安部公房の冒険 公演情報 安部公房の冒険」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-20件 / 34件中
  • 満足度★★★★★

    かもめコンビ再び
    ☆4.5
    手堅くも、やや面白味に欠ける演出。
    縄田智子さんの体当たりの演技も見どころの一つでしたが、もっと軽妙で蜜月な雰囲気のシーンが有れば、メリハリが利いてより楽しくなったかも。

    ネタバレBOX

    虚実ないまぜの人間ドラマということですが、人間性的には市井の人と変わらぬ「狒々爺・安部公房」の色恋顛末記といった具合か。
  • 満足度★★★★★

    前知識無しで観ましたが、
    台詞量の多い濃密な脚本にも関わらず、時代背景も物語もとても分かりやすく、終始楽しんで観られました。佐野さんが流石の圧巻、安部公房という私にとっては時代劇の中の人も(昭和って既に時代劇ですよね、)リアルにその場で生きていて。芝居ではなく安部公房その人を観ているよう。物語前半は男と女としても輝いていた安部夫妻が、時を経てつまらない男女になっていく姿に長い長い人生を見て、自分自身の人生と重ね、なんとも言えない切なさに包まれたり、恋愛感情で胸が痛くなってラストの縄田智子さんの慟哭とともに号泣したり。アロッタの作品としては1時間30分と異例の短さでしたが、そこには確実に人生と時代とが描かれていました。欲を言うと、私は松枝さんの持つ独特のフェティッシュ感が好きなので、やはり松枝さんの演出作品が観たいな、と。内田明くんが演じた道化が安部公房を「あべこべ先生」と呼ぶところがなんともアロッタ感に満ちていてとても好きでした。

  • 満足度★★★★★

    何度も観たい舞台
     現在のこの国の演劇状況と、安部 公房が生き、演劇にのめり込んだ時期から亡くなるまでの10年余の時を、描いた作品だ。当時世界で活躍するピンター、ベケット、イヨネスコらと共に、米ソでも人気の高かった安部が、新劇と言えば、千田 是也と言われた当時、新たな可能性として出現した寺山 修司、唐 十郎ら若者に支持された日本のアングラ演劇状況に於ける単独者として新地平を切り開いて行こうとする姿勢を描くことで、作品そのものを用いた現代演劇批評として観ることができる。

    ネタバレBOX

     同時に、妻・愛人との繊細且つ濃密で緊張した愛の関係を通して、男と女、肉体と精神という永遠のテーマと同時に、三角関係自体の持つ心理的な綾と肉体の関係を精神対肉体という二元論に於いてではなく、生きた身体として捉え返し、身体同士のダイナミックな蠢きやその関わりから生じる新たな心身両局面の表現として、更には映画やTV他新たな記憶装置や記録装置の出現を人間化しようとしたようにも思われる、その進取の精神は、噂にきくピーター・ブルックの仕事にも近いのかも知れない。
     脚本は、いつも通り松枝 佳紀なのだが、いつもなら、演出も彼が務める所、今回は、荒戸 源次郎が担った。結果、説明過剰や情報量の過重が削がれ、その分、間の時空が増えた。つまり、作り手と見る側の間の想像的時空間が増えた訳である。このことが、作品に、よりヴィヴィッドでありながら、共感しやすい状況を作り出した。
     更に、アロッタファジャイナとしての連続性や転換点も観ておくべきだろう。今回は、佐野 史郎が、安部公房役なのだが、これは前作「かもめ」で彼がトレープレフを演じたことと二重写しになるだろう。恋人役の縄田 智子は、二―ナを演じていたし、妻役の辻 しのぶは、アルカージナを内田 明は、前回Wキャストだった関係で矢張り、トレープレフを演じている。男性俳優が2人ともトレープレフ役だったことにも注意したい。
  • 満足度★★★★★

    THE演劇
    これぞ演劇,質の高い舞台です。最初から最後まで演技に引き込まれていました。とてもとても満足の観劇時間でした。アロッタファジャイナ,やはりこの劇団は外すことはできない。文句なしです。

  • 満足度★★★★★

    とてもわかりやす
    安部公房ってこういうひとだったんだとわかりやすかったです。
    なんとも2人の女性に支えられての大作家なんだなと思った。
    佐野史郎さん やっぱり流石です。
    照明の使い方で、スムーズに話がすすんでいたと思いました。

