イノセント・ピープル 公演情報 イノセント・ピープル」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-20件 / 32件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    納得の舞台。
    スマホで書いては消え、が続いたので嫌気がさして打っちゃっていたが、気を取り直して何がしか書いてみる。

    キャスティングに感心しつつ観た。名を知るのは川田希、森下亮、山口馬木也、阿岐之将一、水野小論、保坂エマ(顔がちゃんと判るのは最初の二三名だけ)という案配で、後方席だった事もあって役者の照合を断念(上の二三名以外)したら、役の人物による物語だけを浴びる感覚になった。

    畑澤聖悟による脚本は、原爆開発を行なった米国南端のロスアラモスの研究所が舞台。
    冒頭はある記念式典のため久々にかつての研究仲間たちが当地に集まり、旧交を温める場面。
    主人公となるホストファミリーの夫婦は共に当時の研究者であり、進路を探る年齢の子ども二人(兄妹)もいる。家族まじえた交流の時間、戦争当時を回顧し、現在の情勢への思いを語り合う中、息子が合格通知をもらった優秀な大学を蹴って、海兵隊に志願したいと宣言した事がドラマの起点となる。ベトナム戦争が始まり、大統領の呼びかけに答え、若者は応召して行った。

    時は移り、今度は娘が自分の交際相手を両親に紹介しに戻って来る。相手は日本人、しかも幼少時に被爆した広島の若者。反核キャンペーンの米国派遣団に選ばれ、渡米していた。娘は親が研究者であった事から核兵器に対する問題関心が芽生えていたのであり、必然的な出会いであったが、親は顔を曇らせる。娘はなぜ祝福できないのかと問い、その理不尽な思いから親の研究を難じる言葉を投げつけるに至り、絶縁状態となる。
    この時既に、息子はベトナム戦争で負傷兵として帰還し、車椅子姿である。
    他の元研究仲間には、罪意識を抱えて研究所を去り、一介の高校教師となって教え子と結ばれた者、郷土愛と愛国心に溢れ軍人の道を歩んだ者、二人を両極として、主役に当たるホストファミリーの家長と、あと二人がある(二人の人物的特徴は忘れた。一人は結婚し、一人は独身)。
    軍人のグレッグは冒頭のパーティに連れていた恋人と結ばれ、一粒種が育っていたが、息子も親の思いを受け止め、海兵隊になると言う。グレッグは誇らしげだ。

    戦争当時の回想も挟まれる。轟音と火柱を遠くに眺めた彼らが「これで(対日)戦争に勝てる!」と沸き立つ中、後に高校教師になるマッケランは「あれを町の上に、落とすのか」と愕然とする。
    ブライアンとジェシカが良い仲となり、会話を交わしている所へ、実験成功についての感想を聞きたく意気揚々と仲間がやって来る・・。回想場面はあくまでも明るい。

    時が経ち、老境にある彼らは既にイラク戦争後の世界にいる。マッケランは既に自殺によって亡くなっている。元教え子は夫人となっていたが、死ぬ前まで苦しんでいた夫の事を述懐する。
    グレッグの息子は出征したが、戦闘によってでなく、肺癌で死んだ。米軍が用いた劣化ウラン弾により被曝した兵士の多くが肺の病で亡くなったが、グレッグは味方がいるのにこんな兵器を使うとは軍人として信じがたいと憤り嘆く。だが核兵器使用を正義と主張し続けた男の言葉は、弱った男の周囲を虚しく巡る。

