌の音域・声量やダンスのキレなど課題も散見出来たのではないか。なにより、本当に歌うべき または踊るべき場面なのか。ミュージカル版にすることで得られる印象 効果がなにか 分からなかった。逆に、先に記したラストのストレートプレイ シーンのほうが内容と相まって力強くて 引き込まれた。

場面転換ごとに衣裳(コスプレ風を含め)替えをしているようで、場所・時間の違いや経過を表現している。また視覚的な意味でも楽しませる工夫をしているところに好感。勿論、脚本や演出の力に負うところもあると思うが、演技は粗削りだが 緩急があり自然体といったところ。
(上演時間1時間25分 途中休憩なし)【Bチーム】
追記予定

Musical  Collection 1 陽だまりに青

Musical Collection 1 陽だまりに青

Muse:Am

シアターシャイン(東京都)

2024/02/09 (金) ~ 2024/02/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

Muse :Am旗揚げ公演とは思えない珠玉作。この団体は「生の音にこだわった作品創りを心掛け、劇中の音楽は全て生のピアノ一本で紡がれる」としている。歌とピアノで抒情的な雰囲気を漂わせているが、フィンセント・ファン・ゴッホという特異な存在が現実の世界へ。ゴッホ兄弟の生涯を義妹の視点で描いているが、肉親とは異なり 少し距離を置いた客観的な感情といった印象だ。

舞台美術は、オフホワイトを基調にしたシンプルなものであるが、場面に応じてプロジェクターでゴッホの絵画を投影する。団体名「Muse :Am」は、MusicalとMuseumの融合で、演劇を「体験」する「目撃」する「鑑賞」するを意としている。その意味では、この演出は団体の真骨頂と言えるだろう。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、天井に白い紗幕や額縁、板上は二段になっており脚立のような半階段、イーゼル、ハンガーなどが置かれ、後ろはシーツで映写幕を兼ねている。全体的にオフホワイトで浮遊感があり、また これからの人生を何色に染めるのかといった隠喩が込められているよう。因みに冒頭は「ファン・ゴッホの寝室」の絵画が映し出されていた。

物語は、アムステルダムで英語教師をしていたヨハンナ(渡辺七海サン)とテオドルス・ファン・ゴッホ(宮脇僚汰サン)が偶然出会い、テオドルスからのプロポーズを受け結婚するまでを甘酸っぱく紡ぐ。そして彼の口から兄フィンセント・ファン・ゴッホ(粂川雄大サン)との思い出 話を聞く。回想の中における時間の変化を流光のような照明で表現するなど丁寧な観せ方だ。また大きな箱鞄を運び入れ、衣裳や小物の出し入れをする。これもフィンセント・ゴッホの頻繁な旅や転居を表しているようだ。

物語は、世界的に有名になったフィンセント・ゴッホの 良き理解者で支援者であった弟との関係を中心に描く。そして弟のテオドルスの妻として、またフィンセントの義妹として彼ら兄弟の関係を、或る時までは微笑ましく見つめていたが…。それはフィンセントが片耳を切り落としサナトリウムに入院している間も変わりなく支援していた。彼女にとって 夫そして生まれてきた息子、その暮らしを思うことが第一。その心情は当たり前…夫の画商として独立したい夢と余命、フィンセントに振り回されたという思い、諸々の感情と激高がクライマックス。勿論フィンセント・ゴッホの最期まで描く。惜しいのが、画家ゴッホの芸術家らしい思索と苦悩といった内面が十分描き切れていないところ。事実の断片が描き紡がれるが、その懊悩が何かといった面を もう少し掘り下げられれば…。

ピアノの生演奏(久野飛鳥サン)、またキャスト3人の生歌も心地良かった。勿論、場面に応じた衣裳替えと情況に応じた歌が心情表現として利いていた。またピアノは音楽だけではなく、例えば、赤ん坊の泣き声など、音響効果としての役割も担っていた。
次回公演も楽しみにしております。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

サスペンス&ブラックコメディといった公演で、東京 新宿にある地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」で飲食しながらの観劇。実際は 食べながら観るのは難しいかも。
舞台は 都会の片隅の地下倉庫ということだが、レストラン会場ということもあり、その雰囲気はない。どちらかといえば熱気むんむん、満席だから当たり前だろう。

物語の内容からして タイトル「私を殺して…」は、逆説的な意味合いにとれる。人は究極(生死)の状態に追い込まれると、生きることを欲す。その心情表現を表面的には面白可笑しく観せながら、物語は二転三転するような展開。役者は、時に会場内を歩き回り 観客を弄り、または舞台に上げ一体感を煽るような。前説でも 木下采音さんが「(^^♪東京ハイビーム~」と掛け声をかけ、決まり文句の唱和を求めるなど 場を盛り上げる。