  • 満足度★★★★★

    メロメロ
    縄田智子さんが素晴らしい。

    ネタバレBOX

    大学で演劇のゼミを持った安部公房が、芸術的才能があり、愛してやまない妻がいながら女優志願の女子学生を好きになり、付き合い始めた頃から亡くなるまでの、二人の女性との関係を描いた約20年間に亘る物語。

    俳優による圧倒的迫力を感じました。

    地位も名声もある男が、バレれば一気に全てを失う恐れのある行為に没頭するということは一つの冒険なのかもしれません。

    半生記物なので案内人役の道化が必要だったのだとは思いますが、できれば案内人役は極力避けてほしいところです。途中では、女優あかねに心境を確認するような形で、あるいはメッセンジャーとして海外からの電文を伝えることで状況を説明するなど工夫は感じられましたが、如何せん、出だしはまさに道化そのものでした。そしてこれは後付けかもしれませんが、道化イコールこれからお話することは一代記ですと明言したも同然で、まさにその通りの展開でした。

    佐野史郎さんも辻しのぶさんも魅力的でしたが、あかね役の縄田智子さんの透明感溢れる容姿は本当に素敵でした。誰かのせいで下着姿になってしまいましたが、実にスタイルが良く、腹部の筋肉が弛緩したときなどはゾクゾクッとさせられました。

    余談ですが、私の中での透明感溢れる女優さんと言えば、特筆すべきは相楽樹さんと縄田智子さんのお二人です。

    そして、「特別な50代よりも普通の20代でいいです」と若い男性が言ったという5時に夢中!での美保純さんの発言を思い出し、ここに男性心理の真実があるなと帰りの道すがらずーっと考えていました。
  • 満足度★★★★★

    松枝作品だと...
    主人公がとにかく躍動するのが松枝作品。それを再確認した感じ。楽しめました。

  • 満足度★★★★★

    安部公房…人間ドラマ
    新国立劇場_小劇場、舞台セットは下手に仕事場兼若手女優とのラブ場面、上手は家庭生活と妻との夫婦関係の場面に見立て、同時並行に二人の女性との間を揺れ動く様を観せる。人間、安部公房の魅力が濃縮された公演であった。

    ネタバレBOX

    安部公房は小説家というイメージが強く、劇作家としての印象はあまりない。しかし、下世話な表現をすれば”身の上”と”身の下”の虚実織り交ぜたエピソードを散りばめ、人間(男)、安部公房の人物像を浮き彫りにした。
    まず、”身の上”では、自分の脚本の演出面に対する不満、海外の高評価への破顔、国内における酷評に対する憤慨など、第三者評価に一喜一憂する姿が人間くさい。また”身の下”では、若手女優と交情し、一方妻とも夫婦関係を続ける。この身勝手で優柔不断な安部公房役の佐野史郎が実にいい。そして妻(辻しのぶ)と若手女優(縄田智子)の女性の性、嫉妬、驕慢が切ないほど伝わる演技も見応えあった。
    黒木瞳主演の映画「化身」(1986年、原作・渡辺淳一)を思い出した。設定は文芸評論家とホステスの違いはあれど、段々魅惑的になっていく女性に溺れ、やがて…。この文芸評論家が安部公房、ホステスが若手女優に置き換えれば、と勝手準えてみた。
    有名作家・戯作者である安部公房の半生を描いた人間ドラマ…実に面白かった。
    ちなみに安部公房、渡辺淳一とも「前立腺がん」だったようだ。
  • 満足度★★★★

    解りやすかった文豪の後年期
    あんましヒネリを感じなかったなぁと思った90分

    (でも、しっかり記憶に残る作品でありました(^^)

    ネタバレBOX

    佐野さんでも台詞噛む(ほんの少しですが)んだなぁとか思ったデス(^_^;)

    ほんとストレートに晩年の安部公房という作家?劇作家?
    の生き様が観れたと言えます・・(とっても理解しやすかったと)
    <キッチリ開演時間で始まったトコもポイント高いです>

    舞台は左から書斎に置くような机に、中央が白いソファー+テーブル、
    右がキッチンテーブル&椅子×4脚と配置し、
    上からのスポットライトでその家具照らして舞台場面として進んでいきます。

    食事などはリアルに出してて、
    暗転?時の場面は黒子さんが音も立てずに片付けていかれましたね。
    (緊張感が半端なく伝わりましたデス)