    最終場面、日本からブライアンの娘の夫が訪ねて来る。既に妻のジェシカは亡くなっている。だが、息子は彼のヘルパーをするベロニカへの前場面での反発を乗り越え、彼女の愛を(即ち、己の運命を宿命として)受け入れている。
    前の場面ではネイティブ・アメリカン出身であるベロニカが、居住地にあったウラン鉱の採掘に親族らが駆り出され、病に亡くなった体験を語り、右翼的発言を止めないグレッグを黙らせるシーンがある。
    ブライアンは婿であるタカハシから、シェリルが亡くなった報告を受け、最後の機会だと家族「三人」で広島を訪れる。
    シェリルが彼を親に紹介した時は白い仮面を彼はつけており、言葉は発しなかったが、この場面では仮面を取る。英語で台詞を発している表象でもあろうが、父と対面し目を合せて会話をしている風景として映じる。父は娘のことについて彼の言葉を通して聞くしかないのである。
    広島でブライアンは娘を弔った後、タカハシから紹介された娘の友人たちと対面する。彼らの言葉をタカハシが「●●はこう言っています」と取り次ぎ、父は娘の生きた足跡をこれを聴きながら噛み締めている。
    (タカハシ以外の日本人は皆やはり白い仮面を被っているが、以前観た青年座研究所での公演でも確かそうであったから戯曲の指定かと思う。と書いたその後、この戯曲が収録された畑澤聖悟戯曲集がこの4月に出版されていたのでご関心の向きは確認されたし。)
    そのやり取りの最後、ブライアンが携わった原爆開発の成果により、「何万人もの無辜の日本人」が亡くなった事についてどう思うかを問われる。そして「謝罪の言葉はありませんか」と、彼らが考え続け願い続けた事の一つの証しを、ブライアンから引き出そうとする。直截で痛い言葉が、会場に響きわたる。
    元よりこの質問は無辜の立場から、悪を為した側への一方的なそれとしては成立しない憾みがある。
    日本は民主主義ではなかったとは言えこぞってこの戦争にもろ手で賛同し熱狂した。遅れて来た植民地主義時代の文明国としての戦争の勝利に酔った。「無辜」ではなく罪多き戦争を遂行した側でもある。
    従って「戦争を止めるため」が正論として成立してしまう。ただし謀略を巡らし覇権を堅持するため手段を択ばぬ弱肉強食の帝国主義的あり方を脱し、別のステージを選んだのなら、その立場からアメリカに問いを発する事ができる。
    一方ブライアンは一研究者として、科学的真理を追究する営為に、善悪はない・・一貫してこの立場を譲らず、是非を語る事がなかった。しかし娘の生き方はあたかも親の罪を償うために捧げられたかのようで、ついに彼はその前に伏して詫びる。果して何が解決したのか、一抹の疑問が過ぎるような空気(ここはかなり主観的な受け止め方だろう)。その流れで、現われた孫娘と対面し、その頬へ手を伸ばそうとする手前、プツッとテープが切れる音と共に照明のカットアウト。終演であった。
    このラストの解釈と感想は様々あるだろう。
    日澤氏と畑澤氏との対談に「脚本に喧嘩を売る」的なくだりがあったとどこかで読んだが、この処理について言ったものだろうか。

    山口氏演じるブライアンは、前半は快活だ。研究者として成功し、愛する妻との間に子を設け、長男が有名大学に合格した、という一場。それが時を経るごとに寡黙になる。大学進学をやめて海兵隊を志願した息子が、負傷して帰還し車椅子に。親の原爆開発を指弾した娘を勘当同然にし、やがてジェシカを失い、息子が一人の女性と結ばれるのを見ながら、隠居後の生活を送る・・。最後に彼が何を思うのか、日本の地で謝罪を乞われて何を言うのか。作者はドラマの終着地にこれを持って来る。ここまでで既に脚本の勝利と言える。ブライアンがどうふるまうにしても、成立する。

    平均的な「父親」であった彼は最終的には、国家が行なった非人道的行為の責任について考える事より、家族へ心を傾ける事を最も大事にした、そのようにして己の人生を整理するという、平凡な市民の姿を見せた。
    栄えある研究を共にしたジェシカとの青春時代の「実」として子どもたちがある以上、研究を否定する事は許されなかった。
    だがジェシカを失い、彼女との人生の証でもある娘シェリルを認めない態度に固執する事もやはり彼にはできなかった、そのようにも見える。
    私は彼が「謝罪した」と記憶していた。が、実際には彼が答える前に、同行したロゼッタが自分の村で発見されたウラン採掘のため親族は死んだが、そのお陰で日本人が亡くなった事を申し訳なく思う、と彼女はそう言ったのだった。
    以下は「謝罪した」前提で書いた箇所なので、そこを削除し、また書き改める事とする(律儀である)。

    日本の歴史認識を巡る現状を踏まえて、これに触れるドラマを作る時、とりわけ原爆投下を扱う場合、何を強調するかは難しい問題。「未だ解消していない」問題は、「問題提起」を結末にできる。原爆投下の「罪」、そこに至る道を自ら開いた日本の大陸進出の「罪」、当時世界を席巻していた帝国主義・植民地主義の「罪」、その原動力として経済構造を塗り替えた資本主義、その淵源としての産業革命、果てはルネサンスに至るまで、罪の告発は議論の霧散を準備する。
    だから演劇は人を描く。生きる姿を刻印する。

