タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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リンカク

リンカク

下北澤姉妹社

ザ・スズナリ(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
当日パンフに作 西山水木さんが「不思議な客席に驚かれたことでしょう…」とあるが、自分も こんなザ・ズズナリは初めて。スタッフに たまたま空いていた席に案内されたが、まさかの正面ど真ん中。俯瞰するような感覚で観た。

梗概は それほど難しくはないが、そこに登場する人物の性格や情況、気持を推し量ることは容易でない。人物像の輪郭がハッキリしない、もっと言えば 自分がどうしたいのかといったことが自身で分かっていない。それが、色々な人と関わりあうことで自分の意思を持つ、そんな自覚していく様子が描かれている。

登場するのは一家族だと思うが、その人達の関係も歪というか不思議で、自分の狭い常識の中では考え難い 不可解なこと。そこに他人が関わることで分かってくる事実が、この物語の妙。そして、一見 不思議な舞台美術(客席配置含む)だが、物語を紡ぐ上では理に適っている。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に花道のような長い舞台。いつもの座席位置を正面とすれば、花道の両側にも客席を設えている。花道の中央に窪み、そこに主人公 華子が入り天井から水が流れ びしょ濡れになる。このためだけの穴のようで、以降の場面では閉じてしまう。

本筋--これが説明にある投身自殺を思わせるシーンであろう。そこで謎の女に助けられ、彼女を連れて自宅へ帰る。この家族、同じ敷地内に夫の愛人とその娘が一緒に住んでいる。そして愛人に家事をさせ 対価を支払っている。華子には息子がおり、娘は幼い時に交通事故で亡くしていた(時々 マリオネットで登場)。息子は、娘(姉)の死は自分のせいだと思い、心を病んでいる。自室に籠もり動画配信をしている。そして愛人とその娘(異母妹)を甚振ることで平静を保とうとしている。夫は愛人とその娘に介護してもらっているという歪さ。

脇筋--愛人の娘が 通う大学のダンス部 先輩の話、これを別の心の病として描く。ダンスに情熱を注いでいるが、それだけに他の部員に厳しい言葉で指導してしまう。それがパワハラと誤解され、離れて行ってしまう。そんな苦悩を抱え、今では一人でダンスをしている。

心を病み、苦悩を抱えた人々、そして複雑な家族関係の中で平静を装った暮らし。そのため自己主張せず、淡々と無難にやり過ごすこと。そんな諦念とも言える感情が、自分というリンカクを暈けさしている。ちなみに 家族の複雑さは、引き籠りの息子の出生にまで係る。その対比として脇筋のダンス部女子大生は、自己主張の強さが災いし 人間関係を築けない。そして同じように心を病んでいる。

謎の女は、人は己の愚かさには無自覚。その目覚めさせるような道化師(愚者)として登場させているようだ。そして<家><家族>といった枠から感情を解放させ自由になる。それが謎の女との旅へ…。
次回公演も楽しみにしております。
こどもの一生

こどもの一生

あるいはエナメルの目をもつ乙女

王子小劇場(東京都)

2024/05/15 (水) ~ 2024/05/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白いが、好みが分かれるかも…。
物語を前半と後半という括りをすれば、コメディとホラーで その落差が大きい。原作は中島らも で、その混沌 不穏 狂気と化した恐怖の世界観が十分に味わえる。

原作(脚色)の面白さは勿論だが、照明音響といった舞台技術がすごい。上演前の注意アナウンスや観劇確認メールで「戯曲における表現を尊重し、また時代背景の描写や演出効果のため、公演では<差別用語、暴力表現、流血表現、大音量の使用、強い光の点滅>」がある旨、説明があった。

ある人物が登場して、それまでの雰囲気が一転して…。おっとネタバレしそうだ、ぜひ劇場で。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 2024.5.22追記

ネタバレBOX

舞台美術は、両隅に古びた石柱、後景は平板が縦・横そして斜めに無造作に張られ、その間から葉が茂っているのが見える。所々にキノコらしきものが生えている。上手にモニターとキーボード、後々 分かるがパソコン。全体的に山奥にある怪しげな建屋といった雰囲気だ。

物語は、説明の通りで 製薬会社の三友社長とその秘書 柿沼が、瀬戸内海のとある孤島にある医学クリニックを訪れるところから始まる。そこで精神療法を受ける患者たちはストレスを取り除くため10歳の「こども」に返り、共同生活をしている。当初 社長たちは、この地を買収しようとしていたが、いつの間にか治療を施されるようになり…。大人の時の立場は、こども になっても引き摺っている。暴力・差別・虐め等、大人の世界とは違う子供の世界--そこで三友を仲間外れにするようなゲームを始める。

山田のオジサンという架空の人物を創り、三友が その人物の話題に入ってこれない意地悪をする。しかし 突然、架空の人物が現れ恐怖の世界へ。オジサンの口癖、よろしいですかぁ、ピーコピコ。映画でも見かける凶器を持ち出し、殺戮を始める。目の前の惨状が現実なのか幻覚・幻影・幻想なのか、そこに込められた事実(舞台美術にヒントあり)が物語の肝。

この山田のオジサンは、中島らも 氏の実話に基づくものらしい。ちょっとしたキッカケで仲間を煙に巻くために思いついたゲーム。仲間内で飲んでいる時に、やたらと人の話にクチバシをいれる者がいた。彼が席を外した隙に架空の人物を創り上げたと。しかし このゲームは危険だから二度としなかったらしい。

舞台技術の迫力に圧倒される。音響音楽は轟く雷鳴を始め、地響きするようで体が揺れるよう。妖しげな、そして 剣の舞 のようなクラシック音楽が緊張感を高める。また照明は目つぶしを始め、強い光線や妖しげな色彩、その諧調で効果的な雰囲気を漂わす。
次回公演も楽しみにしております。
マクベス

マクベス

King's Men

座・高円寺2(東京都)

2024/05/14 (火) ~ 2024/05/16 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

シェイクスピアの四大悲劇の一つとして有名なマクベス。それを「みずみずしく大胆な舞台意欲で、全く新しいシェイクスピアの世界を創出」という謳い文句で、「マクベスを、悪の化身としてではなく、人間の本質的な心の闇、善良であるがゆえの弱さを持つ、両義的な存在として描き出す」と力説。当日パンフは、手作りの<チラシ+15頁>という 力の入れようだ。

