安部公房の冒険 公演情報 安部公房の冒険」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
21-34件 / 34件中
  • 満足度★★★★

    芸術家の感性というのは、私のような凡人には理解できない
    小説から演劇、女性から女性へと「冒険」を続ける安部公房。
    しかし、「冒険」と見るのは凡人である我々であり、「冒険」と感じないから、彼らは創作を続けることができるのだろう。

    ネタバレBOX

    芸術家の感性というのは、私のような凡人には理解できない。

    彼らの行為は、我々からは「自分たちと同じ」、いわゆる「普通の男」「俗物」だな、という視線でしかとらえることができない。
    しかし、彼の劇中での台詞が真の本心だとすれば、彼にとっては「創作」ことがすべてであり、ほかのことはまったく見えない。
    女性たちも、彼の内面のひとつである。俗物な普通の男も彼の創作の、ある見え方のひとつにすぎないということなのだ。

    安部公房は、新しモノ好きだったと思う。
    古きプログレファンには有名な、富田勲と同じシンセサイザーを趣味として購入していたというところからもわかる。
    しかし、創作においては、単に「新しモノ好き」ということからでは論じることはできない。
    それなりに評価をされていた小説の世界から一歩踏み出して、演劇の世界へと足を踏み込む。
    「小説家のお遊び」と評価される可能性も高いだけに、失敗すれば、確固たる地位を築いている小説に対してもダメージを加えかねない。

    それでも演劇に踏み込んでいく。
    それも、最先端を目指そうとする。
    「文字」でできることとその「限界」、「映像」でできることとその「限界」、そして「演劇」でできることに創作の先端を見出したのだ。
    「表現したいこと」は、どんな方法であっても構わない。
    他人から見れば、小説から演劇へ移ったように見えるが、安部公房にとってはその差はない。
    だから、そう思ったら止めることはできない。

    昔、何かの対談だったか、何かで読んだことがあるのだが、「小説というものは、意味まで到達しない、ある実態(状態)を表すものであり、読者はそれを体験するのだ」と安部公房が言っていたと思う(違っていたらスミマセン)。
    それを読んで(聞いて?)「なるほど」と思ったわけで、それ以降、小説に限らず、演劇などもそういう視点で見てきた。
    私に、創作物の見方のヒントを与えてくれたのは、安部公房だと思っている。

    だから、安部公房にとっては、表現方法は小説でも演劇でもいいわけなのだ。
    今感じている「実態(状態)」を伝えることさえできれば、いいのだから。
    しかも、表現方法を変えることを彼は「リスク」とは考えていないのだ。
    「冒険している」とはまったく思っていない。
    社会との関係(評価など)を気にしながらも、彼にとって創造の前には何も立ちふさがるものがないのだ。
    だから表現者であり得るのだ。
    これは「冒険している」と感じてしまう、私たちには理解できないことだ。

    小説の世界でのパートナーは妻であり、新しい「演劇」の世界でのパートナーは女子大生だったあかねである。
    彼女たちは安部公房にとって、パートナーというよりは、創作そのもの、創作の源泉、彼自身の内面のひつとでもあったのだ。

    劇中で安部公房があかねを口説くようなシーンがある。
    これは、演出家とか芸術家的な口説きのテクニックかと、笑いながら見ていたが、どうやらそうではない。
    安部公房にとっては、切実な気持ちであり、「演劇」に踏み出し、創作を続けるためには彼女が必要だったことがわかってくる。

    「愛人」とかそういう卑近なレベルでの問題ではないだろう。
    もちろん他人や社会から見れば、有名小説家の下半身スキャンダルにしか見えない。
    そういう危険を冒しても彼女を自分の手元に置いておきたかったのだ。

    安部公房の冒険とは、新しい「創作」にすべてを捧げることで、リスクを取りながらも(本人はリスクとは思っていない)先に進みたいという欲求の現れであろう。
    小説から演劇、妻から愛人、そういうベクトルの先には「創作(意欲)」があったに違いない。
    しかし、「冒険」ととらえるのは、芸術家の心の中まではわかることができない、一般の、われわれの見方でしかないのだ。

