満足度★
思考の停止。想像力の欠如。が持つ危険性。
『テレビ的』であることが悪いことだとは思いません。しかし、そう名乗るのであれば、劇中でテレビを茶化し「くだらねぇ」と言ってしまう、その姿勢をまず改めるべきだと僕は思います。
自分たちがリスペクト、フューチャーしているものを「くだらねぇ」と言ってしまうかっこよさや、「テレビ」は「くだらねぇ」から「テレビ的な演劇」を作る!ということだったのかなとも考えられますが、そこまではわかりませんでした。
また、当日パンフに『マンガ』というキーワードを載せていましたが、『マンガ』的な演技をやりきれていたのは一人だけだったように僕は感じました。
十を語るのに、一から十まで全てをそのまま舞台上で提示することが、「テレビ的な演劇」だとは思えません。また、「テレビ的な演劇」が気軽さであるとかそういうことなら、1時間半に収めた方がいいと思います。2時間前後の演劇が多い中、1時間半という時間には「気軽さ」があると思いますし、個人的に2時間は長く感じました。
久しぶりに「出てきただけで笑いが起こる」状態等を目にして、その「思考の停止」を良しとしている作り手側には危機感を覚えました。THE フォービーズもそのことに違和感や、危機感を感じているのであれば、もし次回公演で同じ状態が生まれた時にはその場に「つっこみ」を入れるなど、初めてTHE フォービーズを見る観客が置いて行かれない工夫がされていくことを願います。前説は過去公演でも行っていたようですし、そういうことができる団体だと思います。
そういった「何をしても、あるいは何もしなくても笑う」という、作り手側にも失礼だと思える観客も一観客であることは確かです。携帯電話など事前に注意されているものでない以上、楽しみ方の一つであり、観客は悪くありません。空間づくりや、瞬間的な対応で、印象は変わると思いますので、「テレビ的な演劇」が「何も考えずに見れるもの」「誰もが楽しめるもの」ということであるのなら、そういう観客のためにも考えて頂ければと思います。
【8/30(木)3:03】
ぴんぶぅさん よしこ☆さん のコメントを受け、以下の文を加筆修正致しました。
『テレビ的』であることが悪いことだとは思いません。しかし、そう名乗るのであれば、劇中でテレビを茶化し「くだらねぇ」と言ってしまう、その姿勢をまず改めるべきだと思います。また、当日パンフに『マンガ』というキーワードを載せていましたが、『マンガ』的な演技をやりきれていたのは一人だけでした。
十を語るのに、一から十まで全てをそのまま舞台上で提示することが、テレビ的だとは思えません。また、気軽さであるとか、そういうことなら、1時間半なら1時間半の“枠”に収めるべきだと思います。2時間は長かったです。
「何も考えずに見れるもの」を楽しんでいる観客が悪いとはいいませんが、久しぶりに「出てきただけで笑いが起こる」状態等を目にして、その「思考の停止」を良しとしている作り手側には危機感を覚えました。
2007/08/30 02:50
2007/08/27 19:53
2007/08/27 13:24
コメントありがとうございます。長文になりますが、返信させて頂きます。
憤りを感じられたとのこと、すみませんでした。文章を読み返してみたところ、言葉が足らず、誤解を招く書き方になってしまっていたと思います。
「何も考えずに見れるもの」を楽しむことは、悪くないですね。それも一つの演劇の楽しみ方だと思います。「観客が悪いとはいいませんが」の部分に語弊があったと思います。すみません。
ただ、「まだ何も喋ってなく、面白い動きや、面白く作った顔をしているわけではない出演者」や、「次回公演予告に映し出されたゲストの名前と写真」に対し、「笑い」(拍手や歓声でなく)が一部のお客さんに起こっていた様子を観て、
それは、ネタや作品など、「出演者や作り手であるTHE フォービーズの作ったもの」とは別の部分で無条件に笑っているように感じ、何をしても、あるいは何もしなくても笑うということは、そのことは作り手に対して失礼だなと思ったこと。
また11回も公演を行ってきているTHE フォービーズの観客席にそういう状態があったことや、あることが良しとされているように見えたことに危機感を感じたので、書かせて頂きました。