    ネタバレBOX

    自分のやった加害は棚に上げて米国のやった事の被害だけを語る、いわば相互理解不可能性という現実を、この舞台は助長する意図はないだろうが、日本が絶対的被害者で相手が悪人と処理してしまう歴史観を多くが持っている時代でもある(全国的な歴史修正の活動が奏功した結果。これが日本の偽らざる現状である事は認めざるを得ない)。
    一方で親米感情がきわめて浸透している日本でもある。

    フィクションの中で一介の父親が謝罪を口にした所で、核兵器(の効力)を肯定し、その使用に対する反省もない現状。これを告発した終幕だろうと私は解釈したが、しかしアメリカに対する真の怒りが「無為な殺戮」に対するものであるなら、それは自国の過去のそれにも、イスラエルのそれにも向かわねばならない。
    原子爆弾という兵器の特殊性が加害性を高めるのではなく、古い兵器だろうと同等の人の数を殺せば意味的には同じだ。あまりの威力と無差別殺戮が必定の兵器に、マッケランが「唖然」とした感覚は、人間の正常な感性だと言えるが、「戦争」は殺戮を正当化する。
    日本兵が中国大陸で狂気のように人が殺せたのもそのような訓練が為されたから。広島で14万、長崎で約7万が亡くなった。外地での戦死(餓死者含め)と内地での攻撃全て含めて日本の死者130万。そして中国大陸での殺戮数は1000万規模と言われる(2000万近い数字が以前は出ていた)。ベトナムでは日本軍の食糧「現地調達主義」により100万規模の餓死が出たという調査もある。
    ガザやウクライナでは核兵器無しに数万規模の死者が生じ、積み上があればヒロシマ・ナガサキ規模にもなりかねない。もっと言えば、富の偏在を構造的にキープしている世界で病死者・餓死者を生み出し続けているのも、自然というより人間の罪だろう。
    「無差別に人を殺すこと」に怒りを覚える根底は、理由もなく身内が殺される事への想像力だ。そうであれば、その怒りは地球上のどの殺戮に対しても向けられるはずのもの。尊い命とそうでない命がある、という認識を自分に許している者は、自国(ゲルマン民族)優位の思想を突き詰めたナチスを批判する事はできない。社会科教師の演説になった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    原爆を作った人たちの物語。我々と視点は違うもののそれぞれに苦悩があることが伝わる。達者な役者たちの熱が凄まじく最初から最後まで心を震わされた。
    今観なくてはいけない作品だと思った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    これは素晴らしい舞台です。物語はもちろんですが,演出,演技,舞台装置,接客,何をとっても全く隙は無かったと思います。最初から最後まで芝居に引き込まれ,2時間15分ですが,目が離せなかったです。いま,この日々に生きていて,この芝居を観る意義を感じるところです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    NHK 映像の世紀 バタフライエフェクト「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」のTV放送、映画「オッペンハイマー」が日本公開される今年に、熱演の重厚な作品を、観劇できて良かったです。

    ネタバレBOX

    原子爆弾開発に従事した人たちの、65年の物語。世代を超えて重大な影響を及ぼす、様々な出来事。日本人とアメリカ人の双方の立場を考えながら、最後まで緊張感を持って、観劇できました。
    21世紀になっても戦争は無くならず、未だに続いているのだと、辛い現実とともに色々考えさせられました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    重い内容でしたが、それ故に深い舞台でした。
    戦争、原爆、被災者、命、差別等について考えさせられ、正しいのかどうかは別として、ひとり一人に信念があり、家族や愛する人がいる事も感じました。
    役者さん達の演技も素晴らしく、ラストに近付くにつれ、客席の緊張感がすごかったです。
    何とも言えない気持ちになる心に残る舞台、観る事が出来て良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ただ気持ち良く見るというのは難しかったですが、その分考えさせられました。誰かにとっての正しさが誰かにとっての悪になったり、同じ結末を目指しているはずなのにそこへの向かい方の違いから傷ついたり傷つけたり、どうしようもなくて、見ていて苦しいところも多かったです。自分にとっての正しさや絶対的だと思っていた指針が少しずつ揺らいで不安定になっていき、信じていいのか分からなくなる、というのはどれだけ怖いだろうと思いました。
    役者さんの目や声から、たくさんのことを感じました。劇場で観られて本当に良かったです。
    個人的には美術がとても素敵で印象に残りました。劇場に入った瞬間から、どんな世界をみられるんだろうとワクワクしました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    非常に重いテーマの舞台でしたが、考えさせられる素晴らしい舞台でした。
    人が人を殺す戦争という狂った状況におかれた当事者は、被害者/加害者の感情や差別意識をどうしても拭えないことを舞台から強く感じ、戦争経験者が少なくなった現代だからこそ、客観的に強く反戦・反核の意思を継いでいけるように思えました。