さて、説明によれば 自殺コ-ディネイタ-安楽(久下恭平サン)の元に自殺志願者のマドンナ(黒田由祈サン)と名乗る女がやって来て、「美しく死にたい」と…。安楽はマドンナにさまざまな死を提供するがマドンナはなかなか納得しない。そんな中、怪しい訪問者(栂村年宣サン)が乱入し事態は思わぬ方向へ…。中盤までは、安楽とマドンナの(掛け合い)漫才のような軽快な会話が続くが、訪問者の登場で雰囲気は一転し怪しげになる。ここから物語 そして会話が漂流し始め、どこに辿り着くのか俄然興味を惹くようになる。

大ヒット韓国演劇の日本バージョン…韓国での公演は分からないが、日本では舞台セットに溶け込むようにピアノが置かれている。駒木菜穂さんの生演奏が、効果的な音響・音楽を担い 同時にライヴ感を引き出しており楽しめた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

ワイルド番地

ワイルド番地

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
「珠玉のデュエル(決闘)コメディー!」という謳い文句は、誇張なんかではなく 本当に楽しめた。演劇初心者から見巧者まで、幅広い人たちに受け入れられるのではないか。
魅力の第一は 物語の分かり易さ、第二は テンポよく展開し飽きさせない、第三は 決闘という非合法を 敢えて合法化することで心情を炙り出す。演劇の面白(味わい深)さを しっかり表現したような公演。観応え十分。

上演時間2時間(途中休憩なし)だが、あっという間 というのが実感だ。公演中なので 詳しく記さないが、最近笑っていないな という人にはお薦め。ぜひ劇場へ。
追記予定

ナマリの銅像

ナマリの銅像

劇団身体ゲンゴロウ

新宿スターフィールド(東京都)

2024/03/27 (水) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

タイトルにある「銅像」は虚像を表し、「立場が人を作る」といったことを思わせる。気弱で自分の意思をハッキリ伝えられないような青年が、いつの間にか神に祀り上げられ 島原の乱の指導者になってしまう。本人の戸惑い、困惑とその言動に振り回される人々の悲哀を史実に絡めて描く。

舞台という虚構性の中に社会性と人間性の両面、さらに過去と現代を繋げる、そんな輻輳する作品。表層的には、江戸時代初期に起こった一揆という社会ドラマ、それに否応なく関わることになった人々の人間ドラマを交錯させた描き方だ。しかし、一揆の概要を観せるだけで、敢えて深堀しなかったようにも思える。むしろ島原の乱と太平洋戦争を絡めた不条理劇が立ち上がる。人の意思など時代の趨勢に飲み込まれ、否応なしに破滅の道へ…。

公演の見所は、人間の弱さとエゴが 事態を悪化させ、取り返しのつかない状況へ追い込んでいく。その過程をテンポよく観せ、どのように物語を収斂させるのか といった興味を惹かせるところ。総じて若いキャストのキビキビとした動き、その躍動感あふれる演技が熱演のように思える。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Bチーム】
2024.4.2追記

ネタバレBOX

舞台美術は、数枚(個)の平板と箱馬を変形させ情景を作り出す。基本は和装、武器は棒を刀に見立てるなどシンプルなもの。
特に島原の乱と太平洋戦争を思わせるシーンは迫力がある。乱の場面は、天草四郎=神格化された青年が箱馬の上から拡声器を使って煽るような言葉を浴びせる。戦争の場面は、暗闇の中でLEDライトを点滅させ、閃光と爆撃といった照明・音響で迫力・緊迫感を出す。

物語はパチンコバイト青年・益田は店内でマイクパフォーマンスで客に金を使わせる。その煽るような口調を買われて、島原の乱 の指導者へ。信念なき指導者の下、一揆を加速させる仲間たち。しかし、史実にある通り 劣勢になり鎮圧寸前の状況になっても、戦うことを止めない。虚像に踊らされた多くの犠牲者…農民もいればキリシタン信徒、その翻弄された人々の姿こそが怖い。

一方、益田を神に祀り上げた人々は、信じたふりをする。誰も指導者=責任者になりたくはない。翻って自分で考えることをせず、誰かに責任を押し付ける。そんな人の弱さエゴが浮き彫りになる、と同時に為政者という立場の思惑を描く。いつの時代も変わらぬ<人間の姿>を描いた群像劇。

音響・音楽は銃撃といった効果音、宗教音楽、そしてピアノを奏で優しい雰囲気を作り出す。先に記したLEDライトの点滅など効果的な工夫をするなど、演出にも工夫を凝らし好感が持てる。ただ過去と現在なのか、その立ち位置(時代感覚)、世界観の違いが曖昧に思える。それが妙と言われればそれまでだが、やはり物語の流れがしっくりこない といった印象だ。
次回公演も楽しみにしております。

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