    劇中では、安部公房の演劇に対する想いが語られる。
    それは、「今、それを舞台の上で演じている」ということが、ヒリヒリとしてくる。
    確かに「安部公房がそう言った」のであって、この作品が主張していることではない。
    しかし、やっているのは「演劇」である。
    つまり、安部公房役の佐野史郎さんは血を流しながら、その台詞を言っている。
    戯曲を書いた松枝佳紀さんも、ギリギリと歯を噛みしめながら文字を書いていったのだろう。
    本当はどうなのかは知らないが、彼らにはそうあってほしいと思うのだ。

    「頭の悪い観客たち」なんて言い放った安部公房の印象は、自分に対する絶対的な自信があること。
    彼の小説を読んでいた中高生の頃、何かで彼のそういう発言を目にして、その自信の強さに辟易した覚えがある。
    当時文庫になっていた小説と戯曲はあらかた読んでしまったこともあり、安部公房は遠ざけてしまった。

    読者は、観客は、安部公房の作品のみに接するべきであったのかもしれない。
    それは、私のような凡人には彼の内面を推し量ることができないからだ。

    この舞台では、それを再認識したと言っていいだろう。
    安部公房の外面(そとづら)ではなく、2人の女性に見せる、本当の姿、弱さが見える。
    自信があるように振る舞いながらも、社会の評価は気になってしまう。
    彼女たちがいないと創作活動が続けられない。外聞をも気にせず突っ走ってしまう。

    オープニングは、ウソとマコト、について語る。
    語りながら、安部公房の本当の年表を披露する。
    その虚実をないまぜにしたところは面白いし、エピローグの台詞も(きどった)演劇っぽくてなかなかいいと思った。
    思ったのだが、それらは蛇足ではなかったたか、と思う。

    この作品は、安部公房、その妻、あかねの3人が劇中の登場人物である。
    思い切って、この3人だけの「3人芝居」にすべきではなかったか。
    そうすることで、より3人の関係が濃密になり、観客のベクトルも向けやすい。
    また、その分、もっと彼らのエピソードや内面の吐露を増やしていけば、さらにもの凄い作品になったのではないかと確信する。
    熱い作品なだけに、そこがとてももったいないと思う。

    例えば、今のままでは、妻の印象が悪い。
    あかねに対する嫉妬部分が見えすぎてしまうからだ。
    エピソードを重ねることで、さらに安部公房と妻の関係が深まっていくことになり、この作品自体が、単なる「愛人スキャンダル」に留まって見えてしまうこともなかったのではないかと思うからだ。

    また、先にも書いたが、この作品では安部公房の内側の姿が見える(安部公房と、その女たちを含めた「内側」だ)。
    だから、それを露わにするためにも、もっと外側との関係の安部公房も見せることができたのではないかと思う。

    狂言回しのようなキャラクターを入れることで、見やすくなったのは、「逃げ」ではないか、とまで思ってしまった。
    劇中で安部公房が語る演劇についての熱い想いを聞くにつれ、それに真っ向からぶつかっていく姿勢としても、そうあってほしいと思ったのだ。

    全体的に長台詞である。
    それが実に効果的であった。
    さらに彼らにそれを強いてほしかった。

    私にとっては、映画監督という印象が強い荒戸源次郎さんの演出は、オーソドックスなものであった。
    それが長台詞に耐え得るものであったと言っていい。
    緊張感もいい感じであり、間もいいし、長台詞を聞かされるときにありがちな、ダレることもない。
    台詞自体がいいということもあるだろう。

