満足度★★★★★
美術、照明、音響と圧倒的なレベルの高さ。
しかし肝心のストーリーはそうでもないという印象だった。
時間が経つにつれどうも気になり、無明、三助、ホムンクルスと次々に調べていしまった。
そして自分の無知を認め、その話の面白さに気が付いた。
後からあのシーンはこういう比喩なのかと考えたり思い出したりできる作品。
こういうことが本当の面白さなのかもしれない。
誰かと作品について語りたくなる。
きっと受け取り方も三者三様のような気がする。
初めて星を5つ付ける作品。
満足度★★★★
地獄谷温泉 無明の宿
グッズ付きのお得な公演前半を鑑賞。淡々と積み上がる物語を覗き見。諦めたつもりでも、まだ夢や欲に執着する人々の本性がじわじわと。人形遣いの親子の会話から、果たして私自身は人間なのか?と問うことに。凝った装置に耽溺する幸せ。最後切ない。
満足度★★★★★
つげ義春
もの凄い舞台を観た。固唾を飲んでみた。目を凝らして見た。
温泉宿。時代設定はあったようだが、昭和の半ばあたりか、ちょっと古い設定だとは後の方で気づいた。緻密に作られた装置は回転式で90度の壁で区切られた4つのエリアそれぞれが趣き深い。誰もいない玄関ロビーに人形遣いの父子がやって来る。暗転の後、案内された部屋に変わっており、度肝を抜く。岩風呂の場面では人が普通に裸で入ってくる。脱衣場もあってそこで「脱ぐ」所作もあるから役者は大変だろう。だが普段私たちも銭湯や温泉では他人に裸を見せている、その感覚が、この舞台での光景を奇異と思わせない。
人形遣い役をやったマメ山田の、異形に見合う舞台。息子が唐組の辻孝彦。今回初めて見た勝手な印象だが身体で覚えるタイプで、愚直に俳優を続けてきての「今」という雰囲気を醸し、作品での「学校にも行かず人形師の父に付いていた」息子という役柄に符合するものがあった(あくまで勝手な想像)。小人症の父の異形と、「空っぽ」の息子が、他の登場人物に初見でのインパクトを与える。
芸妓役の久保亜津子と日高ボブ美の三味線は相当練習したのだろう、勢いのある曲をちゃんと盛り上げて終わらせた。三助がいる。父は「おう」と驚き、背中を流してもらう。その感じ。相部屋となった盲人の松尾、二階に住む老婆も、皆(三助以外)風呂に入るので、裸をさらす。かくして夜には妖しい気配が漂ってくる。声の出演田村律子は老婆の呟きで、折々に入る語りが良い。
鄙びた温泉のあるこの地には来年新幹線が通るという。立ち退きも間近い(らしい)温泉には、まだ喧噪のけの字もなく、追われ行く身のうらぶれた雰囲気が勝っているが、それでも生活があり、自分の生きる土地である。若いいく(日高)が三助との性交で子が授かる事が、この界隈の者にも望みとしてあるらしい。多くは説明されないが、三助とは婚姻関係にはなく、ただ子種を求めているようだ。つげ義春が漫画に描いた、鄙びた土地で暮らす人たちの原初的な生態に近い感じが全体に漂う。狂気を宿す夜は『ゲンセンカン主人』だったかの雰囲気に近い。
その日、酔った芸妓二人が勢いで父子の部屋に入り、人形遣いを見せてほしいせがむ。その声を二階で聴く老婆の中にやにわに嫉妬心が燃え上がる。三味線を手にした小さい時分、しかし自分は芸妓になる器量でないと、三味線を置いた。部屋へ押し入るが、結局そこで異形の父子の異形の人形遣いを観る。息子は胡弓を鳴らし、父は大きな首と手を持つ自分のサイズに近い人形とじゃれ戯れる。 これに一同はそれぞれに強い衝撃を受ける。ざわついた夜となる。いくは皆が寝静まったと思い三助の元へ行く。よがり声が響く。松尾は「触りたい衝動」を二人に喚起され、懊悩して浴場に走り込む。女二人は玄関ロビーに出て煙草を吸う。空っぽで深淵でつかみ所のない「息子」は、ゆっくりと回転する舞台の各部屋を、煙草を吸いながら扉を開けて巡り、眺めるともなしに眺める、という場面が終盤にある。二周目、ロビーでは文枝が老婆の胸に顔をうずめて泣いている。松尾は湯船の脇でお経を唱えている。お湯の流れる温泉場の湿った音が鳴り続け、客席には無機質な椅子が並んでいるのに、すぐそこにグロテスクにリアルな、昭和の鄙びた温泉宿と、湯煙に浮かんで彷徨う魂が、見えた。
「つげ的世界」が、舞台として出現したと感じた。蠱惑的で、離れがたいアトモスフィアは、舞台装置と役者の存在感による。こいつは心の何かに引っかかってくるが、その正体はつかみ所がない。
満足度★★★★★
明るい怪談 浸る舞台の 面白さ
北陸の山奥の思わせるすっかりひなびた温泉。観光客も訪れない温泉宿に、「人形芝居」を生業とする父子が訪れる。父倉田百(もも)福(ふく)は82歳、息子の一郎(辻孝彦)もそれなりの年齢のようだ。トランク一つの身軽な二人は、この宿の主人から余興の依頼を受けてやってきたのだった。しかしこの名もなき宿にははるか昔から主はおらず、村の数人が湯治宿として利用しているだけだ。タキ子という常連客らしき老婆(石川佳代)に一泊していくように勧められる二人。帰る手段がないので仕方なくその通りにする。ところがタキ子が泊まる部屋以外の部屋は病気で失明した若者、マツオ(森準人)との相部屋だった。やがてタキ子の部屋には芸姑のフミエ(久保亜津子)とイク(日高ボブ美)が三味線の練習の稽古にやってくる。唯一この宿の管理をしているものと言えば、無口の三助(飯田一朗)だけだが、誰一人として倉田父子に余興を依頼した手紙の主が思い当たらない。執拗に親子に話しかけ続けるマツオ。無言のまま客たちに奉仕する三助。離れた街へ余興に出かけていた芸子の二人が酔って帰宅すると、酔いに任せて倉田父子に「人形芝居」の実演をねだる。百福の異形と、一郎の虚無のような目に震撼していたタキ子も現れると、父子は人形芝居のさわりを演じ始める。その芝居を目の当たりにした一同は、それぞれに強い衝撃を受ける。ある者は感動し、あるものは恐怖し、ある者は欲情し、ある者は…。
満足度★★★★★
際立っていた
この劇団を見るのは2回目。
高尚というのではないだろうが、ち密に計算されている。知らず知らずのうちに作品にの飲み込まれたようでである。見事であった。
満足度★★★★★
お得でした
あの森下スタジオの中に大がかりな舞台が!観た人にしかわからないこの悶々とする気持ち、どうしてくれよう(笑) 自分も一緒に温泉に入っている気分でした。