    ネタバレBOX

    放射線量に関する人体実験には衝撃を受けるとともに、原子力発電の恩恵にあずかる現代に生きる私たちも無関係ではいられないとハッとさせられました。
    世界情勢的にも今再演されるべき素晴らしい舞台でした。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/03/20 (水) 14:00

    タイトでチャレンジングな作品だが、役者陣の好演もあり、いい芝居に。観るべし!観るべし!!観るべし!!!138分。
     畑澤聖悟が2010年に劇団昴に書き下ろした戯曲を、日澤雄介が演出。サブタイトルにあるように、原爆開発に携わった男たちのその後の65年を描く。元々は、畑澤が観たドキュメンタリーのシーンを見せたいということで書いたそうだが、アメリカから見た原爆、ということで、時代的背景もあり日本人の役者にはツライだろうセリフが多く、役者陣の頑張りも目立つ。そもそも、このCorich舞台芸術のプロデュース公演ということで実現した舞台というのは、何だかいいなと思う。ビッグネームだけでなく、小劇場系で活躍する役者陣やオーディションで選ばれた役者など、演劇の底力みたいなのを観た気がする。畑澤の作品は完全に気に入ることはあまりないのだが、本作は(演出も含めて)感心した。観て欲しい。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    原爆を作った科学者たちに、広島の人びとを虐殺した罪はないのだろうか?

    ネタバレBOX

    原爆を作った科学者の一人のブライアンは90歳になって被爆二世の孫娘と会うことができました。しかし最後までどうしても「すまない」と言えなかったことに私は心からがっかりしました。原爆の威力を熟知していた科学者たちをどうしても許せない気持ちになったのです。悩み続けて自殺をしようと、息子が障害者になろうと、息子を亡くそうとです。

    ブライアンの手がその孫娘のお腹に近づこうとするとき、動揺しました。「嫌だ。彼女のお腹に絶対に触れて欲しくない。彼女の身体は彼女のもので、あなたの身体ではないのだから」と恐怖に近い違和感を覚えました。孫娘のお腹に自分の子孫が居るとしても触れていいという事ではないということです。まず優先されることは孫娘の身体です。ここでもしブライアンが「お腹に触れてもいいですか?」と許しを求めるような台詞それとも、そのようなしぐさをしていたなら私の心はきっと違ったものになっていたように思います。いたたまれない気分で劇場を去らなくても良かったのではないかと考えました。

    劇中で真珠湾の奇襲攻撃(リメンバー パールハーバー)の言及があります。それも決して許されていいことではありません。私たち日本に住んでいる人びとは謝罪をするべきではないかと思います。

    「国が君のために何ができるかではなく、君が国のために何ができるかを考えて欲しい・・」と演説したケネディは尊敬される政治家ではないはずです。
    まだ未熟で純粋なな若者を扇動するために「国」という概念は頻繁に使われるからです。
    ウクライナのゼレンスキー大統領も言っていました。プーチン大統領もです。イスラエルのネタニエフ首相も。
    国はそこに住む人たちが自由に安全に守られて生活できてはじめて国と言えるのではないかと私は思います。

    思う事をそのまま勝手に書かせていただきました。
    父や祖父が出征経験者だった70代の私が思うままに吐露したものです。
    読んでいただいて有難うございます。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    拝見しました。本当に楽しい舞台で、終盤に涙しました!!いろいろと考えさせれました。すごくよかったです。是非たくさんの方に観てほしいです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    迫力のある舞台でした。観ることができて良かったと思います。