    役者は4人ともよかった。
    いい感じの熱さがあり、それが冷めることなくラストまで続く。

    佐野史郎さんは、安部公房の創作に対する姿勢、つまり、やや狂信的とも言える姿勢とともに、弱さもうまく表現していたと思う。
    妻役の辻しのぶさんもいい。きりっとしていて、安部公房をどうリードしていったのかをうかがわせる。少し強すぎるきらいはあるが。
    内田明さんは、歯切れのいい違和感がうまい。
    そして、あかね役の縄田智子さんが素晴らしい。
    どういう経歴の方かは知らないが、あかねという役と今の自分自身の重ね方がうまくいったのではないだろうか。
    演じているというよりは、「演じている自分」がいる。「役者を演じている」のではなく「役者になっている」とでも言うか、そういう印象だ。
    経験を積めばさらに輝くのではないかと思う。

    残念なのは、長台詞ということもあってか、各人1人につき、1回が2回ぐらい台詞を噛んでいたことだ。特にこの作品にとっては、それは大きなマイナスだ。
  • 満足度★★★★

    予習して臨むことを推奨
    もちろん評伝的な部分もありつつ、現代演劇論を演劇を以て語る部分がスリリングで面白い。
    しかもそれが実在した人物によって語られるワケで、観ているうちにどこまで虚構でどこまで現実なのか区別がつかなくなりドグラマグラ状態に…
    さらにその演劇論が今の小劇場ムーブメントに繋がるようでもあり、観ていてもう頬が弛んでしまう。
    一方、愛人と妻をめぐる面では至ってフツーのオトコで「本当に男ってヤツはしょうがないな…」と。(笑)
    上手に自宅、下手に教授室を配置したシンプルかつシックな装置で交互に見せるスピーディーな展開(松枝さんによれば右脳と左脳を意識したとの由)の本編部分を、「クラウン」がガイドを務めるプロローグとエピローグ(と本編の一部)によって締める構造もスッキリして好み。
    なお、本編に入った時にPARCO劇場の舞台のような印象を受けたのは予習で西武劇場のことを知っていたからか?
    他にもウィキペディアでの予習によりはたと膝を打った部分があったので、これからご覧になる方々には予習することを強く推奨いたいます。

  • 冒険…とは感じず
    安部公房は好きな作家で この愛人だったという女優もよく知られているにで楽しみにしていたのですが、なんだか平面的に感じてしまった。冒険…どこが冒険なのか、と思ってしまう。

    愛人役、妻役 それぞれの女優さん 凜として美しい。それにひきかえ 佐野史郎扮する安部公房は ただの男にしかみえなかった。あえて、の役作りかもしれないが、見終わって拍手しつつ不満が残ってしまったのでした。


  • 満足度★★★★★

    安部公房…人間ドラマ
    新国立劇場_小劇場、舞台セットは下手に仕事場兼若手女優とのラブ場面、上手は家庭生活と妻との夫婦関係の場面に見立て、同時並行に二人の女性との間を揺れ動く様を観せる。人間、安部公房の魅力が濃縮された公演であった。

    ネタバレBOX

    安部公房は小説家というイメージが強く、劇作家としての印象はあまりない。しかし、下世話な表現をすれば”身の上”と”身の下”の虚実織り交ぜたエピソードを散りばめ、人間(男)、安部公房の人物像を浮き彫りにした。
    まず、”身の上”では、自分の脚本の演出面に対する不満、海外の高評価への破顔、国内における酷評に対する憤慨など、第三者評価に一喜一憂する姿が人間くさい。また”身の下”では、若手女優と交情し、一方妻とも夫婦関係を続ける。この身勝手で優柔不断な安部公房役の佐野史郎が実にいい。そして妻(辻しのぶ)と若手女優(縄田智子)の女性の性、嫉妬、驕慢が切ないほど伝わる演技も見応えあった。
    黒木瞳主演の映画「化身」(1986年、原作・渡辺淳一)を思い出した。設定は文芸評論家とホステスの違いはあれど、段々魅惑的になっていく女性に溺れ、やがて…。この文芸評論家が安部公房、ホステスが若手女優に置き換えれば、と勝手準えてみた。
    有名作家・戯作者である安部公房の半生を描いた人間ドラマ…実に面白かった。
    ちなみに安部公房、渡辺淳一とも「前立腺がん」だったようだ。
  • 満足度★★★★

