満足度★★★★★
命に対する想像力
科学少年だった。生物学者になりたかった。だが、生き物が好きでそういう道に進みたいと思ったのに、そうなる為には、大好きな生き物を殺さねばならぬ現実が待っていることを知った。結果、大学では文学を選んだ。言葉によって訴える術を持たぬ動物たちの為にも、弱者の為にも、言葉によって彼らを生かす為に。(追記後送)
満足度★★★★★
重苦しい
動物「愛護」センターでの殺処分をめぐる舞台。よく取り上げられる話題ではあるが、作・演出の大西氏の詳細な調査と取材により、殺処分の実態とそれを行う職員の仕事、心境がつぶさに表現されていた。音と光の舞台演出、役者の動きで、この問題の重苦しさを観客に効果的にアピールできていたと思う。1時間50分の時間の長さを感じない、引き込まれる作品である。見る価値は十分にあると思う。
満足度★★★★★
無題1652(15-341)
12:00の回(雨)。
11:30開場、初日に続いて2回目、4列目に座ります。11:45/12:00前説(場内アナウンスですが、こういうのは、その場でしゃべっている/録音、どちらかなとよく思いながら聴くのですが、本公演では録音でした)、12:06開演~13:55終演。
1回観ていて、お話を知っているからなのでしょう、冒頭、天井に映る「影」が死神の「影」にみえました。
「増えたから減らす」とは別のフレームで「狩り続けたら消滅した(たとえば乱獲)」ということを考えていました。
すでにバランスがとれた生態系の維持は難しい環境であり、結局のところ「強い」ものの意思(本能/欲望/気分)に組み敷かれるのである、と。
次の公演は3月に始まる。光藤さんが戻ってくる。先日の「てがみ座」公演に出ていらした西山さん客演。2012/3、2014/7そして2016年。
満足度★★★★★
無題1642(15-331)
18:00の回(曇)。 12公演目。
17:25会場着、1F入ったところで受付(整理券有)、17:33開場。
(公開ゲネには行けず)初日、なかなか予定が決まらず滑り込みでなんとか観劇。
最前列はミニ椅子+パイプ椅子のひな段席、2列目に座ります。
剥き出しのコンクリート、汚れが目立つ壁、円形の大きな台、奥には格子のようなもの...それだけの、生気を拒絶しているかのような舞台。
17:45/55前説(アナウンス、光藤さん、110分)、18:01開演~19:48終演。
ひとつの事象を採り上げているようにみえて、実は、いろいろな局面で生ずる課題を内包しているように思えました。劇中の「堂々巡り」は日常的によくあること、そして、それはいつも、どうしようもないこと、だという結論に至る。
円形の舞台、だんだんあり地獄のように見えてきます。手を差し伸べるのか、無理(無駄)だとするのか。
先日「楢山節考(2015/10@せんがわ)」を観ました。抗いえぬ村の習わしにはそうすべき「生きるための」理由があるのですが、本作にはなにがなければならないのでしょう。
たとえば高齢化と介護、外来種、耐性菌...支えきれるのか、そんなことを考えながら観ていました。
満足度★★★★★
また完敗!
オープニングから釘付け!絶対泣くもんか!と心に決めて挑んだがリアルな設定と役者さん達の力強い表現力と、今まで知らなかった現実の厳しさ、悲しさに後半は完全KO!もうグシャグシャ~!きっと観た人に何かしらの思いを残す、そんな作品だった。TOKYO ハンバーグにしかできない舞台だった。
満足度★★★★★
密度の濃い時間
当初、予定していなかったのだが、CoRichの評価の高さに、急遽観劇。
評価にたがわぬ、密度の濃い作品を堪能した。
俳優たちが片時も集中力を切らさずに演じる空間は、テーマとあいまって息が詰まりそうだった。
それだけに、ただ1人 、主演俳優が何度も何度も噛んだのには がっかりさせられた。
また、台詞の出し方など、演技スタイルが同じ色に統一されていたように感じたのだが、演出がそこまでを求めたのだろうか。
満足度★★★★★
考えさせられました
(ネタバレにならない程度に)
人間と他の生き物の命
社会的問題について
考えるきっかけをもらえました。
また観にいかせてもらいます。
満足度★★★★★
生命とは【公開ゲネプロ】
芝居の魅力とは何であろうか。波瀾万丈の物語か、虚実皮膜の世界であろうか。もちろんその要素は大切であるが、やはりその作品で何を訴えようとしているのか、その力強さではないか、そのことをこの公演から強く感じた。この公演は、直接的には動物(犬、猫)の「生」と「死」であり、人間のことではない。しかし、描かれる動物愛護センターでのことは、犬、猫という動物を対象にすることによって、その行為を行う「人間」そのものが描き出されているようだ。
この公演は、しっかり取材(ネット情報はもちろん、実際熊本市動物愛護センターの実地見学)を行っており、その内容が台詞の一言一言に重みとなって伝わる。その言葉が共鳴し合い、公演全体を重厚感あるものにしている。そして単に芝居を観せるという域から記憶に残すというメッセージを感じる。
満足度★★★★★
良質なお芝居
TOKYOハンバーグさんが描く題材は本当におもしろい!
身近で、またはどこかで問題になっている実状の光と闇をていねいに創っていると思います!