    ネタバレBOX

    演技が良かった:全体的に演技が良かったと思うが、山口馬木也さんの演技や発声が特に目を引いた。個人的には水野小論さんの既婚女性の年齢の演じ分けが印象的だった。
    小道具が印象的だった:焦げたテーブルクロスや倒れた椅子などの小道具を使用して、原爆投下前後のアメリカ市民の生活を再現する、ちぐはぐさにインパクトがあった。アメリカ人が主役の舞台で、途中から登場する日本人キャラクターが能面のような仮面を被って現れる演出も驚いた。
    脚本・キャラクターに感じたこと:観劇前に読んだパンフレットのコメントで、劇中の台詞をポジティブに発することに当初慣れなかったと言及していた役者さんが複数いた。実際に観て、“アメリカ人”以外の人々を、敵国人または文化的でない人種として、憎悪し侮蔑する台詞が露悪的に描写される場面がいくつかあり、聞いた瞬間に反発心を覚えた(ので、演技として成功していたと思う)。
    劇中の彼らを嫌な奴らだなと単純に思う気持ちと、私自身が似た発言や態度をすることがあると身につまされる気持ちを抱いた。
    ブライアンの振る舞いや身の処し方に一番共感してしまった気がする。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とても良かった。
    時代がいったり来たりするのだが、演出が良いのはもちろんだが、役者の力量であろう、全く混乱することなく観ることができた。
    誰が悪いとか悪くないとかではなく、その時代で精一杯「良いこと」だと信念を持って生きて来た人たちの物語。
    素晴らしかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    なんか混ぜるな危険な感じのモノを
    原子爆弾という柱を基に集めてみせた力作という
    印象を受けました
    心に響いたなぁ・・・・

    役者さんも上手で
    引き込まれた2時間15分の作品

    出演者さまから
    ポテチがプレゼントされまして
    ありがたく(^-^)

    ネタバレBOX

    映画シャドウ・メーカーズに感じた
    現時点での米国最高頭脳の使い潰ししてでも
    原爆の完成をさせるという感は
    あまし無かったが=4mもの壁に囲まれた中での
    しくじり=即消滅=みたいな研究を主人公がしていた
    というトコは納得でした

    アメリカ人最高!
    という設定での英語ですよ~話してるのは~
    日本人は白い仮面つけて
    我々=主人公サイドの言葉などが理解できない未開人
    という感じの演出は凄いインパクトありました

    原爆でアメリカが戦争を早く終わらせたんだという
    いまだに信じられてる嘘を
    違うんだよーと作中で否定してくれなかったのは残念=旧作だから?
    日本の無条件降伏を受け入れずに
    新型爆弾を使うために終戦を引き延ばした事は
    ポツダムではちゃんと各国語で解説されてましたわ

    7月4日の独立記念日に集まる
    旧友らを時間軸を前後しながらも
    上手に見せてました

    主人公の長男がベトナム戦争で半身不随になるのは
    映画7月4日に生まれてを彷彿したましたな

    作中で一番インパクトあったのは
    致死量の被爆してるのに生き延びてる友人に
    おまえはモルモットだったんだと明かすDrのシーンでした
    ただ現実的にも
    その被爆データ実験での検証で
    対放射線被ばく量を決めているんだというのが
    なかなか響きましたわ

    第二次世界大戦で血液の輸血の交叉耐性を
    実際のユダヤ人とか捕虜で行っていたとかいうの
    同レベルのやばさでしたわね

    白い仮面を外して
    英語で主人公に語られる
    広島被ばく者の実体験とかは
    いまひとつ甘かったかなぁー
    一面死体だらけで
    逃れるにも死体を踏み越えていかないといけない状況で
    踏んだ死体に足がめり込む感触が
    いまだに忘れられないといった
    被爆者体験話の方がもっと重くて今作向きに思えたかしら

    コメディSF調の
    古い家の冷蔵庫内に小さな人々が住んでいて
    だんだんと進化していくのを
    引っ越してきた夫婦がみてるというのがあって
    ある時旦那の方が冷蔵庫内での
    原爆らしい爆発を見て吹っ飛ぶシーンがあり
    コメントに
    アメリカ人って原爆を
    ただ威力の強い爆弾だという認識しか無いんだなぁ
    というのが何とも納得で
    事実とかは自分で真剣に知ろうとしないと
    届かないんだよなぁとかオモエタデスよ

