舞台芸術まつり!2023春

エンニュイ

エンニュイ(東京都)

作品タイトル「きく

平均合計点:22.2
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★★

 主宰・長谷川優貴さんは当日パンフレットにこう書かれていました。

 「この作品は、只々話を聞くだけの内容です、ドラマチックな物語はありません」

 そして、その言葉通り、本作の俳優たちは只々話をする/聞くという行為を繰り返しました。しかしながら、観客の一人である私に残ったのは「只々話を聞いた」という体感のみではありませんでした。

ネタバレBOX

 “きく”という行為をフラットに、どんな色もついていないまっさらな状態まで一度解体し、きく側の状況、精神的状態、姿勢や視線などの様々な反応によってあらゆる形に縫合し、それをまた解き、結び、と繰り返していく中で浮かび上がってくるもの、それと同じだけ溢れ、抜け落ちていくものがあるということ。“きく”という行為の難しさと果てしなさを存分に握らされることによって、従来自分が行ってきた“きく”という行為、さらにはそれを経て時に頷き、共感し、またある時は首をかしげ、否定する。そんな一連の行為まるごとに対して今一度疑いを持つことができたような気がしています。

 劇中の印象的なシーンの一つに、玉置浩二の『メロディー』という歌を世界各国の人々が一斉に聴いている様子を映像で流す、というものがありましたが、それを観客が「只々見ている」という状態こそが本作における試みを通して行いたかった「きく」の更地化だったのではないかと想像させられました。

 それの対となるシーンとしては、「人の話をどれだけきけるか」を競う架空の賞レースが実況される場面がありました。そのシニカルさに客席からはちらほら笑いが起きたのですが、レース参加者に扮した俳優陣がことごとく話を最後まできくことができない、という描写にはひやりとするものはあり、それを笑うという行為がそのままブーメランとなって自分に返ってくるような感触もありました。

 俳優陣の「きく」を試みるスタイルも多様性に富んでおり興味深かったのですが、とりわけ実況者を演じた高畑陸さんが印象に残りました。コロナ禍で演劇が映像として配信されることが増えましたが、まさに高畑さんはその配信映像を担うスタッフとして広く活躍をされています。上演を「みる/きく」という立場に立ち、それを粛々と記録・編集されてきた高畑さんが俳優としての身体でその場に座り、俳優として声を発し、「きく」様子を「みて」実況する立場にあったこともある種示唆的であり、試みの一つとしてもインパクトを感じました。抑揚溢れる実況風景からは俳優としての魅力も新たに知ることができました。

關智子

満足度★★

 「きく」ことを複数の切り口で描く意欲作である。メディアが発達した現代において、真に「きく」とはどういうことかを考えさせられた。

ネタバレBOX

 全体を通じるコンセプトが冒頭から明示されてしまっているが故に、「きく」ことに対する掘り下げが今ひとつ甘く感じられる。多くの「きく」にまつわるシークエンスが展開され、「きく」を遊戯し、観客にとっても「きく」とは何かを一緒に考えるように誘うが、それに留まるのがもったいないと同時にやや押し付けがましくも感じられる。

 最終的に「きくとは何か?」を問う段階で終わってしまい、それを問うこと自体についての意義や批評的考察は作中にも見出すことができず、また同時に観客の側に喚起もされない。提起されている問いが現代において重要だと日々実感しているからこそ、その問いについての新たな何か(意義や考察、切り口など)が欲しかった。

 全体として困難な作品になってしまっていたが、それでもあまり退屈せずに見ていられたのは、シークエンスの展開の速さと散見されたユーモアが刺激となっていたからだろう。俳優のシークエンスごとの切り替えの速さと、それぞれで独特の存在感はそれに大きく寄与していた。今後の作品ではそれらをより生かすことが期待される。

園田喬し

満足度★★★★★

 タイトルの『きく』。この「きく(聞く)」に特化した演目で、コンセプト通りのパフォーマンスが展開されます。あらゆる角度から「聞く」ことの実例が提言され、「それは何か?」「どういうものか?」について考察・検証が繰り返し行われ、それらに関する明確な解答はなく、受け止め方も観客それぞれ。それでいて多くの表現が日常的であり、私たちの生活や人生に深く関わる内容となっています。実験的パフォーマンスと捉えることもできるけれど、僕には非常に刺激的な体験であり、自身の記憶や経験に変換しやすい身近な一作に感じられました。観劇後は「聞くこと」に関する様々な解釈や可能性が頭の中を駆け巡り、作品の余韻にじっくり浸ることができました。