魔女の予言を信じ、ダンカン王を暗殺して王位を奪ったマクベス。そして王位を守るため次々と殺人を重ね、暴君として滅んでいく という内容。当日パンフに、平澤智之氏と絵里さんの対談が記されているが、その中で作品のテーマを<人間の心の問題>としているようだ。心の闇=世の破綻、しかし心の善良=救いといったことで負の連鎖を終えたいと。それをラストシーンに凝縮させたとある。
因みに、この公演の魔女は 民衆に見立て無責任なことを言う。そんな愚衆(現代では真偽分からぬネット情報か?)に踊らされた人間の愚かさをマクベスにみる。

シェイクスピアの他の作品でも、人間が矛盾を抱えていることを表していたと思う。勿論 「マクベス」でも魔女たちが「きれいは汚い、汚いはきれい」といった台詞があったと思うが…。論理矛盾があったとしても、それはそれとして成立する。人間の多面性、真実や正義は一つではない世界観、そんなことを物語っている。その意味では、この公演(テーマ)は自分が観てきた「マクベス」と大差(新機軸)はなかった。

人間の矛盾した感情、一方 物事の真価を見る目は重要。目先の利益等といった外見に惑わされ、本当に大切なことは何かを改めて考える ということが昨今の課題ではないだろうか。例えば コロナ禍においての不自由、不平等、不寛容といったことが挙げられ、時代を超えてシェイクスピアの作品は訴えかけてくるようだ。そこに色褪せない現代性があり、面白さがあるのだと思う。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

素舞台。役者がアクションをするスペース(客席 通路も使用)を確保する必要があったと思うが、他に「プロジェクタを使用した芸術写真の作品の投影」を効果的に見せるためであろうか。「甘美で、暴力的で、詩的な空間が客席と舞台を一体化」とあったが、花畑や抽象的・幾何学的な模様で、あまりピン とこなかった。

1人の男優が、他のキャストをバックダンサーに従え歌う。また手話シーン等、色々なことが盛りだくさんだが、何を表現したかったのだろう?

また衣装は西洋・時代といったものではなく カジュアル。小道具(武器)は、西洋・剣、日本・刀といった何でもあり。全体的に統一感がなく、というか敢えて外観(外見)に惑わされずに、物語の本質を観せようとしたのか。そしてマクベスが少しづつ上着を脱ぎ といった過程は、だんだんと人心が離れていく象徴か。最後は裸の王様ならぬ半裸姿(筋肉美だ)が痛々しい。

演出・主演は、劇団シェイクスピアシアター出身のシェイクスピア俳優・平澤智之氏と、高村絵里さん。この二人の演技は熱演と思うが、俳優陣に演技力の差があるようで ぎこちなさ が気になった。
次回公演も楽しみにしております。
609号室からの脱出/ 口を開け、息だけを吐け

609号室からの脱出/ 口を開け、息だけを吐け

演劇集団nohup

RAFT(東京都)

2024/05/11 (土) ~ 2024/05/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演劇集団nohup&劇団よけいの事 の2団体によるコラボ公演。公演は4回だけだが、すべて満席(完売)。勿論 作・演出は別々だが、どちらの作品も基本は会話劇。当日パンフに nohup主宰の朝比奈史樹 氏が「約10年ぶり、大学以来となる志島との合同公演」と記している。どちらも会話劇だが、ラストの観せ方が違うため印象は全然異なる。

まず「609号室からの脱出」は、登場しないヒロインが2人の男をラブホテルに閉じ込めて といったコミカル調の物語。ラストは、そのような状況になった事情などの謎解きと脱出を…。一方 「口を開け、息だけを吐け」は、今事情を反映させた内容で 途中からサスペンスミステリー調になる。ラストは観客に問い掛けるような。端的に言えば「609号室からの脱出」は人間ドラマ、「口を開け、息だけを吐け」は社会(世間)ドラマといった印象を受けた。その違いをコラボ公演として観せる好企画。

チラシ(裏面)に あらすじが書かれており、「609号室からの脱出」は 2人の男がラブホテルの一室で交わすチグハグな会話、その漂流するような内容から夫々の境遇と状況が浮き上がる。「口を開け、息だけを吐け」は、当日パンフに 劇団よけいの事 主宰の志島はこ さんが「6年ぶりの作演となり、その間に世は刻々とナイーヴになり、様々な痛みが可視化され続けている。本作は器用に生きられない人々の痛みを描いている」といった旨を記している。勿論 コロナ禍のことで、不寛容な世の中になったことを意識しているだろう。息を吐け どころか生き苦しさがしっかり描かれた作品。

因みに、演劇集団nohupは「サイボーグ会社員 美々美」で グリーンフェスタ2024 優秀賞を受賞した新進の劇団。今後 注目していきたい。
(「609号室からの脱出」50分、「口を開け、息だけを吐け」60分 転換兼休憩5分) 追記予定 

OG

OG

株式会社NLT

相模原南市民ホール(神奈川県)

2024/05/08 (水) ~ 2024/05/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

カーテンコールで 今回はゲネプロと言っていたが、本公演そのもの。観応え十分。
新宿・歌舞伎町にある、最後のグランドキャバレー「ミラクル」が舞台。時は、平成28年7月25日、あと一週間で閉店することが決まっていた。登場するのは、この店のシンガーとして歌い続けている、スミ子(旺なつきサン)とカズエ(阿知波悟美サン)。この2人による38年間に及ぶ回想と将来への不安が切々と語られる。この 2人の濃密(蜜)な会話劇。そしてボーイ兼(客)呼び込みの 松尾(池田俊彦サン)と生演奏するピアノマン(金森 大サン)の男 2人が脇役として物語を支える。

見所は 何といっても 2人の滋味深い演技(台詞)と情感あふれる歌唱であろう。そして誰もが迎える老い、これからどう生きていくかといった不安と希望、その複雑な思いがしっかり伝わる秀作。多くの人が味わうであろう感情、それゆえ納得・共感も得やすい。