    映画オッペンハイマー作った監督さんも
    自分の息子が核軍縮に興味が無いことを知り
    製作意欲が上がったという話してたしー

    戦争とか兵器とか
    争いとかいろいろと詰め込んだ作品でした

    ラストは主人公の娘の葬式で
    自分のひ孫が
    孫のお腹にいて手を伸ばすシーンで音と暗転が同時で
    終演となる意味深な終わり方でした・・・

    原爆製造のための計算をしていた数学者さんは
    晩年教師を辞した後に
    原爆に関与した罪の重さから猟銃自殺をしてしまい
    そこにいたるまでの日々の苦悩を奥さんが述べて
    キリスト教では自殺は重篤な罪であり
    葬儀も行えないので
    世間的には事故死ということにしたというのも
    重かったなぁ・・・・

    ひたすら明るく戦争肯定派の友人は
    一人息子がイランイラク戦争で用いられた
    劣化ウラン弾での被ばくが元らしい肺炎で若くして亡くなり

    主人公宅のヘルパーさんは
    祖父が住んでた山にあったウランで原爆が作られ
    秘密裏に山に捨てられてた核廃棄物が原因で
    兄弟共に被ばくでの癌で死んだとか
    エピソードが・・・詰め込まれてたデス
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    重たい重たい2時間15分(休憩なし)だった
    世界終末時計が再び1分30秒前まで進み、日本も武器輸出まで認めようとする今、多くの人に観て考えてほしいテーマである
    もっとも印象に残ったのは、日本人が皆のっぺらぼうに近い仮面をつけて登場する演出(戯曲原作は知らない)
    1990年前後に外交官のはしくれとしてジャパンバッシング華やかなりしアメリカにいて、「顔の見えない日本人」と言われるのを、いろいろなイベントなどを通じて必死に払拭しようとしていたのを思い出した
    そう、まだあからさまな人種差別は残っていた
    それ以前の話が中心ゆえ、「ジャップ」と蔑まれるシーンが多いのは当然だろう
    しかし、それを日本人が書いたところに意義があるように思えた
    原爆投下をめぐっては、アメリカでは未だに(自分がいた頃ほどではないかもしれないが)退役軍人などを中心にあれで戦争を終わらせらることができたと肯定する意見が根強くあるだろう
    自分のしたことは果たして罪なのか?
    謝罪は自己否定なのか?
    許しはあるのか?
    ふとキリスト教の概念が頭をよぎるが、戯曲の作者畑澤聖悟はキリスト教徒どうかかわっているのだろうか?
    自分が1982年の社会人として最初の赴任地に広島を希望し、「広島反核テーブル」に参加していた頃のことも
    思い出していた
    日澤演出というか舞台のセッティング自体が劇チョコを想起させる場面が結構あった
    キャスティングが絶妙で、700の応募があったというオーディション選抜組を含め皆熱演だった
    特に若いメンバーは体当たりという感じがした
    弛緩することなく充実はしていたが、2時間15分はちょっと長かったかな

    ネタバレBOX

    ここで描かれた5人は時間の経過とともに変化しながら、それぞれ異なった反応を見せる
    強がりとも見える海兵隊幹部グレッグから自死する高校教師ジョンまで
    自分のしたことは果たして罪なのか?
    謝罪は自己否定なのか?
    許しはあるのか?
    ふとキリスト教の概念が頭をよぎるが、戯曲の作者畑澤聖悟はキリスト教徒どうかかわっているのだろうか?
    自分が1982年の社会人として最初の赴任地に広島を希望し、「広島反核テーブル」に参加していた頃のことを思い出していた
    キャストの中では両親の反対を押し切って海兵隊に入った山口の子どもビル役の池内が好演
    怒りの表現とと障害を負った後の動作が素晴らしかった
    山口は年齢の表現が素晴らしく、90歳のブライアンは秀逸だった
    母親ジェシカ役の川田は最後の方の語りが印象に残った
    ネイティブアメリカンの血を引くベロニカ役の保坂は不愛想な表情で渋かった
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    2回目。
    観方を全く変えて観ると作家の意図が判り、かなり違って見えた。演出演技、細かい部分もかなりアレンジされていてラストの音も違う。話を知っているので人物の細かい目配せや表情の変化の意味が理解出来たことも大きい。
    これは原爆ではなく、夫婦の物語なのだろう。