深沢祐一

満足度★★★

 発話をめぐる哲学的な洞察

 白壁にアートや落書き、スウェットなどが掛けられた殺風景な空間の真ん中に席が六つ設けられている。「演者のテンションやコンディションで上演時間が変わります」。開演前のアナウンスがかかると男女が席に座りはじめるがなかなか芝居が始まらない。彼・彼女らの関係性は明示されず、なぜそこに腰掛けているのかも不明である。

ネタバレBOX

 そこから他愛のない会話が始まり、物語の主軸は母親が癌と告知された男性A(小林駿)になる。皆はAに「はあ」「そっかぁ」などと声をかける。いまお母さんと一緒にいてあげないと一生後悔するよと声をかけた男性H(オツハタ)に対し、Aは「そんなのわかってるよ」「勝手なこと言うなよ」と怒声を浴びせる。そこからAが身の上話を始めるのだが、じょじょに話題の主軸が他の俳優にずれはじめていく。Aが自身の祖母に言及すると女性B(浦田かもめ)が耳の悪いおばあちゃんの話を始める。やにわに男性C(市川フー)が自分の祖母に関する事実を打ち明ける。BとCの話は重なるようで重ならず、そこにまたべつの女性G(二田絢乃)と男性E(zzzpeaker)が会話に入り込み、以降も主たる発話者の話題をもとにして別の発話者へと主軸が入れ替わっていく。途中で舞台の映像が背景に投影されたり、言及された音楽の映像が流れたりする。果たして主軸はAへと戻っていくのだが、他の人物たちが自分の話をほとんど聞いていなかったことへの怒りを吐露するものの、それをBにたしなめられる。

 私が面白いと感じたのは発話者の主軸が連想ゲームのように切り替わり、ひとつの流れを形成していた点である。他人の話題からまったく別の連想をするというのは日常誰しも覚えがあることだが、そのことを他者に示すということは行われないことだろうし、雑念だらけの内面をそのまま口にしてはただの垂れ流しになってしまうだろう。本作品では俳優の発話方法を対話/独白/傍白などで区切らず、むしろ観客の視点の移動を利用し、その時点で物語の展開の中心にいる人物に話をさせて観客の注目を集め、流れを作っては位相をずらして壊し、また作っては壊しという円環構造が出来上がっていた。これは立派な演劇批評だと思うし、言語で世界を把握する人間の限界を示す哲学的な洞察になっていたと思う。

 しかし後半になってくるとこの流れがやや単調で冗長に感じたということも否めない。ところどころ入れ込まれたギャグや動物を模した動き、終盤で長い筒を用いて「聞く」という動作を立体化して見せた試みなど手数は多いのだが、それがこの作品で用いられた発話者の主軸をずらす方法論の提示とうまく噛み合っていたとは思えなかった。

 とはいえ実体験をもとに他者の話を聞くことの困難さを、こうした形で作品化してみせた長谷川優貴の企みはとても興味深い。終幕にどの観客も覚えたであろう、話をすることの傲慢さやバツの悪さを含めて他では得難い観劇体験であった。

松岡大貴

満足度★★★★

 「きく」ということと、自由な劇構造

ネタバレBOX

 グランプリ評もありますので重複を避けますと、「きく」というテーマ設定と同時に、複数の場面が挿入される中でも、「きく」という点において一貫して物語が続く仕掛けは興味深かったです。それほどに「きく」という軸は構成上有用なもので、即興的演劇や要素が入り乱れる劇構造においても機能していたように思います。その上で審査会においては意見が割れていたことも申し上げておきます。自由な劇構造と書きましたが、それは取りようによっては乱暴な、観客を置いてきぼりにする可能性も秘めているという意見だったかと思います。自分はそれぞれの場面や登場人物、セリフも楽しく感じていましたので好意的に捉えていましたが、そこがハマらなければ途端に難しくなるのかもしれません。確かに自分は評価をしていた側ですが、そのテーマ設定以上に、様々挿入されるシーン自体を楽しんでいました。それが団体の狙いと合うかも含めて、次の上演を模索して頂けたらと思います。

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