    狂言回しに白服のユニークな男性が出てきて最初と最後に物語をまとめます(勝手に”白男”さんと命名(^^)=後半少し本編とも関わります)
    ~人を喰った話として作品を〆ていきました~

    話は忙しいと毒づく安部先生が目をつけた女優と、
    懇ろになって”アベコベ先生”が前立癌で死亡するまでの展開でした。
    (20年続いた愛人関係ってのも凄かった)

    舞台を理解して舞台に必須な本妻と、作品に合う女優である愛人・・・。
    直接対決もあり、ほとんど昼メロの展開を存在感の強い佐野先生を中心に舞台のセットを上からのスポットライトで限定して見せるユニークな表現はも白かった。基本3人の会話で進行する会話劇であり、劇評なども、憤る先生の台詞から推測するという限定芝居といえました。日本では受けなかった作品を現地=海外でのシチュエーションに変更して喝采を浴びたという話も刺し込み。作品の本質は言語や国では変えられない=本物はキチンと伝わるものだと確信するシーンには納得できたです。(OVAのBJで、拒食症の女優さんの話の中に出てきた嫌味なマスコミの男の台詞を思い出しました=「あたし程度の者が何を言ってもやっても”本物”ってのは潰れないものです」といったニュアンスの台詞でした=好きなんですよ、この記者の役(^^)

    静かな抑揚を抑えた作品でもあり、合わない人には眠気を催す話ともいえます=場内でしっかり寝てしまった人もいましたから・・・。

    隠し玉としての情報量の良さは好きなとこで、満州の国歌を歌った佐野氏に驚かされました。 って国歌あったんですね満州って!

    演劇の基本として利ザヤ出すには団体客が重要とか・・・いう情報も勉強になりました
  • 満足度★★★★

    芸術家の感性というのは、私のような凡人には理解できない
    小説から演劇、女性から女性へと「冒険」を続ける安部公房。
    しかし、「冒険」と見るのは凡人である我々であり、「冒険」と感じないから、彼らは創作を続けることができるのだろう。

    ネタバレBOX

    芸術家の感性というのは、私のような凡人には理解できない。

    彼らの行為は、我々からは「自分たちと同じ」、いわゆる「普通の男」「俗物」だな、という視線でしかとらえることができない。
    しかし、彼の劇中での台詞が真の本心だとすれば、彼にとっては「創作」ことがすべてであり、ほかのことはまったく見えない。
    女性たちも、彼の内面のひとつである。俗物な普通の男も彼の創作の、ある見え方のひとつにすぎないということなのだ。

    安部公房は、新しモノ好きだったと思う。
    古きプログレファンには有名な、富田勲と同じシンセサイザーを趣味として購入していたというところからもわかる。
    しかし、創作においては、単に「新しモノ好き」ということからでは論じることはできない。
    それなりに評価をされていた小説の世界から一歩踏み出して、演劇の世界へと足を踏み込む。
    「小説家のお遊び」と評価される可能性も高いだけに、失敗すれば、確固たる地位を築いている小説に対してもダメージを加えかねない。

    それでも演劇に踏み込んでいく。
    それも、最先端を目指そうとする。
    「文字」でできることとその「限界」、「映像」でできることとその「限界」、そして「演劇」でできることに創作の先端を見出したのだ。
    「表現したいこと」は、どんな方法であっても構わない。
    他人から見れば、小説から演劇へ移ったように見えるが、安部公房にとってはその差はない。
    だから、そう思ったら止めることはできない。

    昔、何かの対談だったか、何かで読んだことがあるのだが、「小説というものは、意味まで到達しない、ある実態(状態)を表すものであり、読者はそれを体験するのだ」と安部公房が言っていたと思う(違っていたらスミマセン)。
    それを読んで(聞いて?)「なるほど」と思ったわけで、それ以降、小説に限らず、演劇などもそういう視点で見てきた。
    私に、創作物の見方のヒントを与えてくれたのは、安部公房だと思っている。

    だから、安部公房にとっては、表現方法は小説でも演劇でもいいわけなのだ。
    今感じている「実態(状態)」を伝えることさえできれば、いいのだから。
    しかも、表現方法を変えることを彼は「リスク」とは考えていないのだ。
    「冒険している」とはまったく思っていない。
    社会との関係(評価など)を気にしながらも、彼にとって創造の前には何も立ちふさがるものがないのだ。
    だから表現者であり得るのだ。
    これは「冒険している」と感じてしまう、私たちには理解できないことだ。

