舞台芸術まつり!2023春

幻灯劇場

幻灯劇場(京都府)

作品タイトル「DADA

平均合計点:19.3
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴


※現地に伺えない松岡審査員の代わりに代理人が鑑賞したため、松岡審査員の評価は空欄です。

丘田ミイ子

満足度★★★

 閉鎖されゆく地下鉄の駅を舞台に死者と生者の魂が時にすれ違い、時にその裾を触れ合わせ、各々の思いが交錯していくという構造は詩的でありながらも、「こういう場所がどこかにあるかも」とふと実感させるだけの世界観が確立していました。

ネタバレBOX

 彼岸と此岸の狭間の曖昧さを彷彿させるようなシースルー素材を多用した衣装、一方で階層や隔たりを確かに想起させるような美術。そういった細部にわたる視覚的な追求や仕掛けもこの魔法の所以ではないかと思います。

 人間と幽霊の差を「目に見える」と「目には見えない」とした時に、その境目をできるだけで馴染ませたい、なるだけシームレスにしたいという思いを劇中の随所で個人的には感じたのですが、とりわけ歌唱シーンでその展望は顕著に表れていたように思います。

 物語の進行にパッチワークするように音楽を重ねる、そうして物語と歌が、セリフと歌詞が混じった一瞬にこそ見えるものがあるのでないか、というような。そんな細やかなチューニングが、本作が楽曲の数やバリエーションとして「ミュージカル」と銘打っても違和がないところをあえて「音楽劇」としたところではないかと感じました。

 周波数や電波の状態によってくぐもったり、はたまた鮮明に聞こえたりする「声」というものが次元と次元を往来する。物語において重要な意味を持つ「ラジオ」がそうであったように、「ここは言葉ではなく、音楽でなければならない」といったある種の必要性にも説得力がありました。歌唱クオリティも高く、俳優らの声にはそれぞれ役割があって、音楽を目的に足を運ぶ観客を満足させるものであったと感じます。上演後に公演の様子や楽曲の歌詞がweb上に公開されていることも有り難く、観客の余韻を手伝う役割としては元より、観られなかった人がどんな公演だったかを知ることもでき、とてもいいアウトプットだと感じました。

 一方で物語がやや駆け足になったり、展開が予定調和的に見えてしまう部分、言葉があとひと匙程足りない部分や一歩過ぎてしまった部分も見受けられました。あらすじや物語の源流に文学性が香り立っていただけに、この辺りにもう少し工夫が練られているとさらに満足感が得られたのではないかと思います。また、物語の主旋律がロッカーに遺棄された子どもとその母親にあるので、そういった社会問題をこの演劇がどう回収するのか、というところも一つの見どころになりえたと感じます。あくまで私感ですが、本作ではともすれば遺棄した母親がややヒロイックに見え、肯定的に映りかねない不安が残ってしまったので、もう一歩深く描かれてほしいという願いもありました。

 しかしながら、全ての答えを明確に出さないところに本カンパニーのカラーはあるのかも知れず、私自身が未だ咀嚼中でもあるため、今後の作品を観劇して理解を深められたらと思います。幻に灯る、幻が灯ると書いて幻灯劇場。そのカンパニー名に相応しい題材と物語であると思うので、代表作の一つとしてブラッシュアップされ、再演されることを期待しています。

關智子

満足度★★

 完成度の高い作品だった。独自の世界観が確立されており、ユニークな設定やストーリー展開はアングラ演劇とキャラメル・ボックスを足して割ったような印象を受けた。

ネタバレBOX

 舞台美術、衣装、照明が美しく、劇的世界の立ち上がりに大きく貢献している。他方で、音楽それ自体は美しいのだが、俳優の歌唱力にバラつきが認められたのが惜しかった。コインロッカーベイビーが死者の成仏を行うという着想はこれまでにないユニークさがあり、会話のテンポが心地よい。ただ、物語の展開という意味ではやや凡庸であり、
他方で、コインロッカーベイビーを取り上げていながらそれはモチーフに留まっており、社会問題にまで掘り下げていない点がもったいなく感じられる。