もしかしたら、前説の方や、特別ゲストの方が「あの場に出てくること自体」に面白さがあったのかもしれません。今、思い返すと、前切には「先輩(新人ではないという意味の別の言葉だったかもしれません)である自分が何故?」という言葉もありましたので。ただ、初見だった僕にその面白さはわかりませんでした。
また、THE フォービーズもそのことに関して頭を悩ませているのかもしれません。
もしそうなら、席の振分けなど今後の活動できっとよくなっていくことだと思います。THE フォービーズに多くのファンがいることが、満員の客席や、多くのクチコミでわかりましたので、今後、初めてTHE フォービーズを観に行ったお客さんが、その様子で距離を感じ、離れてしまわないことを願います。前説の方が「まだなにもしてないから」と、場につっこみを入れることで、全てのお客さんがその状態に安心できることかもしれませんね。
一部の小劇場演劇でも、知り合いの出演者などに対して「何をしても、あるいは何もしなくても笑う」という状態はあり、そのことが、内輪的であったり、ターゲットを狭くしているように見えたりするのだと思います。他の方のコメントにあるような演劇へのイメージは、その辺に繋がっているのかもしれないなと思いました。
最初の書き込みでは、「何も考えずに見れるもの」を楽しんでいる観客に対して「何をしても、あるいは何もしなくても笑う」という状態に対する「思考の停止」という言葉がかかっており、失礼な書き方になっていたと思います。合わせてお詫び致します。すみませんでした。
よしこ☆さん
>くだらなくて一から十まで提示してくれるのがTVじゃないですかね〜。
TVはそうですね。一から十まで提示してくれるものが多いと思います。
THE フォービーズの作っているものは「テレビ」ではなく、「テレビ的な演劇」ということだったので、その言葉や作っているものに興味があったのですが、その出発点としているテレビを「くだらねぇ」と言ってしまうことに、違和感があったのです。
自分の作っている「演劇」の頭に持ってきて、団体のキャッチコピーとしているようですので、「テレビ」に対しTHE フォービーズは肯定的な印象や可能性を感じ名乗っているのだと思いますが、「テレビ」に対し失礼なように僕は感じました。
僕がそう感じただけなので、ここに関しては、そう思わない人もいると思います。
自分たちがリスペクト、フューチャーしているものを「くだらねぇ」と言ってしまうかっこよさや、「テレビ」は「くだらねぇ」から「テレビ的な演劇」を作る!ということだったのかなとも考えられますが、そこまではわかりませんでした。
>それに一時間半ってそんなに大事な枠なんですか?
>世間には30分ドラマも2時間ドラマもあるのに?
チャンネルを変えられたり、多くは無料で見られる「テレビ」と違って、舞台はお客さんがお金を払い、足を運んで、見て、真ん中の方の席だった場合などは途中で出て行くことも難しいものだと思います。
「テレビ的な演劇」という言葉が、そういう演劇の不利な点を乗り越える気軽さを持ったものなのなのかなと思ったので、1時間半という具体的な数字を出してみました。
テレビだけではなく、演劇にも30分や2時間のものがあります。2時間前後のものが個人的に多いように思ったのと、2時間より1時間半の方が気軽さはあると思ったので、「1時間半」です。「気軽さ」ではなく、「盛りだくさん」や「前説や次回予告もあるお得感」なら「2時間」がベストな数字かもとは思います。
>2時間が長いのはあなたが楽しめてないだけでしょ?
そうですね。
楽しめたら、2時間も短く感じたと思います。
ぴんぶぅさん よしこ☆さん
>演劇を玄人目線でご覧になるのは良いと思いますが、
玄人目線で観ているつもりはありませんが、THE フォービーズが応募し、79団体の中から第二次審査に勝ち抜いてきた団体である以上、演劇祭の一審査員として、応募団体や選ばれなかった多くの団体の失礼にならないよう、責任持って審査をしようとは思っています。
>観客には演劇に関して素人もいることを念頭においてください。
貴重なご意見ありがとうございました。
今後も、審査の場に臨む際や、発言の際などには、そのことを頭の隅に置いておこうと思います。
修正文を新たに書き込もうと思います。
コメントありがとうございました。
また、長文失礼致しました。