実演鑑賞
満足度★★★★★
今作にはシェイクスピアの「マクベス」に対する新解釈が盛り込まれていると言うことができようが、これが素晴らしい。ベシミル! 華5つ☆本日楽日。3公演がある。尺は120分。
実演鑑賞
満足度★★★★
マクベス役と夫人役の両名によるユニット(演出も両名)の舞台。男女コンビが本作を最初に選んだ事には納得であるが、そうすると次はオセロだろうか。
多場面に亘るシェイクスピア作品で抽象舞台は常套と言えるだろうが、平面床のみの素舞台は挑戦と言える。しかもカーペット一枚用いず茶色の地肌の見える床を歩くと足音もそのように響く。照明もダイナミックな変化はない。そこに共同演出の二人が試みた幾つかの特徴的な趣向の一つが、ホリゾント全体に花や風景、抽象的な絵柄を映写する(写真を加工した静かな動きのある映像との記憶・・そのため照明が落ちても明るい)。また現代的衣装を役柄に(具象というよりは象徴的連想を助ける意味で)寄せた衣裳、脇役に当てられた俳優の不思議な?用い方、そしてマイクを持って歌う場面の挿入などがある。これらが成功していたか否かは評価が分かれそうだが、大きな破綻はなくラストまで進行する。
違和感、とまでは行かないが、主役二人のユニットとは言えかなり目立つ。舞台上での身体的な親密度(取る距離も含め)と言い、両名の台詞量とスピード、場面の掻い摘み方、正解かはとも角、それらの中に彼らなりの場面解釈が窺える。ただ、やはり基調となる進行速度は、感情の真実味を観客が確かめる余地を与えず進む事には、付いて行こうとはするものの「おいて行かれ」感はある。上演時間は二時間に収めている。
そうした展開の最後に、実はアッと驚かせる原作にない場面の追加がある。それが不思議と違和感のない、あり得る形として飲み込め、感動的でさえあった。
ただ、そうであっただけに、そこまでの展開における人物の心情表現のリアルが、もっと見えたかったのは正直な感想だ。
実演鑑賞
満足度★★★
鑑賞日2024/05/16 (木) 15:00
価格3,500円
W.シェイクスピアの四大悲劇の一つとなるマクベス。
将軍マクベスが妻と共謀して主君を暗殺。王位となるものの、その重圧に耐えきれず次々と錯乱し暴君と化し、最後は貴族や王子らの復讐によって滅ぼされてしまう。
そんな名演目の旗揚げ公演をじっくりと観劇させて頂きました。
往年の舞台・古典作品の概念にとらわれず、演劇の自由そのものを捉えなおす…この意図は、パンフレットの厚さを見ても一目瞭然。主催側の熱い想いが伝わってきました。
また共生社会の形成にも積極的な劇団であり、障がいの有無(近年では特性と言われてきました)に関わらず、意欲ある人のチャンスの場として演劇を通じた社会参加を行う意義は素敵だなと。
以下、感じた事を忌憚なく書きます。
実演鑑賞
満足度★★★
シェイクスピアの四大悲劇の一つとして有名なマクベス。それを「みずみずしく大胆な舞台意欲で、全く新しいシェイクスピアの世界を創出」という謳い文句で、「マクベスを、悪の化身としてではなく、人間の本質的な心の闇、善良であるがゆえの弱さを持つ、両義的な存在として描き出す」と力説。当日パンフは、手作りの<チラシ+15頁>という 力の入れようだ。
魔女の予言を信じ、ダンカン王を暗殺して王位を奪ったマクベス。そして王位を守るため次々と殺人を重ね、暴君として滅んでいく という内容。当日パンフに、平澤智之氏と絵里さんの対談が記されているが、その中で作品のテーマを<人間の心の問題>としているようだ。心の闇=世の破綻、しかし心の善良=救いといったことで負の連鎖を終えたいと。それをラストシーンに凝縮させたとある。
因みに、この公演の魔女は 民衆に見立て無責任なことを言う。そんな愚衆(現代では真偽分からぬネット情報か?)に踊らされた人間の愚かさをマクベスにみる。
シェイクスピアの他の作品でも、人間が矛盾を抱えていることを表していたと思う。勿論 「マクベス」でも魔女たちが「きれいは汚い、汚いはきれい」といった台詞があったと思うが…。論理矛盾があったとしても、それはそれとして成立する。人間の多面性、真実や正義は一つではない世界観、そんなことを物語っている。その意味では、この公演(テーマ)は自分が観てきた「マクベス」と大差(新機軸)はなかった。
人間の矛盾した感情、一方 物事の真価を見る目は重要。目先の利益等といった外見に惑わされ、本当に大切なことは何かを改めて考える ということが昨今の課題ではないだろうか。例えば コロナ禍においての不自由、不平等、不寛容といったことが挙げられ、時代を超えてシェイクスピアの作品は訴えかけてくるようだ。そこに色褪せない現代性があり、面白さがあるのだと思う。
(上演時間2時間 途中休憩なし)