カズエが、2人の楽屋の光景を動画に撮って姪に送信している。スマホの操作などしたことがなかったが、新しいことを覚えようと…これが物語の伏線でありテーマのように思える。38年の間には色々なことがあった。歌手になる夢を見て、夢に敗れ、愛と幸せを求めながらも、ステージで生きる事を選んできた彼女たち。そんな彼女たちに起こった『ミラクル』とは…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

中央上部に高架or橋のような舞台、両端に階段がある。中央の板には楽屋を思わせるテーブル2つと衣装掛け、そしてソファ。上部には何本もの のぼり旗。

2人にとって このキャバレー「ミラクル」は人生そのもの。ここで働いた38年間の間には色々なことがあり、走馬灯のように頭を過ぎる。その中でお互いの恋愛話が中心に語られる。お互いが、その相手(男)に対する苦言や反対するといった言動・行動もした。スミ子は店では売れっ子だったが、何故か 梲が上がらない年上の男と結婚した。一方、カズエは妻子ある男と恋仲になり、大恋愛をするが破局する。若い時に良いと思ってアドバイスしたことが、今となってはどうか。人生は選択の連続であり、一瞬一瞬が大切なのである。

今、スミ子が結婚した相手が認知症になり、少しずつ記憶が無くなる。店の閉店と同時に、介護という現実が迫っている。カズエは独身を貫いているが、お1人様の侘しさ淋しさを味わっている。大恋愛した男は亡くなり、不倫で一緒になったとしても喪主にもなれない。たかが紙切れの結婚届、されど婚姻という現実に打ちひしがれた時もあった。

閉店になり、居場所と生き甲斐を失う2人。しかし、カズエが姪っ子へ送信した楽屋の光景がSNSで拡散され話題になる。多くの来客、メディアにも…最後の晴れ舞台を2人は熱唱する。そんなラストシーンが素晴らしい。
次回(続き)公演も楽しみにしております。
フィクショナル香港IBM

フィクショナル香港IBM

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2024/05/01 (水) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

スタイリッシュな舞台美術の中で、同じような場面が繰り返されるが、少しずつ変化していく。物語は1988年の初デートから2088年の近未来までの男女2人の回想劇といったところ。それも単なる回想ではなく、仮想空間(電脳都市ーフィクショナル香港 IBM)という非現実の中に 自分たちのリアルな記憶(人生)を重ね紡いでいく。

人生は、「縁は異なもの味なもの」「生きるって素晴らしい」といった言葉では言い表せない不思議に満ちている。人生は先々何が起こるかわからないから面白い、といった哲学めいたものではなく、例え これから観る映画のストーリーやラストを知っていようとも、また この人と一緒の人生を歩みたい。「これから観る映画のこと、なんで全部言っちゃうの」という非難めいた言葉より「これからいっしょに観る映画(人生)はとっても面白いんだ!」という前向きな言葉のほうが楽しめる。

この公演、結末を知っているにも関わらず リピーターが多いのは、何度観ても飽きず 楽しめる(魅力がある)からだろう。ちなみに、自分の隣席の人は5回目だと…。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

汚泥河童

汚泥河童

片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2024/05/02 (木) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

物語は、人の心に巣くう偏見や疚しさといった嫌らしい面を浮き彫りにするが、描き方は、歌やダンス等を盛り込み面白可笑しく観せる。公演には 多くの子役が登場するが、大人・子供という年齢を超えて 明るく元気に魅せるエンターテイメント時代劇。

ゴールデンウイークに遠出しなくても、江戸の物見遊山(東京の旨いもの巡り)が感じられる? 片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」公演は、正月にシアターグリーン3館を使って同時上演を行っていた時以来、久し振りに観た。やはり華やかといった印象で、それは夢や元気がいっぱいと言い換えても過言ではない。行楽時期に合わせて というわけでもないだろうが、満席であった。
ちょっぴり切ないが、温かく優しくなれる好公演。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は黑塀、上手・下手に柳のような枝葉。上手の客席寄りに力石の大小2つ。後々この石が縁結びに御利益があると江戸市中の噂になる。舞台は吉原遊郭の外、その近くを流れる川は汚い(対として、昔そして田舎の川はきれい)。

物語は 幼い時に遊んだ女児 雛が、家の事情で吉原へ。子供の頃は(河童の姿も)見えていたモノも、大人になると見えなくなってしまう。幼い時の無邪気な様子、大人になっての吉原遊郭、その子供ー大人 時代を往還するように描く。河童の河太郎(山田拓未サン)は雛(野口真緒サン)との思い出を懐かしみ、田舎から江戸(吉原界隈)へやってくる。

一方、吉原遊郭から足抜けしようと塀を乗り越える花魁 千代(藤田怜サン)と与平(山口託矢サン)、しかし吉原以外の世界が珍しいのか、千代は江戸市中の物見遊山・名店(味)めぐりをする。遊女とは思えない自由気まま。それを温かく見守る与平。そこに女性蔑視・貧富といった差別はない。遊郭へ連れ戻されては同じことの繰り返し。勿論 足抜けによる折檻などの場面はない。何回も足抜け出来る=恋の成就、その近くに汚い川と力石(河太郎の棲み処)。幼い頃に遊んだ女性を一途に想い続ける(汚泥)河童。どんな環境(汚い川)であろうとも、心はいつまでも清く澄んでいる。何時しか川は清められるのであろうか。
本来 見えるはずがない河童が見える与平、かくして吉原遊郭の内と外が繋がる。

河童が人間を川へ引きずり込んで溺れさす、といった迷信は人間が勝手に創り上げたもの。子供の頃の純真な心、それが<河童>という比喩になっている。雛の幼馴染 みよ(林杏優サン) にも過酷な状況がおそう。本当に見るべき そして考えることは、お金は勿論、心の貧しさが偏見や疚しさといった感情を生む。公演には多くの子役が登場し、また観客には多くの子供たちがいる。それが物語の眼目に一致するような描き方である。

大人・子供という年齢を超えた座組(温かさ)…それが物語の人間・妖怪(河童等)を問わず自然界のあるがままの姿を表しているよう。時代劇に歌・ダンスといった魅せるシーンを挿入し楽しませる、まさしく時を超えたエンターテインメント公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
トライアル 2024