    人間くさひ
    妻と愛人か…眉をしかめたくなりつつも、ああこりゃ何十年、何百年先も人間(男性や作家)は同じことを繰り返すんだな、と諦めの心境になれました。
    うまく言葉に出来ないけど、人間のこういう関係性が、面白いし、本能からの欲求だし、なんだかんだでみんな共感してしまうのだろうし、
    人間臭さを十二分に満喫した舞台でした。セリフは良いけど、長くて出にくかったり噛んでしまったりで、ハラハラしました。

    …才能に惚れる時って、相当いい匂いするんだろうな。
    離れたくても離れられない、麻薬的なフェロモン…嗅いでみたいわー

  • 満足度★★★★

    自分都合の女好き!
    あえて、下種な言い方させて頂きます。
    病気も前立腺がんにより睾丸除去。本望ではないですか!
    安部公房の私生活を浮彫にしたもので、ノーベル賞に近いと言われた人も私生活はただの人ということですか。自分の欲望のために若い女優を口説いたり、思いとどめさせたりする話術などは唸らせる。
    佐野さん絡みか、女優の羽田美智子さん観劇してました。

    ネタバレBOX

    ハロルド・ビンターやサミュエル・ベケットになるべく小説よりも戯曲に力を注いだが、金持ち堤清二から大劇場をタダで借りられる安部は日本では評価低く、人気なのは寺山や唐の芝居である。彼らに一目置くものの貧乏人の芝居と馬鹿にする。戯曲をやめ、小説に絞ろうとしていたところ、アメリカに認められ、自分の戯曲は日本ではなく世界に向けてのものと再認識。
    その時には病魔が迫ってきていた・・・。
    山口果林役の縄田さんの下着姿は驚きましたが、花柄の下着はどうなんでしょう?(笑)
  • 満足度★★★★

    ある意味純粋
    舞台創作に、惚れた女にかける想いの純心さを演じる佐野さんの演技力に感動です。
    出演する4名の役者の存在感が、舞台に緊張感を生んでいました。

  • 満足度★★★★★

    何度も観たい舞台
     現在のこの国の演劇状況と、安部 公房が生き、演劇にのめり込んだ時期から亡くなるまでの10年余の時を、描いた作品だ。当時世界で活躍するピンター、ベケット、イヨネスコらと共に、米ソでも人気の高かった安部が、新劇と言えば、千田 是也と言われた当時、新たな可能性として出現した寺山 修司、唐 十郎ら若者に支持された日本のアングラ演劇状況に於ける単独者として新地平を切り開いて行こうとする姿勢を描くことで、作品そのものを用いた現代演劇批評として観ることができる。

    ネタバレBOX

     同時に、妻・愛人との繊細且つ濃密で緊張した愛の関係を通して、男と女、肉体と精神という永遠のテーマと同時に、三角関係自体の持つ心理的な綾と肉体の関係を精神対肉体という二元論に於いてではなく、生きた身体として捉え返し、身体同士のダイナミックな蠢きやその関わりから生じる新たな心身両局面の表現として、更には映画やTV他新たな記憶装置や記録装置の出現を人間化しようとしたようにも思われる、その進取の精神は、噂にきくピーター・ブルックの仕事にも近いのかも知れない。
     脚本は、いつも通り松枝 佳紀なのだが、いつもなら、演出も彼が務める所、今回は、荒戸 源次郎が担った。結果、説明過剰や情報量の過重が削がれ、その分、間の時空が増えた。つまり、作り手と見る側の間の想像的時空間が増えた訳である。このことが、作品に、よりヴィヴィッドでありながら、共感しやすい状況を作り出した。
     更に、アロッタファジャイナとしての連続性や転換点も観ておくべきだろう。今回は、佐野 史郎が、安部公房役なのだが、これは前作「かもめ」で彼がトレープレフを演じたことと二重写しになるだろう。恋人役の縄田 智子は、二―ナを演じていたし、妻役の辻 しのぶは、アルカージナを内田 明は、前回Wキャストだった関係で矢張り、トレープレフを演じている。男性俳優が2人ともトレープレフ役だったことにも注意したい。
  • 満足度★★★