    小説の世界でのパートナーは妻であり、新しい「演劇」の世界でのパートナーは女子大生だったあかねである。
    彼女たちは安部公房にとって、パートナーというよりは、創作そのもの、創作の源泉、彼自身の内面のひつとでもあったのだ。

    劇中で安部公房があかねを口説くようなシーンがある。
    これは、演出家とか芸術家的な口説きのテクニックかと、笑いながら見ていたが、どうやらそうではない。
    安部公房にとっては、切実な気持ちであり、「演劇」に踏み出し、創作を続けるためには彼女が必要だったことがわかってくる。

    「愛人」とかそういう卑近なレベルでの問題ではないだろう。
    もちろん他人や社会から見れば、有名小説家の下半身スキャンダルにしか見えない。
    そういう危険を冒しても彼女を自分の手元に置いておきたかったのだ。

    安部公房の冒険とは、新しい「創作」にすべてを捧げることで、リスクを取りながらも(本人はリスクとは思っていない)先に進みたいという欲求の現れであろう。
    小説から演劇、妻から愛人、そういうベクトルの先には「創作(意欲)」があったに違いない。
    しかし、「冒険」ととらえるのは、芸術家の心の中まではわかることができない、一般の、われわれの見方でしかないのだ。

    劇中では、安部公房の演劇に対する想いが語られる。
    それは、「今、それを舞台の上で演じている」ということが、ヒリヒリとしてくる。
    確かに「安部公房がそう言った」のであって、この作品が主張していることではない。
    しかし、やっているのは「演劇」である。
    つまり、安部公房役の佐野史郎さんは血を流しながら、その台詞を言っている。
    戯曲を書いた松枝佳紀さんも、ギリギリと歯を噛みしめながら文字を書いていったのだろう。
    本当はどうなのかは知らないが、彼らにはそうあってほしいと思うのだ。

    「頭の悪い観客たち」なんて言い放った安部公房の印象は、自分に対する絶対的な自信があること。
    彼の小説を読んでいた中高生の頃、何かで彼のそういう発言を目にして、その自信の強さに辟易した覚えがある。
    当時文庫になっていた小説と戯曲はあらかた読んでしまったこともあり、安部公房は遠ざけてしまった。

    読者は、観客は、安部公房の作品のみに接するべきであったのかもしれない。
    それは、私のような凡人には彼の内面を推し量ることができないからだ。

    この舞台では、それを再認識したと言っていいだろう。
    安部公房の外面(そとづら)ではなく、2人の女性に見せる、本当の姿、弱さが見える。
    自信があるように振る舞いながらも、社会の評価は気になってしまう。
    彼女たちがいないと創作活動が続けられない。外聞をも気にせず突っ走ってしまう。

    オープニングは、ウソとマコト、について語る。
    語りながら、安部公房の本当の年表を披露する。
    その虚実をないまぜにしたところは面白いし、エピローグの台詞も(きどった)演劇っぽくてなかなかいいと思った。
    思ったのだが、それらは蛇足ではなかったたか、と思う。

    この作品は、安部公房、その妻、あかねの3人が劇中の登場人物である。
    思い切って、この3人だけの「3人芝居」にすべきではなかったか。
    そうすることで、より3人の関係が濃密になり、観客のベクトルも向けやすい。
    また、その分、もっと彼らのエピソードや内面の吐露を増やしていけば、さらにもの凄い作品になったのではないかと確信する。
    熱い作品なだけに、そこがとてももったいないと思う。

    例えば、今のままでは、妻の印象が悪い。
    あかねに対する嫉妬部分が見えすぎてしまうからだ。
    エピソードを重ねることで、さらに安部公房と妻の関係が深まっていくことになり、この作品自体が、単なる「愛人スキャンダル」に留まって見えてしまうこともなかったのではないかと思うからだ。

    また、先にも書いたが、この作品では安部公房の内側の姿が見える(安部公房と、その女たちを含めた「内側」だ)。
    だから、それを露わにするためにも、もっと外側との関係の安部公房も見せることができたのではないかと思う。

    狂言回しのようなキャラクターを入れることで、見やすくなったのは、「逃げ」ではないか、とまで思ってしまった。
    劇中で安部公房が語る演劇についての熱い想いを聞くにつれ、それに真っ向からぶつかっていく姿勢としても、そうあってほしいと思ったのだ。