トライアル 2024

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2024/04/24 (水) ~ 2024/04/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
当日パンフによれば、初演は14年前で裁判員制度が施行された頃 だという。本作は時代に合わせ加筆修正したとある。表層的には裁判員制度を揶揄するような印象だが、物事(事件等)を疑って多面的・多角的にみることの大切さを描いているよう。演劇的には、裁判員制度といった堅苦しい内容(制度)を 面白可笑しく描くことで、その在り様を楽しく観せ そして考えさせる。

有名な「十二人の怒れる男」を連想させる内容で、勿論 被害者と被告人は登場しない。謎の そして曖昧な人物像を想像させ、事件が起きた状況を素人なりに推理していく。その過程と登場人物1人ひとりの性格や立場を立ち上げながら軽快に展開していく。観客の気を逸らせない楽しい会話、そして いつの間にか事件の核心に迫っていく巧みな構成、見事。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【Aチーム】 追記予定

どつぼ

どつぼ

ナイスコンプレックス

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2024/04/26 (金) ~ 2024/05/06 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

市街発イマーシブ演劇…阿佐ヶ谷編。劇場<阿佐ヶ谷アルシェ>を結婚式場に見立て、観客は これから始まる結婚式の参列者という 没入と言うか体験型の観劇。観客(参列者)によって好みが分かれる公演。自分は楽しんだ派。
ちなみに イマーシブ演劇は、新郎が寺山修司を慕う劇団員という設定が妙。

ホームページにあるが、本公演の始まりは、阿佐ヶ谷駅前で北口(新婦側列席者)・南口(新郎側列席者)に集合し、阿佐ヶ谷の街を散歩しながら「結婚式の会場となる阿佐ヶ谷アルシェ」に向かう。散歩は新郎コースと新婦コースの2つ。先導する案内人(濱仲太サン)が、Zoomを使って 店や景色などに思い出や2人の出会いや抱えている悩みなどを説明しながら歩く。そこに結婚式会場で起こる事の伏線が散りばめられている。

結婚式を挙げる迄の苦労話。それは世界的な感染症「ゾンビ禍」で順延を余儀なくされたカップルの苦悩を、ナイスコンプレックスのコンセプトである「実際にあった事件をモチーフに描いている。現実にあったであろう事を観客に体験させることで知ってもらう」を意図している。まさしく劇場のみで完結するのではなく、観客の脳髄に作品の一瞬を焼き付け残したもの。

説明にある「結婚式を控えていた普通の人間。全ての準備が整ったその時、世界は『ゾンビ禍』となる」は、どのような状況下か 容易に想像がつく。公演の結婚式は3回目という設定---延期・中止・決行中断、そして有り得ない事態への「慣れ」は怖いが、それでも人間は逞しい。そんなことを改めて感じさせる公演。
(上演時間2時間15分 散策含む)【新郎側参列者】

ネタバレBOX

寺山修司は、1975年4月に<ノック>と称し 阿佐ヶ谷近郊を劇場に見立てた実験演劇を行っている。閉ざされたドア、閉ざされた心をノックしてみる という謳い文句であったよう。
阿佐ヶ谷アルシェには何回も行っており 道順は知っていたが、改めて街中を散策してみると面白い。案内する場所---例えば、スナック ラスベガス等は公演に関わりがあることから、もう少し詳しく説明してもよかったかも(同じ場所に長く止まることは出来ないが)。

舞台美術、当初は新郎・新婦側の参列者という前提であるから 左右に分かれ椅子に座り、中央はバージンロード。物語(挙式)が進むにつれて椅子の位置やテーブルが運び込まれ 変形していく。

以降追記する
朝日に願え 春公演

朝日に願え 春公演

朝劇三軒茶屋1年ロングラン公演

三軒茶屋orbit(東京都)

2024/04/17 (水) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めての朝劇 体験は新鮮だった。珠玉作。
説明にもあるが、この店のママで 私 馬淵愛理(守谷菜々江サン)の母が倒れ脳死状態。この脳死状態を巡り私と店の従業員 島崎貴明(佐瀬弘幸サン)、常連客2人--佐山香織(新野七瀬サン)・佐山浩司(世良佑樹サン)による濃密な会話劇。そもそも私以外の他人は、医学的または法的な建前という理屈、一方 私は唯一の肉親(娘)で色々な思い その感情が溢れる。相容れない理屈と感情の不毛な激論、その狭間で揺れ動く心、答えが出せない もどかしさ そんな整理出来ない心持を巧みに表す。

簡単に結論付けられない<生と死>の問題、その尊厳に係る会話は、あちこちに漂流し どこに落ち(辿り)着くのか関心を惹く。脚本 テーマは難しいが、演出はシンプルなもの。この会場(三軒茶屋orbit)をママの店に準え、激情した気持を落ち着かせるためにカラオケで歌う。観客は、ほぼ中央にある演技スペース(舞台+カウンター内)の周りに座っているが、その至近距離ゆえ臨場感は凄い。

上演前から 愛理は舞台上のクッションで寛いでいる。そして 唐突に店入り口から従業員、常連客2人の計3人が入ってきて 愛理と脳死に係る激論を交わす。当初、この人たちとの関係が不明であったが、だんだんと分かってくる。同時に親戚でもない 他人がここまで親身になって議論するのか、といった疑問が生じた。脳死を受け入れること、それは親族と他人とでは感情の度合いが違うのではないか。勿論、感情(精神面)だけではなく、病院(見舞い)へ行くといった肉体的な面、病院費用といった経済面等、諸々の負担があることは承知しているはず。ママが倒れてからの状況・経過が判然としないため、脳死の選択という<肝>の部分だけをクローズアップさせたドラマ。
(上演時間55分)【オールシーズン】追記予定

絶望という名のカナリア

絶望という名のカナリア

甲斐ファクトリー

小劇場 楽園(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

第10回記念公演。面白い、お薦め。
人の生きる価値とは…。答え(解)があるような無いような漠然とした問い掛け、それを舞台という虚構性を通して浮き彫りにしていく。その独特の世界観が観客の関心と興味を刺激する。人間はモノではない、そこには喜怒哀楽といった感情がある。しかし物語ではモノ扱いのようで、世間の無関心であり哀れみといった光景が見えてくるようだ。