動物愛護ってなんなんだろう、人間とペットとされる動物たちはどう関わっていくべきなんだろう、わたしは責任と思いやりと愛情をもって愛犬と一緒に生活したい。
是非、多くの人に観て欲しい舞台です!!
満足度★★★★★
最後に歩く道
犬や猫を人間が演じるなんて面白い設定。丸い舞台を上手に使って、あたかも舞台セットがあるかのようでした。動物愛護センターとはどういう仕事内容なのか分かりやすく表現されて、また、そこで働く人の葛藤を演じた内容で
見応え十分でした。最後は非常に考えされました。
満足度★★★★★
悲しくて、悔しくて・・・
観劇中ず~っとそんな感情に苛まれていました。
とても重い内容でしたが、全ては人間のエゴからの発生ですよね。
ペットの飼い主さん、(ペットショップ、ブリーダー)動物の命を考えてあげてください。
満足度★★★★★
命についての想像力
科学少年だった。生物学者になりたかった。だが、生き物が好きでそういう道に進みたいと思ったのに、そうなる為には、大好きな生き物を殺さねばならぬ現実が待っていることを知った。結果、大学では文学を選んだ。言葉によって訴える術を持たぬ動物たちの為にも、弱者の為にも、言葉によって彼らを生かす為に。(追記後送)
満足度★★★★
公開ゲネ
TOKYOハンバーグさん初でしたが内容に惹かれ観てきました☆
動物愛護センターの話しで、犬猫を捨てる側と保護や殺処分の話し。
命とは?ペットとは?人間とは?等色々と考えさせられました。
ラスト、切なくて、悲しかった。。
満足度★★★★
何故捨てられるのか
殺処分をめぐる動物愛護センターで働く人の葛藤を描いた舞台でした。どうすれば良いのか分からない非常に難しい問題ですが、切実な脚本と役者さんの熱演で改めて考えさせられました。
以下、公演中なのでネタバレで。
満足度★★★★
ペット・・・
〔プレ公演〕観劇。
動物愛護センターを舞台に、「人間にとってペットとは」、「ペットを飼う責任と義務」、人間としてのモラルを問う、ドキュメンタリー・タッチの作品。
ストレートな作り故、主題がブレずに伝わってきた。
考えさせられます。。。
満足度★★★★
動物愛護のテーマは苦手だったが。
テーマがはっきりした作品だ。ステージの大きい部分を占める約40㎝高の円形の台、蹴込みは柵のデザインで、この直径3m程の円台に、冒頭、犬たちと思しい四つ這いの俳優が音楽の中悲哀たっぷりのムーブで「最後」を迎える瞬間を示す。円形の内部は檻の中を表していると知れる。図らずもここで動物たちへのシンパシーが湧く。台の奥側には開閉可能な本物の柵が置かれ、出はけはこの扉と下手の袖二つ。舞台処理はスムーズ、見やすく、感情移入も可。
きちんとした取材をもとに作られた痕跡がそこここに見え、きちんと書かれた本だとの印象を持った。テーマ内に収まった作品だとは言えるが、ここ動物愛護センター(という名の民間委託の保健所=野良犬猫を一定期間一定数保護し余剰は殺処分する)という設定が良い。彼らの日常業務、先進的な活動をしている熊本の事例、トリマーもやっている青年職員らの目的意識、ベテラン職員の苦労と悲哀、新たに採用された職員とのやりとり。猫や犬を個人的に飼う者同士の雑談などにも、動物と人間の関係が生々しく表れ、様々な角度からこのテーマを掘り下げることにより全体像がうっすらと浮かび上がる作りになっていた。
何より、主人公が慣れない部署に配属させられた「ほぼ新人」で、娘一人を養う身だがしっかり者の娘に全てを悟られている風もある。そんな素人目線の男を通して、この世界に観客を誘導し、素人ゆえの切り込みを会話でやらせていたり、台詞の構築もうまさがある。
TOKYOハンバーグは昨年のB.LET'Sとの合同公演が初で、大西氏脚本、劇団単独公演は今回が初。独自性、について語る材料はないが、終盤に登場する老犬の存在はユニークだった。厳しい現実を背負う老犬と、主人公の男との交流(といっても一方的に語っているだけだが)は、中々ないシーンではなかったろうか。
安直な涙に流れず、むごい現実を手加減なく、効果的に見せていた。この芝居には不快な現実を観客に受け入れさせる仕掛けがある。
・・主人公は犬が苦手であり、最もこの職場に「向かない」人材とも言えたのだが、老犬の姿になぜか彼は動かされる。結果的には、それは同情といったものではなく、何より彼は最も酷薄な決断を老犬に関して行なう。その時、飼い主からの虐待で脅えきった、しかも病に冒されて余命幾ばくもない老犬を、彼は抱いて語るのだ。その言葉の説得力は「犬好き」でない彼だからこそ持つ。かくして、殺処分を巡る動物たちの「ドラマ」に彼はいつしか足を踏み入れており、かつ問題を最も敏感に感じ取っていた人間だった事が露呈する。彼は、即ち私たちでもあるだろう。犬・猫の存在が連想させる「死」の現実と、向き合えない自身に、その弱さゆえに気づくのだ。