    海軍の准将まで出世した内田健介氏の役が効いている。彼の叫びがあってこそ、こういう話は成立する。
    山口馬木也氏は老いの演技が素晴らしい。家族への涙が美しい。
    全員メイクをせずにそのままで老け演技をするのが効果的。

    ネタバレBOX

    主人公ブライアン(山口馬木也氏)は一目惚れのように初対面からジェシカ(川田希さん)に夢中だ。彼女以外目に入らない。どうせ死ぬなら独り寂しく消えるより、君といたいと願う。孤独で不条理な死と毎日向き合って作業している男にとって、一筋の光のような女。トリニティ実験は成功し、窒素原子核同士の核融合反応の熱核暴走は起きなかった。地球は無事だった。そして広島に投下が成功。これで戦争は終わる。皆の苦労は報われた。戦争が終わったら結婚しよう。

    この夫婦の物語として観ると、時間軸のシャッフルにも納得いった。男にとっては妻が全てだった。彼女こそ生きる意味。妻の死後、彼女が出た番組のビデオを一人観る。このシーンが堪らなく良い。照明が秀逸。

    ラスト、被爆者に謝罪を求められても何も言えない。何も言う言葉がない。だが娘の遺した孫娘が身籠っていることを知るとよろよろと立ち上がる。自分と妻の物語がまだ続いていることを知る。

    仮面を外した小日向春平氏により、原民喜の詩が朗読される。

    コレガ人間ナノデス
    原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
    肉体ガ恐ロシク膨脹シ
    男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
    オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
    爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
    「助ケテ下サイ」
    ト カ細イ 静カナ言葉
    コレガ コレガ人間ナノデス
    人間ノ顔ナノデス
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    外国人が登場する芝居は翻訳劇だという思い込みがあった。だがこの作品は日本人の脚本でアメリカ人を描き、それを日本人の役者が演じるという極めて珍しいパターンだ。さらに、作品に登場するのは原爆製造に関わった科学者たちとその家族。私などは原爆と聞けば広島、長崎の惨状がすぐ思い浮かぶだけで被害者の視点でしか見てこなかった。それを加害者であるアメリカ側の(それも原爆製造の当事者) 視点から描こうというのが画期的だ。これらは特筆すべき点だろう。日本人を悪し様に言うシーンなどはインパクトがあってすごく嫌な気分になった。

    役者陣には各々の役柄を深く掘り下げ、それを忠実に体現しようという姿勢が強く感じられ、重いテーマとも相まって舞台に独特の緊張感が漂っていた。観ているこちらも自然と居住まいを正し舞台に集中でき、ある意味とても心地よい緊張感だった。

    ネタバレBOX

    印象に残ったのは何といっても最終章である加害者側のブライアンと被害者側のタカハシが対峙するシーン。被爆地の惨状が語られた後の「謝罪はないのか」のタカハシの問いかけに口ごもり何も答えられなかったブライアン。その時彼の胸に去来していたものは何だったのか。そして孫娘のハルカとの初対面。彼女は身籠っている。なんとブライアンはゆっくりと彼女に近づきながらその腕を真っ直ぐにそのお腹に伸ばしている。
    何ということだろう。生まれ来る命には慈しみを持って迎えようとしているのに原爆の犠牲になったあまたの命については一顧だにしない。彼は先祖から繋いだ命を3代先まで繋ごうとしている。片や自らの命も全うできなかった人々のことを想わずににいられない。これが戦争という魔物が生み出した歪んだ「イノセンス」なのか。人間の持つ二面性を鮮やかに描き出している。

    最後、ブライアンがハルカのお腹に触れる寸前で暗転となり、銃声(?)のような音がしての幕切れ。彼に鉄槌が下されたのだろうか?。いずれにしても心に残るラストだった。

    この機会がなければ出会えなかったであろう作品。感謝です。今後のCoRich舞台芸術!プロデュースに期待します。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    原爆を賞賛したり、いろいろ心が波立たせられる芝居だった。原爆実験で、もしかしたら空気に連鎖反応を起こして世界が破滅するかもしれない、という議論が出てきた。映画「オッペンハイマー」でも、カギとなる疑いとして出てくる。それを相談しにオッペンハイマーはアインシュタインに会いに行き、その後の二人の関係の伏線になる。