少しネタバレするが、物語は3つの場面で構成され 必ずしも夫々が直接的に交わることはないが、それでも交錯した展開といった感じがする。タイトルから想像はつくが、人生に「絶望」した1人の男を巡る狂気にして驚喜(語弊があるかも)、そして喪失と再生のドラマ。

現実にありそうなシチュエーション、そこに男の孤独・悲哀といった心情を描く。全体的に澱のような不快さ、そして滑稽でありながら どこか不気味な雰囲気を漂わす。公演の面白さは、脚本・演出は勿論、表現し難い情況をしっかり伝える役者の演技力であろう。見応え十分。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は 上手に幾つかの箱馬、中央には上部から照らし出した鳥籠。

第1に、主人公 鈴木カズオが籠から鳥を放つところから始まる。文字通り自己を解放するといった比喩のよう。物語では、解放=自殺といった描きで その行為寸前で止める。突然の闖入者による中止、そしていつの間にか カルト宗教(団体)へ入信していく。
第2に、アイドルグループを応援するため チケットや販促品の買取り等、金が要る。そのため出張風俗として稼ぐ。間違えて鈴木宅を訪れてしまうが…これが何度か続き少し親しくなる。風俗 闇バイトに潜む依存症のような不気味さ。
第3に、鈴木と或る研究施設で一緒だった女性が資産投資家になり、世間の注目を集めている。ある数式を用い運用に掛かる損益分岐又は高利回りが解明出来るような画期的なもの。しかし数式に不具合が見つかり、高配当が困難な状況へ。

物語は 3つの話を交錯させて展開していくが、必ずしも全てと繋げていない。現実にありそうな内容だが、それを都合よく纏め上げないところが巧い。逆に世間で注目を浴びるカルト的な宗教団体、若者が陥る闇バイト、ハイリスク・ハイリターンというマネーゲームという社会問題を切り口にして物語を紡いだ、という印象だ。そして中心に居るのが、鈴木という中年の男。数学に興味を持ち、それを生き甲斐と生活の糧(研究所勤務)にしてきた。その後を追い数学に没頭する女ー後の投資家 山崎ヒロ(東別府 夢サン)の憧れと嫉妬渦巻く心情が怖い。

未解決の数学問題、その解を発見することが生き甲斐であったが、先を越されてしまった。その喪失感・虚無感が生きる気力を失わせる。それが冒頭のシーンのよう。鈴木は未知のものに惹かれるよう、そこに宗教という得体の知れない、不思議な感性に惹かれたのか。数学という純粋学問を経済という悪還流と結びつける奇知。本来 迷える者を救う宗教とその一方で殉教で財源を賄うための生命保険、そして更なる投資で富を築く。そこに人の生き様を絡め 怪しく虚しい人生観を垣間見せた力作。
次回公演も楽しみにしております。
花影

花影

臼井智希プロデュース

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2024/04/23 (火) ~ 2024/04/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

新撰組内の確執・抗争を描いた群像劇。特に近藤勇や土方歳三率いる佐幕派と伊東甲子太郎率いる御陵衛士との対立・抗争、山南敬助の隊規(局中法度)違反に伴う切腹など、史実を盛り込みながら<池田屋事件以降の新撰組史>を綴る。

新撰組を歴史---幕末という一時期に狂い咲きした徒花のように捉える。決して肯定しているわけではないが、それでも隊旗の「誠」に込められた意は、それを貫き通すこと。組織という枠は、時として 人の友情 繋がりを壊す無情なもの。物語は、藤堂平助と仲の良かった 晩年の永倉新八が記者に語るという回想形式で紡いでいく。

公演の見どころは、スピードと迫力ある殺陣・アクションシーン。型に嵌った殺陣ではないが、連続した力業とスピードで魅せる。特に土方歳三と山南敬助の対決は圧巻。当日「上演に関するお知らせとお詫び」が配付されたが、それには沖田総司役の志嶺雛さんが稽古中に怪我をしたため殺陣シーンをカットしたと。それでも違和感なく楽しむことができた。出来れば 新撰組一番隊 隊長の殺陣はどんなものだったのか観たかったな。一方 気になったのは、女優陣の声が小さく音楽が被さると聞き取り難くいこと。もう少し声量というか 力を込めた台詞(言葉)回しがほしい。

当日パンフに作 演出の臼井智希氏が、「新選組の史実には不明も多く、舞台はあくまで虚構ですが」と記しているが、だからこそ 逆に不明なところを想像し 描くといった面白さを観せてほしかった。例えば、山南敬助の隊規違反する迄の背景と心情の掘り下げ、伊東甲子太郎との考え方・方向性の違いを鮮明にする。史実の不明・曖昧なことを独創的に描くことによって、物語に幅と深みが出ると思うのだが…。
⭐4と思ったが、伸び代を考え 敢えて辛口評価
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 追記予定

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみvol.6宮沢賢治名著

朗読ユニットさざなみ

MUSIC BAR道(東京都)

2024/04/20 (土) ~ 2024/04/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

<朗読ユニットさざなみ>は未見であったが、情感に溢れ 安定感ある朗読劇といった印象だ。今回は、宮沢賢治名著として3作品<①どんぐりと山猫 ②注文の多い料理店 ③よだかの星>の朗読であった。3作品のうち<どんぐりと山猫>は知らなかったが、なかなか皮肉と言うか辛辣なラスト。他の2作品は読んで知っていたが、朗読劇として聴くと、また違った味わいのある物語に思えた。小説は、自分の頭の中で平面的な空想を広げるが、朗読は役者の肉体(感情)を通して 物語が立体的に立ち上がるような感覚。さらにギターやフルートによる生演奏が情景を豊かにし、登場する者・物・モノが動き出すような躍動感が生まれる。

朗読するのは、小林千恵さんと中瀬古健さんの2人、演奏は 夜ヒル子さん。朗読は聞き取りやすく安定感がある。時に声色や表情を変え、物語に登場する者たちを息衝かせる。演奏は、朗読の妨げにならない程度の音(量)で賑やかさを出す。この絶妙なバランスが心地よい。

