満足度★★★
「高校生に上演してほしい」というコンセプトは面白いと思いました。若い人たちの気分をすくいとった戯曲は巧み。テンポも言葉選びも演出も「今」を充分に感じさせるもので、現代の観客に違和感なく演劇を楽しませる仕掛けに溢れています。しかし想像していたより10代の人たちの肉体で演じるからこそ見えてくるものが多そうな戯曲で、出演者はチャームのある女優ばかりなのに、彼女たちのポテンシャルが生きていないように見えました。
満足度★★★★★
「ここにはいない人」「ここではない場所」を描いてきた「いつ高」シリーズの最新作。中庭、噂話、短歌などのガジェットを利用したあの手この手で観客の想像力を刺激する。
無言の場面、無人の場面を大胆に使った手法に攻めの姿勢が見えて頼もしい。森本華の演技に「人が恋におちる瞬間をはじめてみてしまった」という羽海野チカ『ハチミツとクローバー』の名場面を思い出す。
連作を追ってきた身としてはこれまでの想像を見事に裏切るキャスティングもよかった。
別演目での1日4公演を見事に回した制作手腕にも拍手。
満足度★★★
“いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校”を舞台にしたロロの「いつ高シリーズ」は4作目を数え、これまでの3作と合わせて一挙上演されました。4作とも上演60分と上演前のセッティング10分の計70分です。3/7の追加公演の日にvol.1~vol.4を連続で拝見したので、高校演劇の大会を鑑賞するような体験にもなりました。
作・演出の三浦直之さんがこのシリーズと高校演劇の説明をして、セッティングの指示を出し、開幕します。高校生らしいカジュアルな制服姿の俳優が「長い方のベンチ出しまーす」「新校舎側のパネル出しまーす」などと言って大道具を運んで設置するため、舞台がどのような場所なのかのヒント(ベンチがある、校舎がある等)が得られます。そこは高校演劇とは違うところでしたね。
30歳ぐらいの男女が17歳前後の高校生を演じるという“無理”が前提になっています。そのまま受け入れられれば良かったのですが、私には俳優がかまととぶっているように見えて、残念ながら素直に物語を楽しめませんでした。また、顔の表情で状況説明をする演技が多く、たとえば「噂が好き」といった役柄の特徴が信じられませんでした。行動のもととなる動機が見えづらいこともありました。
登場するのは放課後の中庭でコイバナをする女子高生3人だけですが、vol.3までの話も出てくるので、登場人物がもっと大勢いるように感じられました。
戯曲はvol.1とvol.2が公式サイトで無料公開されています。挿絵が可愛らしいですね。
満足度★★★★
シリーズの四作目、今回同時上演された他のシリーズと物語が同じ空間に綴られていくことを観る側に感じさせるしたたかな仕掛けが随所にあって・・・。
その膨らみと、訪れるものの立体感と、だからこその時間のリアリティと磨かれないリアリティをもったルーズさと、想いの渡され方がありました。
このシリーズ、続きがすごく楽しみです。
満足度★★★
「高校生演劇」というフォーマットを利用して、大人が甘酸っぱいことをやるというのは、企画としてとてもおもしろいと思いました。全部を通してみると重層的に楽しめそうで、観る観ないに関わらず、そうやって周辺の空白を作っているのもいいなと思いました。
満足度★★★
4つの小作品を通して、架空の高校、その生徒たちの日常が浮かび上がります。なんでもない会話やしぐさから、ここにはいない人、どこかで起こったこと、もう過ぎてしまった時間を想像させるという目論見は、高校演劇のために書かれた戯曲としてとても面白いし、やりがいもあるでしょう。また、仕込み、開演アナウンスなど、高校演劇のフォーマットに則った進行も楽しめました。
私は③「すれ違う、渡り廊下の距離って」と④「いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した」を観劇しましたが、特に③の舞台が「放課後の渡り廊下」という、いわば「端物」な時間、場所に設定されていることに惹かれました。思い起こせば確かに、当時はむしろ、そこが自分たちの時間のメインだったのかもしれません。
さて、審査対象となった「いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した」ですが、こちらは女子生徒3人によるうわさ話を軸に進む恋の終わりと始まり(?)の話です。彼女たちのかしましさと、そこにふと訪れる一人の時間、沈黙、甘酸っぱい感情の発露は、(たとえそれが「大人が考えた女生徒」だとしても)微笑ましいものでした。ただ、感情的なクライマックスが一人の場面に訪れる、というのは、表情、目線でそれを見せるしかないという難しさも孕んでいます。一人芝居で正面切って虚空に語りかけては笑ったりする、時にはそのことが賞賛されてしまうような居心地の悪さ、不安をまったく感じなかったかというと……。
随所に顔を出すカルチャーネタは、それぞれの漫画や映画や歌がエバーグリーンなのだとしても、必ずしも現在の高校生のリアルと響きあうものではないでしょう。二次創作もOKとのことですから、現在進行形の「いつ高」も見てみたいと思います。その時盛り込まれる新たなネタはきっと、ロロ版のそれとは異なる匂い、異なる文脈も背負っているに違いありません。
こうして考えてみると、改めて、このロロの「いつ高」は、もう高校生ではない人たちによる、甘酸っぱい「高校演劇」「高校生活」讃歌なのだと思います。では、そうした「思い出」「過ぎ去ってしまった時間」をまだそれほど持ってはいない現役の高校生たちが、演じるとどうなるか、やはり一度見てみたいです。
満足度★★★★
久々のロロ(アゴラの大吾君以来)、いつ高シリーズも初。高校演劇仕様で高校の演劇をやる。準備10分+本編1時間。恋バナ・学園モノなら万人共通のあるあるの宝庫だが、盛り付けは程よく、詰め込まずちょっといい感じな時間であった。
ただベンチの裏側に書かれた短歌を夕暮れどき、覗き込んでは読めないだろう、携帯のライトを照らすとか、最初みたくひっくり返すとか。
何だかわかんないけど夕日に向かって叫びたい身体の発熱のやり場に困って短歌を詠みまくる、聞えてきたバンド練習の伴奏に合わせて歌っちゃう・・閉じ繰りとして私にはベタ過ぎると思えたのだが、終盤、気を張ってる感じの失恋女子がふと見せた背中に、電流が走ったかのような半端ない寂寥感、この凝縮の一瞬に免じて合格☆ 拍手を惜しまず。
満足度★★★★★
■vol.1~4鑑賞/各約70分(仕込み時間含む)■
あらためて、こんなにも魅力的なシリーズだったとは。教師や親を登場させず、生徒だけで話を成り立たせる純青春演劇を堪能!
互いに恥じらいながら徐々に距離を詰めてゆく高校生たちがいじらしくて初々しくて、なんとも愛おしかったです。
そこへ三浦直之流のディレッタンティズムが加わって、他に類を見ない学園ドラマに仕上がっている。
個性あふれる登場人物の中では、奇行を繰り返しながらもどこか愛らしい女生徒・白子(vol.1と3に登場)が私的お気に入り。演じ手との相性も良く、大場みなみがこれまでに観たどの作品よりも輝いて見えた。