    全体的に長台詞である。
    それが実に効果的であった。
    さらに彼らにそれを強いてほしかった。

    私にとっては、映画監督という印象が強い荒戸源次郎さんの演出は、オーソドックスなものであった。
    それが長台詞に耐え得るものであったと言っていい。
    緊張感もいい感じであり、間もいいし、長台詞を聞かされるときにありがちな、ダレることもない。
    台詞自体がいいということもあるだろう。

    役者は4人ともよかった。
    いい感じの熱さがあり、それが冷めることなくラストまで続く。

    佐野史郎さんは、安部公房の創作に対する姿勢、つまり、やや狂信的とも言える姿勢とともに、弱さもうまく表現していたと思う。
    妻役の辻しのぶさんもいい。きりっとしていて、安部公房をどうリードしていったのかをうかがわせる。少し強すぎるきらいはあるが。
    内田明さんは、歯切れのいい違和感がうまい。
    そして、あかね役の縄田智子さんが素晴らしい。
    どういう経歴の方かは知らないが、あかねという役と今の自分自身の重ね方がうまくいったのではないだろうか。
    演じているというよりは、「演じている自分」がいる。「役者を演じている」のではなく「役者になっている」とでも言うか、そういう印象だ。
    経験を積めばさらに輝くのではないかと思う。

    残念なのは、長台詞ということもあってか、各人1人につき、1回が2回ぐらい台詞を噛んでいたことだ。特にこの作品にとっては、それは大きなマイナスだ。
  • 満足度★★★★

    情熱と悩みの中で
    安部公房は天才で社会的な評価も高い小説家というイメージであったが、演劇に私生活にそれぞれ強い情熱と悩みの中で生きていた別の一面を知ることができて興味深かった。いろんな対比の中で"冒険"が内面的に描かれていたが、ドラマチックな展開があるともっと面白くできたのではないか。

  • 満足度★★★★

    脚本がわかりやすく秀逸
    それほど、安部公房を知っていたわけではないが。説明臭くなくどういう人なのかも判りやすく。徹夜明けにいっても眠くならない。面白かったと思います。もう一度見に行きます。

    ネタバレBOX

    内容がないようなだけにもう少し縄田さんのエロスを感じる大胆な演技の演出はあった方が良かったとは思う。佐野さんと縄田さん辻さんの織りなす人間関係が人を必要とする表現者には本当によくあるすぎる展開で自分の事のように感じて凄くリアリティをかんじる。道化役の内田さんの存在は最初戸惑ったが、途中から違和感を僕は感じなくなったが賛否が分かれそうですね。唯一残念だったのはセットだけど多くは語るまい。
  • 満足度★★★★

    役者陣に魅了された
    役者陣に魅了された作品でした。特に縄田智子さんが良かった。すごく魅力的な演技でドキドキさせられました。

  • 満足度★★★★

    いくつもの対比を紡ぎ束ねる
    戯曲が描こうとするものの要素が、演出の手法とあいまって、舞台上に明確に伝わってきました、さらには、骨組の明確さを支える戯曲と舞台の仕掛けに、役者の描き出すものが、淡々と奥行きをもった生々しさをかもし出す舞台でした。

    ネタバレBOX

    小さいところでのお芝居を観ることが多いので、小劇場PITの空間はかなり広く感じる。
    特に前方の席だと高さに圧倒されたりも。でも、舞台が始まると、でも、その広さだからこそ4人芝居が描くものがすっとはまる。道化が綴っていく男の評伝的な部分も、ノーベル賞云々とすら言われた男の才のほどばしる姿も、家庭でのありようも、狡さとも感じられる男の姿も、その舞台の広さとともに混濁することなく研がれ、したたかに切り分けられて、舞台に置かれていく。前半には一人の男のパブリックな部分とプライベートな部分が、それぞれに羽を広げるスペースが舞台にあって、そのどちらの側面も、彼の一面として他の側面を浸食することなく舞台に置かれていく。

    舞台に彼を多面的に織り上げていく仕掛けがいろいろになされていました。まず道化が物語の輪郭を軽妙にくっきりと描き出す。主人公の外面というかパブリックな部分が紡がれる上手のリビングダイニングを思わせる舞台には光があり、静謐な中に内なる熱を育む研究室や書斎の押さえられた色調との対比が生まれる。鮮やかな赤と生成りの質感を持った白に色分けされた二人の女性の衣装の色がそれぞれに印象を刻む。消えものや小道具の有無なども観る側にとっての暗示になっていて、たとえば上手の食卓に並んだ朝食や手に取る新聞などが男の外面を導き、小道具をなにも持たず女性とある下手の空間には舫いを解かれた彼の内面の想いが広がる。