さて、ユニット紹介には「主に日本の近現代文学作品を表現する」とあり、「改めて日本文学を読もうと思ったのは宮沢賢治の『よだかの星』がきっかけ」とある。今回も「よだかの星」を朗読しているが、本公演では不思議と よだか が力強く生きていることが感じられる。勿論 よく言われる弱い者いじめや外見の美醜による差別といった 先行イメージを持っていたギャップによるものであるが、その状況に甘んじないといった何かが…。因みに、さざなみは2022年のコロナ過に結成とあり、云わば逆境の中での活動開始---その意気込みのようなものが朗読に影響しているのだろうか。

卑小、主催側の責任ではないが・・・。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

中央にテーブル、そして3人が横並び。どんぐりと山猫 の時にはガベル 、注文の多い料理店 の時には卓上ベルがテーブルに置かれる。それぞれの小道具は物語に関係したものであり、話を展開する上で効果的な役割を果たしていた。

さて、自分が聴いた回は、観客の中に長く咳き込んだ方がいて 気になった。さらにドリンクを床にこぼし、中央で録画(撮影)していたスタッフが急遽 床拭きをすることになった。全体的に静かで落ち着いた朗読劇、その中で集中力を欠くような状況になったことは少し残念。
世迷子とカンタータ

世迷子とカンタータ

9-States

駅前劇場(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
寂れた温泉街、閑古鳥が鳴く旅館・湯鳥を舞台にしたヒューマンドラマ。物語は、温泉街 旅館の活性化と街興しに絡んでの人間再起が交錯して展開していく。人の再起に関しては、それぞれの考え方 生き方を問うようなもの。表層的には面白可笑しく描いているが、地域興しや人への思いやりを通して、古き良き時代?を思わせる。

9-Statesの特長ともいえるモニターを活用した演出…言葉の持つ<力>を台詞と文字で聞かせ そして見せる。少し哲学めいているが けっして世迷言ではなく、心に刺さるような味わいがある。すぐに物語の内容や人物に準えて理解することは難しく、後になって反芻するようなもの。

物語は、生きることに疲れた男 西野海斗が主人公、そして彼をめぐる個性豊かな人々との交わりを通じて人の喜怒哀楽を高らかに謳う。誰彼が善・悪でもなく、人それぞれに立場や事情がある。それは本音でぶつかり合うことで解る、理屈ではそうなのだろうが そう簡単ではない。そんな問いかけ をするような描き方である。そこに この公演の強かさがある。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、旅館 湯鳥(ゆとり)のロビーといったところで、中央に帳場、その横奥は別場所へ通じる階段。上手は玄関に通じる通路---障子、暖簾、雪洞そしてベンチが見える。下手は少し高くし和室---卓袱台や座布団、更にその横に厨房へ通じる通路がある。上手下手の上部にモニターがそれぞれ設置されている。

物語は温泉街の復興と人間の再起…閑古鳥が鳴く旅館だけに出入りする客は一組の家族だけ。それ以外の多くは旅館の従業員。そして温泉街の活性化のために企画したのが小説の舞台になった この温泉地の聖地巡礼。その小説家の創作に係る考え方や生き方が旅館の人々ひいては温泉街の復興に絡んでくる。

小説家として名を馳せているが、実は当人ではなくペンネームを拝借している 全くの別人。自分の書きたい題材では売れない=小説家としての存在が認められない。一方、世間が求める題材と自分が書きたい題材とのギャップに悩み苦しむ。すべて編集者の言いなりで良いのか自問自答するが…。

温泉街の人々VS 小説家と編集者の双方の思惑が錯綜する。旅館の従業員 西野海斗(瀬畠 淳サン)は、元編集者でありペンネームを無断使用されていた小説家の担当であり恋人であった。小説家としての(自分)才能と世間の評価の狭間で悩む姿に人間らしさを見ることが出来る。結局は、世間に流されることなく自分自身を見失わないこと らしい。
次回公演も楽しみにしております。
ハナコトバ -朗- for spring

ハナコトバ -朗- for spring

Daisy times produce

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2024/04/10 (水) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

とても情感に溢れ、抒情的な朗読劇。
役者(女優)陣の朗読力は勿論のこと、全体の雰囲気作り‐‐‐音響・音楽、照明が物語の情景を巧く表現していた。少しネタバレするが、物語はチラシ説明(裏面)にあるように「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話から成る。この2つの物語は時間軸を隔てて関係している。何故 時間軸を違えて2話なのか、といったところが公演の肝。

「青春カルペディエム forラナンキュラス」は、高校3年の時の話であることから瑞々しい印象、一方 「魔女のお茶会 forスノーフレーク」はしっとりとした雰囲気を漂わす。役者が一部入れ替わることから、話し方や雰囲気が異なるのは 当たり前だが、2つの物語に共通した優しさは変わらない。そして それぞれの花言葉に込められた思いを紡ぐようでもある。

上演前から せせらぎを思わせる水音、そして朗読中にも水音や微風・涼風をイメージさせる効果的な音響。また情景を優しく包むかのように流れるピアノ音楽。照明は時間を表す、例えば 夕方(夕日)は茜色といった色彩。時々の照明の諧調が情景を、役者へのスポットライトは心情を見事に表す。
マイクを使った朗読であるが、聴き取りやすく しっかり物語の世界観に浸れる心地良さ。余韻と印象付けを意識したような演出に思える。
(上演時間1時間15分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

朗読劇として横並びに椅子とマイクが4組。
「青春カルペディエム forラナンキュラス」と「魔女のお茶会 forスノーフレーク」の2話は、20年という時を経ている。「青春カルペディエム forラナンキュラス」は高校3年生の時に転校してきた南野ベルシアと地元の森宮咲胡の純真 繊細な友情を抒情的に描いている。「魔女のお茶会 forスノーフレーク」は2人が卒業して20年の時を経て邂逅するような展開かと思っていたが、実は違う人物。しかし この設定のほうが心に響く。

ベルシアは 父親の転勤のたびに転校を繰り返し、友達が出来ても すぐ別れてしまう。その淋しく虚しいを思いをしないため、敢えて友達作りをしない。しかし咲胡は、ベルシアのそんな気持を知らず、彼女に関心を示す。そして いつしか2人は親しくなり卒業を迎える。ベルシアは父の元へ、咲胡は刺激を求めて東京へ それぞれ違う所へ行く。

それから20年の時が過ぎ、咲胡は地元へ戻ってきて 魔女と呼ばれるようになる。毎日決まって行く喫茶店、そこへ(修学)旅行でやってきた福原という少女と親しくなる。彼女はベルシアの娘で、母は亡くなったという。携帯電話に親しい人の連絡先を登録しておいたが、壊れてしまい…。その後悔と謝罪の気持を伝えることを娘に託したようだ。咲胡は解離性同一症に悩んでおり、実は高校3年生の時はベルシアだけではなく、彼女自身も救われていた。

咲胡が、ウサギ(ぴょんきち)に話しかけていたのは、喫茶店オーナーで高校の飼育係の後輩としてなのか、またはウサギを擬人化させて独り言を呟いていたのか判然としないが、結末としては上手くまとめていた。それぞれの物語は単独でも味わい深いが、2つを繋げることで 人の情感や関係がより鮮明に描き出され 深みと幅が増していた。
次回公演も楽しみにしております。
私を殺して...