    1944年から2009年までを、60年代、70年代、90年代と時を追いつつ、ロスアラモスで出会ったカップル、子供たち、友人たちの60年以上の人生を描く。

    ネタバレBOX

    ベトナム戦争に志願した息子は、車いす生活になって戻り、娘は日本人の被爆男性と結婚する。海兵隊将校の息子はイラク戦争で劣化ウラン弾をあびる。かなり欲張った芝居である。

    200×年に米国の核開発関係者が、広島で被爆者と会って絶対に謝らなかったことがあった。その話を知った作者が、原爆開発の戯曲化を思いついた。そうとは知らなかった。ただ、現実の謝らなかった科学者は「リメンバー・パール・ハーバー」とまで言ったそうだから、この芝居でいえば、海兵隊の将校になった男のような人物ではなかったのか。この芝居の主人公ならば謝ったのではないかと思った。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    フォロイーさんの感想をみてやはりどうしても観劇せねば!と当日券チャレンジしました。見て良かった。
    重たいテーマを目を逸らさずに突きつけてくるテンポの良い構成、迫真の演技…言外に意味を渡してくる小道具…巧でございました…
    主なキャスト陣の年齢変化の表現がすごかったです!

    ネタバレBOX

    『立ち位置が変われば正義が牙を剥く』、さらに時代が変われば、同志からも牙を剥かれる…PTSDなど【戦争】が人間性を破壊することの表現、
    相手国の透明化の表現、見事でした

    日本人キャスト・制作で安易に謝らせなかったところも唸ったな…

    思考をやめてはいけないなあ…という学びがありました
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    観ていて気分のいいものではありませんでした。
    ですが観るべき演目だと思います。
    観劇レポは下記をご覧ください。
    https://ameblo.jp/minaminokaze55/entry-12844582136.html

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/03/16 (土) 14:00

    畑澤聖悟さんの脚本を劇団チョコレートケーキの日澤雄介さんが演出、
    今上演する意義を改めて強く感じさせる作品。
    観客を引き込む役者陣の熱量がすごい。
    これが”戦争の現実”なのだ。

    ネタバレBOX

       ●~○~●以下ネタバレ注意●~○~●

    舞台中央、横長に広がる階段は茶色くギザギザしたがれきのような装飾。
    手前のテーブルや椅子もすべて倒れたり転がったりしている。
    殺伐としたこのブライアン・ウッドの家に、18年ぶりに昔の仲間が集まって来る。
    口々に「いい家だな!」と言う友人たちにまず強い違和感を覚える。

    ブライアンは科学者で、”プルトニウムが核融合を起こすための研究”をしていた。
    5人の男たちは、町から離れた研究所に隔離されたような生活をしつつ、
    与えられた使命を果たすべく日夜励んでいた。
    全ては「JAPを叩き潰すため」だ・・・。

    ”100%アメリカから見た原爆”が容赦なく描かれる。
    教育の賜物と言うにはあまりにも犠牲が大きいが、
    まさに「イノセント」無垢で純粋な人々ほど教育の効果は絶大だ。
    だが、5人はそれぞれに「新型爆弾の成功」と引き換えに大きなものを喪う。

    終盤のエピソードが衝撃的だった。
    5人のうち余命が長くないと知った医師の男が、仲間のひとりに告白する。
    「昔研究所で爆発事故があった時、本当はお前の被爆量はもっとずっと多かった。
    自分はお前の健康診断データをずっと観察していたのだ。
    データを集めるために多くの人間にプルトニウムを注射してきた」
    身内を危険にさらしてまで戦後長く秘密裡に継続する実験とはなんだ?
    この医師にとって、戦争は終わってなどいない。

    ストーリーは時系列ではなく、5人が研究所で過ごした1945年の出来事を
    何度も挟みつつ、グレッグが90歳になるまでを描いている。
    少し物足りない印象を受けるのは、グレッグの息子が車椅子になって帰還したり
    中佐の息子がベトナム戦争から戻ってから肺炎で死んだり、といった
    ”修羅場”を見せないせいだろうか。
    全ては済んだこととして淡々と場面から観客に知らしめる。
    月並みな後悔かもしれないが、親としてどんな風に受け止めたのか、
    その苦悩が”正義に対する疑念”の始まりではないか。
    だが役者陣は確かにその苦悩を体現しようと熱演だった。

    原爆を挟んで、二つの国が全く違うものを見ている。
    日本の「イノセント・ピープル」も観てみたいと思った。
    自分も含め、国民の多くが純粋で愚かなのはどこの国も同じだ。




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