    それらの仕掛けの中に、緩急としなやかさをもって、男の姿が編み上げられていきます。舞台の表の部分の見せ場でもある、彼のあふれ出すような才気とその果実が熱と高揚とともに語られるとその裏側には、妻と、教え子の女学生との間を行き交う男の姿が置かれ、男の幼くすら思える姿が観る側を捉える。役者が語る台詞や所作にさまざまな一面を纏う男の感触が立体的に観る側の腑に落ちる。しかも、それらの束ねる役者が醸すものには、単に整合性をもって人物を組み上げるのではなく、少しずつ揺らぎが差し入れられて、生まれる密度の細微なほつれにキャラクターの実存感や内に抱くものの肌触りが育まれていく。
    終盤、かつて小道具をもたなかった女性が本を持ち舞台上の対比が崩れ、妻との別居も語られて、彼からエッジの効いた表裏が薄れ消える。その中での、二人の女性のそれぞれに彼を受け入れようとする姿も異なる光となり老境の彼を照らす。それは、主人公を一面にとどまらず引き出す表裏とは別に若い彼と老境の彼を浮かび上がらせる対比ともなって。幾重にも置かれたと作劇の企てと、そこに血を通わせていく役者達のお芝居の洗練に時間を忘れて見入ってしまいました。

    まあ、正直なところ阿部公房の著作自体や舞台については知識があまりなく、私的には主人公の姿をより満ちたものとして受け取るための自らの素養が欠けていたように感じ、むしろそのことで、役者達がそれぞれに描き出す人物の貫きや揺らぎにより捉われたりも。一人ずつの役者の空間を纏って舞台にある強さと、その広さを力として戯曲の骨格の中に血を通わせていく刹那の繊細な紡ぎ方、なかでも男が老境に足を踏み入れる中での其々のロールに編まれた色の移ろいが印象に残りました。
  • 満足度★★★★

    面白く観たけど複雑な気持ち
    あの「壁」や「砂の女」の安部公房の晩年って、こんなだったのかなー。
    と、面白く、そしてやや複雑な気持ちで見ました。
    やや複雑なというのは、良識ある一般人の私としては、妻、夫、愛人といたら、フツーに妻目線で見ちゃうんですよ。笑。
    最後まで、私は妻目線で観つつ、舞台は愛人目線で進む。
    二人の女の大岡裁判(手を離したほうが本当のお母さん!)のような話でした。←ちがう。

    ネタバレBOX

    アメブロにもうちょっと長々書きました。

    http://ameblo.jp/imacoco2010/entry-11917042237.html
  • 満足度★★★★

    自分都合の女好き!
    あえて、下種な言い方させて頂きます。
    病気も前立腺がんにより睾丸除去。本望ではないですか!
    安部公房の私生活を浮彫にしたもので、ノーベル賞に近いと言われた人も私生活はただの人ということですか。自分の欲望のために若い女優を口説いたり、思いとどめさせたりする話術などは唸らせる。
    佐野さん絡みか、女優の羽田美智子さん観劇してました。

    ネタバレBOX

    ハロルド・ビンターやサミュエル・ベケットになるべく小説よりも戯曲に力を注いだが、金持ち堤清二から大劇場をタダで借りられる安部は日本では評価低く、人気なのは寺山や唐の芝居である。彼らに一目置くものの貧乏人の芝居と馬鹿にする。戯曲をやめ、小説に絞ろうとしていたところ、アメリカに認められ、自分の戯曲は日本ではなく世界に向けてのものと再認識。
    その時には病魔が迫ってきていた・・・。
    山口果林役の縄田さんの下着姿は驚きましたが、花柄の下着はどうなんでしょう?(笑)
  • 満足度★★★★

    人間くさひ
    妻と愛人か…眉をしかめたくなりつつも、ああこりゃ何十年、何百年先も人間(男性や作家)は同じことを繰り返すんだな、と諦めの心境になれました。
    うまく言葉に出来ないけど、人間のこういう関係性が、面白いし、本能からの欲求だし、なんだかんだでみんな共感してしまうのだろうし、
    人間臭さを十二分に満喫した舞台でした。セリフは良いけど、長くて出にくかったり噛んでしまったりで、ハラハラしました。