私を殺して...

東京ハイビーム

地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/12 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

サスペンス&ブラックコメディといった公演で、東京 新宿にある地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」で飲食しながらの観劇。実際は 食べながら観るのは難しいかも。
舞台は 都会の片隅の地下倉庫ということだが、レストラン会場ということもあり、その雰囲気はない。どちらかといえば熱気むんむん、満席だから当たり前だろう。

物語の内容からして タイトル「私を殺して…」は、逆説的な意味合いにとれる。人は究極(生死)の状態に追い込まれると、生きることを欲す。その心情表現を表面的には面白可笑しく観せながら、物語は二転三転するような展開。役者は、時に会場内を歩き回り 観客を弄り、または舞台に上げ一体感を煽るような。前説でも 木下采音さんが「(^^♪東京ハイビーム~」と掛け声をかけ、決まり文句の唱和を求めるなど 場を盛り上げる。

さて、説明によれば 自殺コ-ディネイタ-安楽(久下恭平サン)の元に自殺志願者のマドンナ(黒田由祈サン)と名乗る女がやって来て、「美しく死にたい」と…。安楽はマドンナにさまざまな死を提供するがマドンナはなかなか納得しない。そんな中、怪しい訪問者(栂村年宣サン)が乱入し事態は思わぬ方向へ…。中盤までは、安楽とマドンナの(掛け合い)漫才のような軽快な会話が続くが、訪問者の登場で雰囲気は一転し怪しげになる。ここから物語 そして会話が漂流し始め、どこに辿り着くのか俄然興味を惹くようになる。

大ヒット韓国演劇の日本バージョン…韓国での公演は分からないが、日本では舞台セットに溶け込むようにピアノが置かれている。駒木菜穂さんの生演奏が、効果的な音響・音楽を担い 同時にライヴ感を引き出しており楽しめた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

白鳥先生と過ごした2日間

白鳥先生と過ごした2日間

enji

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/04/03 (水) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
表層的には、演劇(虚構)としての面白さ可笑しさの中に、現代日本の課題を点描して物語を紡いでいく。日本のどこかにあるような情景を立ち上げているが、必ずしもリアルではない どこかずれているといった印象だ。過度に感情移入させることなく、物語として楽しんでもらう、そんな娯楽性を感じさせるが…。

シャッター商店街となった一角にあった白鳥鮮魚店が舞台。日本語教師のボランティア、そして外国人を自宅に住まわせ共同生活をしている白鳥亀子、そして久しぶりに実家へ帰ってきた次男 香魚夢の親子を中心に巻き起こる人情劇。そして 驚かされるのが舞台美術。劇場内には日本の原風景が、そして個性豊かで人情味に溢れた人々が生き生きと描かれている。

同居人が外国人という設定であるが、別に外国人である必要はない。家族ではない他人---街(地域)の人々との心温まる内容でも物語は成り立つ。夫婦で魚屋を営んでいたが、夫は8年前に亡くなり妻(亀子)が一人になった。息子たちは家から離れ、今では ほとんど帰ってこない。切実さと可笑しみが切り取られた光景がそこにある。この独居(老人)問題だけではなく、色々な課題を投げかけ 観客それぞれが抱く思いに寄り添う(共感を得る)ような描き方だ。

当日パンフに脚本・演出の谷藤太 氏が「古き懐かしき昭和の香りがそこかしこに漂っています」と書いており、まさしく郷愁を思わせる作品に仕上がっている。観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、シャッター商店街と化した鶴吉商店街、その街並みとその一角にあった白鳥鮮魚店。大漁旗、電柱に電線、スナックの看板など懐かしさと活気、そしてシャッターが閉まった店先が並ぶといった廃れ寂れ、その両方の面影・光景が同居している。この作り込まれた舞台セットを観るだけでも価値はある。

白鳥家には3人の子…長女は幼い頃に交通事故死、長男は行方知れず、そして主人公とも言える次男 香魚夢(中学校の英語教師)である。そして鮮魚店の主(あるじ)であった父は8年前に他界し、店は廃業し 母は地元で日本語教師のボランティアをしている。香魚夢は大晦日に帰ってきて、実家の様子と母の生活環境の様変わりに驚く。実家に住んでいる外国人たち、仲違いしている母と娘、認知症の母と息子、引篭もりボランティアなど個性や背景が区々の人々を面白可笑しく描き、日本のどこかにあるであろう風景を描き出す。また舞台技術としても、背景の壁に 月や雲といった情景を映し出す。

同時に、今の日本が抱えている課題・問題でもあり、どこか共感してしまうであろう話が描かれている。切実なコトを優しく労わるような紡ぎ方をしており、人間関係の妙---人情味溢れる結末は劇団enjiらしい。物語は大晦日から翌年の夏祭り迄の半年間、その間に香魚夢の心境の変化---その最たる出来事が、姉を事故死させた本(犯)人との対決。

同時に、教師としての自信喪失からの再起と自分の娘との関わり方を模索する。公演は、商店街等の人々の群像劇であり 1人の男の成長譚でもある。ちなみに タイトル「白鳥先生と過ごした2日間」は、鮮魚店の跡を継がなかった息子の教師ぶりを 父が亡くなる最後の2日間ずっと授業録音(テープ)を聞いていたこと。親の心情がしっかり伝わる逸話。
次回公演も楽しみにしております。
ワイルド番地