園田喬し

満足度

 音楽劇として、やや珍しいアプローチに取り組んでいる点が印象に残りました。物語パートと歌唱パートに分け、それらをレイヤーとして重ね合わせることでひとつのシーンを構築しようとする。その見え方も観客によって各々異なるでしょうし、様々な感想を呼び起こす効果があると感じました。僕の観た回は客席の反応も上々で、ファンをしっかり形成する活動歴を誇る団体であることがうかがえます。社会問題を内包するモチーフを選んだ一作なので、登場人物の内面描写から飛躍させ、何かしらの問題提起まで到達できれば、更に良かったかも。

深沢祐一

満足度★★★

 幽霊たちが奏でるコミカルな音楽劇

 劇団のアンサンブルと若い才能が光る2017年初演の三演である。

ネタバレBOX

 ケン(本城祐哉)とラジョ(布目慶太)は京都駅にある架空の地下鉄、清水線12番出口のコインロッカーに18年前に捨てられた。ふたりはじつの兄弟のように肩を寄せ合い育ってきた。

 駅にはさまざまな理由で現世を去らねばならなかった幽霊たちが行き交い、役人の成仏唯(橘カレン)や、体を売ろうとしているサナエ(鳩川七海)ら人間たちも出入りしている。生前の後悔を晴らせない幽霊たちは成仏することを目指しているのだが、成仏できない幽霊は記憶が薄れてきたり、人間の体を乗っ取ろうとすると魂が消滅してしまうため成仏できないという。ラジョは自分を知るマリ(松本真依)という女性に啓発され、最近記憶が薄れはじめているケンを助けるべく奮闘するが、やがて逃れられない現実に向き合うことになる。

 私が面白いと感じたのは歌唱場面の多彩さである。冒頭で演奏される「京都駅地下鉄清水線」では幽霊たちが傘を差しながら舞台上で「叶わぬ願い 描くほどに/ありえぬ未来 望むほどに」とこの世の無情を歌い、さながら寺山修司の天井桟敷の舞台を見るような感触がした。続いてケンが幽霊たちに「あぁ、成仏せよ」と激しく歌い上げるタイトルチューン「DADA」はロック調、ラジョと因縁のあるマリがトイレで歌う「水はことば」での鮮やかなトイレットペーパーの工夫、終盤でラジョの旅立ちを見守るように再度歌われる「DADA」はミュージカル『RENT』の「No Day But Today」のような爽快感がするなど、幅広い楽曲が聴けて飽きることがなかった。ケンを演じた振付・作曲の本城祐哉の才気が横溢していたし、劇団員のアンサンブルがよく取れていたことも成功の一因だろう。

 私が疑問に感じたのは主に芝居部分の作劇と演出である。開演前に「ゴーストバスターズ」や「お化けのロック」が流れていたこともからも予想できたが、本作の幽霊たちは皆コミカルでまったく怖くない。それはいいのだが、幽霊と人間との差別化ができていたとは言い難いため、彼岸と此岸のあわいを描く設定があまり活きず、クライマックスになってようやく効いてきたために歯がゆい思いがした。そして作中ではキャラクターたちが会話の多くが、本作における幽霊の世界観の説明に費やされていた。そのため物語に入り込む以前に設定に馴染むのに時間がかかってしまった。幽霊が日光に当たると体の一部が大根になってしまうというような場面は面白かったしキャラクターたちは皆チャーミングだが、こうしたコミカルな作劇が照明や音響のどっしりとした感覚とあまり調和しているようにも思えなかった。

 また冒頭の場面からおおよその結末は読めるため、ラストの感動が今ひとつ盛り上がらなかったことも残念である。たしかに作中で幽霊と人間は一種の疑似家族を形成していたが、それが従来の家族像へ問いを投げかけるまでに至ってはいないように思う。ラジョとマリの対話や、人間の体を乗っ取ってまで亡くなった娘のあやめ(今井春菜)に会おうとしたホームレスの幽霊サンショウウオ(藤井颯太郎)の想いなどを通し、子どもを置き去りにすることの暴力性とその背景、親子の未練といった要素を感じたいと思った。

松岡大貴

満足度

 ※松岡審査員の代わりに代理人が鑑賞したため、松岡審査員のクチコミ評は空欄です。

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