    なかなか楽しめたが
    芝居は面白かったし、役者陣も良かったが、満足度はそれほど高くなかった。
    上演時間約90分。

    ネタバレBOX

    場面場面を観れば、練られたセリフでとても良かったし、
    役者陣は佐野史郎さん、縄田智子さん、辻しのぶさん、内田明さんとも
    それぞれの役柄をきっちり演じられていた。
    (ただ初日ということもあり、セリフを多少間違えていたが(笑))

    ただ、物語が淡々と流れていった印象。
    どこが物語のピークなのか分かりずらかった。

    寿司を食べていて、白身魚から始まり、延々と白身魚を食べているという感じかな。
    その場面場面でみたら、美味しいのだけれども、どこでアナゴやマグロは出てくるの?と考えているうちに終わってしまったような・・・。

    90分という中で、一番いいたいことが私には伝わりづらかったせいか、
    私の中では「冒険」というか「冒険紹介」という印象になった。

    ただ興味深い物語であったため、安部公房さんと愛人であった○○さんとのこと、ネットで調べてしまった(笑)。

    佐野史郎さんの安部公房は、流石といった感じであったが、
    縄田智子さんが負けず劣らず素晴らしかった。
    今後も注目したい。

    あと気になったのは、舞台での食事場面は実際に食べておられたので臨場感があったが、暗転時(舞台半分のみ)、かたずけるのに、ちょっと時間を要していたことかな。

  • 満足度★★★★

    情熱と悩みの中で
    安部公房は天才で社会的な評価も高い小説家というイメージであったが、演劇に私生活にそれぞれ強い情熱と悩みの中で生きていた別の一面を知ることができて興味深かった。いろんな対比の中で"冒険"が内面的に描かれていたが、ドラマチックな展開があるともっと面白くできたのではないか。

  • 満足度★★★

    安部公房にひかれて観にいきました
    安部公房の「砂の女」「友達」の、他にない世界感に圧倒された記憶があったため、この舞台に求める期待値が高すぎたかもしれない。興味がありながら知らなかった安部公房の人生を知ることが出来たのはよかったのだけど。

  • 満足度★★★★

    脚本がわかりやすく秀逸
    それほど、安部公房を知っていたわけではないが。説明臭くなくどういう人なのかも判りやすく。徹夜明けにいっても眠くならない。面白かったと思います。もう一度見に行きます。

    ネタバレBOX

    内容がないようなだけにもう少し縄田さんのエロスを感じる大胆な演技の演出はあった方が良かったとは思う。佐野さんと縄田さん辻さんの織りなす人間関係が人を必要とする表現者には本当によくあるすぎる展開で自分の事のように感じて凄くリアリティをかんじる。道化役の内田さんの存在は最初戸惑ったが、途中から違和感を僕は感じなくなったが賛否が分かれそうですね。唯一残念だったのはセットだけど多くは語るまい。
  • 満足度★★★

    冒険という割には…
    文学界と演劇界、妻と愛人の間を行き来する大冒険のハズが、見せ方が淡々とし過ぎかなぁ。

  • 満足度★★★★★

    かもめコンビ再び
    ☆4.5
    手堅くも、やや面白味に欠ける演出。
    縄田智子さんの体当たりの演技も見どころの一つでしたが、もっと軽妙で蜜月な雰囲気のシーンが有れば、メリハリが利いてより楽しくなったかも。

    ネタバレBOX

    虚実ないまぜの人間ドラマということですが、人間性的には市井の人と変わらぬ「狒々爺・安部公房」の色恋顛末記といった具合か。

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