ワイルド番地

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2024/04/05 (金) ~ 2024/04/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
「珠玉のデュエル(決闘)コメディー!」という謳い文句は、誇張なんかではなく 本当に楽しめた。演劇初心者から見巧者まで、幅広い人たちに受け入れられるのではないか。
魅力の第一は 物語の分かり易さ、第二は テンポよく展開し飽きさせない、第三は 決闘という非合法を 敢えて合法化することで心情を炙り出す。演劇の面白(味わい深)さを しっかり表現したような公演。観応え十分。

上演時間2時間(途中休憩なし)だが、あっという間 というのが実感だ。公演中なので 詳しく記さないが、最近笑っていないな という人にはお薦め。ぜひ劇場へ。
追記予定

ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

ミュージカル版 『五色ロケットえんぴつ』〜気がつけば恋の話〜

劇団帰燕

高円寺K'sスタジオ【本館】(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

チーム全員で、前説を兼ねたトークで上演前の雰囲気を和ませる。上演前なら写真撮影OKとのことでサービス精神に溢れている。やはり旗揚げプレ公演 第一弾ということもあり、気を使っていることは ひしひしと伝わる。

物語は、まだ何者にもなれていない若者が、若さゆえに悩む葛藤もしくは恋愛といった内容。自分の気持に正直に向き合うのが怖い、そんな誰もが持つ感情を仲良し3人娘を通して描く。始めは緩い恋愛モノかと思って微笑ましく観ていたが、終盤は 人それぞれが抱えている心の闇のようなものを露呈する展開だ。

タイトルに<ミュージカル版>とあるから、歌やダンスで観(魅)せようとしているが、少し緩いようだ。歌の音域・声量やダンスのキレなど課題も散見出来たのではないか。なにより、本当に歌うべき または踊るべき場面なのか。ミュージカル版にすることで得られる印象 効果がなにか 分からなかった。逆に、先に記したラストのストレートプレイ シーンのほうが内容と相まって力強くて 引き込まれた。

場面転換ごとに衣裳(コスプレ風を含め)替えをしているようで、場所・時間の違いや経過を表現している。また視覚的な意味でも楽しませる工夫をしているところに好感。勿論、脚本や演出の力に負うところもあると思うが、演技は粗削りだが 緩急があり自然体といったところ。
(上演時間1時間25分 途中休憩なし)【Bチーム】
追記予定

レンタルディレクター

レンタルディレクター

演劇企画アクタージュ

studio ZAP!(東京都)

2024/04/04 (木) ~ 2024/04/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

地方都市にあるレンタルビデオショップ<カリチャイナ>が舞台。その街の夏祭りには、商店街の店が 或る出し物…イベントで街興しをしているよう。カリチャイナでも催しの準備をしようとするが、アイデアが浮かばない。物語は、善意に溢れる地元の人々と東京から来た憂い謎めいた一人の青年との交わりを通して、人の<優しさと切実さ>を仄々と描いている。

少しネタバレするが、夏祭りには 映画の上映を目論み、宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフに、ショップ店員が脚本を書き下ろす。物語の基調には、よだかの星…容姿が醜く不格好なゆえに鳥の仲間から嫌われている を意識しているよう。表層的にはコミカル、ユーモア溢れるといった印象だが、そんな中で 東京から来た青年の存在と仕事がカギ。ショップに出入りする個性豊かな人々を描いているが、その背景には地方都市の活性化が透けて見える。同時に人の心にある苦しみ・・人との関わりが苦手といった ありふれた悩みを取り上げている。

物語では、克服すべき困難に立ち向かうといったことではなく、ただ その人を肯定する といった自然体で受け止めている。登場するのは、ショップの店長や店員、八百屋の夫婦、美容院経営者、そして会社員など 普通の人々。その人々が抱える普通の悩みだからそこ、観客のあるある感情を刺激する。

最近見かけなくなった レンタルビデオショップという設定が妙。人の滞在時間は、借りて すぐ帰る人もいれば、店で視聴する人もいる。人の出入りが自在に出来ること、地方都市ということで 昔馴染みといった常連客を取り込んでおり、登場人物が固定していても不思議ではない。そこへ東京の人…仕事と苦悩 そしてショップ店員の悩みがシンクロしてクライマックスへ。癒し系劇 といったところか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に丸テーブルと椅子、上手後ろにDVDが並んだ棚、下手も同様に棚やリビングチェアが置かれている。壁には映画のポスターやチラシが貼られており、レンタルビデオ店といった感じは出ている。ほぼ中央奥が出入り口、下手は別部屋へ通じる。

レンタルビデオ店は、ほとんどが常連客で日々騒がしい。人見知りの従業員(バイト)高畑綾乃を「よだかの星」に準えて、彼女の心を解(開)放しようと働きかける人々の優しさ。また近所の八百屋の夫婦喧嘩、その八百屋の女将と絡む美容室の女性オーナー、仕事が忙し過ぎる会社員など、どこにでもいるような人々が織り成す人情劇。夏祭りといった地域 季節の風物詩(イベント)を絡め 面白可笑しく仕上げている。

個性的で愛嬌ある人々、その言葉と行動に隠された優しさ。そして 社会にある棘のようなコトへの皮肉と人への応援がしっかり伝わる。まず 八百屋の主人は、ビデオ店へ入り浸ってエロDVDを借りている。妻はそれを知っている。夫婦して何気にビデオ店の売り上げに貢献しようと。
また ブラック企業のようなところで働いている会社員、自分がいなければという強い責任感。しかしビデオ店の店長 黒澤明は、例えば この店のバイトが1人居なくなったとしても大丈夫。それが組織というものと諭す。

この気心知れた人々がいる街へ、東京から写真を生業にしている青年 諏訪信二がやってきて、物語は動き出す。風景写真は撮れるが、いつしか人物は撮れなくなったという。実は女性が乱暴されそうなところへカメラを向け、助けたことがあった。その時ファインダー越しに犯人の目を見て といったトラウマを抱えている。この心に傷を負った青年と ビデオ店の人見知りの女性の淡い恋が…。
全体的に優しく仄々とした雰囲気、それを役者陣が楽しんで演じているよう。

蛇足ながら、カメラマンが人物を撮れなくなった理由…自分は戦場カメラマンとして戦地の不条理、といったことを連想した。
次回公演も楽しみにしております。

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