    …才能に惚れる時って、相当いい匂いするんだろうな。
    離れたくても離れられない、麻薬的なフェロモン…嗅いでみたいわー

  • 満足度★★★★

    予習して臨むことを推奨
    もちろん評伝的な部分もありつつ、現代演劇論を演劇を以て語る部分がスリリングで面白い。
    しかもそれが実在した人物によって語られるワケで、観ているうちにどこまで虚構でどこまで現実なのか区別がつかなくなりドグラマグラ状態に…
    さらにその演劇論が今の小劇場ムーブメントに繋がるようでもあり、観ていてもう頬が弛んでしまう。
    一方、愛人と妻をめぐる面では至ってフツーのオトコで「本当に男ってヤツはしょうがないな…」と。(笑)
    上手に自宅、下手に教授室を配置したシンプルかつシックな装置で交互に見せるスピーディーな展開(松枝さんによれば右脳と左脳を意識したとの由)の本編部分を、「クラウン」がガイドを務めるプロローグとエピローグ(と本編の一部)によって締める構造もスッキリして好み。
    なお、本編に入った時にPARCO劇場の舞台のような印象を受けたのは予習で西武劇場のことを知っていたからか?
    他にもウィキペディアでの予習によりはたと膝を打った部分があったので、これからご覧になる方々には予習することを強く推奨いたいます。

  • 満足度★★★★

    噛んでもすごい
    “芸術を媒介とした恋愛関係”は、その言い訳も高尚で芸術的だ(笑)
    “共通の志を抱いているのだ”という大義名分を信じればこそ、
    3人とも長きにわたって気持ちを保てたのだろうという気がする。
    家庭と愛人を行き来する自己中な男を、許し愛する2人の女の“縄張り”が
    美しいセットと照明によって浮び上る。
    理想と現実を近付けようとシャカリキになる中年男の台詞が質・量共にすごい。
    脚本家と俳優の力がストレートに感じられる舞台だった。

    ネタバレBOX

    安部公房(佐野史郎)は小説家として評価を得ている一方、
    大学で演劇ゼミを担当している。
    学生結婚した妻(辻しのぶ)は彼の芸術の良き理解者であり、
    彼の仕事に欠かせないパートナーでもある。
    にもかかわらず、安部公房は次第にゼミの学生あかね(縄田智子)に溺れて行く。
    ひとりの男を巡り20年間にわたって対峙する2人の女。
    芸術を媒介にした恋愛の顛末を描く…。

    佐野史郎さんの台詞は内面からほとばしるようで、芸術家の身勝手な理屈にも
    普遍的な男の欲望が感じられてどこか愛おしい。
    時折言い間違いや噛んだりするところもあったが
    それを吹き飛ばす感情の勢いが伝わってくる。

    妻役の辻しのぶさんは笑い声に満足感や優越感をにじませるのが巧み。
    言葉以外の方法で豊かな感情を表現するところが素晴らしい。

    大ベテランの流石の台詞術に挟まれて、愛人役の縄田さんの台詞は
    それがフレッシュな魅力と言えるのかもしれないが
    淀みない分若干表面的な印象を受けた。
    もっとしたたかな面を見せても良かった気がする。

    最初は少し違和感を覚えた狂言回しの道化(内田明)が、
    愛人に絡み始めてからは、やはり必要な存在なのだと感じた。
    ちょっと濃いソースがないと、有名人ではあるが所詮“三角関係”の話は
    普遍的なだけに“想定の範囲内の味”で終わりがち。
    その意味でメリハリのある声と台詞がとても良かった。

    小説と演劇、妻と愛人、理想と現実の間で、
    時に自説をぶち上げ、時に右往左往する安部公房が極めて人間らしく魅力的。
    いったいどんな舞台を作ったのだろう、ちょっと気になる。
  • 満足度★★★★

    想像とは違いましたが
    面白かったです。

    他の方も書かれているように、安部公房作品のような内容を期待して臨むと、
    あれ違うんだ、という印象から入ってしまうことになりそうです。


    その当時に創られていた舞台がどんなものだったか観てみたかったし
    その当時の演劇を取り巻く環境がどんな様子だったのか感じてみたくなりました。
    叶わぬことですが。


    あべこべ先生、今の時代に生きていたならどんなことをやろうとしたのかなー。

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